340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

増田流療法伝習会の公式ページです
340,000人の治療実績をもとに、
からだや心の問題、
いままでの療法では 解決できなかった問題に、
しっかり改善できるよう
エネルギーと、技術を直接に伝授します

 

増田流療法・神界療法・増田流療法伝修会

(商標登録出願中)

増田流療法伝修会主宰

増田接骨院 増田次男

 


2024年7月期 増田流療法伝修会開講のお知らせ

370,000人の治療実績をもとに

治療現場においていままでの療法では 解決できなかった問題に

しっかり改善するエネルギーと技術を直接に 伝授いたします。

治療現場ではクライアント様からの

「なかなか改善できない 身体や心の苦しみ」や

治療に関わることで気がつく「目に見えないフィールド」 にぶつかることはないでしょうか?

しかし、いままでの様々な療法においては

一部の解決にしかいたらないことが ほとんどです。

私は治療の実務者として研究を続け、お客様の痛みを解決し続けています。「他では見られない成果」 とありがたい評価をいただいております。

そして、いつしか治療院としても成功につながりました。

この恩恵に感謝するとともに、このエネルギーと技術が必要な方の手に 届けばと思い心ある方に治療者として、治療院経営者としての成功のすべてを 伝授いたします。

増田流療法伝習会で学べること

・治療現場で結果を出しているエネルギーが使えるようになりま  す。

・エネルギー感覚が実感できるようになります。

・当日からすぐに治療現場で使えるエネルギーが学べます。

・手をかざす、触れるだけで、押したり、揉んだりしないので、

 体力、筋力がなくても治療出来ます。

・疲れませんし、1時間で10人以上の治療が出来ます。

・いろいろな動物の症状にも対応出来ます。

・施術家向けですが、一般の方も、家族や友人、ペットの不調に    

 も施術出来ます。

・神社仏閣で神仏とも交流出来るようになります。

■講義内容

講義-1 基本実習と伝授会 

◆「増田流療法伝習会についての思い」 

◎増田流療法伝授

・伝受後の修正実習

・実際の現場ですぐに役立つ施術 

講義-2 増田流療法者としての心得と実践技術   

◆エネルギー技術を上げるための伝授

◎セルフ修正の伝授

・ エネルギーで出来ること

・「技」「術」「心」を磨く増田流療法者としての心得

・からだの修正全般のチェック

増田接骨院は、福島県の人口も少ない山腹にある接骨院です。

しかし、日に60人を超える患者様がいらしています。

いま、東京の街中の好立地でもそれはありえないことです。

もし、増田流療法の力を得たら

あなたの治療院は変わるのではないでしょうか?

伝授者様からのご感想としては

・患者様が自転車事故で痛めて全く曲げられなかった膝が普通に膝を曲げて椅子に座れるようになりました。

・エネルギー治療3分で痛くないと感動された

・治療後、症状の消失をみました

・エネルギー治療に反対だった母が施術後に「もっとしっかり勉強してきて」と、応援してくれるようになった

・身体が楽で腰も膝も痛みが無くなり、よく歩けた

・首や腰を捻った時の左右差が無くなりとても良かった

 など次々と効果のご報告が寄せられています

増田流療法伝修会

  -募集案内-

■ 日程

 2024年7月28日(日) 午後2時~5時

■ 伝授費用 

通常価格 330,000円(税込み)

*再受講30,000円(税込み) 最新の伝授をします。

■講義内容

講義-1 基本実習と伝授

講義-2 増田流療法者としての心得と実践技術

肩こりや、腰痛はもちろん

いままでの施術で及ばなかったものにも

実感をもってすすめていけます。

参加ご希望の方は、下記の連絡先までご連絡下さい。

詳細と振り込み先をお知らせします。

■場所 渋谷区内

お申し込みいただいた方に後ほどご連絡いたします。

■申し込み連絡先

 cinanzengtian1@gmail.com

お問い合わせに関しましてもこちらにお願いいたしまします。

フェィスブックでも情報をお届けしています

■講師及び主宰

増田流療法伝修会主宰

増田接骨院 増田次男

増田流療法・神界療法・増田流療法伝修会

 商標登録済

2024年4月21日に京都.大原方面にて、増田流エネルギー散策が開催されました。

 

 

◆古知谷 阿弥陀寺

左京区大原古知平町83  075-744-2048 p

 





1609年3月、弾誓(たんぜい)上人が開山した念仏道場である。開山から4年後の1613年5月23日、弾誓は当寺で62歳で示寂した。弾誓は体質を樹脂化したうえで自ら石棺に入り即身仏となったと伝えられる。

