
と思ったら、今朝は良い天気ですごく暖かい日です。12月とは思えない。

高2の息子が今日から修学旅行でハワイに行きますが、「これじゃ日本にいてもハワイと変わらない」などと言っています。
だけど、ハワイなど私も行ったことがないのに、高校生は優雅ですね。
いずれ私もホノルルマラソンに参加してみたいと思っていますが・・・

先日ある生徒から、「こんな面倒な数学の勉強を、なぜやらないといけないの

「考える力をつけためだよ」 とか
「論理的思考力を向上させるためだよ」 とか
「先人が発見・発明した理論を学んで将来の仕事に役立てるためだよ」 とか
ありきたりのことは言えますが、こんな説明では中学生を納得させられません。

私自信、中学以降に学んだ数学が日常生活の何に役に立ったか(仕事は別として)、と聞かれると、パッと答えられるのは「三平方の定理」くらいですね。
サッカーのコーチをしていたので、サッカーグラウンドのラインを引くときにメジャーを使って直角を作るのに役立ちました。

しかし、数学がここまで発展してきた背景には人間社会になんらかのかかわりがあり、必要性があって生まれてきたに違いありません。そこで、生まれた歴史を知れば、どんなことに役立つのかがより明確になると思い、感心を持つことにしました。
ただ私は数学者でもないし歴史家でもありませんので、専門の分野は専門家にまかせておいて、今、中学生・高校生が学んでいる数学の必要性について自分なりに整理して、中学1年生にわかる言葉でまとめられれば良いと思っています。

初回は「負の数」についてお話します。「負の数」は中学校の数学の一番最初に学びます。
負の数は7世紀頃、インド人が借金の計算として財産(正の値)の逆で、負の財産=借金(負の値)と定義づけたのが始まりと言われています。
しかし西洋にはもともと負の数の概念がなく、17世紀頃まで負の数の概念に抵抗を見せていました。
2次方程式に「負の根」が存在することは見つかっていましたが、「無意味な数」・「かりの数」・「不合理な数」として扱われていました。これは負の数を実世界で見つけることができなかったためです(たとえば、負の数のリンゴを持つことはできない)。
しかしその後、実社会での負の数の必要性に迫られて、「与えられた方向と反対方向を表すもの」という解釈があたえられ、数学界で数として認められました。
しかし負の数って、足算/引算は意味を理解しやすいですけど、掛算/割算はその意味を理解しにくいですよね。なぜ(マイナス)×÷(マイナス)が(プラス)になるのか。
そう言うものだ、と割り切って覚えてしまえる子は良いのですが、中には「なぜ?」と考えたまま壁に当たってしまう子もいるかもしれません。
・プラスとマイナスは全く反対の方向である
・マイナスを掛ける(割る)ことは方向をひっくり返すこと
と理解できれば良いと思います。

また、負の数ではありませんが、0(ゼロ)およびアラビア数字(0,1,2,・・・)もインドで造られて発展しています。中国数字(一、十、・・・)やギリシャ数字(Ⅰ、Ⅹ、・・・)では掛算/割算の計算はできませんからアラビア数字が便利なことは一目瞭然です。
その意味で、数学の発展に初期のインドの貢献は大きいですね。
次回は文字式の由来でも調べて見たいと思います。