社労士のたまご  -5ページ目

部屋が散乱しています

今、自室がどえらいことになっています。足の踏み場もない状況です。

ざっと、見回してみると、所定の場所から溢れ出ているものは、7割が書類、2割が書籍、1割がその他、といったところでしょうか。

思い起こせば、3年前の311日。私は京都に居ました。TVでさいたま市も当初震度6と報道されていて、我が家の無事を確認すべく電話を入れました。結局公衆電話で繋がったのですが、娘が電話口に出てきました。「他の部屋は別状ないけれど、お父さんの部屋が大変なことになっている。書類が落ちてきて散乱している!」

それはえらいこっちゃ、と思い、とりあえず、現状のままにしておいてもらい、後日帰宅しました。部屋を見てみると、なーんだ、いつもどおりでした。娘から見ると、地震で滅茶苦茶になったと映った状況が、実は普段のままの姿でした。

こんなこともあって、常々整理しておかねばと思ってはいるのですが、なかなか実行できません。

なんと言っても、この書類が始末に負えないわけです。

とりわけ、私の勤務先は合理的で、我々の机もありません。まあ、旅費精算ぐらいしか会社には顔を出さないので、机やロッカーなどを用意などしないわけです。

机やロッカーがないから会社に顔を出さないのか、会社に顔を出さないから机やロッカーがないのか、にわたまの世界ですが。

従って、勤務先の業務関係の書類はすべて自宅に保管しなければなりません。だから、大変なのです。今年のクライアントに使った資料は、来年にまた使うこともあります。

思い切って捨てることもできません。自ずと書類がどんどん溜まってきます。

さらに、社労士関係の書類もどんどん送られてきますし、高年齢者雇用アドバイザーの書類やパンフレット等もだんだん溜まってきます。

4畳あるかないかのスペースですから、きっちりとスペースを分けて整理整頓を心がけないといけません。

朝から、片付けにかかっていますが、やり始めて余計に散らかって、途方に暮れています。土日で片付くような代物ではありません。

とすると、結論から言うと、別の場所に事務所を構えるということなのかも知れません。
社労士としての売上もないくせに。



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最近の管理職はスケールが小さい?

ダムや空港など環境に大きな影響を及ぼす恐れのある大規模事業について、事前に調査・予測・評価することを環境アセスメントといいます。

一方、人材を事前にアセスメントするという手法があります。これは、企業の管理職登用に当たって、マネジメントの潜在的な能力や資質がどのように発揮されるかを、事前に予測・評価をするものです。

この人材アセスメントは、プログラムとしては非常に優れています。ただ、外部の業者が行うのではなく、自社の有識者も交えて行うことに意味があると考えています。従って私自身の動機にはマッチングしません。ただ、仕事ですから、携わっているとそれなりに人を見る眼がついてきます。

やっていて、最近とみに思うことなのですが、全般的に各企業の管理職の粒が小さくなったように見えます。

どうしてなんだろうか。ずっと考えてきましたが、漸く答らしきものに到達できたのではないかと思います。

件の笹井副センター長の言を借りると、「検証する価値のある、合理性の高い仮説」といってもいいのではないでしょうか。

すなわち、下記の4つが理由として考えられるのであろうということです。

①その方々を評価する我々の年齢が相対的に上がったので、どうしてもスケールが小さく見える。

②最近の管理職の管理スパンが、昔と比べて小さくなっている。つまり、過去には課長が管理していた範囲が、今や部長の管理する領域になっている。

③最近は、コンプライアンスが大きく叫ばれ、大胆な行動が取れなくなった。

④同時に、パワハラやセクハラが遡上に乗り、管理職自身が萎縮するようになった。

これらのうち、当初は①の評価する側である我々の見る眼のバーが高くなったのだろうと思っていましたが、我々がそんな大それた人間なのかと振り返ってみないといけません。アセスメントをする側(アセッサーといいます)の鼻が、どんどん高くなっているきらいがあります。それは、傲慢不遜というものです。

恐らく4つのどれが一番の要因かというよりも、すべての要素が絡み合っているのではないかと思われます。

しかし、ここまでのことを評することぐらいは、誰だってできることです。

じゃあどうするか。SO-WHATが示せなければ、ビジネスにはなりません。

このままいくと組織がこじんまりと収まって活力を失ってしまうことは分っているにも関わらず、解がなかなか見つからないのです。

制約に縛られながらも、大胆に意思決定を下せるような経営・管理職を育てるにはどうするのか。これこそ、企業とともに考えていかないといけない課題の一つです。



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独法の略称

今朝、寝床の中でぼーと目覚めのラジオを聞いていると、GPIFという言葉が出てきました。

なんじゃそれは・・・。よく聴いて見ると、年金積立金管理運用独立行政法人のことだそうです。そうそう、そう言えば社労士試験の勉強をしている時に出てきたっけと、微かな記憶が蘇ってきました。

