裁判とアドラー心理学 ~ ある落語家の挑戦 ~ | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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【裁判とアドラー心理学 ~ ある落語家の挑戦 ~】

 

 

1.相手を 「裁く」 ことが人間関係を不健全にする

 

アドラー心理学では、

タテの関係ではなくヨコの関係を大事にする。 

 

また、心の中で相手を 「裁く」 ことが、

不健全な人間関係を引きおこすと考える。 

 

子どもと関わるときなどで、 

 

親が裁判官になるのはやめよう 

 

という例えを使うこともある。 

 

親が裁判官になって、

子どもを裁くことで、

 

親子関係にひびが入り、

子どもの勇気をくじく危険があるからだ。 

 

もちろん、

アドラー自身、裁判制度を否定しているわけではない。 

 

いうまでもなく、

社会秩序を維持するために裁判制度は必要である。 

 

 

そのようなことを踏まえて、

 

このエッセイでは、このような問題を、

ある落語家の試みを通して論じてみたい。

 

 

 

 

2.心の「構え」に焦点を当てる

 

ところで、

 

アドラー心理学といえば、

 

仕事、教育、子育て、カウンセリング

 

など、幅広い分野で有用である。

 

とはいえ、アドラー心理学と裁判について、

真正面から議論している文献はほとんどない。

 

日本語の本では私は見たことがない。

 

おそらく、デリケートなテーマだけに、

ほとんどの人は無難に避けているのだろう。

 

しかし、

 

とても大切なテーマ。

私は真正面から考えてみたい。

 

なぜなら、正しいことからは目を背けない。

 

それが数学者のアイデンティティーだからだ。

 

 

犯罪に関しては、

 

アドラー自身の著書 『人生の意味の心理学』 に、

犯罪に対するアドラー心理学の立場が言及されており、

文献としては参考になる。

 

そこには、アドラーの言葉

 

「犯罪者への体罰は効果がない」

 

「牢屋に閉じ込めるだけでは、何も解決にならない。

だからといって、釈放することは危険であり、考えられない」

 

「厳しくすることも、寛大であることも、犯罪者を変えることはできない」

 

などが書かれている。

 

すなわち、

 

アドラー心理学は心理学である以上、

制度というよりも、心の 「構え」 を問題としている。 

 

さらにいうならば、

 

協力的な構え

 

に焦点を当てるのがアドラー心理学。

 

 

 

 

3.快楽亭ブラック師匠の挑戦

 

とはいえ、

 

やはり裁判とは争いの場、

 

協力的な姿勢で望むなんて無理ではないのか? 

 

それは机上の空論だ! 

 

と、あなたは思われるかもしれない。 

 

しかし、そのような協力的な姿勢を保ち、

裁判に望んでいる落語家が実際に存在する。 

 

彼の名前は、快楽亭ブラック師匠。 

 

東京を中心に、大阪、名古屋など全国で活躍されている落語家。

 

ブラック師匠は、弟子の吹聴について言及したところ、

その弟子の恋人弟子から330万円の慰謝料を請求される

訴訟を起こされてしまった。

 

訴訟を起こされたのは、

 

ブラック師匠と映画監督の榎園京介氏の2人。

 

 

 (このエッセイでは、ある落語家の裁判に臨む姿勢を

アドラー心理学的に考察するのが目的であるため、

事の真相を詳細に述べることは差し控える) 

 

 

このとき、ブラック師匠は、

 

裁判で競合的な姿勢で争うのではなく、

協力的な姿勢で臨む

 

ことを決意した。 

 

彼は、落語家。 

 

「笑い」 「エンターテイメント性」 を取り入れることで、

相手と憎しみ合うこと避けようと決心した。 

 

まず彼は、快楽亭ブラック師匠から名前を変え、

「被告福田」 と襲名した。 

 

快楽亭ブラック改め 「被告福田」 

 

ブラック師匠らしい一流のジョークだ。 

現在も、被告福田として、落語を行っている。 

 

その意図や思いは、ブラック師匠のブログに見ることができる。 

 

 

 

もし両氏の言い分が通ったら 

あっしは三百万円払わなければなりません。 

 

三百万円といえば大金です。 

 

それを払うかも知れない奴は

いわば上客ではありませんか。 

 

それを被告福田はないでしょう。 

 

忖度して福田メンバーにするとか、 

あっし的には被告福田とごろが似ている

ヒッチコック福田が良いのですが、 

 

