根津神社のつつじ
つつじ祭り開催中の根津神社に行ってまいりました。
大雨だった土曜日から一夜明けて快晴となり、大変多くの人出でした。
根津神社とは、日本武尊の創建(およそ1,900年前)と伝えられる、東京屈指の古社で、
明治時代に選ばれた東京十社の一つです。
残念ながら、(徳川綱吉が建立した)楼門と社殿が改装中だったので、
改装が終わったらまた撮りに来ようと思います。
根津神社のつつじ苑は、江戸時代から親しまれている観光名所で、
約2,000坪に約50種・3,000株のつつじが植えられていますが、
江戸時代はさらにもっと規模が大きかったそうです。
つつじは境内からも見られますが、せっかくですので、¥200の入場料を払って、つつじ苑に入場しました。
以下、本日2009年4月26日撮影の根津神社つつじ苑になります。
つつじ苑の中で野点もおこなわれていました。
非常に狭そうではありますが・・・。
↓
根津神社は住宅街と接しているので、
花はキレイなんだけど、風景画としてはイマイチかなと思っていたら、
素晴らしい風景画を撮ることができました。
境内摂社の乙女稲荷神社の赤い鳥居がズラリ!
稲荷神社の総本社・京都の伏見稲荷の千本鳥居にならったものですが、
東京に数多くある稲荷神社でも、こんなに多くの鳥居が連なる稲荷神社は、(東京では)他にありません。
つつじとのコントラストに一人感動していました。
テキ屋さんは、日本医科大学病院と面する北口側に大集結していました。
吉祥寺の鎮守・武蔵野八幡宮
住みたい街ランキングで常にTOP3に選ばれる人気の街・吉祥寺の鎮守は、
五日市街道沿いに鎮座する武蔵野八幡宮です。
画像は昨年の秋祭りの際に撮ったものになります。
東京はなにげに神社が多くて、お祭りもあちこちで見かけられるので、
田舎から出てきた30代の私にとっても、郷愁を感じられていい感じです。
こちら武蔵野八幡宮は西暦1167年に創建された神社で、
あたりは原野が広がる小さな農村だったのですが、
江戸時代、明暦の大火で住居を焼失してしまった住民が多く移り住んできて、
大規模に農地開拓されたそうです。
ちなみに、吉祥寺には吉祥寺というお寺がないのですが、
かつて吉祥寺というお寺があったわけでもなく、
明暦の大火により住居を焼失して移り住んできた人たちが、
水道橋付近にあった吉祥寺の門前町に住んでいたので、
吉祥寺への愛着を持って、移り住んだ土地に吉祥寺という地名をつけたことに由来するそうです。
*水道橋付近にあった吉祥寺は、明暦の大火後、本駒込に移転しました。
皐月賞万馬券取ったどーー!!
先週の桜花賞は一番人気と二番人気のワンツーで、
穴党の私は落胆していたのですが・・・、
本日の皐月賞は期待通り荒れてくれましたね~!
アンライバルドとトライアンフマーチの馬連119.4倍キッチリ取りました!!
終わってみれば、フサイチコンコルドの弟と、キョウエイマーチの子供のワンツーという、
超良血馬での決着でしたね。
( ̄▽+ ̄*)
井の頭公園の弁才天(弁財天)
前出の洗足池弁才天や、江ノ島神社のように、
江戸時代までインドの女神・弁才天を祀っていた弁天社は、
明治時代の神仏分離令により、弁才天と同じく水の神様である日本の神様・市杵島姫命を祀る厳島神社等に切り替わった神社が多いですが、
お寺の形式として残った弁天堂も数多くあります。
上野の不忍池弁才天も有名ですが、
今回ご紹介するのは、吉祥寺・井の頭公園の弁才天です。
平安時代中期に関東源氏の祖・源経基により最澄作の弁才天像を祀ったお堂が建立され、
このお堂で東国平定を祈願した源頼朝が祈願成就後、大規模なお堂に改築したと伝えられています。
鎌倉時代末期の新田義貞VS鎌倉幕府執権・北条家の戦いにより焼失し、
その後、数百年放置され、
江戸幕府・徳川家光将軍により再建されたそうです。
ちなみに、井の頭池というネーミングも、徳川家光将軍によるものだそうです。
このあたりは歴代の徳川将軍が鷹狩りを楽しんだ地ということで、
三鷹、御殿山という地名も、それにちなんでいるようです。
よく、井の頭公園のボートに乗ったカップルは別れると噂されますが、
それは、嫉妬深い女神とも言い伝えられる弁才天が井の頭池に祀られていることに由来するそうです。
その噂の起源は相当古いらしいので、
おそらく、江戸時代から、夫婦で参拝したら別れてしまうとか噂されていたのかもしれないですね。



