当寺の本堂脇の巌窟内の石棺には弾誓の遺骸(即身仏)が安置されている。日本で最南端かつ最西端の即身仏とされるが、明治初年に現在の石棺に収められた後は一切公開されていない。体の保存状態が良くなかったことが原因と考えられているが、詳しい理由はわかっていない。石棺にはすぐ近くまで行くことができる。

 

 

◆宝泉院

左京区大原勝林院町187   075-744-2409

 



実光院とともに大原寺勝林院の塔頭の一つとして創建される。『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって嘉禎年間(1235年 - 1238年)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていた。了性坊は文正年間(1466年 - 1467年)まで記録に残るが以降は断絶したとされる。

 

 

◆勝林院

左京区大原勝林院町187  075-744-2409

 



当寺は、835年、円仁(慈覚大師)によって開かれたと伝えられる。円仁は唐で経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を学んできており、この地にそれを伝えた。しかし、その後寺は荒廃してしまう。 1013年、寂源によって復興され、勝林院が建立された。

 

 

◆実光院

左京区大原勝林院町187   075-744-2537

 




宝泉院とともに大原寺勝林院の塔頭の一つとして創建される。その後、後鳥羽天皇第10皇子の梶井宮門跡尊快法親王により、境内に後鳥羽天皇と順徳天皇の遺骨を安置して陵が造成された。後に廃れてしまったが、応永年間に宗信法印によって復興された。

 

 

◆三千院

左京区大原来迎院町540  075-744-2531

 




三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源を持ち、後に比叡山東麓の坂本に移され、たび重なる移転の後、明治4年に現在地に移ったものである。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は大原に移転して以降使われるようになったもので、それ以前は「円融院」「円徳院」「梨本門跡」「梶井宮」などと呼ばれた。

 

 

◆勝手神社 



勝手神社は1125年融通念仏の祖である聖応大師・良忍が大和多武峰から声明道の守護神として勧請した言われています。その後三千院・来迎院などの魚山の守護神として崇敬されるようになりました。

 


◆出世稲荷神社

左京区大原来迎院町148 075-744-4070

 




元は豊臣秀吉の聚楽第の邸内社として創建されたものである。豊臣秀吉は幼いころから稲荷神を信仰しており、1587年に造営した聚楽第にも稲荷神を勧請した。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたという。

 

 

◆雨宝院

上京区智恵光院通上立売西入上ル聖天町9-3  075-441-8678



伝承によれば、821年に空海が嵯峨天皇の病気平癒のために天皇等身の歓喜天を一刀三礼し、祈願して霊験を発して以来、東寺とともに皇城鎮護として栄えた大伽藍だったという。

 

◆上賀茂神社

京都市北区上賀茂本山339  075-781-0011

厄除 開運 雷除 必勝 電気産業守護




賀茂別雷神社は通称「上賀茂神社」「上社」の名で親しまれる。御祭神は賀茂別雷大神。国宝2棟、重要文化財41棟を含む広大な敷地は全てユネスコ世界文化遺産に登録されている。

 

2024年4月14日横浜方面で、増田流エネルギー散策が行われました。

 

 

◆鶴見神社

JR鶴見駅より徒歩3分 

安全守護・成長祈願・安産祈願




創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。

 1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。



◆総持寺

JR鶴見駅から徒歩5

不老長寿や商売繁盛、厄除け




能登国櫛比庄の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である。1321年曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われる。同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、山号は「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山」と改名し禅院とする。

 1322年後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称する。

 

 

◆西方寺

横浜市営地下鉄ブルーライン新羽駅より徒歩5分

厄除け、良縁、安産、

 



1190年に東大寺別当であった勝賢僧正により現在の鎌倉市笹目ヶ谷に創建。後に極楽寺創建の頃、近くへと移る。

ところが、鎌倉時代の終焉とともに極楽寺の寺勢は衰退し、1495年に現在の横浜市新羽の地に移り、現在に至る。

 


◆羽衣町厳島神社

横浜市営地下鉄ブルーライン伊勢佐木長者町駅から徒歩約5

商売繁盛や金運



創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥から勧進したと伝えられる。 足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えている。浜辺の松林で覆われた境内は対岸の神奈川宿台町からの眺望十五景の一つにも数えられるほどの景勝地であった。 また境内には瓢箪池があり、清水が湧き出たため「清水弁天」とも、また所在地から「横浜弁天」とも呼ばれた。

 

 

