きっと優しい男になれるはず

きっと優しい男になれるはず

「私は役者ですから喜劇を演じることには慣れています。
ただ、自らの生を喜劇的状況の中に放置することには耐えられません。我慢なりません。」
・・・舞台がハネてもずっとずっとあり得ないような、それこそ喜劇と紙一重のような優しい男を演じ切りたい。

田植えも間近になってきた。田んぼの土手の草刈りに行く。二年前まではおやじも草刈り機をもって参加していたが昨年あたりからそういうこともできなくなった。

兄貴と二人。斜面の草を淡々と。

遠い昔の記憶を蘇らせていた。

兄貴が中学、高校と荒れていた頃のこと。今はとってもいい人で通っているが、ぼくには今でもどこか怖さが残る。

あれはなんであんなことになってしまったのか、考えていた。

人に言うに言えない何かがあってそのストレスが家庭内で爆発していたのか、本人がいじめに遭っていたのか、親との言いようのない確執を抱いていたのか・・・。なんなのかさっぱりわからなかった当時。僕はひたすら毎日を耐え忍んでいた。嵐のような日々だった。心が落ち着くことなく書物に逃げていたあの頃。色に例えるなら「漆黒」国に例えるなら「北朝鮮」。

今思うに、ああいう原因の多くは「親の向上心のなさ」だったような気がする。(最近ずっとそっちに話を持って行きたがる)

特に父親の。荒れている兄貴からずっと逃げていた。何事もなかったかのように、一度たりとも注意したところを見たことがない。矢面に立つのはいつも母親だった。当時はそのことを何とも思わなかったが今振り返ってあれは異常だったと思う。「逃げる」父親を見て兄は絶望したのではないか。もっとかかってこい、と思っていたのではないだろうか。ビクビクして、こいつなんやねん、と思っていたのではないか。それまでも父は「うだつの上がらない人」だった。志の高くない言動をよく吐いていた。脳性麻痺の人の顔真似をふざけてしてみたり、出自への差別的発言もしていた。政治にはポリシーもなく、ぼくが色々アホなことして大学に呼び出された時も、直接なにも言わなかったが、陰で「あのアホ、何考えとんや」と怒鳴っていたそうな。波風立たない体制迎合であることがなにより幸せの形だと思い込んでいたところがある。

そんな「尊敬できない」父への反発だったんだろうか。遠い遠い昔の事。今や聞くに聞けない。

子どもが一目置ける親ってなんとなくうまくいくような気がする、それは「力」ではなく、尊敬を通してうまくいくような気がする。

不正に対して体を張って怒る。弱い者にはとことん優しい。身内の利益だけを考えない。自分の事より他人のことを真剣に心配する。勉強する。背中で生き方を子どもに伝えていける親って子どもにとっては尊敬できるよね。

そんな親に僕もなろう。もう遅いけど。

 

なにも根っからの優しい人がこの世にいるとは思っていない。

そう見える人がいる、という事が大事。

そう思いたいと思っている自分がいることが大事。

そういう「優しい人」になりたいと思っている人がいるなら、それは今「優しい人」でなくても優しい人なんだ。

歳いくとどんどん変わっていく。いいように変わっていく人にあまりお目に掛かれない。あのピュアさや初々しさはどこへいったんだろうと思うほど僕の周りの方々は変容していく。

ぼくは好きな人のきれいなところだけ見ていたい。根掘り葉掘り見聞きしたくない。自分の中の幻にしがみつきたい。ただその人に向上心があることがわかれば後は何もいらない。

 

一緒に暮らしたり、一緒に仕事したり、一緒に活動したりしていくうちに他人のアラが見えてしまう。どうしようもない俗っぽさ(臭いオナラしたり、鼻くそなめたり、すぐチンチン掻いたり、ひどい口臭でキスしてきたり、鼻毛が異様に伸びるのが早い)…そんなことが気になって、嫌になって、決定的な大いなる欠点のように見えたりする。そういう「俗性の塊」のようなものから一回距離を置いて自由になりたいって思うことがある。すべてがめんどくさくなる。そう言う事ってないだろうか。

そういう僕もどんどん未来や理想を語らなくなってしまった。今の生活にしがみつくのが精いっぱいで夢なんか語る余裕なんかおまっかいなあ・・・。という状況が続いている。

僕自体が俗っぽさの塊だ。人といるのがめんどくさいよな、と思いながら生きているし、ぼくの周りの人たちもぼくのことをそう思っているのがわかる。

 

