武士道と騎士道 (その6) | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

 4.武士道と騎士道の異同
【封建制に関して日欧に共通する要素】
  うち続く戦乱がもたらした無政府状態への対処
  有力者の支配権拡大の主要な手段……上からの措置(宮臣 ⇒ 封臣、諸侯 ⇒ 封臣)と下からの措置(托身行為)
  版図拡大と大規模戦争の停止は平時における統治体制の樹立を必須とする
  戦法の変化はやがて専門的兵士(=常備軍体制)を必然化
  兵農分離(主従契約の封建制と領主=農民の荘園制との接合)
  従士の義務は軍務を主とするが、その他の援助と主君への助言
  上下に連鎖的に続く紐帯の頂上は国王に、底辺は農民に至る
  左右に繋がる連鎖がないため、封建制は宿命的に政治的分散につながる
 
【武士と騎士に共通する要素】
  主君とのあいだに双務的義務(御恩と奉公)
  臣下の最大にして不可避の義務は軍事的奉公
  戦場での暴虐と盗奪の合理化
  戦闘は季節(春~秋)に依存し、各回の戦闘行為は原則的に短い
  武勇次第で賞罰が与えられる(論功行賞)
  敵方といえども非戦闘員に危害を加えることは原則的に禁止
  日常生活は武闘訓練に明け暮れる
  生産活動や営利活動を本業としてはならないこと
  武器と戦術上の変化の乏しいことが存立の要件
 
【武士道と騎士道の違い】
一、 倫理の違い
武士道の倫理的基礎は宗教にあるが、武士道は、日本精神の特徴の一つに数えられる多神教に根ざし、神・仏・儒・道教が入り混じった徳目に帰結した。なかでも一番長く日本人の心に沈潜し、武士道に最も強い影響を与えたのは仏教である。武士道の説く徳目をまとめると、「主」「師」「親」という3徳であり、この教えは仏教に由来する。「主」は三界を治める釈迦如来である。釈迦はまた「師」として一切衆生を教え導くし、「親」として一切衆生を憐れむ。
武士たる者が範として尊ぶべき「徳」は以下の7項目から成る。すなわち義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義がこれである。
とは、人間としての正しい道、正義を指すものであり、武士道の中で最も厳格な徳目である。
とは、義を貫くための勇気のこと。勇気といっても、わざと危険を冒して討ち死にすれば単なる犬死にとなる。武士道ではこれを「匹夫の勇」と呼んで蔑んだ。
とは、人としての思いやり、他者への憐憫の情のこと。武士の情けには、仁の精神が内在している。弱き者や負けた者を見捨てない心、高潔で厳格なを男性的な徳とするならば、は女性的なやさしさ、母のような徳である。
とは、他者に対する優しさを型として表したものである。日本では古来よりお辞儀の仕方、歩き方など、きめ細かな規範がつくられ、かつ学ばれていた。食事の作法は学問となり、茶の湯は儀式を越え芸術となった。
とは文字どおり、言ったことを成すこと。「武士に二言なし」という言葉は武士道徳目のひとつ「誠」から生まれた。武士にとってウソをつくことやごまかしは、臆病な行為とみなされた。武士たちは銭勘定を嫌い、誠の精神に基づき証文さえもつくらない
名誉の観念は外聞や面目などの言葉で表されるが、裏を返せばすべて「恥」を知ることである。「恥ずかしいことをするな」「対面を汚すな」「人に笑われるぞ」-「恥」は道徳意識の基本であり、武士道における名誉とは、人としての美学を追究するための基本の徳である。
忠義とは主君に対する絶対的に従順であること。これは武士唯一の特殊な徳目で、一見その本質は日本の封建社会が生み出した政治理念にも見えるが、共通の考え方は西洋にもある。個人は共同体や国家を担う存在でもあるからだ。西洋の個人主義においては主君に対して個人と別々の利害が認められているが、武士道において個人・家族そして広くは組織・国家の利害は一体のものである。主君の命令は絶対だったが、さりとて、武士は主君の奴隷ではない。主君のまちがった考えに対して本物の武士たちは命をかけて己の気持ちを訴えた。それでも主君が姿勢を正さないときは「押込」というかたちで主君を幽閉したり廃嫡したりすることさえあった。
 