◆金刀比羅大鷲神社

横浜市営地下鉄ブルーライン阪東橋駅より徒歩5

航海の安全や豊漁祈願、五穀豊穣、商売繁昌、

 


1859年横浜開港にあたり、港崎遊郭の岩亀楼主人である岩槻屋佐吉が讃岐国象頭山 金毘羅大権現を勧請し、港崎町に祭祀した。1872年に遊廓の移転とともに高島町7丁目の海側へ遷座し金刀比羅神社と改称した。18824月に同様の理由で真金町へ遷座した。

 

 

◆お三の宮日枝神社

横浜市営地下鉄ブルーライン吉野町駅より徒歩3

厄除け、安産、縁結び、

 


1673910 吉田新田の開発者・吉田勘兵衛良信が江戸山王権現の分霊を勧進して創建。旧村社で吉田新田の総鎮守。

秋祭りは「かながわのまつり50選」にも選ばれ、横浜市内屈指の規模を誇る。通称お三の宮。

 


◆弘明寺

横浜市営地下鉄ブルーライン弘明寺駅下車、徒歩23

家内安全、商売繁盛

 


寺伝によると、721年にインドの僧・善無畏が当地に結界を創り、737年に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられ、行基をもって開基としている。弘仁年間(9世紀初期)には空海が双身歓喜天を彫刻し安置したという。

 

 

◆永谷天満宮

横浜市営地下鉄ブルーライン上永谷駅より徒歩5分 

学業成就、合格祈願


道真像は道真左遷に伴い播磨国へ流刑となった道真五男の菅秀才こと淳茂に与えられたもので、淳茂はのちに関東へ下向し、相模国鎌倉郡永谷郷に居館を構えて道真像を奉祀したといわれている。14932月、道真像が時の永谷郷領主宅間上杉家の上杉乗国に霊夢となって現れ、これを畏れた乗国が社殿を造営し道真像を神体として安置したのが永谷天満宮の始まりとされる。

 

 

◆大船観音寺

JR大船駅西口より徒歩510

 



 洞宗の寺。大船観音と通称される全長約25メートルの巨大白衣観音像で知られる。シンボルともなっている大船観音の他にも、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」・「戦没慰霊碑」など第二次世界大戦による犠牲者を弔う碑や、地蔵尊などが立ち並ぶ。



散策後、希望者は横浜中華街での直会に参加しました。



2024年3月10日東京で中野、西荻窪方面の増田流エネルギー散策が行われました。

 

◆荻窪八幡神社

JR荻窪駅北口からバス 荻窪警察署前下車すぐ

御利益:縁結、安産、子育て




当神社の創建は、寛平年間(889年-898年)と言われている。その後の1051年に源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中でここに宿陣して戦勝を祈願し、後の1062年に凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったと言われている。

その後の1477年江戸城主であった太田道灌は、上杉定正の命をうけ石神井城主・豊島泰経を攻める際に、この故事

にならってこの神社に武運を祈願した。

 

 

◆白山神社

荻窪駅から徒歩3分

御利益:縁結びから安産、子育て、家内安全


当神社の創建は、社伝によると文明年間(1469年~1486年)に関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現社を奉齋したのにはじまる。その後に中田一族が栄え、当地に社殿を建てたといわれている。

別当寺は光明院であった。

 

 

◆天沼八幡神社

JR荻窪駅北口から徒歩5分

御利益:商売繁盛・家運隆昌


当神社は、旧天沼村字中谷戸の鎮守で天正年間(1573年 - 1591年)の創建と伝えられている。別当寺は蓮華寺であった。明治40年に四面道の鎮守厳嶋神社を合祀した。昭和2年に村社となる。境内には大鳥神社があり、毎年11月の酉の日には酉の市が開かれ熊手などが売られる。

 

 

◆須賀神社

南阿佐ヶ谷駅から徒歩約10分

御利益:五穀豊穣、文芸上達、厄災消除


近世初期にはすでに建立されていたものと考えられており、江戸時代には牛頭天王社と呼ばれていた。社名は出雲の須賀神社にちなんでおり、別当寺は宝昌寺であった。のち昭和33年には社殿を新築、同時に旧拝殿を神楽殿に改築するなど、現在の景観が整えられた。

 

 

◆成宗五色弁財天

南阿佐ヶ谷駅から徒歩約11分

御利益:祈雨・天候、安産、五穀豊穣・商売繁盛、


当社は、成宗村がつくられたのと同じ頃、水神様のご加護を祈って、湧水池のほとりに建立されたのが始まりと伝えられていますが、詳細は不明です。ご神体は、鎌倉時代に江ノ島弁財天で焚いた護摩の灰を練り固めて作ったという伝説のある、素焼きの曼荼羅像です。

