日常は音であふれている | ☆野中 東・雑種が描く雑記☆

日常は音であふれている

唐突だが、生活の中には音が二つ存在し、騒音と音楽が混在している。

これはあくまで個人的な意見に過ぎないので鵜呑みにせぬ様に。

 

騒音は単純にノイズであり、音楽は音の強弱に関係なく生活に不可欠な物である。

特に後者は店内で流れる音楽であったり、ラジオやテレビから発せられる音楽であったりする。

または生活の中から生まれる音。

例えば、子供が遊ぶ声や鳥の囀り。

それに人が歩く音や、洗濯物を干している音など、人が動く事により発せられる音は日常その物である。

 

普段意識しなくても、気付くと音に包まれている。

先ほど説明した人の足音にも千差万別で、歩き方に癖があったり特徴のある人も居られる。

足音で我が子、または妻や夫の帰りを待つ人も少なくないはず。

 

これは余談だが、音がないと耐えられない人も居られる様だ。

例えば用事もないのにテレビを点けっぱなしにしている事や、気を紛らわす時に音楽を流す時など、要するに沈黙を嫌う人ほど音に頼りがちとなる。

そう考えると音は生活において必要不可欠な存在であるのかもしれない。

 

わーお!

 

与太話はこの辺にしておき、本題に移る。

久しぶりにヴィム・ヴェンダース監督作品、邦題「リスボン物語」を鑑賞した♪

 

 

ヴィム・ヴェンダース監督と言えば、「ベルリン・天使の詩」や「パリ・テキサス」、「都会のアリス」などと名作を世に送り出すロード・ムービー界の大御所でもある。

 

因みにヴィム・ヴェンダース監督の作品は二度紹介した事がある。

 

この作品はポルトガルのリスボン市から映画製作を依頼された流れで作られた映画でもある。

だが、単純に記録映画にしない点がヴィム・ヴェンダース監督の魅力でもある🌟

物語は突然、友人でもある映画監督のモンロー(パトリック・ボウショウ)から助けを求める内容が記された絵葉書が録音技師ヴィンター(リュディガー・フォーグラー)の元に届く。

然し、モンローが助けを求めた先とは遥か遠いポルトガルのリスボンである。

本来であれば、こんな藪から棒と思える用件など無視して当然だ。

それでもヴィンターは友人の為にドイツから自家用車で遥々ポルトガルを目指す。

 

 

道中で自家用車は故障し、やっとの思いでモンローが居る場所を訪れるのだが、当の本人が不在であった。

 

お世辞にも清潔とは言えないホテルの一室でヴィンターはモンローを待ち続ける。

音に敏感なヴィンターは街を出てあらゆる音を拾い集める。

後にモンローの作品に役立てればといったヴィンターなりの友情の証でもあった。

そしてヴィンター以外にモンローの帰りを待つマドレデウスという音楽を奏でるグループを知る。

 

グループの一人がヴィンターにモンローの制作している映画に使う楽曲を手掛けていると伝える。

彼らが奏でる音はヴィンターにとって強烈であった。

土着した音源は他の土地には存在しない美しい音でもあり、独特の哀愁が漂うのだ。

 

 

やや話が脱線するが、日本にも演歌以外に土着した音源が存在する。

あらゆる音源の中で個人的には民謡が日本を象徴する独特の音だと思う。

 

ヴィンターはモンローを待ち続けたが、帰る気配を感じない。

やがて意外な展開で再会をするのだが、助けを求めていたモンローは違う価値観を得て今までとは異なる手法で作品作りに没頭していたのだ。

 

この様子を冷静に視ていたヴィンターは友人の豹変ぶりに驚きを隠せなかった。

そこでヴィンターは辛辣な言葉を承知で友人を正す。

 

この先は本編を通して確認して頂きたい😀

 

 

冒頭でも説明したが、本来はこの作品は記録映画にとどまる所だった。

 

 

 

 

 

 

 

然し、そうしなかったヴィム・ヴェンダース監督は主人公の録音技師という設定を活かし、切り取った映像を基に音を有効に使いこなし、映画の在り方、または哲学を肉付けし、この作品が出来上がったのではないかと、勝手ながら思うボキ😀

 

何よりもポルトガルを代表するマドレデウスを起用し、土着した音と共に効果的に映像に盛り込んだ点も優れている♪

 

 

 

音楽に詳しい人であればご存じだろうが、ポルトガルの土着した音楽と言えばファドである。

然し、マドレデウスは安易にファドと決めつけてもらいたくないという事を音楽を通して表現しているそうだ。

お隣のスペインであれば、イコール・フラメンコと称するのと同様である。

以前にスペイン人に伺ったが、フラメンコはジプシーを表す音楽なので、現代に相応しくないといった若い世代が嫌っている。との事であった。

恐らくこういった事柄と似ているのだろう。

確かに、彼らの音楽には革新を思わせる音を表現していると感じ取った。

 

それにしてもヴィム・ヴェンダース監督は映画通の方でればご存知の通り、音すなわち音楽を作品の要として大事に扱う監督でもある。

この作品も例外ではなく、監督自らマドレデウスを起用したというエピソードもある。

 

こうして考えると、音により居心地の良さ、そうではない悪意のある音など、丸い地球を覆っているものだと痛感するよ…😩