他方、騎士道〔確立したかたちでの騎士道〕はキリスト教倫理に一義的に従うところとなった。しかし、キリスト教が普及する前に騎士身分は存在したのであり、最初から「騎士道」の説く徳目を尊重していたわけではない。心構えができる以前は馬を所有すること、闘うこと、など王によって認めた者が騎士となった。しかし、これでは「王認戦闘員」にすぎず、闘う者として修めるべき哲学や心構えは含まれていない。この集団は力があったので、その力を制御しなくては単なる暴力集団であり、しかも王に認められているだけにローカルな暴力集団よりも厄介だった。
キリスト教がこれらグループから暴力性を押さえようとした。騎士は理想を目指し、自己改善に勤しむのだが、キリスト教の教義によれば、人間は不完全であり、完全な存在は神だけであると考える。アーサー王の聖杯探査に出かけた騎士は女性に目が眩んでみな失敗する。だから、宗教からの騎士道では女性を避けるべきとされていた。たとえば、初期のヨハネ騎士団ホスピタル騎士団は妻帯を認められなかった。ほどなくして騎士と婦人の関係は武士道には見られないかたちで昇華していく。これは後述にまわしたい。
草創期の騎士制度に活動力を与えた原則は3種類ある。つまり、宗教的原則、世俗的原則、個人的原則である。
(1)騎士の宗教的義務については延々と述べると切りがない。一言でいえば、騎士は教会の教え命じることのすべてに従わねばならなかった。武人であるからには教会の財産と聖職者を守り通さねばならなかった。強者としての彼は弱者と貧者に対し、教会の教える精神的・物質的慈悲の行いをなすひつようがあった。
もう一つ挙げておこう。武士道には見られない要素として、聖なるもの(教会)のために戦うこと、つまり「聖戦」という徳目がある。
(2)騎士の世俗的義務は中世社会に占める彼の地位から生じた。知行取りでない武人としての騎士は軍の大将に対して忠誠の義務を負っていた。やがて封臣となった彼は封建の義務を細かく尊重しなければならなかった。宗主としての彼は正義と仁慈をもって家臣にその権利を行使する義務を負った。遍歴騎士としての騎士はあらゆる約定から自由であったため、扶助を必要とするすべての者に奉仕しなければならなかった。要するに騎士に叙任された者は皆、身分に由来するあらゆる義務を果たさなければならなかった。
(3)騎士の個人的義務について。騎士は自分自身に対しては唯一の、しかしながら最も厳しい義務を負っていた。すなわち、いかなる状況下でも自身に対して忠実、自分がなした誓約に忠実、一言でいえば、男子の名誉となるものに忠実であるという義務である。
 
これらの義務にもとづいて具体的にはどういうことが求められたか。これは、騎士道研究の泰斗と目されるレオン・ゴーティエが著書の中で騎士道の戒律を「騎士道十戒」としてまとめている。当然、そこに「旧約聖書」「モーゼの十戒」が意識されていることは言うまでもない。
1)カトリック教会への全面的帰順と戒律の遵守
2)教会を守護すること
3)弱者に配慮し、その庇護者たるべし
4)自らを生み育てた国を愛すべし[注]
5)味方を裏切ったり敵に背を向けたりしてはならない
6)異教徒と休戦したり、彼らに対し憐憫の情を注いだりしてはならない
7主君に対して負う義務が神への義務と矛盾しないかぎり、彼への厳格な服従
8)一たび口外した言葉に忠実であり、人を欺いてはならない
9)他者に対し鷹揚であると同時に、施しは気前よく行うべし
10悪の力に対抗して、いついかなる時も、どんな場所でも、正義を守ること
[注]この部分はゴーティエの創作である、中世は今日におけるような国家はなく、土地をもたない騎士であれば、宗主たる主君に忠義だてするのがつねだった。
 

上記の諸義務は他と内容的に被る部分がある。そこで、ギュスターヴ・コアンは『中世フランス騎士制度史』の中で、次の五大規約に要約できるという。つまり、①カトリック教会の守護、②公正・上長への忠誠、③寛大かつ寛容、④戦闘に際しての勇気と憐憫、⑤弱者の扶助 がこれである。

騎士の最大の職分は軍事であるが、軍事的栄光と勇気の精神が上記①~⑤を通貫している。しかし、それ自体が問題であるのではなく、価値ある目的のために発揮されてこそ意味のあるものであり、そうでないものは、悪であり蛮勇であるとする[注]
[注]シャルトル大聖堂に刻まれる騎士の祈りには、こうある。「この上なく聖なる主、全能の父よあなたは邪まな者の悪意を砕き正義を守るために剣を使うのを、我々にお許しになりましたどうか貴方の前にいるこの下僕の心を善に向けさせ、この剣であろうと他の剣であろうと、不正に他人を傷つけるためには決して使わせないようになさってください。この下僕に、常に正義と善を守るために剣を抜かせてください。」