やっぱり馬が好き~ふろむオーストラリア~ -571ページ目

私がオーストラリアに来たワケ・続き

☆前回の記事の続きです☆


ある日の日曜日、2人で式場の打ち合わせに行く前に彼のアパートで一緒にお昼ごはんを食べました。

わたしのおっかさんがシチューを作ってくれたので 私は喜び勇んで持参しました。


その時。。。


彼は自分がTVの見える場所にすわり、食事中はずーーーっとTVを見ながら

1人でゲラゲラ笑ってました。


私の座ってる場所は目の前が襖(ふすま)で、TVがまったく見えません。


彼がTVに夢中になってるので 私はモクモクとおかーさんが作ってくれたシチューを食べてました。


その間 一切会話無し!



「おかあさんが作ってくれたシチュー 美味しいね」とか「ありがとう」の言葉も無い!


お母さん、あの時のシチュー ほんとに味気なかった。

こんなに美味しくないものだって感じたの 初めてでした。



食事の後はすぐに打ち合わせに行かなきゃ行けないので片付けも忙しかったのに、

食べ終わると彼はTVの真ん前に座って ひたすら見続けていました。

お皿をキッチンに下げることも無く!


私はこの時直感しました。



いいのか、これで???



式場の打ち合わせも私は上の空、彼と結婚を決めたことを今更ながら後悔しました。




その彼とは競馬の話で盛り上がる事がいっぱいあって、

海外の競馬に興味を持ち出した私は 彼から 『海外競馬のウェブサイト』を教えてもらい

ヒマな時はよくネットをしてました。


そこに「オーストラリアの競馬学校」の広告を見つけました。


前述の乗馬ライフにも 「オーストラリアで乗馬を習う」特集があって

ブリスベン近郊の乗馬クラブの事も記載してあったんです。



私の夢はまたたく間にむくむくと膨らみ、オーストラリアに行ってみたいという願望が

ますます強くなっていったのです!


一旦思い込むと ブリンカーを付けた馬のごとく、目の前しか見えません!

そうか、私の一途はやっぱりここから来てたのか。



彼に「1年間行きたい」と話をしたら

彼は、行くんだったら別れようと言いました。

私が1年で帰って来ないと思うから だそうです。



私は悩みました。行くべきか 行くまいか。

でも先日のランチ事件以来、私の中で彼との結婚に疑問符が沸き始めてたので

結婚を取りやめにし、ついに私は彼をフってオーストラリア行きを決意したのです!



そこからが暫く修羅場でした。

母親には泣かれ、兄と父からは非難の嵐。

でもあの時 おとーさんはそれほど叱らなかったような気がする。

(単に仕事がら 家にあまり居なかったからかな?)



私は耐えました。


だって自分の人生だもん、妥協したくなかった!

年を取ってオバサンになる前に好きなことをやってみたかったんです!



私が入学を決意した学校は競馬雑誌「優駿」でおなじみのハイランド真理子さんがコーディーネーターで、

真理子さんから 「オーストラリアは競馬も乗馬も関係なく学べるから、一度いらっしゃいなさいよ」と

ほんとに気軽にメールを頂きました。


まぁ、騙されたと思って行ってみるか!


とすぐに決心は付きました。

入学は5月と10月のコースがあり、私は翌年の5月から入学しようとしていたんですが

母に「今すぐ行け」と指令が出たので急いで学生ビザの申請に取り掛かりました。


入学は10月12日(だったっけ)頃でしたが、おりしも9月11日にニューヨークでのツインタワーのテロが起き

渡豪がちょっと(だいぶ)心配でしたが 成田空港で旅行会社の担当者と他の同級生達と合流し、

無事にブリスベン空港にたどり着く事が出来ました。



そこから私の「馬学び」と馬との生活が始まったワケです。


その彼のことは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ヒドイ女だと罵っていただいて結構です。だってそれなりの事をした訳ですから。

