殺気が必要だ

殺気が必要だ

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

僕たちが小さかった頃、大家族の生活で物質的な豊かさなど今考えるとなかった。家じゅうどこにいても誰かがいてにぎやかで騒々しくて、落ち着いた空間がなくて、家族みんなでささやかな飯台を囲んでひしめくようにご飯を食べて・・・。

僕はそんな大家族の中で18歳まで実家で過ごした。当時「貧しい」と思ったことはなかったが、いつもひもじさはあった。

僕の原風景は明らかに「貧しさ」と「大家族」と「自然」の中の幼い頃の記憶。

僕も無意識のうちに「豊かさ」を標ぼうしながら生きてきた日本人の一人だったのかもしれない。ただ、ずっと家族の「あったかさ」を支えにしてきたのは間違いない。幼い頃の記憶を手掛かりに「ぐれず」にこれたのは確かにそうなんだと思う。

僕たちは「豊かさ」を求めてきたけれど、果てのない物質文明の欲望の中に豊かさなどなかったことに気付くのにかなりの時間がかかった。僕が求める豊かさの中に「ゴージャス」なんて言う概念はなかった。

たとえ貧しい食べ物でもみんなで一緒に楽しくしゃべりながら食べたいし、休日には家族で買い物や時には旅行や映画にも行ったりする。

そんなささやかな日常のシーンが今思う唯一の「豊かさ」だったんだ気付く。

両親が若くて元気で年に一回か二回外食に連れて行ってくれた思い出が甦ったりすると心はいつもなごむ。そうそう、もう認知症になってさっき食べたこともわからなくなってしまったけれど、ぼくはこの母の胎内からこの世に出てきて、この人の日々の労苦の下で大きくこんなに立派に(エッ)この年まで生きることができたんだ。

やれやれ、と一日の終わりにため息をついた時、家族を構成するみんなが元気で生き生きしていたころを思い出す。「無謀だ」とこの仕事を始めた頃、ほとんどの人に言われたのに「やろうよ」と背中を押してくれた家人の声が聞こえたりする…そんな時、ぼくは元気に甦る。

今欲しいのは「豪華」とは正反対のもの。昔使っていた机に会いたいし、絵本や絵日記やナスや大根の炊いたんを食べたい。昔の貧しい頃に出会いたい。年齢をとるとどんどん昔に帰りたくなる。

最新式の電化製品なんか興味もないし、欲しいとも思わない。「昔」に出会いたい。人も物も食べ物も。

建物や備品がきれいになるってことにどれだけの意味があるんだろう。

今、障がい者の支援の仕事の中でも本当に必要なものは外観の良さではないだろう。それは確信する。見学者がやたら建物や備品のことを聞くから「立派な建物を見たいならどうぞルネスへ行ってください。」と冗談交じりで言ったことがあるが本音だ。そんなコンクリートに幸せは含有されていないぞ。

 

原風景は生きるために必要なエネルギーの素。最新のパソコンやきれいな家、いわんやまとまった現金が手に入っても老齢に差し掛かる者をそれらは幸せにはできない。昔、みんなでワイワイ言いながらご飯を食べた「ちゃぶ台」が必要だ。思い出の写真やボケたと言えども親の存在の愛おしさが必要だ。

 


中学入学式当日。玄関前で4年生になった弟と。身長145CMの僕。
じぶんの写っている写真の中でこれが一番好き。ときめく。こんな時代があったという事実が老齢の自分を励ましてくれる。
 
 

の1984年に就職した。最初にもらった給料明細書と二年目の冬のボーナス明細表。何の文句もなかった。37年前のことだ。世の中バブルを迎える中、浮足立っていた。

 

「週刊現代」は最近異常な頻度で中島みゆき特集を組む。熱烈にしてコアなファンが編集部にいるに違いない。そんなこんなで買わないわけにはいかなかった。

「1975年の吉田拓郎と中島みゆき」という論建て。目新しい記事はない。全部知っている、ということを確認して終了。

 

