やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

愛知県の障がい者施設を運営する大きなグループ企業の不正が大きく報じられている。

よくあるんだ。なんせ山師共。何をしでかすかわからない。クソみたいな連中だから、不正と聞いても何ら不思議ではない。不正なんかお手のものよ。

「不正をしない」とか「正義を実行する」というものは法治国家の基本中の基本。それなしでは誰しも安心して生きてゆけない。

ただ、政権党が不正まみれで見つかっても逮捕もされないこの国で、それを見て暮らしている下々の者たちが「ああ、こんなものか」とそれを見て、自分たちの規範も適当でいい、そう思っても何ら不思議ではない。

 

それにしても、だ。

教育、医療、福祉、法曹という「それなしでは人間社会が立ち行かなくなる」という社会共通資本の信用が崩れたら、もう後がない。制度が信じられない、どんな奴らがこういうものに関わっているんだ、という批判が多くなればなるほど、我々が関わる障がい福祉の分野への冷たい視線も増えてくる。一部の例外的事象が議論の中心に据えられて、真面目に関わっている大多数の実態とはかけ離れて、この分野の予算の大幅なカットという事態に進んでくるという事も容易に想像できる。

だから僕はこういうクソ野郎共は早くこの世界から退場してほしいと願っている。

「この仕事は一度信用を失ったらおしまい」という緊張感に包まれた職業だからその緊張感のない、もっと言えば「隙あらば、誰もわからないから不正してやろう」という不逞の輩が少しでも増えれば「信用」という一番大事な根幹が崩れ、取り返しのつかないことになる。

我々の仕事は「公人」がおこなう「聖域」である。その覚悟、その自覚のあるやなしや、で仕事の質が決まる。

 

不正が明らかになるのは内部告発が圧倒的に多い。

僕は大いに奨励する。

制度を悪用したり、果たすべき役割、使命を放棄したり、暴力的に支配する同僚がいることを「許せない」と感じる健全さを(たとえそれが自分の施設であろうとも)ぼくは断固として支持する。

そのような「内部の人に告発されるような不正はしない」という緊張感失くしてこの仕事はできない。そんなぬるいものではない。その告発のお陰で自分の組織が立ち行かなくなっても構わない。そういう健全性こそがこれからなによりも大事なんだ。

信用を失うような事はしない…この思いに勝るものはない。

 

「食事が本当にお粗末な状態」 相次ぎ明らかになる不正 グループホーム「恵」の利用者家族は不信感(メ〜テレ(名古屋テレビ)) - Yahoo!ニュース

一番穏やかになるのは休日に仕事場にいること。

休みの日にその日にする業務を考えて来週以降に備える。

病的なんだ。水原さんのことも家人のことも言ってはいられない。

今日は休日なのに予定していた業務が思うように進まなかったのでイラついていた。

山崎元さんの本を一気読み。高橋源一郎、島尾敏雄を併せ読み中。

総会に向けた資料を半分は完成するはずができないでいたのも、コイツラが呼んだせいだ。

仕事ばっかりして・・・と家人は言うが体が喜ぶことを選ぶと足は自然と仕事場へ向く。

実にストレスがない。休日にイヤなことはしない。仕事をのんびりするんだ。

 

頭の中でこの35年の振り返りは結構できた。

1990年の春、離職してこの仕事をしようと思ったとき、別に誰か固有の人に要請されたわけではなかった。

そうなんや、誰も頼んでないのに「ここで作業所をする」と決めて始めた。誰かがこの仕事を待っていて、呼んでいるような気がしたのは確かにあった。

最初からマーケットとかニーズなどないし、調べてもいなかった。

とにかくやる、と決めて動き出した。

この場所も特別な思いがあったわけではなく、空き家があったから、というただそれだけの理由だった。

当時は深く考えていなかったが、前職で「収容施設」の閉鎖性や非人間的な扱いを身に沁みて感じていて、そういう人たちの「助けて」という呼ぶ小さな声が聞こえるような気がしたことは確かにある。助けを求めている人に導かれるようなそんな気がした。自分を求めている救難信号に導かれて始まったような気がする。誰かの力になるってことは自己肯定感が強い。こういう生き方をしていると幸せになる、とかという意識はなくて、誰かが困っている、助けを求めている声に引かれて(そう感じて)始めたゆめさき舎。

身銭を切ってでも自己肯定感が高まる仕事の中に身を置きたかった。

文字にするとそんな気がしてきた。

業種を問わず起業した事業所が3年後に存在している割合は3割だったか1割だったか、とにかくかなり低い。そんな中で奇跡的に生存しているその理由をこれから自分なりに考えたい。

家人は本当に驚くほどバカな男によくぞ我慢してついてきたと思う。

 