宮崎駿は言う「一番いけないのは理想を持たない現実主義者です。そういう人が多すぎる。人は理想を失わない現実主義者にならないといけないんです・・・」

目の前のことを一生懸命に取り組む、というのは現実主義者として当たり前の事。ただそこに夢や理想や希望や未来がなければならない。それがないと他律的な生き方(アイヒマン的生き方)でしかない。

 

今年になってやたら「向上心」のあるなし、で人を評価するようになった。向上心ってめんどくさいことだ。けど、これがないと人として何の魅力もなくなってしまう。特に歳いってセクシーさも生産性も肉体も衰退しつつあるなかでは向上心のない人って単なる「物体」だ。今日、そう思って中島みゆきの「重き荷を負いて」を聴いていた。

 

夏の高校野球が中止になった。

1969年の太田幸司の時代から高校野球を見始めた。翌年は箕島の島本講平。71年は日大一高の保坂がいた。日ハム行った保坂。この左腕が星飛雄馬みたいやったわ。72年には東洋大姫路にファアルばっかり打つ前原君がいた。津久見に今久留主もいた。72年は日大桜ヶ丘のジャンボ・仲根正広が人気者に。知らんかなあ、仲根、2メートル近くあった。早う死んでしまった。そうこうしているうちに江川が登場。まあ凄かった。打てる気がしなかった。銚子商業の土屋が完成された投球していてのそのあと定岡がいて、原辰徳が出てきて、我々の時代は奇跡のPL。西田、木戸のバッテリー。その下に簑島の石井、嶋田のバッテリー、牛島、香川の浪商バッテリーがいた。

中止ってちょっと寂しいねえ。

高校野球も部活動の一貫だから・・・って、そんなことだれも思っていない。あれは高校生がやっている国民的風物詩なんやから、今更“部活動の・・・”なんて言われてもねえ。無観客でも何でもええからどこかでやらせてやりたい。テレビもなしでええやん。やらせたれよ。

 

甲子園に初めていったのが小学三年生。51年前の季節は今頃。1969年5月の阪神対読売。父親の取引先の人に乗せてもらっていった。ネット裏。甲子園がきれいなカラーでね。総天然色。白黒の画面でしか見たことなかったからこんなにきれいだとは思ってもみなかった。興奮した。

1番・藤田、2番・野田、三番・遠井、4番・カークランド、5番・藤井、6番・大倉、7番・山尾、8番・辻、9番・江夏。その年、入団した田淵は出ていなかった。対する読売のピッチャーは堀内。カークランドが4の4.打球のスピードがすごかった。阪神が5対3で勝った。当時は球場の敷地内に自動車を停められた。食堂は汚いテーブルが無動作に並んでいてメニューもカレーとかうどんしかなかった。通路でコーヒーを販売していた。

それ以来、中学を卒業するまで、年に一度以上はプロ野球を観に行っていた。1985年優勝の前後から応援が派手になってねえ、どうも馴染めなくなった。

滞空時間の長い、田淵のホームランがぼくの夢そのものだった。

一番好きなプロ野球選手は、と問われたら田淵幸一と答える・・・が、聞いてくれる人もいないからこうやって力業を使って自分から言っている。一番すごい外国人は、と聞かれて多くの人がバースと答えているが、ぼくが実際見た中では断然「ペタジーニ」だ。奴の破壊力は他を寄せ付けなかった。打撃練習からすごかった。ライトスタンドにボンボン入れてくるから目が離せなかった。当たったら死ぬぞ、と思わしめた。

ピッチャーでは断然、ヤクルトの伊藤智仁。この人を上回るピッチャーっているのかね、というほどえげつないスライダーだった。すごかったのはプロ生活5か月間だったけどね。

そんなこんなで、早く野球が見たい。

できれば、甲子園に行きたい。

時々、運転しながら1970年代以降のプロ野球選手の背番号を球団ごとに1番から順に思い出してはその選手の顔や特徴を思い出している。今日は横浜ベイスターズを、繰っていた。昔の大洋の選手の背番号を思い出しながら運転していた。

