今年に入ってから当別荘、鉄道"以外"の作が多くなっていますが、今作はほぼ鉄分オンリーです^
JR東がこの冬、閑散期対策として発売した新企画切符、"キュンパス"
名前自体なかなか尖ってますがw、内容スグレモノで、1万円でJR東全線一日乗り放題(※新幹線/特急含む)のほか、3セクのうち、幹線級路線(※いわて銀河鉄道/北越急行他)の一日フリーも付加。又、指定席券も2回まで無料という、鉄ちゃんならずともキュンとさせる(?)切符でした^
僕も使ってみる事にしました
↑券面に"キュンな出会いをお楽しみ下さい"と。付属のご案内用紙でなく、本券にこれを書くとは、JR東なかなかやってくれますw
なお、お得なだけあって制約もあり、販売はえきねっと(※JR東の予約サイト)専用、使用は平日のみ、14日前までの事前購入に限る等、やや厳しい条件付です。それでもバカ売れしたとの事(※今季は発売終了)
JR東のフリー切符でその効能を発揮させようとすれば、東北一択だと思います。キュンパスで乗り鉄しようとは決めたものの、厳冬の東北、迷いましたが、最終的に僕が買う判断をした"決め手"がありました。
それは~
前述のフリー乗車可の3セクに、三陸鉄道が含まれていた事
当別荘で何度も訪ねている三陸ですが、これまで全てツーリング作で、三陸鉄道にはまだ乗っていませんでした。
かねがね乗りたいと思っていたし、行ったのが3月上旬で震災の節目でもあるので、これを機に、三陸鉄道をメインとして"一筆書き乗り鉄"をしてきました。ではスタートします
朝の上野駅中央口、最近↑大きな電光板が設置されました。立体感ある画像も出せるようになっています
駅の指定券券売機で、予約したキュンパスと引換ます。特典も付いていて、駅レンタカー割引、駅コンビニ(NewDays)で使える15%割引クーポンも(※要NewDaysアプリ導入)
久々の東北新幹線です^
前回乗ったのは、2019年にupした函館シリーズでの"初北海道新幹線"以来で、コロナ後初です^
新幹線上野駅は地下ホーム。なんせ東海道と違って"枝分かれ"ぶりが凄いので、様々な行先の列車が次々入ってきて楽しい
これから乗るのは、8:46発・はやぶさ9号、新青森行です
今作では、乗った列車の時刻を↓明記し、時系列で移動の模様をお楽しみ頂きます(※意外と、当別荘で過去やってない書き方です^)
【☆第1走者 上野駅8:46発 東北新幹線 はやぶさ9号】
はやぶさは全車指定、静かに出発します
早くも1便目でキュンパスの"指定席無料特典"利用
八戸駅まで乗ります。
上野を出たはやぶさ号はほどなく地上へ、埼京線と並行します
この日、南岸低気圧により東京は朝から↑雪で、上野~八戸間ほぼ全て雪景色を見ながらという、珍光景となりました
定刻、大宮駅へ到着。そしてその次は、仙台まで停まりません。
このはやぶさ9号、函館入りしない新青森止ながら、途中停車駅は大宮、仙台、盛岡、八戸のみという東北新幹線最速列車です
大宮発車、栃木/福島両県オール通過で、雪景色の中疾走するはやぶさ9号
約1時間半でもう仙台、やっぱり新幹線は速い^
-*-*-
そして、上野から2時間40分、早くも・
11:26、はやぶさ9号は本州北端、青森・八戸駅到着
ここからは当別荘得意(?)の、ローカル線乗継です^
なお、八戸駅は並行在来線が3セク化されたため(※青い森鉄道)、新在連絡改札はありません。一旦改札外コンコースへ