 

 

◆天祖神社

「東高円寺」徒歩5分

御利益:所願成就



創建は、1087年と伝えられ、由緒は次の通り伝えられています。当時、極めて敬神の念厚い郷土民山下久七が、伊勢神宮へ参拝し、御分霊を賜ってこの地に社殿を建てて奉斎したことが始まりで、その後、1096年に村人が議り産土神となりました。現在の拝殿は1831年九月、幣殿と本殿は1888年二月に建設されたものです。

 

 

◆中本一稲荷神社

中野坂上駅より徒歩約5分

御利益:商売繁盛、五穀豊穣、盗難除け



社号の「中本一」は、旧来の町名「中野本町通り一丁目」から来ているそうなのですが、神社自体は300年以上前から、周囲を鎮もっているらしく歴史は古いようです。また別名を「高稲荷」と呼ばれ、実際、青梅街道からは急な階段を登っていく小高い台地の上に鎮座しています。

 

 

◆中野氷川神社

中野坂上駅出口A1から徒歩600m(8分)

御利益:厄除け・災難除け


1030年、源頼信が平忠常討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請し祠を建立したことに始まる。1477年には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。

 

 

◆神明氷川神社

中野富士見町駅から徒歩約11分

御利益:殖産興業・五穀豊穣


御鎮座は1469年太田道灌が武蔵大宮氷川神社より勧請し、毎年祭日には太田家より玉串が奉納されたと伝わる。旧雑色村字川島の鎮守社で、旧社格は村社。新編武蔵風土記には氷川、神明合社と記されているが、神明社の名は旧町名神明町の起源。神社の北方神田川の畔から移転合祀されたと言われる。明治12年建造と伝えられる破損した

鳥居の懸額には「天照皇大神宮・氷川神社」と並記されている。

 

 

◆多田神社

丸ノ内線 方南町駅 徒歩5分

御利益:勝負運、勝運


1092年に創建された。源義家が後三年の役で出征の途中、当地で先祖の源満仲(多田満仲)の武勲を思い浮かべ、戦勝祈願した。そして凱旋した時に大宮八幡宮に対して神鏡を奉納するとともに、源満仲を思い浮かべた当地に、彼を祀る神社を建てたのが起源である。

不思議な画像

最近来院された方で顔や腕の皮膚がひどい状態になり、痒みもひどく、皮膚科に行っても塗り薬を処方されて、

塗った時は少しましになるが、

結局は治らない状態が続いてかなり困っていて、

たまたま知人に私のことを聞いて来院されました。

2月のはじめに来て、週2回ほどの施術を続けた結果、

症状が軽くなったというので昨日写真を撮らせてもらったら、結果が出ていました。

ひどいかゆみも軽減したとのことでした。

こういう症状でお困りの方も多いと思います。

症状を軽減したい方はどうぞ。

増田流療法(神界療法)を使うと、

伝授を受けて神様のちからを使えるようになると、

この画像のようなことや、

手をかざす、軽く触れるだけで、

下記のあらゆる症状の改善が可能です。

まだまだ、押したり、揉んだり、さすったり、

捻ったり、してる方が多いですが、残念ですね。

#花粉症は数回の施術でかなり軽減します

#コロナワクチン後遺症

#コロナワクチン副作用

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#不眠症#尿漏れ

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https://ameblo.jp/masudaryu

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2024年2月18日大阪府豊中市で増田流エネルギー散策が行われました。

 

 

神峯山寺

072-688-0788

 

697年に役小角が葛城山で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、この地にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立しこの毘沙門天を祀ったことが当寺の起源とされている。

 

 

上新田天神社

06-6834-5123 

豊中市上新田1丁目17-1  p有り

創建は不明だが、上新田村の開墾により貞享3年(1686年)に現在地に社殿を再建された。天明元年

 (1781年)に御旅所が建立された時に、神輿・太鼓・金幣が巡幸して祝った。

 

 

豊中不動尊

06-6854-1692

豊中市緑丘2丁目14番8号  p有り

 

昭和37年12月8日に創建される。豊中市街地にあった守護尊協会移転の際、島熊山の地主が守護尊協会を吸収し、新しい豊中不動尊として創立した。本尊は島熊山のすぐそばにある。

 

 