1番山下大輔、2番中塚、3番野口、4番わからん、5番伊東、基、6番ボイヤー、7番長田、8番大橋、江藤、などなど当時のセ・リーグ6球団と在阪のパ・リーグの3チームの一軍選手ならシルエットのフォームで誰かはわかる。ほぼ全ての選手のエピソードの一つや二つなら言えるし、出身校もだいたい覚えている。

阪神の選手なら一つの背番号で5人の名前はすぐ言える。1番大倉、一枝、吉田、植松、弘田、中込、谷中、鳥谷…。それを40番ぐらいまでなら欠番以外すぐ5人以上言える。それを披歴する場所がない。

こんなことを自慢できる空気も世の中にはない。

“なにカッコつけとんねん”と言われておしまい。

だから、運転しながら暗唱している。すごく気持ちが潤う。

阪神の6番は、藤田平、和田、金本の三人はすぐ言えるがホワイトやフェルナンデスや田宮謙次郎、小山正明が出てくる人はなかなかいない。

読売の18番も堀内、桑田、杉内、菅野は言えても藤田元司、中尾などが出てくる人はなかなかいないよね。

関本四十四の背番号の変遷を正確に言えるがなんの足しにもなりはしない。

眠れぬ夜は落語家がネタをぶつぶつ言いながら繰るようにぼくもそうやって背番号を繰っている。

至福の時だ。

誰かいないかだろうか?

僕に問題出してくれる人は!


しかし、誰もこんなことに興味はないよなぁ。

カミューが「ペスト」の主人公の医師、リウーの言葉を借りて言うセリフ・・・「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」を僕は今、自分の仕事の振り返りを行う中でずっと繰り返し考え、そうだと思っている。

同じようにドラッガーがマネージメントで一番大事にしていることが「合理的判断ではなく真摯さだ」という。科学的、合理的なマネージメントを学んだものの方が不正や虚偽を働く傾向にあるという。それはなんとなくわかる。

ハンナ・アーレントがアイヒマンの裁判を通して「彼が20世紀最大の犯罪者になったのは上司の命令に忠実な、平凡で、真面目でおとなしい、普通の人だったからだ」と結論付けたことを思い出していた。

自ら思考停止してただ、命令に従えば出世もできるし、お金ももらえるし、ほめられるし、損か得かの基準で考えれば得でしかない道を選んだ。

他律的行動・・・自分の外側にある原因で行動の基準を決めること・・・をしていると物事の善悪が判らなくなる。簡単に責任回避する。自分の意思でやったのではない、命令に従っただけだ、と逃げる。真剣にそう思っている人は多い。

 

今、僕たちに必要なのは自分の思いや願いから自律的に行動すること(カントの言う「実践的理性」)なんだろうと思っている。

行動(実践)を伴う理性のあるやなしやが問われ続けているんだ、きっと。そこにだけ責任を引き受ける覚悟が伴う。

決して精神主義者のようなことは言いたくはない。今までの人生や仕事を振り返り、これからの10年先を考えていく作業の中で心の底から思うのは目先の損得ではなくて「真摯さ」とか「誠実さ」とか「やさしさ」とかを行動の指針にすることの大切さ。それらが何なのかと解釈するだけでなく具体的な行動に移していくことが一番大事。

これからその一番大事な作業に取り掛かろう。

さあ、行こう。

 

たまたまつけたテレビが「「ドッキリ・・・」の番組だった。

何とも低劣な、と思いながら見ていた。くだらない、と思いながら見ていた。こんなもん見る奴はアホや、と思いながら見ていた。

泉ピン子がパイを顔に掛けられて、それを「仕掛けた」ジャニーズの誰かをきつく怒って、泣きそうな顔になっているその若者が実は逆ドッキリでピン子が「仕掛けて」ジャニーズの何たら君が「仕掛けられていた」という・・・・何ともくだらない。よくある企画。

こんな類いのアホ番組無くならないものか、と思っている。

それは置いといて、その時のピン子のセリフ・・・“おまえが生まれる前から芸能界やってんだよ”“私を誰だと思ってんだ”・・・啖呵切って若者を追い詰めていた。ニセの怒りながら本質を突いていた。若者が舐めたらいかんぜよ。