でも 自分の人生に妥協はせず、また自分で選んだことは自分の責任のもとで

行動していきたい というのが私の信念です。



ワーホリで再来豪した時には まさか今の旦那と出会うなんておもいもせず、

私のワーホリのビザが切れるのを機に結婚してしまった私たち。


結婚生活そろそろ7年。

いろいろありました。

百万回くらい離婚危機も体験しました。


それでも一緒にいる私たちって。。。 似たもの同士? なんですかねぇ。

ハタから見たら それこそ「バカっぷる」ですよ。


でもまぁ 楽しく過ごしているので それも いいんじゃないかと思います。


来月は私の誕生日。

誕生日は私にとって、生誕を祝うのでも「年取ったー」と思う日でもなく、

「両親に感謝する日」です。


今は日本とオーストラリアとで離れて暮らしているので 1年に1度それも2週間くらい一緒に過ごせるかどうかという生活。

両親には申し訳ないと思いつつも、好きな事をさせてもらっていることに とても感謝しています。



さーてと、今の職場でいろいろボロが出てきたので もう早いトコ新しい仕事を見つけたい!私たち。

そういう表情は周りに見せずに、明日はSandownでレースなので行ってきまーす(たぶん)。



今回のお話、長くなりましたがお付き合いいただいてありがとうございました (^-^)/



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私がオーストラリアに来たワケ

突然ですが、掃除機をかけてる時って 考え事しませんか?

私はするんです。 その時に「ブログネタ」もついでに考えちゃうんですけども。


昨日は 「はて? なんで2001年にオーストラリア行きを決めたんだっけ?」とふと考えました。


そうだった、こんな事があったんだー。


というわけで、初めて明かされる、『私がオーストラリアに来たワケ』

始まり はじまり~~~



話は1999年まで遡ります。

仕事のストレスが120%までたまったある日、「乗馬クラブ・クレイン」グループが主催する

「乗馬ラインセンス5級・短期取得コース」に3月の3連休で 思い切って行ってみたんです。


物心ついた時から馬が好きで、その後の20年間とにかく馬に乗ってみたかった。

実家から会社に通ってたのでそこそこ貯金もあったし、えいやっ! と思い切ってその乗馬クラブに行ってみたんですよ。

電車でかなり遠かったですけども。


楽しかった!

馬に乗るのはほんとにキモチが良いと感じた瞬間でした。

そして3日コースの最終日、私はまんまとフロントデスクのおねーさんのよい「カモ」にされ、

そのまま乗馬クラブに入会してしまいました。


半年くらい経ったところで、またもや乗馬クラブのインストラクターのよい「カモ」にされ、

「my鞍一式」まで買ってしまいました。


クラブでも友達が出来て、休みの日に一緒に他のクラブへ「訪問・体験乗馬」に行ったり、

クラブの主催する系列の他県にあるクラブへ「外乗」に行ったりもしました。

あん時どこ行ったんだったっけ? 金沢だったかな? 砂浜で乗りました。

温泉にも入って楽しかった~~~☆



さて、2000年の年末近い冬、乗馬する人たちが愛読する「乗馬ライフ」という雑誌に掲載されていた求人案内に目がとまりました。


島根県で「馬の調教を学びたい人募集!」みたいな。

とても憧れました。親にも相談し 思い切って会社を辞めて4月からそこで馬の調教を学ぼう!と

心に決めました。


入学金を支払い、会社にも3月いっぱいで辞める事を既に報告した直後、またもや乗馬ライフの広告で

「島根県に実体の無い乗馬クラブを装い、馬の虐待をしている施設があります。情報提供をお知らせ下さい」のような文章を発見し、

あら。偶然にも同じ県でそんなものがあるのね~


くらいにしか思ってなかったんだけど、どうも心に引っかかるものがあるので

数日後にメールしました。


そうしたら。。。ビンゴ!

私が行こうとしていたそのクラブだったのです!