◆つつじの杜 春日神社

06-6852-4735

豊中市宮山町1-10-1 p有り

創建年代は不詳ですが伝記によると、仁明天皇の承和2年(835)に社殿の修繕をなし、1338兵火に罹り消失。その後、仮殿に神霊を奉斎し1483社殿を再建されたと記されています。

 

 

不動寺

06-6855-0079

豊中市宮山町4-7-2 p有り

 

平安時代に弘法大師によって開かれました。 寺伝によると、大師が諸国巡業中兎我野の地で七色の光を放つ石を見つけ、 これを五輪宝塔に仕上げ、不動明王の梵字を刻み本尊とし、不動堂を建て、お祀りをしたのが始まりとされています。その後、嵯峨天皇、後鳥羽天皇の勅願所となり、豊臣、徳川の庇護を受けながら「兎我野の不動様」として、 広く庶民の信仰を集めてきました。

 

 

◆豊中稲荷神社

06-6852-4733

豊中市本町7丁目3-7 p有り

創建年代は不確かながら、行基創建の金寺に近衛氏から寺領数十町歩の寄進があり、この守護神として勧請されたことに始まるとされる。

 

 

◆原田神社

06-6852-4732

豊中市中桜塚1丁目2-18

 

桜塚古墳群の故地に4世紀中から5世紀末頃創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり祇園神社と称した。もとは桜塚神祠とも牛頭天王社とも呼ばれていたが、1685年8月に神祇管領の吉田大納言家から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。

 

 

◆素盞嗚尊神社(江坂神社)

06-6384-8434  p有り

一般に江坂神社と呼ばれ、江坂の氏神様、産土神様として広く崇敬を集めています。主神の素盞嗚尊は、天照大御神の弟神で、やまたのおろちを退治した勇壮な神様としてよく知られています。この神社の言い伝えでは疫病、火難、水難などの災いから人々を守る御神徳があるともいわれています。

 

 

◆服部住吉神社 

06-6864-0761  

豊中市服部南町2丁目3-31 p有り

 

創建の時期については詳らかでないものの、1152年に本殿・鳥居等を再建した、との記録が社記に残されておりそれ以前と推測される。1578年の織田信長による荒木村重討伐時に兵火により焼失するが、1622年に再建された。

 

 

◆服部天神

06-6862-5022  p有り

帰化人集団「秦氏」が允恭天皇の御世に織部司に任じられ当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。この頃はまだ小さな祠だったという。しかし允恭天皇の御世に服部連を賜姓されたのは秦氏ではなく伊豆国造族の麻羅宿禰であり、その祖神が少彦名命と見る説もある。その後、この少彦名命を祀る祠は天神祠と呼ばれるようになった。

 

 

◆利倉春日神社

06-6862-1713

豊中市利倉1丁目3−14 p有り

創建は不詳ですが、少なくとも824年には神社として成立していたと見られます。というのも、当社の神宮寺であった正法寺が嵯峨天皇の皇女(正子内親王)の懇願により、空海の弟子「智泉」によって開創されたと伝えられているからです。正子内親王は当社に病気平癒のご祈願をされ難病が平癒、御殿料百石を御寄進されたとも伝えられています。

 

 

◆庄内神社

06-6331-1287

豊中市庄内幸町5丁目22-1

庄内村各字に祀られていた7社を、1906年の勅令により合祀し庄内神社と号したことに始まる。当初は島江稲荷神社の位置に配祀、1912年10月に現在地へ遷座した。なお、庄内神社の元となった各社は、概ね江戸時代に端を発すると伝えられるものが多い。

 

 

 

 

 

 

2024年2月11日、港区周辺にて増田流東京エネルギー散策が開催されました。

 

◆青松寺

日比谷線御成門駅から徒歩で5

縁結び・恋愛成就 · 商売繁盛 · 除災厄除 

 

 

 

江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して1476年に創建。当初は武蔵国貝塚にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。

 

 

◆円山随身稲荷大明神

芝公園駅から徒歩約4

 

 

徳川家菩提寺・増上寺の裏鬼門に位置する芝丸山古墳の中腹に鎮座する神社。江戸城の拡張に伴い徳川家康によって増上寺は現在地へ移された。この際、御本尊の阿弥陀如来像を桑名から迎えるにあたり、江戸までの道中を守護し(社号の随身はこれに由来するものと思われる)以来、芝丸山古墳に遷座した。

 

 

◆芝東照宮 

「芝公園駅」A4出口すぐ 

勝運・出世・厄除け

 

 

 

 

1616年家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。同年10月に着工し、翌16172月に竣工した。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源である。

 

 

◆増上寺

「芝公園駅」から徒歩3

勝負運,厄除け

 