今回の事とは別に、一般論として本当に若者が大先輩に敬意の欠片もない悪ふざけをしたならそれは許されるセリフだと思った。数年前、バラエティー番組で陣内智則が「ノリ」で天下の具志堅の頭を叩いたことがあった。具志堅、真剣に怒って番組の本番中にも関わらず怒りを隠さず出て行ってしまった。具志堅、さすがに殴り返さなかったが、それぐらい許されると思った。若造にいきなり頭叩かれてへらへら笑っているよりも250倍カッコよかった。

大人になるって、変に分別がよくなって怒りの感情を制御する事ではないよね。こういうまっとうな怒りをまっとうに表現できる人の方がいい。理不尽をちゃんと言葉で態度で表現できる人の方がいい。

 

最近ずっと思っていたのがね、そう言う事だった。僕はこの障がい者支援の仕事を1984年からしている。今37年目のシーズンだ。若い人にはきちっと仕事してほしい。理論も実践もその質量が決定的に乏しいんだから、謙虚になってほしい。障がい者支援の歴史は長いし、その歴史的な到達点を学んでほしい。スカスカの自らの経験の中でしかものを考えられなかったら、伸びないよね。

我流の「崩し方」をするのはちゃんとした基本ができてからにしてほしい。氷山の水面に出たとこしか見ないで「福祉の仕事」のなんたるかを語らないでほしい。頼むから「全部わかった」「自分はマツモトよりできる」なんて思わないでほしい。

ぼくは怒りに震えても「啖呵」を切れない軟弱者だ。謙虚に学ぶものしか好きになれない。

ついてくる世代に抜かれないように僕も向上心持って、日々心と体を鍛えていきたい。

 

 

中島さんの歌が引用されていた記事発見。(今日の朝日新聞)

正しさを押し付ける不気味さ。全面自己肯定感ではちきれている人が真面目なことを言うと怖いんだ。用心しよう。

 

自分のことを「いい人」「そんなに悪い奴じゃない」と分析している人をみるといつもなんか違和感覚える。そうなりたい、と言うならまだしも、全面自己肯定する人の不気味さは一瞬で身を引きたくなる。かつて世良公則が「オレの生き方、自信があるぜ♪」てなうたをシャウトしていたが、ぼくはそういうのがサブイボ出るわ。そういう類いのことは他人に任せよう。

人間って変わりたくなくても、どんどん変わっていく。一面的な評価はいくら自己評価であろうとそれは正しくない。俗にまみれた時間帯もあるし、人に言えないことを考えながら仕事していることもあるし、女性の裸のことばっかり考えている時間帯もあれば、SEXもことばっかりで頭の中沸騰している時もある。その日、その時で変わっていく。悪人になった次の瞬間には盗人になった自分を想像したりしているし、またしばらくすると煩悩が支配して裸の事考えている時間帯が来る。また、煩悩にまみれて・・・・おいおい、全部あかん時間帯やがな、これ。

何が本当なのか、なんていうのがわからなくなるし、本当も真理も何がそうなのかわからない。わかっていることは『みんなやがて死ぬ』、という事と、もう一つ『みんな悲しい』という事だけ。

 

 

漱石は言う・・・呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする・・・

 

滑稽の裏には真面目がくっついている

大笑の奥には熱涙が潜んでいる

冗談の底には啾々(しゅうしゅう)たる鬼哭(きこく)が聞こえる

 

無認可の貧乏時代が20年続いた。

その頃、障がい者支援に専念していたのでは作業所の運営はおろか生活が成り立たないので、「本業」以外で食いつないでいた。

願わくばモノを売り歩かなくても、副業しなくても生活できて、運営が可能な公金が保証されればどれほどみじめな思いをしなくて済むだろう、と思いながら生きていた。

願わくば、公務員並みとは言わずともその何分の一かの安定性が欲しかった。

惨めだったあの頃はいつもみすぼらしさを感じていた。「生命の危機」と隣り合わせだったあの頃、目つきがギラギラしていた。ずっとずっとほとんどの公務員に攻撃的だったことは認めざるを得ない。サバンナの中で飢えているトラのように隙あらばと身をかがめていつでも獲物にとびかかる態勢でいた。