確かに、ねんきんつみたてきんかんりうんようどくりつぎょうせいほうじん、だと30語になるので、喋る方も大変ですからね。

知らない間に、各独立行政法人は、最近英語の略称で呼ばれるような傾向があるようです。

私が4月から関わっている独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構も、JEEDと呼んでいるようです。これも38語もありますからね。今をときめく独立行政法人理化学研究所は、RIKENなんですね。なんか、略称の法則性が見出せませんが。

さて、このGPIFですが、約130兆円の公的年金を運用しています。昨日、麻生財務相がGPIFに関して「6月以降に動きが出る」と発言し、株買いへの期待が向上しました。これによって、昨日の日経平均株価か420円も上昇しました。

私には、株価が上昇しようと何ら関係ありませんが、世の中にはウハウハの人も多いのではないでしょうか。

ただ、財務相の発言の裏には、株市場の活性化以上に思惑がありそうです。

つまり、10%に消費税を上げるための布石のようです。今年の7月~9月の景気状況を見て、10%引き上げの判断がなされます。そのために、7月以降の株価を落ち込ませないような発言だったのです。

政治家の発言は、単純に考えてはいけないようですね。

ついでに、RIKENにも話は及びますが、昨日笹井副センター長の記者会見がありました。

本当に頭の言い方だというのが、第一印象です。論理破綻をきたさず、それでいて自分にリスクが及ばないように巧みにかわすのはさすがです。

表面的には小保方さんに同情を示し、STAP細胞の存在の可能性を示唆しながら、論文の撤回を明言しました。

論文撤回に言及するということは、とどのつまり小保方さんのSTAP細胞の成果は一切認めないということに他ならないのではないでしょうか。笹井さんも理化学研究所の組織人ですし、ノーベル賞候補に祀り上げられるような御仁ですから、仕方のないことなのかも知れません。自分と組織を守るために。

理化学研究所という組織が、小保方さんを非常なまでに切り捨てたと言ってもいいのでしょう。理化学研究所は小保方さんと今後1年間雇用契約を結びつつも、STAP検証には参画させずに蚊帳の外に置きます。飼い殺しのようなものです。1年後にSTAP細胞が明らかになった際には、笹井さんか他の誰かの実績になることでしょう。

ということは、小保方さんの成果や実績は、藻屑のように消え失せてしまうということが予測されます。

組織とはそれ程冷酷なものだという論調もあります。しかし、すべての組織がそうではないと思っています。経営者の思想や哲学に依存するものではないでしょうか。

世に50代以上のオヤジは、小保方さんに同情的といわれます。

私もご他聞に漏れず、STAP細胞は存在するという前提に立った、偏った見方をする単純なオヤジでした。



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人間ドック

昨日、半日人間ドックに行ってきました。

結果・・・ちょいやば!です。

糖尿と尿路結石と大腸ポリープの可能性です。

糖尿については、折角、以前医師から糖尿病が治ったと言わしめたのに、10年ぶりに血糖値とHbA1Cが糖尿の領域に足を踏み入れてしまいました。

調子に乗って、飲んだくれていたことがこのような結果を招いたのでしょう。

こうなったら、前回の12kgは無理にせよ、5kgの減量に挑戦することにします。20代に50kgそこそこでしたが、それ以来の夢の50kg台に挑戦です。


バランスよく1日1500㌔カロリー程度に抑え、酒を控えて(止める訳ではありません)、8月までに敢行しないと、後々まずいことになりますからね。

最後は意志の問題です。また、治ったと言わしめたいものです。

一方、尿路結石は断定ではありません。しかし、結石か何かの原因で尿道が細くなっていると、エコーで腎臓が訴えかけているので、検査しないといけません。

尿路結石は、心筋梗塞、すい臓がんと並んで、人間の3大痛と聞いたことがあります。発症する前に、粉砕できる方法はないものでしょうか。

大腸は、前回の内視鏡検査から2年経っているので、そろそろまた検査する時期と思っていましたから、予定調和です。

早速、いつもの病院に内視鏡検査を予約しました。

やっぱり。半年後の10月まで予約がいっぱいでした。

昔々、埼玉の病院で内視鏡の検査するために待合室で待っていたら、「うぎゃあ~、もうやめてくれ~」という悲痛な叫びを耳にしました。その人の次に呼び出しを受け、えらくびびったことがありました。

やっぱり安心のできる病院でないといけませんや。



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全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路(2)