 

 

 

 

「自分は何のために生きている?」とか「ぼくって何?」とか「自分探し」とか「自分の人生だから好きなように生きる」とか「大好きな自分を大事にしたい」とかいろんな言葉が飛び交って「自分の生き方」を模索しているけれど(僕もしていたけれど)結局世の中で一番大事なものは「自分」だと万人が言っている点でなんか変だと思うように最近なってきた。

そういう考え方から距離を置きたいと思ってきた。

別に幸せにならなくてもいいじゃないか(人間だもの)と思うし、自分よりもずっと大切なもの、存在って世の中にあって、そのために「不幸」さえ選ぶ人生であってもいいんじゃないか、と思ってきた。

なにも命よりも「国体」が大事だ、という事ではない。

命さえも犠牲にできるほど大事なものってあるようだし、そういうものを知っている(見つけている)人って生き方に強さを感じる。

 

ずっと遠い昔、ぼくの親たちは自分よりも大事な存在として僕を見守ってくれただろうし、世界中の親たちはそういう慈しみながらわが子への愛情を降り注いできたんだ。間違いなく。祖父母たちも孫たちに対して自分の命など捧げても構わないと思うほどの深く強いまなざしで愛情を注いできたに違いない。恋人どうしがお互いをかけがえのない存在として自分よりも大切な存在として思いながら生きていた瞬間が確実にあった。

そういう「自分を中心に考えない」ことの美しさを僕は人間本来の美しさ、強さのように思えてきたんだ。そういう思いの中に「本当のこと」ってあるような気がした。よくまとまらないがそう思った。

「自分」が消えてしまう生き方がいい。

命さえも差し出して一向に構わない・・・そんな「何か」が欲しい。

人生はそんな「何か」のためにあるような気がするんだ。

自分にとってこの人生とは・・・そんなことを考えている時点で人生は間違っている。

変な信念や思い込みを持つ奴とは仕事がしにくい、というのは誰でも同じだと思う。

多様性の時代だと言われたって多様な価値観をすべて認めていると仕事にならない。イライラする。多様性を認めるって一種不自由な考え方で経営者は可能なら自分の「善」を元に独善的に振舞いたいと思っている。知らんけど。

些細なことだけれど(誤解を恐れながら言うけれど)僕は「福祉現場の人間である以上は食事を味わうな」という自分へのこだわりを持っている。一種の職業的センスだと真剣に思っている。まあ、10分で食う。他人には同調を求めないし、同じようにしてくれとも言わないが、そういうもんだ、と思って40年以上やってきた。パッパッパッと食べて、時には固形物をお茶で流し込んで仕事に戻る。戦場でご飯など味わって食わないでしょ。(行ったことないけど)その戦闘モードの感覚ってぼくには必要だ。

それととにかくパッパッパッとテキパキと動く。仕事中には必要最低限以外には座らない。いつでもスクランブル発進できるように神経をとがらせる。いつも足のつま先に重心を乗せてパッ!と動くんだ。仕事中に何もせずにぼんやり座っているなど論外でそういう姿を見るのが苦痛だ。僕にはそれが仕事だとは思わない。なめている。

いずれにしてもこの現場はある種の運動神経、反射神経が問われている。センスの問題だ。

本も読まず、勉強もせず、動物園の獣のようにジーっとして野生を忘れて、日銭を稼いでお日さん西西で生きている人にこの仕事は向いていない、というか全てにおいて向いていないと思う。

物事の基本は四六時中、四方にアンテナを張って反射神経をいかに鍛えるかだ。

 

こんなこだわりを持つ人間と一緒に仕事する人はしんどいに違いない。

随分昔から、もうどうしようもないほど自分が恥ずかしい、と思うことが多すぎる。

自慰行為を覚えた頃なんか『こんなところをお天道さまに見せられない』と真剣に思った。そういう行為をしている自分を激しく蔑んだ。初体験の後も後日、そういう行為をしている自分の姿を俯瞰して「お天道様」の視線から見ていたら、もう叫びたくなった。こんなカッコ悪いこと、恥ずかしいことを、いくら人間の備え持った本能とはいえ・・・。随分嫌悪したもんだ。(大人になったらそういうのはなくなったけどね。)

自分が今、こんなことを思っている、という類いのことを他人に言う事を随分躊躇する性格だった。大体頭の中は卑猥が溢れかえっていたから、どうしても晒せなかった。小学6年生ぐらいから川上宗薫、梶山季之などの小説に馴染んでいたから(家にあった。親父もエロかった)男女の交わりについては知識としては早熟だったのに、実際は奥手だった。