その他の記事の方が目に留まった。

「末次民夫」

そう読売のV9時代を代表する5番バッター。(その前の5番バッターは国松が多かった)名前を変えたけど、ぼくは「民夫」でインプットしている。「あの事」がなければ人生は変わっていたか、という特集記事の一つだった。「あの事件」よく覚えている。1977年のオープン戦。試合前の練習中にライトフェンス際をセンター方向にランニングしていたところに柳田の打った打球が左目を直撃した。当時の柳田、ライトのレギュラー争いを末次としていた。そんなことできるわけないのに“わざと当てたんではないか”ということをまことしやかに言っている人もいた。あえなく、そのケガが原因で視力が低下しその年のオフに引退した。惜しい選手だった。

38番末次、にこりともせず、能面のようにプレーしていた。V9時代にON砲以外で唯一3割以上を打った選手だった。今の天皇が末次のファンだった。76年の阪神戦で末次がサヨナラ逆転満塁ホームランを打った時、見に来ていて大喜びした、という新聞記事を読んだことがある。ちなみに対戦投手は山本和行だった。山本和は1983年の4月29日にも原に逆転サヨナラホームランを後楽園で打たれたことがある。見ていた。何の話や。

1977年当時の読売には柴田、張本、末次、柳田、淡口、山本功児、原田、時々サードに変わった高田・・・などが外野の一角を争っていた。末次の後はちゃっかり「マムシの柳田」がその地位を奪った。こいつがきつい顔しているのに歌がやたらうまかった。世の中、わからない。(なになに、お前の話しもわからないって)

その10年近く後、不動の外野のレギュラーだった吉村とフライを取りに行ってぶつかって大けがさせた栄村はレギュラーを取るどころか、大スターを大けがさせた加害者というレッテルを貼られて、居づらくなったこともあってかオリックスに移籍した。可哀そうだった。吉村の守備範囲が狭いから栄村深入りしてしまったんだ。場所は札幌円山球場。あの球場は背番号17番菅原が阪神、安藤の打球をワンバウンドで目に当てたり、関本と高木守道がホームベース上で乱闘したり、色々といわく付きの球場だった。皆さんご存じのように・・・誰が知ってんねん。

飛び回って何の話かよくわからないが、ぼくはこの辺りのプロ野球のことをかなり鮮明に記憶している。もう脳内の半分ぐらいは1970年代の記憶で溢れている。「末次」というキーワードだけでウキペディアに載っていない10題ぐらいのコアな話しができる。

「70年代のプロ野球」だけに絞って東大の入試があったら確実に入学できる。

僕の原風景を彩っている大きなものの一つは昭和のプロ野球。

自慢する場所がない。しなくていいのか(^^)/

しかし、その頭の中の情報はアウトプットせずに死ぬにはもったいないぞ。

 

どれだけの人がぼくの、そしてぼくたちの善意を待っているやら・・・そんなことを想像するだけでこの仕事のやりがいを感じ、同時に限界も感じる。どうしてもできない「善意」ってある。どうあがいても他人には理解できない僕にしかわからない意気の高さってある。今日もそんなものに悩まされていた。この思いを多くの人たちと共有できたらどれほど素敵だろう。けど、それは毎日が薄氷を踏むような緊張感漂うものでもある。

 

嘗てここを利用していた一人の男性が入所施設を追い出された、というニュースが舞い込む。家庭崩壊しそうな状況下、親のやむなしの決断だった。その挙句、行った先の施設からお払い箱。いろんな逸話のある人だったから入所施設の困惑ぶりも想像するに難くない。

マツモトが10人いたら何の躊躇もせずにwelcomeする。いろんなものを後回しにしてでも最重度の彼を何とかしたい。その思いをこれからどうやって他のスタッフに伝えていくか。それは洗脳でも誘導でもなく、自らの意思をもって彼を受け入れることだ。そうなるといいなあ。

ぼくはまず障害の子を持った親の顔がいつでも浮かぶ。辛いよねえ、特に「嫌われる存在」だと思わざるを得ない強度行動障害のある人なんか、生きる価値を我々が見つけ出さないと「死んでも仕方ない」と思われてしまう。世の中の多くはそちらになびいてしまう。

