井の頭公園の弁才天(弁財天)
前出の洗足池弁才天や、江ノ島神社のように、
江戸時代までインドの女神・弁才天を祀っていた弁天社は、
明治時代の神仏分離令により、弁才天と同じく水の神様である日本の神様・市杵島姫命を祀る厳島神社等に切り替わった神社が多いですが、
お寺の形式として残った弁天堂も数多くあります。
上野の不忍池弁才天も有名ですが、
今回ご紹介するのは、吉祥寺・井の頭公園の弁才天です。
平安時代中期に関東源氏の祖・源経基により最澄作の弁才天像を祀ったお堂が建立され、
このお堂で東国平定を祈願した源頼朝が祈願成就後、大規模なお堂に改築したと伝えられています。
鎌倉時代末期の新田義貞VS鎌倉幕府執権・北条家の戦いにより焼失し、
その後、数百年放置され、
江戸幕府・徳川家光将軍により再建されたそうです。
ちなみに、井の頭池というネーミングも、徳川家光将軍によるものだそうです。
このあたりは歴代の徳川将軍が鷹狩りを楽しんだ地ということで、
三鷹、御殿山という地名も、それにちなんでいるようです。
よく、井の頭公園のボートに乗ったカップルは別れると噂されますが、
それは、嫉妬深い女神とも言い伝えられる弁才天が井の頭池に祀られていることに由来するそうです。
その噂の起源は相当古いらしいので、
おそらく、江戸時代から、夫婦で参拝したら別れてしまうとか噂されていたのかもしれないですね。


