偏屈な親父による「デジタルカメラ」ぶらり日記 -607ページ目

「紫陽花紀行」・龍谷院(旧桂村)

「龍谷院」は、福井・永平寺が本山である曹洞宗の禅宗の寺です。茨城県内那珂川流域の八つの寺で『開運「花の寺めぐりが行われており、龍谷院」は一番に当りトップです。

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偏屈な親父による「デジタルカメラ」初老日記

室町期の長禄3年(1459年)創建で、開基は佐竹義成。

佐竹義成は佐竹氏一族で、大山寺近くの大山城主です。
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1300年代後半の南北朝で北朝方(足利方)として

大躍進した佐竹氏が那珂川を越えて勢力を伸ばしていた。
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本拠の太田城から久慈川を越え、那珂川を越えると水戸城です。しかし、水戸城主には譜代家臣筋の江戸氏が就いていた。そのため勢力を伸ばすのは北と西に限られた。戦国末期に伊達政宗と衝突した経緯はこれに依る。
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花の寺としての「龍谷院」の主力は、枝垂れ桜と染井吉野です。

健康で体調万全なら、来年の四月が楽しみです。
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「那珂川旅情」②水の事故が心配

旧御前山村と旧桂村に架かる「那珂川大橋」付近は、多分自称で「関東の嵐山」と地元住民が勝手に呼んでいるようです。河原は、バーベキューのメッカで、休日は結構賑やかです。両岸に広い河原があるアウトドア派の家族向けの場所です。

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前日の大雨で増水しているにも関わらず、水着姿の家族が二組いました。流れが速く、浮輪での川遊びは危険だと注意したが無視されました。偏屈爺さん扱いをされてしまいました。虚しかったです。

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この下の写真だと急流の状況が解かると思います。
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小生は、浜育ちで水の危険性を子供の頃から肌で経験しております。海と川の違いはあれど、水の怖さを知らない人が多すぎるようです。
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「那珂川大橋」付近は、毎年水死事故が発生します。一番多いのは、バーベキューで酒を飲んでの無謀行動が原因です。山に近いので大雨による増水事故も起きがちです。事故・事件の報道がなかったので、二組の家族は無事だったようです。
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「那珂川旅情」①大雨後の鮎釣り

七月の写真は、紫陽花ばかりで能が無いと考えた。七月の風物詩は何かと考えた結論は「鮎釣り」でした。茨城県の鮎釣りで名高いのは、久慈川と「那珂川」です。那珂川で大勢の鮎釣り釣師が竿を垂れる姿を描いて出かけた。しかし、前日の大雨で増水し、釣師が川へ入れない。プロ漁師による釣舟が三隻で、伝統的鮎漁を行っていた。

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那珂市と城里町を結ぶ「千代橋」付近です。「那珂川」中流流域なので普段なら河原が見える場所です。水量豊富な「那珂川」と言えども、氾濫する勢いです。
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岸辺から「友釣り」をしていた三人組が引き揚げる所だった。大増水で、鮎も習性である縄張り争いをしている場合ではないようです。
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氾濫が少々気になったので、下流の水戸市・水府橋まで行ってみた。警戒水位までは余裕があり、注意深く監視している状態だった。20年に一度洪水の経験があり、若干心配したが安心しました。
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