2024年4月増田流エネルギー散策【横浜】 | 340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

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2024年4月14日横浜方面で、増田流エネルギー散策が行われました。

 

 

◆鶴見神社

JR鶴見駅より徒歩3分 

安全守護・成長祈願・安産祈願




創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。

 1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。



◆総持寺

JR鶴見駅から徒歩5

不老長寿や商売繁盛、厄除け




能登国櫛比庄の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である。1321年曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われる。同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、山号は「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山」と改名し禅院とする。

 1322年後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称する。

 

 

◆西方寺

横浜市営地下鉄ブルーライン新羽駅より徒歩5分

厄除け、良縁、安産、

 



1190年に東大寺別当であった勝賢僧正により現在の鎌倉市笹目ヶ谷に創建。後に極楽寺創建の頃、近くへと移る。

ところが、鎌倉時代の終焉とともに極楽寺の寺勢は衰退し、1495年に現在の横浜市新羽の地に移り、現在に至る。

 


◆羽衣町厳島神社

横浜市営地下鉄ブルーライン伊勢佐木長者町駅から徒歩約5

商売繁盛や金運



創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥から勧進したと伝えられる。 足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えている。浜辺の松林で覆われた境内は対岸の神奈川宿台町からの眺望十五景の一つにも数えられるほどの景勝地であった。 また境内には瓢箪池があり、清水が湧き出たため「清水弁天」とも、また所在地から「横浜弁天」とも呼ばれた。

 

 

◆金刀比羅大鷲神社

横浜市営地下鉄ブルーライン阪東橋駅より徒歩5

航海の安全や豊漁祈願、五穀豊穣、商売繁昌、

 


1859年横浜開港にあたり、港崎遊郭の岩亀楼主人である岩槻屋佐吉が讃岐国象頭山 金毘羅大権現を勧請し、港崎町に祭祀した。1872年に遊廓の移転とともに高島町7丁目の海側へ遷座し金刀比羅神社と改称した。18824月に同様の理由で真金町へ遷座した。

 

 

◆お三の宮日枝神社

横浜市営地下鉄ブルーライン吉野町駅より徒歩3

厄除け、安産、縁結び、

 


1673910 吉田新田の開発者・吉田勘兵衛良信が江戸山王権現の分霊を勧進して創建。旧村社で吉田新田の総鎮守。

秋祭りは「かながわのまつり50選」にも選ばれ、横浜市内屈指の規模を誇る。通称お三の宮。

 


◆弘明寺

横浜市営地下鉄ブルーライン弘明寺駅下車、徒歩23

家内安全、商売繁盛

 


寺伝によると、721年にインドの僧・善無畏が当地に結界を創り、737年に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられ、行基をもって開基としている。弘仁年間(9世紀初期)には空海が双身歓喜天を彫刻し安置したという。

 

 

◆永谷天満宮

横浜市営地下鉄ブルーライン上永谷駅より徒歩5分 

学業成就、合格祈願


道真像は道真左遷に伴い播磨国へ流刑となった道真五男の菅秀才こと淳茂に与えられたもので、淳茂はのちに関東へ下向し、相模国鎌倉郡永谷郷に居館を構えて道真像を奉祀したといわれている。14932月、道真像が時の永谷郷領主宅間上杉家の上杉乗国に霊夢となって現れ、これを畏れた乗国が社殿を造営し道真像を神体として安置したのが永谷天満宮の始まりとされる。

 

 

◆大船観音寺

JR大船駅西口より徒歩510

 



 洞宗の寺。大船観音と通称される全長約25メートルの巨大白衣観音像で知られる。シンボルともなっている大船観音の他にも、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」・「戦没慰霊碑」など第二次世界大戦による犠牲者を弔う碑や、地蔵尊などが立ち並ぶ。



散策後、希望者は横浜中華街での直会に参加しました。