私がオーストラリアに来たワケ | やっぱり馬が好き~ふろむオーストラリア~

私がオーストラリアに来たワケ

突然ですが、掃除機をかけてる時って 考え事しませんか?

私はするんです。 その時に「ブログネタ」もついでに考えちゃうんですけども。


昨日は 「はて? なんで2001年にオーストラリア行きを決めたんだっけ?」とふと考えました。


そうだった、こんな事があったんだー。


というわけで、初めて明かされる、『私がオーストラリアに来たワケ』

始まり はじまり~~~



話は1999年まで遡ります。

仕事のストレスが120%までたまったある日、「乗馬クラブ・クレイン」グループが主催する

「乗馬ラインセンス5級・短期取得コース」に3月の3連休で 思い切って行ってみたんです。


物心ついた時から馬が好きで、その後の20年間とにかく馬に乗ってみたかった。

実家から会社に通ってたのでそこそこ貯金もあったし、えいやっ! と思い切ってその乗馬クラブに行ってみたんですよ。

電車でかなり遠かったですけども。


楽しかった!

馬に乗るのはほんとにキモチが良いと感じた瞬間でした。

そして3日コースの最終日、私はまんまとフロントデスクのおねーさんのよい「カモ」にされ、

そのまま乗馬クラブに入会してしまいました。


半年くらい経ったところで、またもや乗馬クラブのインストラクターのよい「カモ」にされ、

「my鞍一式」まで買ってしまいました。


クラブでも友達が出来て、休みの日に一緒に他のクラブへ「訪問・体験乗馬」に行ったり、

クラブの主催する系列の他県にあるクラブへ「外乗」に行ったりもしました。

あん時どこ行ったんだったっけ? 金沢だったかな? 砂浜で乗りました。

温泉にも入って楽しかった~~~☆



さて、2000年の年末近い冬、乗馬する人たちが愛読する「乗馬ライフ」という雑誌に掲載されていた求人案内に目がとまりました。


島根県で「馬の調教を学びたい人募集!」みたいな。

とても憧れました。親にも相談し 思い切って会社を辞めて4月からそこで馬の調教を学ぼう!と

心に決めました。


入学金を支払い、会社にも3月いっぱいで辞める事を既に報告した直後、またもや乗馬ライフの広告で

「島根県に実体の無い乗馬クラブを装い、馬の虐待をしている施設があります。情報提供をお知らせ下さい」のような文章を発見し、

あら。偶然にも同じ県でそんなものがあるのね~


くらいにしか思ってなかったんだけど、どうも心に引っかかるものがあるので

数日後にメールしました。


そうしたら。。。ビンゴ!

私が行こうとしていたそのクラブだったのです!


フリーでコピーライターをやっている青木さんという女性が中心となって、

その島根の乗馬クラブを告発しようとしていたところで 運よく(?)私が引っかかり、

青木さんの力を借りて 私も告発の助けをする事になりました。


私の目的は、既に支払った入学金の返金。

青木さんに弁護士さんを紹介してもらい、その弁護士さんからは無償で私の件を引き受けて下さいました。

最終的には青木さんと一緒に島根に行き、簡易裁判所で「入学金返金」の審査をしてもらい

被告側は一括では返金できないので 毎月少しずつ返すことで決着が付きました。


私の役割はそこまででしたが、後日青木さんから 虐待されていた馬達が他のクラブに引き取ってもらえた事、

被告は乗馬クラブを運営する権利を生涯失った事 などを手紙で知らされホっと一安心。


さて辞めた会社をどうしよう と思っていたところで上司に事情を説明したら

子会社が人材派遣をしているので、そちらに登録して「アルバイト」として今までの職場に戻って来られる事を約束されたので、社内では一度送別会をして頂きましたが

週明けから「こんにちはー!新人のみねっちです!(笑)」と 再び今までいた職場で働き始めました。


その頃から ある男性との「お付き合い」が始まりました。競馬を通じて知り合った人です。

当時は6~8人のグループで府中や中山まで競馬観戦に行ってました。

他の人たちにはナイショで付き合い、「もうこの人しかいない!」と思ってしまったんです。

今思えば 自分のあさはかさを悔やみます。


私は有頂天でした。 彼と結婚の約束もし、会社に残りたくなかったので

アルバイトの契約も更新せずに「これからは『専業主婦だ~』」とルンルンだったんです。


ところが。


続く。。。


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