北海道=バカ・ハンカクサイ・タタランケ・タタクラダ
青森=バガ・バガコイ・ハンカクサイ・ホンジナシ・タクラダ
秋田=バカ・バガ・バギャ・バカコ・ホジナシ・ハンカクセー
岩手=バカ・バーゲァ・バガクサイ・ホジナシ・ツボケ
宮城=バカ・バカモノ・コバカタクレ・ホデナス
山形=バカ・ヴァガ・コバガモ・ホロケ
福島=バカ・バーガ・バカメロー・ウーバカ・オンツァ
茨城=デレ・デレスケ・ゴジャ・ゴジャッペ・バカ・カラバカ
群馬=バカ・バッカ・バキャロー・コケ・コケヤロー
栃木=バカ・バーガ・バカツカシ・デレ・デレスケ・コケ
長野=バカ・タワケ・タクラダ・オタクラ・ボケ・ダボ・ウトイ
新潟=バカ・バガメラ・ウスラ・アホ・ダボ・タワケ
埼玉=バカ・バッカ・バカチョン・バカスカシ
千葉=バカ・バガ・バガテン・カラバカ・ゴジャ・ゴジャッペ
東京=バカ・バカヤロー・バカッタレ・バカッケー
神奈川=バカ・バカヤロー・バカスカシ・ウスラバカ
山梨=バカ・オバカッチィ・タワケ・マヌケ・トロイ・アホ
静岡=バカ・サレバカ・トロイ・トンロイ・チョロイ
愛知=タワケ・クソダーケ・バカ・エーサマ・オタンチン
岐阜=タワケ・クソタワケ・トロイ・トロクサ・アホ・アホタレ
三重=アホ・アホロク・ウトイウトスケ・アンゴウ・ボケ
奈良=アホンダラ・ドアホウ・ダラホウシ・ウトイ・ウットボ
和歌山=アホ・アホッタレ・ウトイ・ウトッポ・ボケ
富山=ダラ・ダラブツ・ドスダラ・バカ・アホ・ボケ・アヤメ
石川=ダラ・ダラケ・ダラブチ・コンジョヨシ・ハンカ
福井=ヌクトイ・ノクテー・アホ・コンジョヨシ・ボコイ・ドス
滋賀=アホ・ドアホ・アホンダラ・バカ・ウツケ・マヌケ
京都=アホ・アホウ・ボケ・ホウケ・フヌケ・スカタン
大阪=アホ・アーホー・ドアホ・ボケ・アホンダラ・アホッタレ
兵庫=アホ・アホウ・アホダラ・ボケ・ボケナス・ダボ・バカ
鳥取=ダラ・ダラズ・ダラクソ・アホンダラ・グズイ
島根=ダラ・ダラズ・ダーズ・ダラジモン・アホ・アンポンタン
岡山=アンゴウ・ゴウダマ・アホー・ダァホウ・トロイ・バカ
広島=バカタレ・バカモン・アンゴウ・ホーケ・タラン・コケ
山口=バカタレ・クソバカ・アホウ・タワケ・ボケタレ
香川=ホッコ・ホッコマイ・アホ・アンポ・クリッコ・バカタレ
徳島=アホ・ドアホ・ホレ・ドボレ・トロクソ・チョロコイ
愛媛=バカ・クソバカ・トロイ・ボケ・ボケヤン・アホ
高知=バカ・クソバカ・バカッチョ・アホ・アンポン・ドアホ
福岡=バカ・バカスー・アンポンタン・アホ・アホタレ
佐賀=フーケ・フーケタレ・バカ・バカタレ・ツータン・シイラ
大分=バカ・サラバカ・バカワロー・アホタレ・アンポンタン
長崎=フーケ・フーケモン・バカ・バァカ・ウーバカ・ドグラ
熊本=バカ・バギャー・ホンジナシ・オタンチン・ズンダレ
宮崎=バカ・バカタン・ホンジナシ・ダラ・ゲドー・ヌケ
鹿児島=バカ・バカタレ・ホガネー・アホ・ドンタ・ハナタレ
沖縄=フラー・フリムン・ゲレン・アッポ・トットロー

これらを、日本地図にプロットすることにより、「アホ・バカ分布図」が作られました。

これによって、各地の言い方というのは、日本列島が細長くなければ、コンパスで描いたように京都を中心にした同心円状に分布していることが浮かび上がりました。

柳田國男の「方言周圏論」を検証した形となりました。

いにしえの京都で大半の言葉がつくられ 、それが近世になるにしたがって目まぐるしく流行り言葉が生まれ、古い時代の言葉が周辺部に向かって円周的に押しやられたということのようです。

江戸中期あたりで「アホ」が上方で新たに生まれ、それ以前の「バカ」を追い払い、その「アホ」が東京に辿り着くまでに、明治に突入したのでしょう。

年間930mのスピードで外へ外へと伝播していくという研究まであるようです。

「バカ」も京の都で忘れ去られていっただけの話のようです。そう言えば、私も小さい時に(今でも?)親父から、「ばっかもーん」と怒鳴られていました。

感動的だったのは、全国津々浦々伝言ゲームのように多少形を変えこそすれ、基本的に京都で生まれた言葉だったということです。

もう一つは、アホバカ表現が、決して直截的に他者を罵倒するような差別語や罵詈雑言ではないということでした。

先ほどのように、親が子を叱るときに使うことも多いため、婉曲的な比喩を交えて相手に愚かさを伝えるという言葉だということです。いわば京都人のいやらしさと言うのか、日本人の奥ゆかしさというのでありましょうか。

典型として、アンゴウはぼうっとした魚の鮟鱇のこと、フーケは「惚(ほう)け」、沖縄のフリムンは、「ほれもの(ぼんやり者)」ハンカクサイは「半可くさい」、茨城のゴジャは「ごじゃごじゃ言う」、などから来ているそうです。

「あほんだら、なにさらしとんのんじゃあ。」も間接的に諭していると考えたらいいのでしょうか。



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