30代の10年間と、40代前半をそんなふうにして過ごしてきた。

今、翻っての今、どうよ。生命の危機に際して日々感じていたピリピリ感が無くなって僕は動物園のおりの中にいるトラのように穏やかになった。

安定した生活は「退屈」だ。その退屈な今がいい。

当時を知らないものには何回言ってもその飢餓感はまず伝わらないことだし、今がどれほど恵まれているかを伝える言葉を持ち合わせていない。

ただ、その時感じていた苦痛や飢餓感に比べれば今の退屈の方が比べようもなく幸せだ。120万倍ぐらい幸せな状況だ。

それでも「しんどい」と感じる時がある。方々からそんな言葉が漏れるのが伝播する。僕もこの事業所に漂っているノッペリとした空気がしんどい時がある。

だから貧乏時代のサバイバルのような時代を体験してみろ、とは思わないが・・・。

何が言いたいのか・・・結論はない。

サバンナのトラよりもトロンとした動物園のトラのほうがいい。それを確認できるのは両方経験してきたものでないとわからない。

それだけの話し。

見せかけの、とりあえずの優しさとか、親切さとか、可愛さとか、カッコよさとか、一生懸命さならいらない……最近、そんなことばっかり思っている。
頭がいい、足が速い、テニスがうまい、逆上がりができる、料理が上手い、火をおこせる、計算が、裁縫が、話しが、絵が、掃除が、習字が、運転が……すべて、すべて、人間を測る上では関係ない指標ではないのか、と思っては悩んでいる。どうなんだろう、そういうのって。(家柄とか血統とか由緒正しいとか親の財産がとかいう奴なんざぁハナから論外だが)
ギフテッド…天から与えられた才能や幸運を自分の手柄のように自慢したり、金儲けに使ったり、人間の優劣を測る指標のように言うのは違う、とはっきり思う。
(言っとくが、玲子ファンであるのは「足が速い」からではない。そんなことはどうでもいいこと)
我々が、うん、そういう複数形が不遜なら、ぼくが大事にしたいのは毎日、一生懸命、細部にまで手を抜かず生きること、生きている人、生きている姿勢。今日よりも明日。映画監督が「あなたの代表作はなんですか」と問われて『ネクスト ワン』と答えるあの向上心こそがぼくの大事にしたいこと。
持って生まれた宿命とか運命とかに引き摺られずに拗ねずに一生懸命生きている人しか好きになれない。
きれいな顔、カッコいい外見、有り余る財産、大きな家…そんなくだらないものしか自慢することがないならノーサンキュー。

 

どうしていたらお調子者とかええカッコシイとか自慢しいとか、そういうふうにみられなくなるのか、をよく考える。

どうしていたらいい人と思われたまま人生の終着駅まで行けるのかも考えている。

結局、自分の素性を晒すことなく演じ切れるか否か。自分はいい人なんだからここは辛抱しよう、ここは笑顔でいようとか、その場その場でいい人に求められる要素を考えて演じている。これが苦痛にならないようにしないとね。

いい人は自慢しないよね。素のぼくは自慢する事がなくてもするよなあ。

いい人は静かやねえ。素の僕は人の話を必ず徐々に自分の得意とする話に持って行くよね。

いい人は遠くの星を見ているよね。素の僕は道に10円玉が落ちてないか見ているよねえ。

いい人は自分のことより他人のことを考えるよねえ。素の僕は・・・

 

そうそう、昨日困ったことがあった。ある人に相談したら「大丈夫です」って言ってくれて窮状を察して引き受けてくれた。ミントのキシリトールガムのような爽快感がした。

うまく感謝の言葉が思いつかなかったけれど、いい人って自分がいい人って思ってないよね。自分の存在が他者を幸せにしている、ってそんなに意識していないよね。

素の僕は真逆な自分の素をどうにか隠そうと必死になって「いい人」を標榜せずにはいられない。

ぼくの中のいい人は「あの人今困ってるやん」と思ったら反射的に行動に移してしまう人。あとで後悔したり、反省したりすることもあるけれど、そんなことも全部ひっくるめていい人はとにかく困った人を助けに行こうとする。

しなかったらよかった、という総括をせざるを得ない時もある。僕も幾多の失敗を経験してきた。「もう金輪際、お人よしはやめよう」と思うこときら星のごとくあった。

その直後のいろんなマイナスの感情を抱えながらもいい人って「お人よし」であり続ける。いや、あり続けてほしい。

いい人は静かです。僕ももう少し、落ち着こう。60が見えかけているこの時点で今更言う事ではないが・・・。