コンコースには、何やら豪快な書が張られていました。
これは・
八戸のお国言葉、下に標準語訳と解説も付いていました
在来線改札を入り、ここからいよいよ、今作メインの"三陸縦断"に入ってゆきます
冒頭書きました三陸鉄道は久慈駅からで、八戸~久慈間はJR八戸線です。
【☆第2走者 八戸駅12:24発 JR八戸線普通 久慈行】
↑これから久慈まで乗る八戸線DC、JR東の新鋭車、キハE130系。同形式が久留里線や水郡線でも走っています(※2024現在)
↑八戸線路線図です(※車内掲示)
八戸~久慈駅間約65km、三陸海岸最北を辿る路線です
近年新製された車なので車内はピカピカ、首都圏の電車と同仕様の座席が並びます。快適ですが、旅の者の勝手な感想としては味気ないなぁとも
ホームが雪で山盛りになっている八戸駅を発車^
八戸から一旦、青森方へ少し走った後分岐、南下していきます
1駅目の長苗代駅はありがちなローカル駅ですが・
馬淵川を渡ると住宅が増え、高架線に
この高架線上に、本八戸駅があります。
地方のJR駅でよくあるパターンですが、主要駅と市街中心部が離れて位置する例で元々八戸の中心なのは、本八戸駅周辺です
本八戸駅を出ると、2014年のツーリング作で訪ねた↑蕪島が見えてきます。そしてこのあたりから、海岸沿いを走っていきます
なお八戸線、蕪島を過ぎたあたりの鮫駅までの区間運転車が多数あり、八戸~鮫間は毎時1本運行されています。八戸~久慈間を全線走り通す便は日9本です(※2024現在)
又、同じく2014年に訪ねた八戸の名所、種差海岸のそばも走るんですが、残念ながら車窓からは見えません
↑種差海岸駅到着。ここを始め、この日乗った沿線のツーリング作を、末尾にまとめてリンク貼っておきます^
種差海岸を過ぎると人家は減り、三陸海岸の波濤がますます近づいてきます
主要駅格の↑階上(はしかみ)駅までが青森県です。
久慈行の列車はさらに南下、県境を越えて岩手県へ
岩手に入ると、往路の新幹線では降ってなかったのに、吹雪いてきました。やはり東北の冬です
岩手県に入って最初の主要駅、種市駅(※九戸郡洋野町)
立派な駅舎や大きな待合室がホームから見えた種市駅。でも無人駅のようなので気になって後日調べると、昨年(2023)まで有人で、みどりの窓口まであったとの事。それがいきなり無人化とは、ここでも厳しいローカル線の現状を見せつけられた感です。
貨車を改造した駅舎の↑陸中夏井駅
八戸駅から約1時間40分、久々に大きな街が車窓に
JR八戸線終点/三陸鉄道接続駅・久慈駅に着きました
駅ホームは八戸駅以上の積雪、太平洋側の岩手にしては今年は雪が多いそうです
ここから先は、長年乗りたかった三陸鉄道へ乗継ます
(※以下、三鉄と略す場合あります)
乗換時間が7分と少々短いので、乗客一同急ぎ陸橋を渡って、三鉄乗場へ
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三陸鉄道のDC、日中は1両編成が大半との事ですが、この便は2両繋いでました。というのは↑の茶色い車、約40名の団体さんが乗るという事で増結されている、ちょっと豪華仕様の車です(※車内は後程)
2両目の↑一般車両も満員。この三鉄車は八戸線列車が着く前に乗車が始まっていて、既に満員状態になっていました。
最後尾の運転室横に立って撮影していく事にします
発車しました!
