2024年2月増田流東京エネルギー散策 | 340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

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2024年2月11日、港区周辺にて増田流東京エネルギー散策が開催されました。

 

◆青松寺

日比谷線御成門駅から徒歩で5

縁結び・恋愛成就 · 商売繁盛 · 除災厄除 

 

 

 

江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して1476年に創建。当初は武蔵国貝塚にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。

 

 

◆円山随身稲荷大明神

芝公園駅から徒歩約4

 

 

徳川家菩提寺・増上寺の裏鬼門に位置する芝丸山古墳の中腹に鎮座する神社。江戸城の拡張に伴い徳川家康によって増上寺は現在地へ移された。この際、御本尊の阿弥陀如来像を桑名から迎えるにあたり、江戸までの道中を守護し(社号の随身はこれに由来するものと思われる)以来、芝丸山古墳に遷座した。

 

 

◆芝東照宮 

「芝公園駅」A4出口すぐ 

勝運・出世・厄除け

 

 

 

 

1616年家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。同年10月に着工し、翌16172月に竣工した。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源である。

 

 

◆増上寺

「芝公園駅」から徒歩3

勝負運,厄除け

 

 

 

 

 

 

徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、12世源誉存応と対面したのが徳川家の菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、1598年、家康によって現在地の芝へ移された。風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。

 

 

◆御穂鹿嶋神社

田町駅下車 徒歩5

勝利祈願 旅行安全 武芸上達

 

 

 元々は「御穂神社」と「鹿嶋神社」という別の神社であったが、どちらも本芝地区の鎮守であったため、古くから「本芝両社」と称されていた。2004 - 御穂神社と鹿島神社を合祀

 

 

◆飯倉熊野神社

赤羽橋駅から徒歩約9

売繁盛、縁結び、子授け

 

 

 

養老年間(714-724)芝の浜辺に勧請されたものが、後当地へ遷座したといいます。明治21年宮城県塩釜より鹽竈大神を招靈、明治29年稲荷神社を合併したといいます。港区七福神の布袋です。

 

◆元神明宮

赤羽橋駅から徒歩約7

厄除け

 

 

 

1005年に一条天皇の勅命により創建され、渡辺綱の産土神であったことから、多くの武人に崇敬されたという。また、江戸時代に徳川将軍家の命により神体や神宝が飯倉神明に移されることになったが、氏子・崇敬者の熱意により境内に神体を隠し留め、これを昼夜警護したとも伝えられ、「元神明宮」と称して、藩邸が隣接した有馬氏を始め、広く衆庶の崇敬を集めたという。大正の関東大震災や昭和の東京大空襲等の災厄から氏子・崇敬者を守ったとされたことから、厄除けの神としても崇敬を受けた。

 

◆三田春日神社

泉岳寺駅下車徒歩5分 

立身出世 受験合格

 

 

 

958年、武蔵国国司の藤原正房が任国の際、春日大社の第三殿に祀る天児屋根命の御神霊を目黒区三田に勧請。天文年間当地へ遷座した。旧社格は村社。宮司は明治時代の神仏分離令により還俗した三笠家が代々務めている。

 

 

◆御田八幡神社

泉岳寺駅下車 徒歩5

仕事、厄除け、方除け

 

 

 

 

徳川家康の江戸城入城の際に奇瑞があったことから、現在地である荏原郡上高輪村海岸を開拓して社殿を造営し、16628月に遷座が行われた。しかし、寛文82月の大火により社殿は全焼、仮殿が伊皿子坂薬師寺に置かれた。寛文128月に社殿が再建され再度遷座された。

 

 

◆利田神社

北品川駅から徒歩約7

美容健康、水難守護、航海安全、

 

 

 

1626年に創建された。沢庵宗彭が目黒川の砂州に弁才天を勧請したのが起源である。当時は「洲崎弁天」と呼ばれ、修験道当山派の修験者が堂宇を管理していた。明治時代の神仏分離政策に伴い、弁才天に相当する日本古来の神「市杵島姫命」に祭神を変更し、「利田神社」と称する神社になった。

 

◆高山稲荷神社

品川駅「高輪口」より徒歩5分

こちらの神社は周辺の再開発によって、移転準備中とのことで、参拝できませんでした。オレンジ色の幕の下に神社⛩️があったそうです。

 

 

 

 

京都伏見稲荷大社の御分霊・正一位福聚稲荷大明神の御分霊を祭祀しております。往時の文献によれば今から凡そ五百年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。