秀次の冤罪を立証し
近江八幡を城主の顔がある城下町に!
近江八幡は城下町なのに市役所や駅前などの公の広場に城主の顔がありません、これは例えれば、表札のない家のようなものです。
理由は歴史的に「秀次は謀反人で切腹させられたんや・・・」という汚名が未だに消えていないからです。
ですから、私は歴史ある近江八幡の繫栄には秀次が謀反人で切腹させられたという歴史の誤謬を正す事が必然と考えているわけです。「秀次の冤罪を立証する!」これがこのコラムを書く目的の一つです
秀次事件を調べていきますと430年(2025年現在)経った今も未だに真相が解明されておらず色んな説がある事に驚かされます。
そこでその事が分かり易く端的に書かれている歴史学者・渡邊大門氏のサイトがありますのでご紹介します。
要するに最新情報として秀次が「謀反人」とか「切腹させられた」などは確定されていませんよ、という事なのです。
やはり、この様な歴史を紐解くときに大事なのがその資料が第一次資料からか?第二次資料からなのか?なのです。
上記を説明したサイトもありますのでご覧ください(以下を↓クリックしてご覧ください)
【戦国こぼれ話】本能寺の変を物語る史料には、デタラメが書かれているものがあるので注意が必要
第一次資料はその事件が起こった時代に書かれた、或いは出されたりした「手紙、日記、公式文書」などで特に日記はその日にあった事、聞いた事を書き記しているわけですから第一次資料は歴史を紐解く場合に重要なのです。
そして事件から時間が経った後に出された「歴史書、伝記、評論、解説記事」などは第二次資料になるわけで、
確かに第一次資料よりも歴史書や伝記などは読みやすくなっていますが時間が経つにつれ内容に依頼者や政治的な影響が考えれられる様になるわけです。
例えば、秀次事件では有名な太田牛一の「太閤さま軍記のうち」がありますが、これは秀吉の死後10年以上たった慶長15年(1610年)頃の成立と言われてます。
その成立に関して、人物往来社刊「太閤史料集」で桑田忠親氏は「原本の体裁は素表紙(すびょうし)、粘葉綴(でっちょうつづり)の古本で、用紙は鳥の子だから、さる貴人の求めに応じて、謹書(きんしょ)したものと推測される。現代訳「太閤さま軍記のうち」山崎白露訳より」と書かれています。
この様な外的影響を受けたと思われる様な二次資料が一次資料の扱いになって「秀吉が秀次に切腹を命じた」とする通説のストーリーができあがり、それが400年以上にわたり続いてきているのです。
当時を知る為の重要な一次史料の「秀次高野山住山令」(秀次を高野山に留める公的命令書)や「御湯殿上日記」(秀次切腹翌日に「無実ゆえ」と記載)などが存在するにもかかわらず、
日本の歴史学界で軽視・無視され通説に都合の良い証言や文書だけが採用されてきているところに、未だに真相が解明されず色んな説がある状態が存続している理由が見えてくるのです。
既存の通説が「もう分かっている」とされてきたため、通説的史料が重視され史料の再検証が行われず、秀次の無実を示す記録が歴史の表台から外れ続けてきたと言えるわけですから、
城下町の顔を取り戻すべく近江八幡は史料の再検証を求めるべきなのです。
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