【☆第3走者 久慈駅14:16発 三陸鉄道リアス線 宮古行】
久慈駅を離れてゆきます。
↑少し小さいですが、JR側のホームに停まっている白いDCは、八戸線で活躍する団体用車両、"TOHOKU EMOTION"です
三陸にはツーリング作で過去度々訪れていますが、バイクだったので冬はどうしても東北へは足が遠のき、その上僕は夏より冬のほうが苦手なので、どうしても冬の旅は南へ向かう傾向が大きく(汗)、雪景色オンリーの作というのは久々です
ここで、三鉄の概要を纏めておきます
三鉄は久慈~盛(さかり)駅間、約163kmの『リアス線』を運営する第3セクターです。3セクとしては全国有数の長距離路線で、リアス式海岸が連なる太平洋岸沿いを走っています
三鉄の特徴として、旧国鉄から継承した区間と三鉄になってから新規敷設した区間が入交り、↑長い1本の線区となっています。その歴史は区間毎に異なり、複雑な経過を辿っています
区間別の出自は↓下記の通りです。
北から順に、
▽久慈~普代間(※旧久慈線)
▽普代~田老間(※新規に敷設)
▽田老~宮古間(※旧宮古線)
▽宮古~釜石間(※旧山田線)
▽釜石~吉浜間(※新規に敷設)
▽吉浜~盛間(※旧盛線) です。
国鉄時代から三陸を一本の鉄路で結ぶ計画はあり、旧鉄建公団が途中まで建設していました。しかし国鉄破綻のため工事は中止。
国鉄解体後、3セクによるプロジェクトが動き出し、1984(昭和59)年、普代~田老間&吉浜~釜石間の開通によって上記全線が一本に繋がり、三陸鉄道㈱がスタートしました
(※上記のうち、旧山田線部分が三鉄に編入されたのは後年になってからです。後述します)
鉄路貫通の夢が実現した三陸でしたが、ご存じの通り2011年に東日本大震災が発生、三陸に大津波が襲います。
三鉄も甚大な被害をうけ全線で運休。
徐々に復旧区間を延ばし、2014年全線再開を果たしました(※旧山田線部分については経過が異なるので後述)
2019年に旧山田線部分をJR東から引継ぎ、文字通り三鉄でリアス式海岸を一本の路線で貫く形となりました。
三鉄転換後は新駅も多数開業、三陸復興のシンボル的存在として走っています
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三鉄車内に戻ります。
久慈駅を出て、久慈~普代間の旧久慈線を走行中です
久慈~普代間には途中6駅、国鉄時代からの駅は大半が離合可能で、三鉄になってから新設された駅は無し、という感じでした。
途中、安家川橋梁を渡る地点は海が見えるビューポイントで、列車を橋上で一時停車して撮影タイムをとってくれます。定期列車でこういうサービスをするというのが、JRにはなかなか出来ない芸当です^
又、三鉄で特筆したいのが、全駅に副駅名が付いている事
堀内駅は↑"義経の祈り"等、当地の史実や名所に基づく美しい響きの副名が付き、しかも観光地最寄や主要駅だけでなく、地域の人しか乗らないような住宅地の駅も含め全駅に付けられています。これ考えた三鉄は素晴らしいと思います^
あと、三鉄の駅には、国鉄時代に全国で見かけた↑行灯式の縦型駅名標がよく残っています。東北のものはサイズが大き目なのも特徴で、雪の中や夜間通過する列車からも見やすい造りです
海沿いとはいえ、リアス式の入り組んだ地形のため、トンネルも頻繁にくぐります
なぜか、新設駅は↑トンネル坑口にくっついて位置する場合が散見され、2両編成の場合ホーム長が足りず、一部トンネル内に停車する事もあります(※ワンマン運転でドアは最前部しか開けないため、2両目にホーム無くてもOK)
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久慈以来の大きめな街が見えてきました
普代駅に到着
前述の通り、ここから先、田老までは三鉄によって開通した区間です。
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普代で、1両目の団体さんが降りたとの事で、"プチ豪華車"を見にいきます
お~
なかなかシックな雰囲気です。
団体さんが降りると、2両目の一般乗客が素早く乗り移る光景も
普代の次は↑田野畑駅です。
副駅名は『カンパネルラ』、宮沢賢治の"銀河鉄道の夜"に出てくる登場人物からです。繰り返しですが三鉄の副駅名、とにかく全駅センスが良くて響きが美しいんです^
当別荘で滅多にない雪景色の鉄ちゃん、キュンパスのおかげで行く機会を得ました
少し大き目な街へ入ります。