大人になってからも村上春樹や西加奈子、中島らもちゃんなどの表現する中に露骨な性描写があると「ようこんなことやるわ」と自分には出来ない「恥ずかしさ」を随分感じながら尊敬していた。

 

今日、事務室の机の中や周りを整理していた。机の奥の方から「相田みつを」の日めくりカレンダーが出てきた。年末に販売しているカレンダーの売れ残りだ。名言がたくさんある。

「しあわせはいつも自分の心が決める」

「夢はでっかく根は深く」

「負ける人のお陰で勝てるんだよな」

「つまずいたっていいじゃないか 人間だもの」・・・

改めて思う。相田みつをは凄い。

正しいことばかりだ。どこも非の付け所がない。

それに類する「言葉」(詩?)を紡いでТシャツ作ったり、色紙に書いたりする人たちが最近は結構いる。「だから今、ここにいる」なんて、よくわからないが、そういうど真ん中の直球の正論を好感持って受け止める人が多くなったと言う事なんだろうなあ。昔はそういう人はまず、いなかった。恋文なんて回りくどい言い方で直接「好き」とか「したい」とか「寝たい」とか言う表現は存在しなかったんだ。「胸が苦しい日々です」とか「あなたなしでは死にたくなります」とか、とにかく直球はなかった。

なぜか。恥ずかしいからだったんだと思う。そういう健気さや正直な気持ちを言う方も聞かされる方も耐えられなかったからだ、と思う。

相田みつをについて、ぼくは以前からぼんやりを違和感を感じていた。そういう事だったんだ、と今日思った。露骨な性描写より恥ずかしさがすっぽり抜け落ちたような「スキのない正論」の方が恥ずかしい。

相田さんはそういう当たり前のことを言う恥ずかしさがない人なんだろうなあ。

恥ずかしさがないってすごく恥ずかしい。

わが身を振り返ってそう思った。

そんなことより明日から5月。

えっ、一年の三分の一が終わったって。早くないか。もたもたしていたら死んでしまうぐらい時間が早く過ぎる。急がないと残された時間がどんどん音を立ててなくなっていく。冗談でなくそういう感覚が脅迫的に襲ってくる。迷っている時間などない。ゆっくりお茶飲んでいる暇などない。闘うんだ。誰と。わからないが世の中の不正と、でいいじゃないか。

まず、グループホーム作りに走れ。マラソン走っている暇などないんだ、と思いながら毎日を過ごしている。

ずっと焦っている。自分の命がそんなに長くないという意識が支配する。

 

5月の上旬に甲子園に行こう、と親戚のおばちゃんが我が家にチケットを二枚用意してくれた。息子は仕事でダメ。家人は人混みがダメで行きたくないという。という事でぼくともう一人甲子園に行ける人を探す羽目になった。なんせ6000円のチケットだ。無駄にはできない。野球好きの友人は・・・と考えるが全く誰一人思い浮かばなかった。もう改めて友人のなさ、に唖然とするしかない。誰も「友だち」が思い浮かばないって恐怖に近い。仕方ないから大学時代の「同志」に電話すると「行くで」と二つ返事。けど、親戚のおばちゃんが二人横にいて、「この人誰?」って言われて説明が難しい。なんせ、女性だ。「あんたらどんな関係よ?」と聞かれたら余計難しい。「いやいや、何にもしてません」というしかない。相手も63だ。別に今更何があったとしてもいいんだけれど。

誰といても気を遣う。自分の方からプライベートで会いたいと思う友人がいなくなった。

人生の黄昏を感じながら、ニセモノの関係しか構築してこなかった月日の代償だと思っている。

 

それはそうと、最近、いや、もっと昔に遡って・・・全然闘ってないやん、いろんなものと。

なんやこの人生。終盤に差し掛かっても「置きに行っている」

情けない生き方です。恥ずかしい。

攻めて行こうぜ。

 

1995年春、阪神淡路の震災直後の大阪城ホールのコンサートの「ファイト」はこれまでの人生の中で一番鳥肌が立って腰が抜けた。僕の人生の中できっともうこれ以上の瞬間はない。

震災直後という事でコンサートに来れなかった人もたくさんいて空席が目立った。

 

この瞬間を振り返っては「闘っていない自分」を恥じている。

闘いの舞台に死ぬまで立っていようぜ。

中島さんのメッセージは死ぬまで響く。

 

 

「あなたの夢が叶いますように」中島みゆき/ファイト!―〈阪神大震災〉 (youtube.com)

その点、(どこの点だ?)家人はぼくとはまったくレベルが違う。

いろんな価値観が違うが何と言っても「お金とモノへの執着のなさ」はぼくのレベルから言えば完全に常軌を逸している。病気ってこういう事かと思う。捨てるし、金離れの良さはきっとその辺の人に理解してもらうレベルを超えている。「ない方がいい」ではなくて「あると困る」レベルだ。

