ワーカーホリック | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

一番穏やかになるのは休日に仕事場にいること。

休みの日にその日にする業務を考えて来週以降に備える。

病的なんだ。水原さんのことも家人のことも言ってはいられない。

今日は休日なのに予定していた業務が思うように進まなかったのでイラついていた。

山崎元さんの本を一気読み。高橋源一郎、島尾敏雄を併せ読み中。

総会に向けた資料を半分は完成するはずができないでいたのも、コイツラが呼んだせいだ。

仕事ばっかりして・・・と家人は言うが体が喜ぶことを選ぶと足は自然と仕事場へ向く。

実にストレスがない。休日にイヤなことはしない。仕事をのんびりするんだ。

 

頭の中でこの35年の振り返りは結構できた。

1990年の春、離職してこの仕事をしようと思ったとき、別に誰か固有の人に要請されたわけではなかった。

そうなんや、誰も頼んでないのに「ここで作業所をする」と決めて始めた。誰かがこの仕事を待っていて、呼んでいるような気がしたのは確かにあった。

最初からマーケットとかニーズなどないし、調べてもいなかった。

とにかくやる、と決めて動き出した。

この場所も特別な思いがあったわけではなく、空き家があったから、というただそれだけの理由だった。

当時は深く考えていなかったが、前職で「収容施設」の閉鎖性や非人間的な扱いを身に沁みて感じていて、そういう人たちの「助けて」という呼ぶ小さな声が聞こえるような気がしたことは確かにある。助けを求めている人に導かれるようなそんな気がした。自分を求めている救難信号に導かれて始まったような気がする。誰かの力になるってことは自己肯定感が強い。こういう生き方をしていると幸せになる、とかという意識はなくて、誰かが困っている、助けを求めている声に引かれて(そう感じて)始めたゆめさき舎。

身銭を切ってでも自己肯定感が高まる仕事の中に身を置きたかった。

文字にするとそんな気がしてきた。

業種を問わず起業した事業所が3年後に存在している割合は3割だったか1割だったか、とにかくかなり低い。そんな中で奇跡的に生存しているその理由をこれから自分なりに考えたい。

家人は本当に驚くほどバカな男によくぞ我慢してついてきたと思う。