ぼくたちの仕事の多くはいやそのほとんどは彼らの人生に意味を持たせることだし、命の重さに軽重はないということを実践で証明することに他ならない。

命の重さを区別することは最大の差別だ。

どうなるかわからないが、彼のために彼の両親と同じように苦しみたい。

意地悪はしない。わかったような正論は吐かない。

ため息一つ突いて布団を蹴る。

仕事は休み。朝から思いっきり事務仕事をしよう家を出る。

総会の資料、参加確認、案内文、予算書、事業報告、事業計画・・・いろいろと一気にやった。

部屋にはガンガン中島みゆき。初期の曲ばかり。

GBMのように聞き流しているのに勝手に心の中に入り込んできて染み入る歌もある。

「彼女のよろしく」ていうマイナーな曲

(^^♪ 仕事をしていて良かったわ

      愛どころじゃないふりができる ♪

 

ジーンとくるね。みゆきさん、あんた何歳の時、こんな詞を書いたのよ、と聞きたくなる。もうこんな老体さらすおっさんの琴線に触れて仕方ない。何かを振り払うように仕事に没入する。仕事がなかったら抜け殻。何の存在意義も自分に見出せない。いい仕事だけさせてね。あとはどうでもいい。

そうそう、「シニカルムーン」もよくできた曲でね、おっちゃん泣きそうになる。

 

そんなこんなでね、今日はおしまいだ。10時間戦ったぞ。

 

 

 

きっと知らず知らずのうちに死への準備をしている。そんな毎日の心象風景。最近何も楽しいことが見当たらない。欲しいものがない。不安なことだらけ。一番の不安は「うちにはお金があるのか?」ということ。これが聞けない。なんせこの仕事初めて無一文だった僕は家人の貯えを全部使いながら凌いできたんだ。今更、お金のことが聞けない。相方ならどこかへ寄付してしまっている可能性もある。なんせモノやカネに執着しないのは日本で三本の指に入ると思う。

今日も明日の粗材ゴミに備えて洋箪笥が一棹、解体されていた。それをおいらがゴミステーションまで運ぶんだ。僕は箪笥に愛着がある。それを家人は「殺す」その愛着ある「死体」を僕が運ぶ。どう考えても頭がおかしくなる。こういう時は一切相談しないんだ。捨てる、と決めたら捨てている。

 

久しぶりに倅の「note」をチラ見する。まあ、若気の至りとはこういうヤツのことを言うんだろうなあ。

 

 

家族って何だろうな、って思ったりするんよ。重たいねえって。

 

朝から仕事場の清掃活動。ある人が「掃除しますよ」って前日言ってくれて三人で駆けつけてくれた。2時間近く除草など。

一昨日は芝生をトータル20㎡はった。周りがきれいになっていくのは気持ちいい。もっときれいにして楽しくなるような職場にしたい。午後からは旧知の中村さんが来てくれてパートしてもらうことで合意。その後、ホームセンターへ行って芝生の周りに入れる目土を購入。すぐ作業。夕方、別のホームセンターで自宅の玄関先の花を7ポット購入。

夜は保険金請求2件と助成金申請の書類作成。総会に向けての資料作りと案内。ハマちゃんからの家飲みのお誘いも断ってひたすら業務に励んだ。

これだけ仕事してもなんか追われているような不安が付きまとう。

こうやって死んでいくのかも・・・。

 

せわしない毎日。

今日が憲法記念日だったという事もうっかりしていた。

憲法を守りません、と堂々と改憲を叫ぶ行政の最高責任者って本来ありえない。憲法違反だ。国家反逆罪で逮捕されても不思議でないが、そう言う事は問題にもならず、“憲法を守ろう”と現状維持の保守本流のようなことを言うとおまえはアカか、とまだいうアホがいる。世の中の垢だ。

 

 

「この味がいいねと君が言ったけど5月3日は憲法記念日」

                           清水義範

スタメン外れた大山がベンチから大声出してチームを鼓舞していた。4番の代役佐藤の活躍にも惜しみなく拍手と声援を送っていた。悔しくて当然だし、腹立つのが当たり前の中でよくぞ、そんなに素直にいられると感心していた。大山に限らずスポットライトを浴びているライバルの活躍を心から祝福できる奴などいるんだろうか。嫉妬と怒りで頭ン中狂いそうにならないのか。