息子の就職が何とか決まって大阪へ行った。その後すぐ彼の部屋を片付けだした。もう止まらない。本人の許可なくゴミ袋にスタンドライト、服、カバン、本などをかなりの量入れていた。もう水原一平並みの中毒患者だ。止まらない。

「これで当分何とかしいな、言うてお金渡しといたで」と言って息子に渡した金額を聞いて、引いた。「エッ」しかなかった。どこにそんな金があるのか知らないが、ぼくの関わる範疇ではないことは以前から明らかだ。

一平さんと同じように「捨て磨」更生プログラム施設へ入所してくれないだろうか、と言うのがぼくのささやかな希望だ。

昨年あたりから「この家もいらない」とつぶやき始めた。能登の地震を見て、「すっきりして仮設住宅でええなあ」と大きめにつぶやいた時には血が凍るかと思った。

今度、予想されるつぶやきは「この家に二人は多いなあ」・・・現実味を帯びてきた。

洋の東西を問わず仕事を効率よくする人の特徴は「この時間は必ず仕事をする」と決めること。何も考えられなくても、一行の文章も思い出せなくても逃げずにその時間内は他のことは一切しないこと、と決めることが大事だ、と私淑する内田樹は書いていた。カントから村上春樹まで時代を越えて仕事のできる人はそれをルーティンにしている、という。

なるほど、そうか、「さあ、今から仕事をするぞ」とパソコンに向かう。しかし、なにも集中できなくなると自分に興味のあるYOU TUBEなどを見てその課題から逃げたりする。ほぼ毎日逃げている。そうやって63年生きてきた節もある。全くよろしくない。今日を限りにその堕落に別れを告げよう。

今、そう今、2024年4月27日21時45分を持って不肖マツモト「「ルーティン派」を宣言して必ず実行する。

そう言った以上、こんなブログのようなものから離れて仕事をしよう。

それでは、股、失礼、又。

当人が正しいと思う些細なことまで禁止したり、統制したりするのは明らかに間違っている。

それを前提に言うけれど、利用者に「様」をつけたり、患者に「様」を付けるのは職業倫理上正しくはない、と確信している。

店員が「お客様」と言う必要もないと個人的には思う。「さん」で十分だろう。何が不満なんだ。そういう上辺だけの取り繕いをして虚構の世界を作るから客や患者や利用者の一部は「尊大な態度」が当たり前だと思ってしまうんだ。

形式上、文面には慣例として様をつける。「さん」ではカッコつかないし。

ただ、普通にやり取りする文面の中や会話の中で「利用者様」はない。苗字の後に「様」もいらない。「さん」以上は要らない。

連絡帳に「何々なさいました」とか「食事をおいしそうに召し上がっておられました」などもっとない。もはや論外だ。「何々しました」「食べました」で充分だ。

普通の言葉でいいんだ。相手にこちらの誠意や真っすぐな思いを届けようとする気迫があればいいだけの話し。必ず伝わる。そういうへりくだった言葉は逆に関係性を破壊するし、だいたい、そういう言葉を使う人を僕はどこか信じていない。

対等の関係でいたいならへりくだったり、持ち上げるものなど一切なしだ。

特に障がい者福祉の分野において「俱に」状況を解決していこうと思う気持ちがあるなら対等で平等な言葉と態度が必要になってくる。事業者は利用者がいるから生活できる、という発想が違うのだ。利用者も事業者にペコペコする必要はないし、威張る必要もない。

商店と客ならある程度は買ってもらう方が下手に出ないと商売ができないかもしれないが、それでも尻が痒くなるような歯が浮くような言葉はできれば使わずに生きてゆきたい。

 

我々が棲むこの場は利害が対立する現場ではない。

ピラミッドの底辺を否応なくウロウロしないといけない人たちと一緒に闘う戦場だ。上下関係ではない。必要なのは垣根を失くした信頼関係だ。

そうは言っても自然と「様」をつけて呼びたくなるような人にならそう呼べばいい。

強制するものでもされるものでもない。

身分が「尊い」から「様」で卑しいから呼び捨てでいい、という時代はもう100年遅れている。どこかの国では公共放送を先頭にして平気で身分差別の呼称を何の恥じらいもなく使っているが・・。この世には生まれながらにして「尊い」人がいると刷り込む。なんじゃそれ。

生まれ落ちたところが「尊かったり」「卑しかったり」する。

それを変だ、と言おうものなら怖い方々に吊し上げられる危険もあるんだ。

僕たちが大事にしたいのはだれであれ相手を好きになるという事・・・それでいいだろう。