韓国撃破!!
仕事で移動中、品川駅で携帯のワンセグでWBC決勝・日本vs韓国10回表から見てました。
日本優勝の瞬間を見れて、ワンセグ付きの携帯を買ってホントによかったと思いました。
それにしても、サッカーも野球も、日韓戦は必ず白熱した試合になって、おもしろいすわ~。
お互い、絶対に負けてはならない相手と思っているから。
この、日本の盛り上がりぶりを見ると、野球人気はもちろんのことながら、
日本人は、実は愛国心・ナショナリズムが高いと思われます。
甲賀稲荷社(千駄ヶ谷)
前出の千駄ヶ谷・鳩森八幡神社には、甲賀稲荷社という境内摂末社があります。
甲賀鉄砲組という武家屋敷の氏神様のようです。
明治18年、現在の神宮外苑の地に練兵場が移転されてくるにともない、
近所である鳩森八幡神社に引っ越してきたそうです。
稲荷神社ならではの、赤い鳥居が連なった参道の道端に小さな祠もありました。
東京大空襲により社殿が燃えてしまい、
長らく鳩森八幡の本殿に合祀されていたのですが、
復興を望む声が高まり、昭和45年に現在の社殿が再建されたそうです。
ちなみに、鳩森八幡には境内摂末社がもう一社あるのですが、
記述が見当たらないため、どちらの神様か謎であります。
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千駄ヶ谷富士塚
前出の千駄ヶ谷・鳩森八幡神社には、
江戸時代1789年に作られた、けっこう大きな富士塚があります。
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都内に現存する最古の富士塚らしく、
都指定有形民俗文化財に指定されています。
高さ約6mの溶岩製。
富士山と同じく、浅間神社が祀られています。
富士山は昔から信仰の対象になっていて、
昔は富士山に登りに行くのがめったにできなかったことなので、
江戸時代に関東を中心に、富士山を模した山(ミニチュア富士山=富士塚)を作るのが流行ったそうです。
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山頂にある奥宮。
身禄像がおさめられている洞窟もあります。
富士山に登りに行くのが身近になった現代でも、
都内だけでも100以上の富士塚が残されています。
千駄ヶ谷の鎮守・鳩森八幡神社
私の勤め先は渋谷区・千駄ヶ谷にありまして、
その千駄ヶ谷の鎮守は鳩森八幡神社になります。
正面口のように見えますが、実は裏口です。
こちらが正面口になります。
東を向いています。
神社は必ず南か東を向いて建てられるそうです。
鳩森八幡神社の創建は、
神亀年間(724~729年)か貞観年間(859~877年)との説があり、
いずれにしても相当古い歴史を持つようです。
応神天皇を祀る八幡神社は全国に多数ありますが、
源氏の氏神様だけに、源氏のお膝元の関東には特に多く、
あちらこちらの鎮守としてよく見かけられます。
私の会社は、こちらの鳩森八幡を氏神様として崇敬しております。
近所の日本将棋連盟により建てられた、将棋堂という祠もあります。
鳩森八幡と言えば、江戸時代に作られた富士塚が有名ですので、
次回ご紹介させていただきます。
神田明神の境内にある江戸神社
前出の神田明神の本殿裏手に境内摂末社がズラリ並んでいるのですが、
その中でも、名前が気になるのが、こちら江戸神社。
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江戸神社と言うからには、江戸・東京を代表するような神社なのか気になり、由緒を調べてみましたところ、
西暦702年に今の皇居の中にあたる地に創建された、江戸・東京最古の地主神とのこと。
平安時代末に江戸氏が今の皇居の地に本拠をかまえて(それが江戸城の元祖)、この一帯を治めていたころ、
江戸氏の氏神様として崇敬されていたそうです。
ちなみに、江戸氏とは、江戸を治めていたから江戸氏と名乗っていたようです。
徳川家康の江戸城拡張工事に際し、神田明神と一緒に現在地に引っ越してきたそうです。











