ある落語家の裁判への想い ~ 快楽亭ブラック師匠 ~ | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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【ある落語家の裁判への想い ~ 快楽亭ブラック師匠 ~】

 

 

快楽亭ブラック師匠が裁判と向き合う姿について、

アドラー心理学の観点も交えて、中立的な立場で見届けてきましたが。、

いよいよ裁判は終盤に入ってきました。

 

さて、どうなっていくのでしょうか?

 

今回、判決前の最後の考察となります。

 

前回までの記事はこちら

 

1回目のコラム

 

2回目のコラム

 

 

 

1.これまでの経緯

 

ブラック師匠の吹聴が原因で、

元弟子とその彼女に訴えられたブラック師匠と榎園映画監督。

 

意図しない裁判へと発展しますが、

「笑い」 を武器に、裁判と向き合うことを決心します。

 

醜い気持ちで争うことはしたくない

 

もう無理かもしれないが、

かつての弟子と愛情あふれる関係を取り戻せるものなら、、、

 

そんな想いを秘めて、

ブラック師匠と榎園監督は様々なアプローチを試みます。

 

ブラック師匠は 「被告福田」 と改名し、

ユニークなクラウドファンディングを実施。

 

裁判所までの練り歩き。

 

榎園監督は法廷画家の依頼など、

堅実なアプローチを担当します。

 

 

 

 

 

2.法廷にて

 

弁護士を立てずに法廷に臨んだブラック師匠と榎園監督。

 

とはいえ、民事裁判では書類のやりとりが中心で、

口頭弁論の出番がなかなか回ってきません。

 

また、

 

どこかで和解勧告があるのではないかと、

そのあたりのことも気になります。

 

 

そんな中、、、

 

3回目の法廷がやってきました。

 

これまで、、 ちんどんや、獅子舞と練り歩いてきたブラック師匠。

 

今回は、

 

夫婦楽団ジキジキと一緒に

日比谷公園から東京地方裁判所まで練り歩きました。

 

また、、

 

榎園監督にも秘めた想いがありました。

 

10年近く同じ釜の飯を食った仲の師匠と元弟子。

 

ブラック師匠は裁判で訴えられた現在もなお、

元お弟子さんへの愛情を持っています。

 

だからこそ、穏やかな気持ちで、

正面から裁判と向き合っています。

 

一方、元お弟子さんのほうは、

どうなのだろうか。

 

今後の彼自身の人生ためにも、

逃げたり、隠れたりぜずに、 きちんと説明してほしい。

 

ちゃんと向き合ってほしい。

 

そう思い、

 

榎園監督は、法廷で、

元お弟子さんに対する説明要求をしました。

 

しかし、 、、

 

榎園監督の願いは届かず、、

原告に対する説明要求は 理由が分からないまま却下されました。

 

 

 

 

 

 

3.和解勧告

 

今回、ついに裁判長和解勧告をしました。

 

和解といっても、、

 

相手からは、謝罪と金銭の支払いは必須という条件を出されていた。

 

けれどブラック師匠は、もっと広い気持ちで和解をとらえていた。

 

私は以前、 ある講演会で、

ブラック師匠が 和解への考えを話しているのを聞いたことがありました。

 

「いっせき飲みかわす会を設けて、

お金はすべて共同で寄付をする、そんな和解がしたい」

 

私はその言葉を聴いて感動した。

 

それこそ本当の和解ではないだろうか!

 

寄付というのも、いいアイデアだ。

 

ブラック師匠は、自身の思いを短く裁判長に伝えた。

 

しかし、、

 

伝わらなかった。

 

相手が謝罪と金銭を要求している以上、

その条件のもと和解のための話し合いをするものとする、

それが裁判所としての見解。

 

結局、、

 

食事をしながら楽しく歓談し、

打ち解けた状態で和解のための話し合いをする。

 

そんなブラック師匠の思い描いていた

和解方法は、受け入れられなかった。

 

やるせない、、、

 

 

双方の思惑の違いか、和解とはならなかった。

 

というわけで、3回目の法廷は終わり、 、

 

いよいよ次回、判決がくだされる。

 

 

 

 

 

 

4.和解とは何だろう?

 

ついに次回が判決。

 

結果はどうなるか予想がつかない。

 

しかし、どちらが勝とうが負けようが、

 

今回の裁判を通して、、

 

人が人を裁くことの難しさ

和解とは何だろう? ということ

裁判制度の課題や人としての誠実さ

 

様々な問題提起なされたと思う。

 

 

まず制度や誠実さの問題でいうと、、

 

今回、果たして充分に議論がなされたといえるのだろうか?

 

榎園監督はそんな疑問を持ち、

裁判所に 「意見書」 を提出した。

 

(意見書の内容はこちらの tiwitter から)

 

これが、

人が人を裁くことの難しさかもしれない。

 

考えてみてほしい。

 

一般的に、

 

無邪気な子どもが 「和解」 と聞いたとき、

何を思い浮かべるだろうか。

 

純粋に 「和解」 というと、

 

「金銭と謝罪の要求を必須としたうえで話し合うこと」 だろうか?

 

それとも、

 

「楽しく食事をしながら仲直りをすること」 だろうか?

 

将来を背負う子どもたちに、

どちらで教えるべきだろうか。

 

視点を変えて、

教育や社会への影響で考えたとき、

 

「和解」 というのを、

どちらで定義したほうが健全な教育や社会になるだろうか。

 

 

このコラムでは、アドラー心理学的に分析してきたが、

心理学者のアドラーは後者の考え方だ。

 

アドラー自身、裁判制度自体には言及していないが、

 

彼は、

 

金銭や契約で結びつく社会ではなく、

親密さや親しさで結び付く社会を目指していた。

 

 

くしくも、

 

ブラック師匠と友好関係にある大阪の竹内義和氏は、

最近、映画やドラマの 「遠山の金さん」 にはまっている。

 

昔の映像を探してきては、繰り返し見返して、

深く感銘を受けている。

 

「遠山裁き」 とでもいうべき、見事な裁きっぷり。

 

現代社会で忘れられた大切なものを、

竹内義和氏は 「遠山の金さん」 に見いだしているのではないだろうか。

 

そんなことを思いつつ、 、

 

私は最後の判決を待つこととする。

 

 

 

 

 

 

■ 執筆者

 

松岡 学

 

数学者、数学教育学者

高知工科大学 准教授、博士 (学術)

 

大学で研究や教育に携わる傍ら、

一般向けの講座を行っている。

 

アドラー心理学の造詣も深く、

数学の教育や一般向け講座に取り入れている。

 

音楽 (J-POP) を聴くのが趣味。

ファッションを意識し、自然な生活を心がけている。

 

 

 

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