フリーでコピーライターをやっている青木さんという女性が中心となって、

その島根の乗馬クラブを告発しようとしていたところで 運よく(?)私が引っかかり、

青木さんの力を借りて 私も告発の助けをする事になりました。


私の目的は、既に支払った入学金の返金。

青木さんに弁護士さんを紹介してもらい、その弁護士さんからは無償で私の件を引き受けて下さいました。

最終的には青木さんと一緒に島根に行き、簡易裁判所で「入学金返金」の審査をしてもらい

被告側は一括では返金できないので 毎月少しずつ返すことで決着が付きました。


私の役割はそこまででしたが、後日青木さんから 虐待されていた馬達が他のクラブに引き取ってもらえた事、

被告は乗馬クラブを運営する権利を生涯失った事 などを手紙で知らされホっと一安心。


さて辞めた会社をどうしよう と思っていたところで上司に事情を説明したら

子会社が人材派遣をしているので、そちらに登録して「アルバイト」として今までの職場に戻って来られる事を約束されたので、社内では一度送別会をして頂きましたが

週明けから「こんにちはー!新人のみねっちです!(笑)」と 再び今までいた職場で働き始めました。


その頃から ある男性との「お付き合い」が始まりました。競馬を通じて知り合った人です。

当時は6~8人のグループで府中や中山まで競馬観戦に行ってました。

他の人たちにはナイショで付き合い、「もうこの人しかいない!」と思ってしまったんです。

今思えば 自分のあさはかさを悔やみます。


私は有頂天でした。 彼と結婚の約束もし、会社に残りたくなかったので

アルバイトの契約も更新せずに「これからは『専業主婦だ~』」とルンルンだったんです。


ところが。


続く。。。


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穏やかな寒い午後

私の住むVIC州でも洪水被害が相次いでます。29の町が水浸しらしい。


気付いたら、ブラジル・スリランカ・フィリピン・タイ・ドイツとフランスの一部地域でも洪水ですね。

先月には北アメリカとイギリス、イタリアでさえも豪雪、

昨日・今日は日本でも日本海側の地域は大雪でしょうか?


昨日の新聞には 過去130年のうちで最強、もしくは2番目に最強のラ・ニーニャ現象が影響してる

とありましたが、

なんだかそれだけでは無い気がする今日この頃です。



さて、昨日のレース、結果は3着でした。

外枠を引いたにも関わらず、スタートがとても良かったので終始2番手で追走。

最後の100mで他馬に抜かれましたが バテずに3着に残り、好走したので親方も満足そうでした。


レース後は馬体がとても熱かったので2回洗い流し、しばらく歩き回って放熱させ

馬運車を待ってる間に彼は私の胸に顔をうずめて大人しく休んでました。

可愛いな~☆



こちらクランボルンは今朝からまた寒くなりました。現在の気温18℃、夜には12℃まで下がるそうです。

木曜日は朝10℃だって!!


昼寝から目覚めたらルビーがBean Bagで寝てました。


気楽にいこうや

ちょっと。。。


気楽にいこうや


私の存在に気付き、体勢を直してまた寝入ってます。

ってゆーか、それ 私の Bean Bagなんだけど。
気楽にいこうや



その頃マックスは。


気楽にいこうや

外でひっくり返ってました。


穏やかな月曜の午後です。



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簡単マーブルケーキ

レースに行くまで午前中はあまりにもヒマだったので、

マーブルケーキを作ってみました。


気楽にいこうや

スーパーで売ってる、「バニラ ケーキミックス」を使うと簡単に出来ます。



【作り方】

パッケージに記載通りに生地を作る。

(私は卵1個と牛乳3/4カップを先に混ぜてからケーキミックスを入れました。)

粉を入れたとき、最初はゆっくりめに混ぜ、殆ど合わさったら 高速回転させます。

※うちにはミキサーが無いので、泡だて器で自分の腕の筋肉を使ってまぜまぜ。


ココアパウダー大さじ1 と 牛乳大さじ1(と適量)を先ほど使った計量カップの中でよく混ぜる。


ココアのミクスチュアを生地に入れ、ちょっとだけ切るように混ぜる。

ゴムべらでバターか油を塗った型に流し入れ、180~190℃のオーブンで40分ほど焼く。


竹串を真ん中に刺し、生地が付いてこなかったらOK。


お好みのアイスクリームを添えて ボナペティ☆



先日スーパーで安売りしてたので このアイスクリームを買いました。


気楽にいこうや

とってもコクがあって「本物のアイス」って感じ♪

オススメです。


ココアのミクスチュアを生地に入れたときに、混ぜすぎるとキレイなマーブル模様になりませんから

お気をつけ下さい。


お好みでミックスナッツやドライフルーツ、チョコレートを入れてもいいでしょう。


なんせ我が家には何も無かったので 至ってシンプルに作りました。

ケーキだけそのまま食すると、なんとも「つまんない」味です。

トッピングでそれぞれお楽しみあれ☆


ほらね、私だってたまにはいろいろやるんですよ。


じゃ、レースに行って来まーす





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Magic Millionsレース・デー

☆オーストラリアの競馬ネタです☆


今日はゴールドコースト競馬場でMagic Millions(マジック・ミリオンズ)のレースが開催されており、

ローカルTVでも第3レースから中継をしているので

午後のoffをもらった旦那と私は自宅でまったりしながらTV観戦をしています。


Magic Millionsとはオーストラリア国内最大の1歳馬のSale。毎年1月に開催され、

レースにはMagic Millionsで売られた競走馬のみが登録・出走できます。


Saleには海外からのバイヤーも多数参加し、日本からも社台ファームやJRAの調教師の方々が

来豪されては数頭購入していらっしゃいます。 日本で買うより「安い」というのがメリット。

今年も社台の吉田氏はいらっしゃってるのかしらん??