「やせ我慢できる能力」って人間の持つ才能の中でも1,2位を争うくらい高度なものだ。心で泣いていても表に出さない人を大人と言おう。

思い起こせば僕は意地悪する奴にすぐ反撃するタイプだった。我慢できずにすぐ実力行使を行っていた。

 

10年前、倅が弱小野球部の試合に出してもらえないことがずっと続いたことがあった。部員数も少ないのに、二軍の練習試合しか出してもらえなかった。それでも最後までしっかり練習していた倅が不憫で三年生になった春に監督に抗議に言った。それまでもおやじが練習方法や部員へのいじめに対して監督に乗り込んでいったことを根に持って倅に意地悪しているとしか思えなかったから・・・なんせ倅は数少ない出場機会しかなかった公式戦で5割の打率を残していたんだ。その抗議がまた悪影響を及ぼしたのか最後の夏の大会の公式戦も出場機会がないまま終わった。親父は倅がかわいそうで試合後、監督を呼び止めて差しで「こんないじめあるか」と静かに脅した。監督も負けじと反論してきて興奮してきて5分ぐらい罵声を浴びせ合って見かねた保護者が両者の間に入っていた。その後どうなったかの記憶はない。

今でも後悔している。なぜあの時、刑事罰覚悟で二・三発殴らなかったのかと・・・。文字では伝わらないがあからさまな親への憎しみを子どもを代償にしておこなったいじめだった。教育者が絶対にしてはいけない意地悪だった。それを正当化してきた時点でやっぱりド突いとくべきやった。

 

世の中「意地悪」があらゆるところに渦巻いている。スカッとジャパンなんぞ見てスカッとしても自分がいじめる側に日常的にいる、という立ち位置をどういうわけか理解しない人って多くいる。

意地悪する側も悪いが意地悪される側にも問題と責任はある、というあほな話を真剣にする人も少なからずいる。何度も言うが意地悪は100対0でやった方が悪い。これは断言する。

 

意地悪な人が嫌だ。ぼくは体も小さくて気の弱い「いじめやすい男」と思われてきた節がある。そうでなかったらこんなに上級市民の方々にいたぶられはしなかっただろう。

いきなり「タメ口」で電話に出てくる方も複数いらっしゃる。「敬語も知らんのか」と心の中で怒鳴る。ただ、意地悪なことはしたくないから終始フレンドリーな口調で対応する。切った後つぶやくんだ…シニサラセ、と。

意地悪な人が嫌いだ。そういう人は自分がそういうカテゴリーには努々属しているとは思っていない。どちらかというと「意地悪される側」にいるとお思いの方が多いのだ。誰かに意地悪していても自分は悪くない。あの人には意地悪されるだけの理由があるんだからしかたない、と必ず正当化している。必ずしている。罪悪感などあるかいな。正当化しか頭の中にはない。

 

意地悪な人が嫌いだ。嫌なことがあってもその感情を他人にぶつけたりしない。

大麻とシャブと意地悪だけは一生やめよう。

そんな生き方に徹しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近ダメね。全部がうっとうしい。

今結構、俗にまみれながら生きている。考えていることが下劣で「シンデシマエ」などと思いながら送る日々の虚しいことって、それはもう口にもしたくはない。

結局ねえ、他人の言動に感情を左右させて怒りに身を任せ、自分の精神的安定さえ揺らいでいる昨今。

上辺の感情に左右されるってのが一番安易なんですよね。ある意味、楽なんです。我慢しないでいいから。良心の出番はないから。好き嫌いで判断するから。そういう刹那的な生き方の罠が人生の節目節目のいたるところで仕掛けられている。

「嫌いと思う自分」が許せてしまう自分って注意が必要。同じように「好きと思ってしまう自分」も注意が必要。

感情の高ぶりに、一呼吸置こう。誰かの意見を聞こう。できればヨイショしない、耳の痛いことをちゃんと言ってくれる人の意見を聞こう。異端者のノイズを聞こう。毎日がしんどいでしょ。そうすると楽なほうへ行ってしまう自分を自覚する。

 

