人生の黄昏 | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

そんなことより明日から5月。

えっ、一年の三分の一が終わったって。早くないか。もたもたしていたら死んでしまうぐらい時間が早く過ぎる。急がないと残された時間がどんどん音を立ててなくなっていく。冗談でなくそういう感覚が脅迫的に襲ってくる。迷っている時間などない。ゆっくりお茶飲んでいる暇などない。闘うんだ。誰と。わからないが世の中の不正と、でいいじゃないか。

まず、グループホーム作りに走れ。マラソン走っている暇などないんだ、と思いながら毎日を過ごしている。

ずっと焦っている。自分の命がそんなに長くないという意識が支配する。

 

5月の上旬に甲子園に行こう、と親戚のおばちゃんが我が家にチケットを二枚用意してくれた。息子は仕事でダメ。家人は人混みがダメで行きたくないという。という事でぼくともう一人甲子園に行ける人を探す羽目になった。なんせ6000円のチケットだ。無駄にはできない。野球好きの友人は・・・と考えるが全く誰一人思い浮かばなかった。もう改めて友人のなさ、に唖然とするしかない。誰も「友だち」が思い浮かばないって恐怖に近い。仕方ないから大学時代の「同志」に電話すると「行くで」と二つ返事。けど、親戚のおばちゃんが二人横にいて、「この人誰?」って言われて説明が難しい。なんせ、女性だ。「あんたらどんな関係よ?」と聞かれたら余計難しい。「いやいや、何にもしてません」というしかない。相手も63だ。別に今更何があったとしてもいいんだけれど。

誰といても気を遣う。自分の方からプライベートで会いたいと思う友人がいなくなった。

人生の黄昏を感じながら、ニセモノの関係しか構築してこなかった月日の代償だと思っている。