TVに映し出される 懐かしいマウンティング・ヤードと知り合いのストラッパーの仲間達、ゲートのアテンダントをしている知り合いの男の子達、競馬場のコース、ジョッキーの検量室、

去年まではここでストラップしてたんだな~ とつくづく思いました。


ゴールドコーストは洪水の被害を免れ、TVで見る限り現地は快晴、湿度も高いということで

蒸し暑さが伝わってきます。

とにかくすごい観衆。 多くは「単に酒を飲みたい」目的で来てるんですけどね。


連日の雨により第1レースの馬場コンディションは『Heavy9』。

おっと、第6レースからは『Slow6』にアップグレードしてました。


下に、オーストラリアの競馬場のトラックRatingを貼り付けました。

ご参考下さい。


Category

Scale

Description

FAST

1

A dry hard track

GOOD

2

A firm track

GOOD

3

Ideal track with some give

DEAD

4

Track with give, better side of Dead

DEAD

5

Significant amount of give, worse side of Dead

SLOW

6

A mildly rain affected track, better side of Slow

SLOW

7

Rain affected, worse side of Slow

HEAVY

8

Soft track, just into heavy range

HEAVY

9

Very soft, genuine heavy

HEAVY

10

Very soft and wet, heaviest category



メインレースは、去年売られた1歳馬達が2歳になった今年 の頂点を競う

Magic Millions 2years Old Classic。 1着賞金$1,140,000。

去年は1,500頭の1歳馬が売られ今日のこのレースに出走するのは16頭。


不思議なのは高額落札価格を記録した馬たちが出走していないこと。

シドニーのG.Waterhouse女史やD.Hayse、D.Freedman、J.Tompsonといった大物調教師が毎年何億円も費やして1歳馬を次々にたくさん購入するのに、彼らの管理する馬が出走しないこと。

どういうことなんだろ???

ゴールドコーストまで遠征するのがめんどくさいのか? (んな訳ないと思うけど)

重馬場が予想されてたから出走を回避したのかな?


さて、メインのレースは名も無い66歳の調教師が管理する馬が勝ちました。

ジョッキーは19歳の見習い。

この馬は去年$30,000で落札され、3戦3勝 すでに$274,000を稼いでいました。


そしてストラッパーを見て驚いた。

私が去年まで働いてたゴールドコーストのボスの厩舎で、しばらく働いて母親の具合が悪いからと

故郷に帰った、ストラッパーとしては全然イケテないおじさん、ニール!


こんなこともあるもんですね~。


2years Old Classicに勝った馬は、Magic Millionsのセリが行われる建物の壁に名前が刻まれます。

なんとも名誉なレースなんです。


洪水の被害にあったToowoombaから遠征した馬が 第3、第4レースに勝ちました。

陣営はさぞかし嬉しいことでしょう。



そうそう、QLD州では洪水の被害にあった厩舎や競馬関係者の救済を行っています。

他州の大手 競走馬・生産牧場や企業が被災者支援のために多くの寄付をしてくれた との事。

Magic Millionsのオーナーであり、電気屋のHarvay NormanのオーナーでもあるGerry Harvey氏が

多額の寄付をした事も紹介してました。やるなGerry、やっぱそうでなくっちゃ!

国を挙げて被災地の救済に努めています。



さて、こちらクランボルンも快晴です。

明日のレース、2頭引く予定でしたが1頭は重馬場のために出走を取り消し、

12月31日に気温40℃以上のEchucaでストラップして勝った馬が 明日のクランボルン競馬場でレースなので

そいつを引きに行ってきます。


朝は厩舎作業しなくていいし、また10時間とか寝ちゃうのかしら。。


みなさんもよい週末をお過ごし下さい☆


今日はご訪問ありがとうございました。 (^O^)/



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