清陰幽邃と眺望の「好文亭」 | 偏屈な親父による「デジタルカメラ」ぶらり日記

清陰幽邃と眺望の「好文亭」

「偕楽園」は、水戸藩随一の名君第九代藩主徳川斉昭公が自ら造園計画の構想を練り創設した日本三公園の一つです。特に清陰幽邃(せいいんゆうすい)と眺望の「好文亭」については、斉昭公御自身がその位置や建築意匠を定めたといわれています。いまに残る藩校「弘道館」も斉昭公陣頭指揮で建設されました。

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【左近の桜の後ろに好文亭】
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【見晴広場から好文亭】
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明治維新へ至る道には、名前の似ている二人の名君の存在が欠かせない。篤姫の義父である薩摩藩主島津斉彬と我が水戸藩主徳川斉昭です。二人とも明治維新には生きていませんが、治世は受け継がれました。斉昭公は、あまりにも駿優すぎて優秀すぎて規格外すぎて、開藩以来の上級武士が付いてゆけず、幕府に訴えられて隠居したという名君すぎる名君です。

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【好文亭のつつじ庭園】
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【花追橋と好文亭】

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【田鶴鳴梅林からの好文亭】
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