清陰幽邃と眺望の「好文亭」
「偕楽園」は、水戸藩随一の名君第九代藩主徳川斉昭公が自ら造園計画の構想を練り創設した日本三公園の一つです。特に清陰幽邃(せいいんゆうすい)と眺望の「好文亭」については、斉昭公御自身がその位置や建築意匠を定めたといわれています。いまに残る藩校「弘道館」も斉昭公陣頭指揮で建設されました。
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明治維新へ至る道には、名前の似ている二人の名君の存在が欠かせない。篤姫の義父である薩摩藩主島津斉彬と我が水戸藩主徳川斉昭です。二人とも明治維新には生きていませんが、治世は受け継がれました。斉昭公は、あまりにも駿優すぎて優秀すぎて規格外すぎて、開藩以来の上級武士が付いてゆけず、幕府に訴えられて隠居したという名君すぎる名君です。
梅の香り漂う歴史の景勝地「?」
久しぶりに「偕楽園」本園に足を踏み入れました。梅の季節、桜の季節が終ってからは、拡張部ばかりでした。今回は、県立歴史館「蓮池」のついでの失礼ながらの訪問です。
~梅の香り漂う歴史の景勝地~「偕楽園」のキャッチ・コピーです。
いつ訪れても歴史の香りはプンプンですが、花の香りはしません。盛夏の7・8月に園内で咲く花は無いようです。
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【表門】 … 好文亭への正門です。
「偕楽園」の門は、東門・西門・南門・御成門・表門の五ヶ所です。「表門」は北門にあたります。利用者が多いのは、大きな駐車場がある東門と南門です。
【孟宗竹林】 … 表門から好文亭へ続く小径
【偕楽園拡張部】か【偕楽園公園】ともいう。
眼下に水戸と江戸を結ぶ「陸前浜街道(R6号)」が走っています。「偕楽園」が「水戸城出城説」と「水戸への監視所説」の根拠です。
梅雨明け、夏本番の「向日葵」
とにかく寒かった春が終わり、平年より若干遅れて梅雨入りしました。2000m級の山に囲まれた関東平野は、穏かな梅雨でした。東京23区の一部でゲリラ豪雨がありましたが、被害は最小限でした。そんな梅雨が小中学校の夏休みの前に図ったように明けました。梅雨空の下でけな気に咲き始めた「向日葵」は青空が似合います。「うなぎ溜」市民花壇の「向日葵」が夏本番をむかえました。
「ひまわり」を漢字で書くと、「向日葵」・「日輪草」と書きます。「日輪草」は、太陽の子である豊臣秀吉を連想します。「向日葵」は、青空・太陽のバッグで輝きを増します。
「向日葵」で思い出すのは、南海時代の野村克也捕手の言葉です。巨人の長島・王を「向日葵」、自分を「月見草」に例えました。王貞治一塁手は、一本気な「向日葵」で良いと思うが、長嶋茂雄三塁手は、派手で華麗な「薔薇」ような気がします。
今から50年程前、小学校低学年の夏休みの宿題に「ひまわり絵日記」があったような記憶があります。夏休み前に種を植え、お盆明けに巨大な向日葵が咲きました。









