随分昔から、もうどうしようもないほど自分が恥ずかしい、と思うことが多すぎる。
自慰行為を覚えた頃なんか『こんなところをお天道さまに見せられない』と真剣に思った。そういう行為をしている自分を激しく蔑んだ。初体験の後も後日、そういう行為をしている自分の姿を俯瞰して「お天道様」の視線から見ていたら、もう叫びたくなった。こんなカッコ悪いこと、恥ずかしいことを、いくら人間の備え持った本能とはいえ・・・。随分嫌悪したもんだ。(大人になったらそういうのはなくなったけどね。)
自分が今、こんなことを思っている、という類いのことを他人に言う事を随分躊躇する性格だった。大体頭の中は卑猥が溢れかえっていたから、どうしても晒せなかった。小学6年生ぐらいから川上宗薫、梶山季之などの小説に馴染んでいたから(家にあった。親父もエロかった)男女の交わりについては知識としては早熟だったのに、実際は奥手だった。
大人になってからも村上春樹や西加奈子、中島らもちゃんなどの表現する中に露骨な性描写があると「ようこんなことやるわ」と自分には出来ない「恥ずかしさ」を随分感じながら尊敬していた。
今日、事務室の机の中や周りを整理していた。机の奥の方から「相田みつを」の日めくりカレンダーが出てきた。年末に販売しているカレンダーの売れ残りだ。名言がたくさんある。
「しあわせはいつも自分の心が決める」
「夢はでっかく根は深く」
「負ける人のお陰で勝てるんだよな」
「つまずいたっていいじゃないか 人間だもの」・・・
改めて思う。相田みつをは凄い。
正しいことばかりだ。どこも非の付け所がない。
それに類する「言葉」(詩?)を紡いでТシャツ作ったり、色紙に書いたりする人たちが最近は結構いる。「だから今、ここにいる」なんて、よくわからないが、そういうど真ん中の直球の正論を好感持って受け止める人が多くなったと言う事なんだろうなあ。昔はそういう人はまず、いなかった。恋文なんて回りくどい言い方で直接「好き」とか「したい」とか「寝たい」とか言う表現は存在しなかったんだ。「胸が苦しい日々です」とか「あなたなしでは死にたくなります」とか、とにかく直球はなかった。
なぜか。恥ずかしいからだったんだと思う。そういう健気さや正直な気持ちを言う方も聞かされる方も耐えられなかったからだ、と思う。
相田みつをについて、ぼくは以前からぼんやりを違和感を感じていた。そういう事だったんだ、と今日思った。露骨な性描写より恥ずかしさがすっぽり抜け落ちたような「スキのない正論」の方が恥ずかしい。
相田さんはそういう当たり前のことを言う恥ずかしさがない人なんだろうなあ。
恥ずかしさがないってすごく恥ずかしい。
わが身を振り返ってそう思った。