 

 

 

 

 

徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、12世源誉存応と対面したのが徳川家の菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、1598年、家康によって現在地の芝へ移された。風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。

 

 

◆御穂鹿嶋神社

田町駅下車 徒歩5

勝利祈願 旅行安全 武芸上達

 

 

 元々は「御穂神社」と「鹿嶋神社」という別の神社であったが、どちらも本芝地区の鎮守であったため、古くから「本芝両社」と称されていた。2004 - 御穂神社と鹿島神社を合祀

 

 

◆飯倉熊野神社

赤羽橋駅から徒歩約9

売繁盛、縁結び、子授け

 

 

 

養老年間(714-724)芝の浜辺に勧請されたものが、後当地へ遷座したといいます。明治21年宮城県塩釜より鹽竈大神を招靈、明治29年稲荷神社を合併したといいます。港区七福神の布袋です。

 

◆元神明宮

赤羽橋駅から徒歩約7

厄除け

 

 

 

1005年に一条天皇の勅命により創建され、渡辺綱の産土神であったことから、多くの武人に崇敬されたという。また、江戸時代に徳川将軍家の命により神体や神宝が飯倉神明に移されることになったが、氏子・崇敬者の熱意により境内に神体を隠し留め、これを昼夜警護したとも伝えられ、「元神明宮」と称して、藩邸が隣接した有馬氏を始め、広く衆庶の崇敬を集めたという。大正の関東大震災や昭和の東京大空襲等の災厄から氏子・崇敬者を守ったとされたことから、厄除けの神としても崇敬を受けた。

 

◆三田春日神社

泉岳寺駅下車徒歩5分 

立身出世 受験合格

 

 

 

958年、武蔵国国司の藤原正房が任国の際、春日大社の第三殿に祀る天児屋根命の御神霊を目黒区三田に勧請。天文年間当地へ遷座した。旧社格は村社。宮司は明治時代の神仏分離令により還俗した三笠家が代々務めている。

 

 

◆御田八幡神社

泉岳寺駅下車 徒歩5

仕事、厄除け、方除け

 

 

 

 

徳川家康の江戸城入城の際に奇瑞があったことから、現在地である荏原郡上高輪村海岸を開拓して社殿を造営し、16628月に遷座が行われた。しかし、寛文82月の大火により社殿は全焼、仮殿が伊皿子坂薬師寺に置かれた。寛文128月に社殿が再建され再度遷座された。

 

 

◆利田神社

北品川駅から徒歩約7

美容健康、水難守護、航海安全、

 

 

 

1626年に創建された。沢庵宗彭が目黒川の砂州に弁才天を勧請したのが起源である。当時は「洲崎弁天」と呼ばれ、修験道当山派の修験者が堂宇を管理していた。明治時代の神仏分離政策に伴い、弁才天に相当する日本古来の神「市杵島姫命」に祭神を変更し、「利田神社」と称する神社になった。

 

◆高山稲荷神社

品川駅「高輪口」より徒歩5分

こちらの神社は周辺の再開発によって、移転準備中とのことで、参拝できませんでした。オレンジ色の幕の下に神社⛩️があったそうです。

 

 

 

 

京都伏見稲荷大社の御分霊・正一位福聚稲荷大明神の御分霊を祭祀しております。往時の文献によれば今から凡そ五百年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。

増田流療法の創始者の増田次男先生には、癌を患っている方々からのご相談が後を断ちません。

その中に、昨年秋から愛知県在住の女性に遠隔で何度か卵巣腫瘍改善の施術をしてきました。

昨年末、婦人科で再検するように指示を出してたので、クライアントさんが婦人科で年明け再検査をしたところ、とても良いご報告が届きました。

以下、そのクライアント様からのご報告です。

★★★

おはようございます🌄
婦人科行ってきました🏥
腫瘍消えていました✌️
正常だそうです😃 



★★★

良い結果が出て良かったです。

今までも沢山の方の腫瘍が消えるという報告がありましたが、今回検査写真の提供があったので、こちらで公表することとなりました。


またクライアントさんからのご報告があればこちらに載せたいと思います。

2024年1月21日、増田流名古屋エネルギー散策が実施されました。

 

 

◆成海神社 

緑区鳴海町乙子山85

052-891-2830

 

 

 

