2024年1月増田流名古屋エネルギー散策 | 340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

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2024年1月21日、増田流名古屋エネルギー散策が実施されました。

 

 

◆成海神社 

緑区鳴海町乙子山85

052-891-2830

 

 

 

創建は朱鳥元年(686年)、草薙神剣が熱田に還座(草薙剣盗難事件)された時に、日本武尊の縁由により鎮座されたと云われる。熱田大神宮御鎮座次第本紀には、事件を契機に日本武尊東征の縁故の地に創祀した10の神社が記載されているという。創建当初は今より南の地、扇川に面した天神山に鎮座していたが、応永元年、足利氏の武将安原宗範により根古屋城(鳴海城)が築かれ、当社は現在の乙子山に奉遷された。

 

 

◆豊藤稲荷神社

緑区作の山町180

0528910002

 

 

 

創建は江戸時代末の1851年で、山城国伏見稲荷神社(伏見稲荷大社/web)から勧請したという。ただし、奉斎が始まったのは和銅年間(708-715年)という話がある。

現在の主祭神はウカノミタマ(倉稲魂命)となっているけど、本来は豊藤大明神を祀っていたという。

 

 

◆七所神社 

南区笠寺町天満12

052-822-5405

 

 

 

祭神に日本武尊、須佐之男尊、宇賀御魂尊、天穂日尊、天忍穂耳尊、宮簀媛命、乎止与命の七柱を祀っていることから、七所神社といわれています。940年平将門降伏祈願のために、熱田の宮の神々を勧請したと伝えられています。

 

 

◆富部神社

南区呼続4-13-38 

052-821-2909

 

 

創建は慶長8年(1603年)、清洲城主松平忠吉が今より西にあった素盞嗚尊を祀る祠を現在の地に移したとも、津島神社より牛頭天王を勧請したともいわれる。松平忠吉が病に悩まされていた時、富部神社に祈願したところ回復した。その報恩のしるしとして慶長11年、本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建て、神社の東に神宮寺として海雲山天福寺を建て、社領100石を寄進した。

 

 

◆六所神社

東区矢田南1--37

0527113609

 

或る日神域の南のはずれの森の中より、赤児の泣声が聞こえて来たので、不思議に思った村人が近づいてみると、 旅の貴人夫婦が、産まれたばかりの 丸々と太った男の赤児を抱いていました。貴人夫婦はその後七日目に名も告げずに立ち去りましたが、この日が二月二十六日であり、初産湯を使った のが、森のはずれの湧水であったと伝えられています。これを稀人の訪れとし、安産の神の奇瑞とした村人の噂が、近隣近郷に伝わり、安産の神として遠隔の人々までが、参拝に訪れる様になったと云われています。

 

 

◆徳川園

東区徳川町1001

 

052-935-8988

 

 

 

徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としている。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われる。、光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となった。昭和6年(1931年)十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開、昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルした。隣接して徳川美術館がある。

 

◆建中寺

東区筒井1--57

052-935-3845

 

 

慶安4年(1651年)に第2代尾張藩主徳川光友が、父である初代藩主徳川義直の菩提を弔う為に、また、尾張

 徳川家代々の菩提寺として尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、下総国結城の弘経寺住持であった

 成誉廓呑上人を開山として義直の位牌を祀る本堂などが建立された。

 

 

◆七尾神社

東区白壁2-28-19

052-962-0934

 

 

 

ある日修行僧が山道を歩いていると、天神池の方から亀がやってきた。見ると甲羅に何に背負っている。 七つの尾を持つ亀が背負っていたのは束帯(公家の正装)を着けた菅原道真の像で、亀は道真像を木の下の石の上に置くと、その周囲を七周回って姿を消した。これはもう道真の魂が祀れといってるに違いないと思った。修行僧は、七つの尾を持つ亀を彫り、亀が置いていった道真像を祀る社殿を建てた。それが永世年中のことで、七尾天神の創建をこのときとしている。

 

 

◆常泉寺

中村区中村町木下屋敷47

052-412-3467

 

 

当地は豊臣秀吉の生誕地の一つとして永らく伝わる。秀吉の死後の1606年に加藤清正が圓住院日誦上人を開山に招き、豊国大明神廟堂として創建した。寺名は秀吉の誕生当時、近郷に類のない清水の溢れる井戸があったことから定められたという。

 

 

◆素盞男神社

中村区日吉町18 

 

 

 

 素盞男尊を祭神として、安永3(1774)に創建され、昭和8年に当地に遷座されました。商売繁昌、家内安全を祈願する11月の祭事酉の市(おとりさま)は開運の熊手、福招きの箕、宝船などを求める参拝者で深夜から賑います。

 

 

◆豊國神社

中村区中村町茶の木

052-411-0003

 

 

豊臣秀吉公を祀る神社として、江戸時代が終り明治の代となり、明治18年に現在の地に地元住民の強い意志で創設され、神社を中心として公園設備がなされ、今日に至っています。

 

 

◆桃巌寺

千種区四谷通2-16

052-781-1427

 

 

名古屋市にある曹洞宗の寺院・桃巌寺。開祖は天文年間で、末森城主であった織田信行が父・信秀の菩提を弔うために建立した。桃巌寺という名前は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」にちなんだもの。正徳2年(1712)、正徳4年(1714)に現在地に移ったと伝えられる。
ご本尊は恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像。信秀所有と伝えられる辯天画像や、竹生島から勧請した十五童子像を守護神として祀っている。有名なのが緑の名古屋大仏。本尊10m、台座高さ5mと全長15mの大仏様。青銅製で、本尊は仏師・長田晴山が制作しました。大仏像によくある蓮の台座ではなく、10頭の象が本尊を支える形となっている。全身は鮮やかなグリーンで彩られ、目、唇、耳等には金箔が施されています。その他、裸弁天や歓喜仏、直径1mの木魚など。木魚は日本一の大きさを誇り、樹齢100年のクスノキで作られています。片手で触れるだけ悪業が消滅すると伝えられている。また、珍しい「ねむり弁天」は年に2回公開される。