浅草“三社祭”
昨年、今まで何回注意しても神輿の上に登る人が絶えないからという経緯で中止になってしまった浅草“三社祭”が、今年は復活しました。
しかし、現在、浅草寺の本殿が改装中のため、境内で神輿を見るスペースが限られているそうだったので、
初日の大行列だけ見てきました。
私は雷門前でカメラを構えていました。
江戸時代までは神仏習合の風習により、浅草寺のお祭りだったのですが、
明治時代の神仏分離令により、今は浅草寺のお隣に鎮座する浅草神社の例大祭となっています。
ちなみに、三社祭とは、浅草神社が、浅草寺を創建した三人の方の霊を祀っているから“三社権現”と呼ばれていたことに由来するそうです。
びんざさら舞という古田楽。
東京ではめったに見かけることがなくなってしまった芸妓さん。
白鷺の舞という、京都・八坂神社の祇園祭りが起源の神事。
三社祭と言えば、“その筋の方”が神輿の担ぎ手に多いことでも知られ、
昨年中止になるまでの、“その筋の方”が全身刺青のふんどし一丁で神輿の上に登り、担ぎ手を煽る様子は、(もちろん神に対して無礼極まる行為ではありますが)確かに圧巻でした。
あの様子が今後見られないのは、(神社を崇敬する身としては不謹慎極まりありませんが)カメラ好きとしては残念な気持ちもあります。
2年に一度の“神田祭”
江戸三大祭の一つ、神田明神の“神田祭”は、日枝神社の“山王祭”と交代で2年に一度おこなわれており、今年は神田祭の番です。
ちなみに、なぜ神田明神の“神田祭”と日枝神社の“山王祭”は交代で2年に一度なのかと言いますと、
神田明神は江戸城の鬼門除けであり、日枝神社は江戸城の裏鬼門除けであり、
ともに徳川幕府と密接なつながりの神社だったため、
祭りの費用を徳川幕府が負担していたそうです。
しかし、祭りの規模が大きくて幕府の負担がキツくなってきて、
神田祭がおこなわれる年は山王祭はお休み、
山王祭がおこなわれる年は神田祭はお休みとスケジュール化されたのが、
今に続くようです。
ならびに、江戸三大祭のうち二つは、
その、神田明神の“神田祭”と日枝神社の“山王祭”で、
もう一つは富岡八幡宮の“深川祭”だそうです。
意外にも、浅草の“三社祭”ではないのですね。
神田明神に祀られる平将門公を崇拝する私としては、
一度は訪れねば!と思い、宮入りの日に行ってまいりました。
もともと山車の行列がメインのお祭りだったのですが、
明治時代以降、周辺の電線や路面電車の影響で山車の行列が困難となり、
神輿のみになってしまったそうです。
宮入りした神輿が神官のお祓いを受けています。
巫女さんはアップで載せておきます。
神田祭の期間中、祭神の神輿が公開されていました。
将門公の神輿を見られて一人感動していました。
ならびに、神田祭の期間だけ、社殿の中で将門公の御神体像がご開帳されていました。
こちらは恐れ多すぎてとても画像をUPできません。
その将門公の御神体像を熱心に拝んでいる若い男性を見かけて、なんだかうれしかったです。
大国魂神社くらやみ祭り“競馬式”
私が府中・大国魂神社のくらやみ祭りに行った際、
午後8時から“競馬式”(こまくらべと読む)が執り行われていました。
武蔵野はかつて馬の一大産地で、朝廷に良馬が多く献上されていて、
その、朝廷に献上する良馬を選定するために、
府中に候補の馬が集められて、国司(今で言う知事)自ら検閲していた古式に由来しており、
1,000年以上も続けられている行事だそうです。
大国魂神社の境内でお祓いを受けた馬が6頭出てきました。
近所に東京競馬場があることにより、つながりが深いJRAから奉納されたサラブレッドです。
やはり芦毛は人気でした。