被告福田と呼称されたのが

あまりにも悔しいので 

自棄になって裁判がおわるまで 

被告福田を襲名する事にいたしました。  

 

 < ブラック師匠のブログからの引用 >

 

 

 

不意打ちのように、裁判を仕掛けてくる相手。

 

普通なら、憎んで競合的になってもおかしくない。

というか、大部分の人がそうなるだろう。

 

しかし、

 

競合的な気持ちを 「笑い」 に変えて、

憎しみを浄化する。 

 

そんな試みを、ブラック師匠は実践している。 

 

革新的な試みではないだろうか。

 

 

ブラック師匠は別に

アドラー心理学を意識しているわけでなないが、

 

私はきわめてアドラー心理学的な姿勢だと感じている。 

 

 

裁判の際、相手を恨むことなく

協力的な態度で臨むのは、

想像以上に難しい。 

 

 

< 襲名披露の様子は you tube にもアップされている >

 

 

4.ちんどん屋で 「競合性」 を緩和する

 

第1回目の裁判は昨年の12月に行われた。 

 

そのとき、ブラック師匠は、

ちんどん屋を引き連れて裁判所を訪れた。

 

 道行く人々の注目を集めたという。 

 

ブラック師匠はテキトーにやっているわけではない。 

 

きちんと専門家に相談して、

裁判所の外なら、ちんどん屋でやってきても大丈夫だと

確認をとって行動している。 

 

大胆かつ緻密。 

 

 

ブラック師匠は、

 

相手からの競合的な矢を、

全部 「笑い」 に変換して、打ち返している 

 

という。 

 

争うことの虚しさに、

いつか相手も気づいてくれたら … 

 

ブラック師匠からの暗黙のメッセージである。 

 

というか、元弟子への恩情とでもいうべきだろうか。

 

 

ブラック師匠は、弁護士に相談をしてはいるが、

法廷には弁護士を立てずに臨んでいるという。 

 

一般的には、 これは不利である。

 

しかし、逆に考えれば、 

 

弁護士の分まで、

ブラック師匠が発言することになる。

 

つまり、

 

法廷でブラック師匠が発言する機会が

増えるということになる。 

 

きっと、場をなごませるようなことを発言されるのだろう。 

 

法廷でいがみ合っても

仕方ないのだ。

 

 

競合的ではなく協力的な姿勢 

 

アドラー心理学では、最も大切なこと。 

 

アドラー心理学を学ぶ者なら、

みんな頭では分かっているが、

実行するのは難しい。 

 

それがまさか、

裁判の場で実践している落語家の方がいるのが分かり、

私は衝撃を受けたので、ここにエッセイとして執筆した。 

 

ブラック師匠の挑戦は、

 

もっと世間から注目されてもいいのではないかと思う。 

 

ささやかながら、

私はクラウドファンディングで支援させていただいた。 

 

 

最後に、 

 

京都で活躍されている

角田龍平弁護士の言葉を紹介する。

 

あれは約2年前、

 

私が節分イベントに参加した時、

 

角田弁護士は、鬼役の人に豆をぶつけながら、

願い事を言っていた。

 

「世の中から、弁護士がいなくなる日が来ますように」

 

これは、

 

平和な世の中が来ますように、

 

という意味だが、

 

まさか弁護士である角田弁護士自身が

そのような表現で願い事を言うなんて、

 

私は驚いたとともに、

「本当にそうだなぁ」 と共感をした。

 

 

というわけで、

 

私はこれからもブラック師匠の裁判を、

 

アドラー心理学的な立場で、

客観的に見届けていきたい。

 

 

 

続く ・ ・ ・

 

 

 

■ 執筆者

 

松岡 学

 

数学者、数学教育学者

高知工科大学 准教授、博士 (学術)

 

大学で研究や教育に携わる傍ら、

一般向けの講座を行っている。

 

アドラー心理学の造詣も深く、

数学の教育や一般向け講座に取り入れている。

 

音楽 (J-POP) を聴くのが趣味。

ファッションを意識し、自然な生活を心がけている。

 

 

 

<ブラック師匠の襲名への気持ちは、こちらのオリジナルのブログから>


 

 

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アドラー心理学の視点で裁判を眺める 〜 まとめ 〜

 

落語家・快楽亭ブラック師匠の挑戦 ~ 二回目の法廷 ~

 

 

 

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