創建は朱鳥元年(686年)、草薙神剣が熱田に還座(草薙剣盗難事件)された時に、日本武尊の縁由により鎮座されたと云われる。熱田大神宮御鎮座次第本紀には、事件を契機に日本武尊東征の縁故の地に創祀した10の神社が記載されているという。創建当初は今より南の地、扇川に面した天神山に鎮座していたが、応永元年、足利氏の武将安原宗範により根古屋城(鳴海城)が築かれ、当社は現在の乙子山に奉遷された。

 

 

◆豊藤稲荷神社

緑区作の山町180

0528910002

 

 

 

創建は江戸時代末の1851年で、山城国伏見稲荷神社(伏見稲荷大社/web)から勧請したという。ただし、奉斎が始まったのは和銅年間(708-715年)という話がある。

現在の主祭神はウカノミタマ(倉稲魂命)となっているけど、本来は豊藤大明神を祀っていたという。

 

 

◆七所神社 

南区笠寺町天満12

052-822-5405

 

 

 

祭神に日本武尊、須佐之男尊、宇賀御魂尊、天穂日尊、天忍穂耳尊、宮簀媛命、乎止与命の七柱を祀っていることから、七所神社といわれています。940年平将門降伏祈願のために、熱田の宮の神々を勧請したと伝えられています。

 

 

◆富部神社

南区呼続4-13-38 

052-821-2909

 

 

創建は慶長8年(1603年)、清洲城主松平忠吉が今より西にあった素盞嗚尊を祀る祠を現在の地に移したとも、津島神社より牛頭天王を勧請したともいわれる。松平忠吉が病に悩まされていた時、富部神社に祈願したところ回復した。その報恩のしるしとして慶長11年、本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建て、神社の東に神宮寺として海雲山天福寺を建て、社領100石を寄進した。

 

 

◆六所神社

東区矢田南1--37

0527113609

 

或る日神域の南のはずれの森の中より、赤児の泣声が聞こえて来たので、不思議に思った村人が近づいてみると、 旅の貴人夫婦が、産まれたばかりの 丸々と太った男の赤児を抱いていました。貴人夫婦はその後七日目に名も告げずに立ち去りましたが、この日が二月二十六日であり、初産湯を使った のが、森のはずれの湧水であったと伝えられています。これを稀人の訪れとし、安産の神の奇瑞とした村人の噂が、近隣近郷に伝わり、安産の神として遠隔の人々までが、参拝に訪れる様になったと云われています。

 

 

◆徳川園

東区徳川町1001

 

052-935-8988

 

 

 

徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としている。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われる。、光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となった。昭和6年(1931年)十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開、昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルした。隣接して徳川美術館がある。

 

◆建中寺

東区筒井1--57

052-935-3845

 

 

慶安4年(1651年)に第2代尾張藩主徳川光友が、父である初代藩主徳川義直の菩提を弔う為に、また、尾張

 徳川家代々の菩提寺として尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、下総国結城の弘経寺住持であった

 成誉廓呑上人を開山として義直の位牌を祀る本堂などが建立された。

 

 

◆七尾神社

東区白壁2-28-19

052-962-0934

 

 

 

ある日修行僧が山道を歩いていると、天神池の方から亀がやってきた。見ると甲羅に何に背負っている。 七つの尾を持つ亀が背負っていたのは束帯(公家の正装)を着けた菅原道真の像で、亀は道真像を木の下の石の上に置くと、その周囲を七周回って姿を消した。これはもう道真の魂が祀れといってるに違いないと思った。修行僧は、七つの尾を持つ亀を彫り、亀が置いていった道真像を祀る社殿を建てた。それが永世年中のことで、七尾天神の創建をこのときとしている。

 

 

◆常泉寺

中村区中村町木下屋敷47

052-412-3467

 

 

当地は豊臣秀吉の生誕地の一つとして永らく伝わる。秀吉の死後の1606年に加藤清正が圓住院日誦上人を開山に招き、豊国大明神廟堂として創建した。寺名は秀吉の誕生当時、近郷に類のない清水の溢れる井戸があったことから定められたという。

 

 

◆素盞男神社

中村区日吉町18 

 

 

 

 素盞男尊を祭神として、安永3(1774)に創建され、昭和8年に当地に遷座されました。商売繁昌、家内安全を祈願する11月の祭事酉の市(おとりさま)は開運の熊手、福招きの箕、宝船などを求める参拝者で深夜から賑います。

 

 

◆豊國神社

中村区中村町茶の木

052-411-0003

 

 

豊臣秀吉公を祀る神社として、江戸時代が終り明治の代となり、明治18年に現在の地に地元住民の強い意志で創設され、神社を中心として公園設備がなされ、今日に至っています。

 

 