関係ありませんが、オグリキャップ、メジロマックイーン、ビワハヤヒデといった往年の人気芦毛競走馬も、芦毛だったから余計、人気だったんだと思います。
そして、お祓いを受けた6頭の馬が大国魂神社のケヤキ並木参道を3往復します。
競争ではなく、あくまで馬の良し悪しを検閲するために走らせていたようです。
ちなみに、昔は当然、参道は土だったのですが、
今はコンクリートで舗装された道路のため、
馬が走るにはちょっと脚に負担重そうな気が・・・。
ライスシャワー、サイレンススズカ、ホクトベガといった名馬が競走中に脚を折って死亡したレースを見ていた私は、いらぬ心配をしてしまいました。
府中・大国魂神社“くらやみ祭り”
東京都府中市・大国魂神社の例大祭“くらやみ祭り”へ行ってまいりました。
府中市とは、京王線沿線のベッドタウンで、多摩地区では八王子市、町田市に次いで人口が多く、
東京競馬場、府中刑務所、東芝府中工場等、カオスなビッグ施設を有する街ですが、
かつて西暦645年に武蔵野国の国府(今で言う県庁)が置かれた、
武蔵野国の政治経済と文化の中心地だったのです(江戸の発展よりずっと昔に)。
武蔵野国の国府は、大国魂神社の敷地内にあったそうです。
その大国魂神社は西暦111年創建と伝えられており、
東京都内で最も古い歴史と高い格式の神社と言えます。
大国魂神社の例大祭“くらやみ祭り”とは、
武蔵野国国府祭として古代から伝え続けられているお祭りで、
神を見てはならないという古来の教えに準じた、
神が神社の社殿から神輿に移って巡幸するのは暗闇の中でなければならないという伝統の儀礼から、
“くらやみ祭り”と呼ばれるようになったそうです。
実は私、大学が京王線沿線にあったので、学生時代に府中に住んでいたのですが、
このくらやみ祭りは見に行ったことがありませんでした。
もちろん、駅のポスター等で開催を知ってはいたのですが。
神社巡りに目覚めて、今回ようやく初めての訪れとなりました。
私が訪れた5月3日は、参道のケヤキ並木に地元各町内会の山車が並んで囃子を競演していました。
いい感じにたくさん撮れましたので、以下、山車の囃子をたくさんUPしておきます。
↓
忌野清志郎の死の衝撃
高校生のころからファンだった私としては本当にショックですわ・・・。
RCサクセションは、私の世代ではありませんでしたが、
私が高校生のころ崇敬していた氷室京介の自伝で、
歌手としての仕事がうまくいかず、群馬の実家に帰ろうと思っていたとき、
日比谷野音でRCサクセションのライヴを見て、もう一度、一からバンドを組んでやり直すことを決意し、布袋にTELしてBOOWYを結成したというエピソードを読んで、
興味を持ち、聴くようになりました。
楽曲もさながら、
私はとにかく、あの、TVで見る穏やかな人柄からは想像しづらい、とことんアナーキーな生き方に魅了されていました(自身の立場が危うくなるような社会批判の曲を発表、気に入らない音楽番組の生放送中にTVカメラにガム吐きかけ、生放送中のライヴで予定外の放送禁止曲を演奏等)。
清志郎さんより8歳年上のミック・ジャガー、4歳年上のイギー・ポップ等、
海外には60歳過ぎても未だ現役のROCKシンガーが多いだけに、
清志郎さんにもまだまだ歌ってほしかったです・・・。
ちなみに、以下がMy Favorite清志郎さんの曲ベスト10です。
↓
・スローバラード
・ヒッピーに捧ぐ
・ラプソディ
・よそ者
・いい事ばかりはありゃしない
・トランジスタラジオ
・どかどかうるさいR&Rバンド
・つ・き・あ・い・た・い
・自由
・雨上がりの夜空に
















