向上心はネガティブ思考?
過去ブログからです。
高山でPちゃんと幸せの感じ方についてちょっとだけ語りました。
えとね。
僕、頭おかしいからね(・∀・)
これから書くことは答えなんてないし
ながーーーーーーーーい独り言ですので
読むなら覚悟してください♪
向上心バリバリの人は、実はある意味ネガティブなのか?!
って事。
常に現状の自分に納得がいかず
いいことがおきても、もっと上のレベルやステージを求めてしまう。
向上心のある人は幸せを感じにくい。
と、Pちゃんが言っていました。
ふ~む。。。
そう言われたらそうか。。。
向上心のある人は凹みやすいと本で読んだような。。。
逆に楽天的な人はポジティブな思考ということになる。
そう考えるとポジティブすぎると身を滅ぼすこともありうる。
1941年、日本は真珠湾を攻撃し、アメリカに宣戦布告した。
完全に力の差はあったろうし、勝てる見込みは少なかったはず。
当時の日本には
超ポジティブ思考
があったんだろう。
神国日本が負けるわけがないと。
日清戦争、日露戦争の勝利などの歴史がその思考を支えていた。
でも結果はみんなご存知の通り。
結局、根拠のないポジティブ思考は続かなくて
いつかは現実と向き合わざるをえない。
逆にネガティブは慎重に物事を考えるので
失敗は少なくてよい?
いや待てよ。
ちょっと違う?!
ネガティブな思考でいると
失敗してしまうのではないか?リスクが大きいのではないか?
と考えることで頭がいっぱいになってしまう。
するとなかなか行動に踏み出せなくなる。
失敗を恐れるあまりにね。
ようするに、ポジティブでありネガティブであり
自分自身を理解するうえで始まるのだ。
不完全な自分を理解し、認める。
お釈迦さまが説いた
「人生は苦である。苦が常態である。」
という一つの真実。
たとえ「悟った」としても
いろんな苦と直面しながら生きていかなければならないのが人生。
己の中の仏性に目覚めればそれで完了!ではなくて
ようやく正しく、もしくは楽に生きようとする
スタート地点に立ったにすぎないって事。
そう考えると「悟り」というものの中には
「自分はどこまでも不完全であるということに気付く」
という意味も含まれているような気がする。
不完全であることの自覚ができてこそ向上心が芽生え
一段ずつ階段を登るがごとく成長し続ける。
これがそもそもの人間らしい生き方かもしれなくなーい?
そこに人間らしく各々の思考の違いで
ポジティブなりネガティブなりがある。
仏性という自分の尊さに目覚め、認めることはとても大事なことだけど
同じくらいに自分の不完全さを見つめることも大事なことなんでしょうな。
常に現状に満足できていない人は
自分の不完全さを認めれば楽になるのかも。
そこから向上心をもって成長していく過程を幸せと感じるかどうか。
まぁ僕は自分の不完全さを認めたうえで
向上心なく開き直ってますが・・・。
たまーにしか使わない頭なので
煙ふいてネジが飛んだやん。
ながーーーい独り言でした
めんどう
仕事終わって家帰って
なーんもしたくない。
youtube見てるだけ~
ちょっと頑張ってたし
こんな~に~♪え~ぶりでぃ~♪え~ぶり~ない~♪
うごきーーーたーーーくーーわーーーないーーー♪
えろたごちゃん
ハニフラでジブしない
ボッチ
子供だってー
子供の時も記憶って
どれくらい幼い時まで覚えてますか?
僕、結構覚えてる!
一歳前のこともぼんやり・・・。
三歳くらいは確実!!
一回三歳の時迷子なって
泣きながら何とか家路にたどり着いて。。
このドアを開けたら
みんなが泣きながら抱きしめてくれるんや!
いや!
みんな俺を探しに行っておらんかも・・・。
とか思って家に入ったら
オカンと親戚のおばちゃん達が
「あ~帰ってきやったわ♪
あんたよう帰ってこれたなぁ♪」
とコタツに入って
テレビ見ながら笑ってた・・・・・。
根性入れな、この家では生きていかれへん!
って思いました( ゚ ▽ ゚ ;)
ほんま子供って分かってないようで分かってる。
大人の言う事聞いてないようで
全て理解して聞いてる。
4歳くらいかなー
ある日、気に入らん服着せられて
ごねてたら
「これ仮面ライダーが着てるんやで」
と大嘘をつかれた事も
ちゃんと覚えてる。
「うそつくなおかーさん!
でも必死やし我慢しとこ」
って思ってたもん!
子供は子供を演じてる。
それを武器にもする。
でも大人は自分が子供の時を忘れて
子供をなめてしまう。
男の子供でもエロい気持ちもちゃんとあるもん!
僕、幼稚園時とか
可愛く若い先生にだけ甘えてたもん!
子供なめたらあきまへん♪
きっと女の子はもっともっと
演じてるはずー
心あるから
何かしゃべってる自分は
意味のあることを言っていれば
意味のないことも言っている。
分かってもらいたくて、伝えたくって
時には、ただしゃべりたい発作のように
いっぱい、いろんな言葉を人は発している。
怒りの大半は
『理解できない』 『理解されない』
がゆえに、生じる気がします。
『相手を知りたい』 『自分を知ってほしい』
という願いを諦めてしまったら
怒りすら湧かないのかもね。
恋愛で喧嘩するのはほとんどこれ。
心の思いが正しいから、強いからといって
必ず伝わるもんでもない。
だから、伝わる言葉があるから楽しくて
伝わらない言葉もあるから、がんばってみたくなる。
人は
どう伝えればいいんだろう
と考えながら
時には長い時間もがきながら
心の言葉を探していくんだね。
心があるかぎり
言葉は生まれ
言葉があるかぎり
ひとは心を表現する。
傷つけるためではなく
わかりあうために。
う~ん!
いいブログや!
とりあえず
酔ってブログ書くのを改めます。


















