2024年2月18日大阪府豊中市で増田流エネルギー散策が行われました。
◆神峯山寺
072-688-0788
697年に役小角が葛城山で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、この地にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立しこの毘沙門天を祀ったことが当寺の起源とされている。
◆上新田天神社
06-6834-5123
豊中市上新田1丁目17-1 p有り
創建は不明だが、上新田村の開墾により貞享3年(1686年)に現在地に社殿を再建された。天明元年
(1781年)に御旅所が建立された時に、神輿・太鼓・金幣が巡幸して祝った。
◆豊中不動尊
06-6854-1692
豊中市緑丘2丁目14番8号 p有り
昭和37年12月8日に創建される。豊中市街地にあった守護尊協会移転の際、島熊山の地主が守護尊協会を吸収し、新しい豊中不動尊として創立した。本尊は島熊山のすぐそばにある。
◆つつじの杜 春日神社
06-6852-4735
豊中市宮山町1-10-1 p有り
創建年代は不詳ですが伝記によると、仁明天皇の承和2年(835)に社殿の修繕をなし、1338兵火に罹り消失。その後、仮殿に神霊を奉斎し1483社殿を再建されたと記されています。
◆不動寺
06-6855-0079
豊中市宮山町4-7-2 p有り
平安時代に弘法大師によって開かれました。 寺伝によると、大師が諸国巡業中兎我野の地で七色の光を放つ石を見つけ、 これを五輪宝塔に仕上げ、不動明王の梵字を刻み本尊とし、不動堂を建て、お祀りをしたのが始まりとされています。その後、嵯峨天皇、後鳥羽天皇の勅願所となり、豊臣、徳川の庇護を受けながら「兎我野の不動様」として、 広く庶民の信仰を集めてきました。
◆豊中稲荷神社
06-6852-4733
豊中市本町7丁目3-7 p有り
創建年代は不確かながら、行基創建の金寺に近衛氏から寺領数十町歩の寄進があり、この守護神として勧請されたことに始まるとされる。
◆原田神社
06-6852-4732
豊中市中桜塚1丁目2-18
桜塚古墳群の故地に4世紀中から5世紀末頃創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり祇園神社と称した。もとは桜塚神祠とも牛頭天王社とも呼ばれていたが、1685年8月に神祇管領の吉田大納言家から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。
◆素盞嗚尊神社(江坂神社)
06-6384-8434 p有り
一般に江坂神社と呼ばれ、江坂の氏神様、産土神様として広く崇敬を集めています。主神の素盞嗚尊は、天照大御神の弟神で、やまたのおろちを退治した勇壮な神様としてよく知られています。この神社の言い伝えでは疫病、火難、水難などの災いから人々を守る御神徳があるともいわれています。
◆服部住吉神社
06-6864-0761
豊中市服部南町2丁目3-31 p有り
創建の時期については詳らかでないものの、1152年に本殿・鳥居等を再建した、との記録が社記に残されておりそれ以前と推測される。1578年の織田信長による荒木村重討伐時に兵火により焼失するが、1622年に再建された。
◆服部天神
06-6862-5022 p有り
帰化人集団「秦氏」が允恭天皇の御世に織部司に任じられ当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。この頃はまだ小さな祠だったという。しかし允恭天皇の御世に服部連を賜姓されたのは秦氏ではなく伊豆国造族の麻羅宿禰であり、その祖神が少彦名命と見る説もある。その後、この少彦名命を祀る祠は天神祠と呼ばれるようになった。
◆利倉春日神社
06-6862-1713
豊中市利倉1丁目3−14 p有り
創建は不詳ですが、少なくとも824年には神社として成立していたと見られます。というのも、当社の神宮寺であった正法寺が嵯峨天皇の皇女(正子内親王)の懇願により、空海の弟子「智泉」によって開創されたと伝えられているからです。正子内親王は当社に病気平癒のご祈願をされ難病が平癒、御殿料百石を御寄進されたとも伝えられています。
◆庄内神社
06-6331-1287
豊中市庄内幸町5丁目22-1
庄内村各字に祀られていた7社を、1906年の勅令により合祀し庄内神社と号したことに始まる。当初は島江稲荷神社の位置に配祀、1912年10月に現在地へ遷座した。なお、庄内神社の元となった各社は、概ね江戸時代に端を発すると伝えられるものが多い。