芸能界でも大物と言われる人はたくさんいるがビートたけしとか松本人志とか堺正章とか木村拓哉とか談志さんもそうだった…まあ、誰でもいい。野球界にも政界にも経済界にもどんな分野に「大物」はいる。彼らを取り巻く人たちが言う言葉が「オーラがある」「近寄りがたい」とか抜かしてテレビにそういう大物が登場するとヨイショの嵐で見ていて気持ち悪いぐらい持ち上げる。バカ丁寧に対応するし、心にもないおべんちゃらを使わずにはいられないし、すべて受容する。同じ人間なのに何をそんなに持ち上げる必要があるのか、と思うぐらいに持ち上げる。絶対にそんなこと思っていないだろうというようなヨイショして・・・こんな理不尽はないだろう、というぐらいの揚げようだ。楽屋でやれよ。気持ち悪い。人間のクズ、と思う。
理不尽を構成し継続している要素って(不条理でもいい)「恐怖」なんでしょうね。
北朝鮮やナチスやポルポトや安部晋三なんかが端的にそれを表明しているけれど「理不尽」を「それ理不尽ですよ」と言えない状況こそ、その本質そのものなんでしょうね。
なぜ言えないか・・それが「恐怖支配」で成り立っているから。自分の身に不利益が生じるから。10年以上前の「オールスター感謝祭」で本番中に司会の紳助が楽屋に」あいさつに来なかった東京03を殴りに行ったという事があったけど、東京03は何の抵抗もせず、恐怖におののいていたという。あの時なぜ後先考えずに」やり返さなかったんだ、と心底思う。何なら紳助を引きずり回してやったらよかったのに、と本気で今も思っている。あんな超一級の理不尽をそのまま放置することはなかったんだ。「こんなとこおれるか」と啖呵切って帰ったらよかったんだ。そうしたら僕bは東京03を死ぬまで応援する。そんなことを思った人も多かったと思う。
『それって変ですよね。みんなの意見を聞きましょうよ。法と条理に基づいてやりましょうよ』という労力は膨大なエネルギーを消耗し、人をクタクタにする。そんなにクタクタになるぐらいなら何も言わずに諦めよう、その方が楽だ、となる。これが理不尽の温床というが長い歴史が証明している実体なんだ。理不尽な要求を拒み続けるよりも受け入れる方が「心身ともに楽」と感じた瞬間に人は堕落し、屈服する。
小さな組織(家庭内、職場内、自治会内、趣味のサークル内など)お理不尽も同じ。「恐怖支配」を堕落し、容認してしまう事なんだろうね。その方が生きやすいのよ。
理不尽とどう向き合うか。
僕は少なくともそういうものは後先考えずに納得するまでたたかうべきとずっと思って20代30代を過ごしてきた。当然、家庭内にも存在した「理不尽」な事柄はすっきりしたいから納得したいと躍起になって家人と言い争ってきた歴史がある。
けど、今はちょっと違う。そういう小さいことの考え方の相違は「保留」することが一番だという結論に至った。曖昧にしておくのだ。ズルいけど、それが基本姿勢。
それに僕の感じている「理不尽さ」は他の誰もがそう感じていることなんだろうか、と問われると若干自信がない。
家父長制の時代「女は家のことをしろ」という状況を女性全員が「理不尽」だと思っていたとは言い難い。状況が理不尽であったかどうかはその人の感性以外のところに委ねるしかない。
村上春樹の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の中の女が配偶者に「ネコを見殺しにしたのはあなたよ」と言ってその男を(僕も含めて)ドキッとさせたけれど、その言葉は「理不尽」かどうかは言われた男ではなく第三者が判断しないといけないことってある。それを感じた本人の感性が一番正しいとは言い切れないのだ。
家庭内のことには何事にも無関心で興味を持てず、ましてや飼っていたネコの存在などその男には無きに等しい存在だったのかもしれないし・・・。
何が言いたいのか・・・人間って弱い存在だ。他者と迎合しながら生きていく道をすぐ選びたがる生き物だ。正義や正論を携えて生きるよりも楽な生き方がしたい。
恐怖を伴う強者の「理不尽」にはそれを正すことよりも受け入れて自分の身の安全を守ろうとする生物的本能が働いている。きっとそうだ。
そういった理不尽の本質である「恐怖支配の容認」に風穴を開けるところから我々は動いて行かないといけない。
理不尽だと思ったらまず、「変だ」と声を上げる。
相手はひるむだろう。なんせ、恐怖支配の前提は無抵抗で従順な「奴隷」のような奴だ、と見くびっているところから派生しているから。
殴られるのを承知で、現世的な出世とか金儲けとか安穏とした生き方とは決別する覚悟を持って「恐怖」の相手に「お前らええ加減にせいよ」と一声かけるところから「理不尽」の撃退は始まる。芸能界の大物に媚び売りまくる「芸人」のどこに魅力を感じろと言うのだ。
生き方の基本に理不尽、不条理を容認する奴のどこに魅力など感じることができようか。
捨て身の覚悟を持った人間の中にしかいい仕事は生まれてこない。
自分の生き方そのものが厳しく問われている。
とにかく、「変だ」という感性を大事に生きる。
権力に「いい人笑い」する奴にそういう姿勢は望むのが無理。諦めよう。
考察ノートだから中味は無茶苦茶な殴り書き状態。