◆桃巌寺

千種区四谷通2-16

052-781-1427

 

 

名古屋市にある曹洞宗の寺院・桃巌寺。開祖は天文年間で、末森城主であった織田信行が父・信秀の菩提を弔うために建立した。桃巌寺という名前は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」にちなんだもの。正徳2年(1712)、正徳4年(1714)に現在地に移ったと伝えられる。
ご本尊は恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像。信秀所有と伝えられる辯天画像や、竹生島から勧請した十五童子像を守護神として祀っている。有名なのが緑の名古屋大仏。本尊10m、台座高さ5mと全長15mの大仏様。青銅製で、本尊は仏師・長田晴山が制作しました。大仏像によくある蓮の台座ではなく、10頭の象が本尊を支える形となっている。全身は鮮やかなグリーンで彩られ、目、唇、耳等には金箔が施されています。その他、裸弁天や歓喜仏、直径1mの木魚など。木魚は日本一の大きさを誇り、樹齢100年のクスノキで作られています。片手で触れるだけ悪業が消滅すると伝えられている。また、珍しい「ねむり弁天」は年に2回公開される。

2023.12.17  南丹市亀岡市散策が行われました。


◆龍穏寺
南丹市園部町仁江甲溝畑1 
0771-62-0737 p有り

龍穏寺は室町時代後期の1509年(永正6年)に玉雲寺として創建しました。江戸時代前期の1619年
 12月に但馬国出石藩藩主・小出吉親が入部して園部藩が成立すると徳雲寺が園部藩藩主・小出氏の
 菩提寺とされ、龍穏寺が園部藩家老・太田氏の菩提寺とされました。船井ごおり三十三ヶ所観音霊場
 第2番札所です。御本尊は釈迦牟尼です。


◆摩気神社
南丹市園部町竹井宮ノ谷3
0771-62-1169 p有り


宮本(鎮座地)である竹井集落を始め、篠山街道沿いに広がる周辺集落共通の氏神として近世以来
 「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」と称されている。茅葺の覆屋内に鎮座する本殿・東摂社・西摂社は京都府
指定文化財で、境内は京都府文化財環境保全地区に決定されている。


◆谷性寺
亀岡市宮前町猪倉土山39
0771-26-2054 p有り


その創建は古く平安時代とされ、本尊は不動明王。谷性寺は明智光秀ゆかりの寺であり「光秀寺」とも呼ばれ、また光秀の家紋である桔梗が初夏にかけて咲き乱れることから「桔梗寺」ともいわれています。



◆稗田野神社
亀岡市稗田野町佐伯垣内亦1
0771-22-4549  p有り

709年、丹波国主により創建された神社で、保食命(うけもちのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)、野椎命(のづちのみこと)を御祭神とし、五穀豊穣と子孫繁栄を祈った。境内にある樫の木の

瘤をなでると、人間の癌を吸い取ってくれるとされ、癌封治で知られる。


◆大井神社
亀岡市大井町並河1丁目3-25
0771-22-5066 p有り



710年9月、元明天皇の勅命により創建された。1576年、明智光秀の丹波平定に際し兵火に罹ったが、1584年豊臣秀吉が再興し、造営の片桐且元が「正一位大井大明神」の扁額を自署して奉納。


◆愛宕神社
亀岡市千歳町国分南山ノロ1
0771-23-9341  p有り


創祀は神代で、山を神籬として祀られたという。その後、507年に社殿が創建されたと伝える。
当社の分霊が京都鷹ヶ峰に祀られた後、和気清麻呂により嵯峨山に遷され、これが現在の愛宕山の愛宕神社になるとしている。そのため「元愛宕」「愛宕の本宮」とも称されるほか、社殿には当社が全国の愛宕神社の総本山であると記載してあり、鳥居脇の社号標にも「本宮 愛宕神社」と記している。


◆穴太寺
亀岡市曽我部町穴太東辻46
0771-24-0809  p有り


705年、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。



◆走田神社
長岡京市奥海印寺走田3
075-951-1025 p有り



創建の詳細は不詳奈良時代711年和銅4年勧請されて創祀されたといわれる「三代実録」によると、平安時代初期873年貞観15年4月5日に、正六位上の神階を授けられた「和世田神」が由来といわれる



◆鍬山神社
亀岡市上矢田町上垣内22
0771-22-1023 p有り

太古は湖であったという亀岡盆地において、祭神の大己貴命(大国主命)が国作りの1つとして保津峡を開削して盆地を開拓、そして開削に使った鍬を当地に山積みしたという伝説に基づく神社である。