崇高な理想、この人生で何をしたいのか、どんなふうに生き切ってどういう死に方したいのか、ちゃんと考えよう。そんなことを言うと「人間死ぬときは死ぬんや」って簡単に言われるときがある。そういう返事が寂しい。これからの残りの時間をどんなふうに使って誰のために生きるのか、何を考え、誰の役に立ちたいのか、そんなこと本当にできるかどうかではなく、一緒に考えている人が身近にいたらうれしい。単純にうれしい。

世間的には俗っぽい生き方に見えても気高く生きたいのよ。「理想など唱えるな」とそれを引きずり降ろそうとしているのは紛れもなく同じ人間。世間というヌエの様な取り繕うシマもないような世間というやつ。

俗世にずっぽり頭から浸りたい時がある。踏みとどまって高みを目指そう。

堕落するな松本。輝く誇りを内面に持とう。

 

「人間が悲劇的存在であるのは時に自らの良心が“これこそ真理”と自らに告げたことのために危険や死すら恐れようとしないからである」

僕は大学の混沌の中でこの言葉と出会った。人生の羅針盤。

 

生き生きとしたビジョンのある組織、そのジビョンを構成員が熱く語れる組織が生き残れる。

目先の利益を追求せず、長期的な成功を目指して、掲げる理想、理念、壮大な未来をみんなでウキウキワクワクしながら語れる組織であること。竹のようにしなやかに且つ地下に根を張り巡らせる組織であること。

昨日、そんな話をしていた。

トップ一人がみんなが共感しない信念のようなものを組織に押し付けない。基本的な理念を共有し、浸透させること。心が洗われて視界の曇りが白内障の手術後のように晴れやかになること。よし、これでいこう、とみんなが心の拠り所にできてこの職場、この仕事に限りない誇りが持てて毎日が楽しくなること。苦痛にも価値がある毎日であること。

ぜひそんな組織を作りたい。

本当は他者からの評価なんか気にすることなく生きていきたいし、自分の中に限りない誇りがあれば自己完結するんだ。けど、ぼくは他者からの評価も欲しい。一緒に働いている人たちからも「ああ、この職場で幸せだ」と思われたいし、何よりもこの地域の最重度の障害をもつ人たちの家族をして“最後の砦はここしかない”と言わしめたい。

そんな仕事がしたい。そんな生き方を全うしてから死にたい。

もうそれぐらいしかこの世に残すものはない。

 

正しい方針に基づいた実践を通して初めて組織は輝きを増し、その中でしかそこに属する構成員の人間的成長は保障されない。

 

堕落するでないぞ、松本。

長いスパーンでみんなの幸せを考えようぜ。

 

 

自分の周りに変な悪臭放つ緊張感を作り出している人って結構いる。ぼくもご多分に漏れずプチパワハラを行っていたんだ、と一昨日から(遅いか)反省している。

昔、イチローがまだ日本でプレーしていた頃、若い新聞記者が素朴な質問すると嫌そうな顔して、元へ嫌な感じを隠そうともせず、その記者を相手にもしなかった。彼曰く「もっと勉強してから質問してくれ。初歩的なことも知ってない」ってさ。

その態度にぼくは嫌悪しながらも“プロというものはこういうものか”ぐらいに思っていた。そういうイチローは特定の記者をひいきしていた。明らかにそれは平等の原則から著しく逸脱していた。意地悪だったなあ。

麻生太郎も意地悪でも日本でも三本の指に入るだろう。「新聞記者のくせにそんなことも知らないのか」という類いのことを公の場で特定の人に対して言っていた。

菅総理も同じ。「あなたにそういうことを答える義務はない」っていう類いのことを意地悪でよく言っていた。

このような類の人種に共通することは「賢くない」ということ「親切ではない」と言う事。意地悪って嫌やねえ。

思えばぼくも意地悪なところが多分にある。自分の意に沿わない人を排除しようとするし、意見を聞こうともしないところがある。異論を排斥したいと思っているし、論破して赤っ恥をかかせてやりたいとも思っている。

けど、それは本当に間違いだ。

公人、公共性の高い人間は「私人」の枠の中にいてはいけない。喜怒哀楽をさらけ出して日常を送ってはいけない。

他者に嫌な緊張感を感じさせるようでは失格やね。

親切で正直で、誠実で、意地悪でないこと。

一昨日から実践している。60超えているけど、ええよね。遅くないよね。