ここは・
↑岩泉小本駅です。
岩泉といえば龍泉洞、当別荘では2017年のツーリング作で訪ねましたが、旧JR岩泉線廃止後、"小本駅"だった当駅名が改称され、岩泉を冠した名になりました。副駅名は"泉湧く岩"です
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久慈駅から約1時間半、宮古駅に着きました
盛岡方面へのJR山田線と接続します。八戸駅から既に3時間以上経っています
第3ランナー、ここで終点です
次は釜石行に乗継ぎますが、30分程時間あるので、上野以来初めて改札外に出ます^
↑宮古駅舎です
1934(昭和9)年、鉄道省開業時の歴史ある駅舎で、現在はJRと三鉄で共同使用しています。
久々に駅外に出られて、空気がおいしい^
↑駅前から、三陸海岸きっての名勝・浄土ヶ浜へのバスが出ています(※2013年のツーリング作で訪ねました)
駅の隣は、三鉄の本社(※↑右側のクリーム色の建物)
左側の新しげな四角い建物は、線路反対側にある宮古市役所との連絡跨線橋です
本社には、↑開業40周年感謝の横断幕
そして、本社の前には↑小さな公園。
そこには・
鉄道に関係するモニュメントがいくつか。
↑は山田線で走っていたSLの車輪ですが、このSLには悲しい話が秘められていて、山田線で1944(昭和19)年に起きた脱線転覆事故の蒸機の動輪です。機関士は重傷を負ったにも拘らず、助士に「自分には構わず、最寄り駅へ事故を知らせに走るよう」指示。救援隊と共に現場に戻った時には、その機関士さんは既に亡くなられていたといういたましい史実が碑に刻まれています。
ほかにも、↑山田線開業記念碑や三鉄開業記念碑もあり、ミニ鉄道広場となっています。
その横には、三鉄グッズを売る↑"さんてつや"も。僕と同じく乗継ぎ待ち中のキュンパス使いや18キッパーで賑わっていました
時間がきました、改札口から再び駅内へ
【☆第4走者 宮古駅16:13発 三陸鉄道(※旧山田線区間) 釜石行】
↑宮古発釜石行、今度の列車は1両編成です
三鉄のDC、一般車にも↑造り付けのテーブルがあり、楽しみながら乗車してほしいとの心遣いを感じます
宮古駅には↑JR車の留置線も(※山田線用)
ここで、少し複雑な"山田線"について、経過を整理しておきます
三陸鉄道は、前述の通り1984年、旧国鉄4線を一括して引受けて発足しましたが、山田線部分は既に盛岡~釜石間全線がJRへ転換済みだったので、三鉄は山田線を挟む形で、南北に分れてスタートしました
JR時代にも三鉄との直通列車も走らせる等、連携はしていましたが、2011年の大震災が同線の運命を大きく変化させます。
三鉄区間は前述の通り2014年までに再開しましたが、山田線の沿岸区間は津波の被害甚大で復旧の見通しが立たず、JRと沿線自治体の間で協議が重ねられましたが、BRT化を提案するJR側に対し、自治体は鉄路による復旧を強く要望、なかなか話が嚙み合いませんでした。
粘り強い協議の結果、JRが不通区間の復旧工事をした上、三鉄に運営を移管する事で合意。
2019年ついに復旧完成、現在の形となりました。
怪我の功名といえば語弊ありますが、これによって三鉄が1本に繋がって三陸海岸の鉄路は全て三鉄路線となり、いわば"スッキリした形"にはなった格好です
↑三鉄へ転換時に新設された払川駅。宮古市の南端近くにあたり、副駅名は復興への思いを込めて、"新たな希望"
雪景色の中、安定した走りの三鉄、まさに三陸の新たな希望を乗せて走っています
宮古から約40分、少し大き目な街へ入ります。
陸中山田駅です。↑駅名標の枠がJRのものと同じ大きさなので、たぶん再利用したと思われます
この駅が、旧"山田線"の線名由来ですが、沿岸区間が三鉄に転換され、JR山田線は宮古~盛岡間だけになったため、"山田を通らない山田線"になっています。
陸中山田を出てしばらくすると、2013年の三陸復興ツーリングで立ち寄った吉里吉里駅へ
時刻は17時を過ぎ、次第に日が暮れてきました
17:22、↑鵜住居駅。釜石市に入っています。
同駅の副駅名は"トライステーション"、駅近くに大きなスタジアムがあり、新日鉄釜石のチーム・シーウェイブス釜石を中心に『ラグビーの街』でもあります
そして、久慈駅から三鉄で約3時間半、夕闇迫る釜石の街へ入りました
17:37、釜石駅へ着きました
ここで、JR釜石線に乗換えます。
三鉄は、先程ご覧頂いた路線図通り、さらに盛駅まで続いています。
釜石~盛間は残念ながら今回未乗車になってしまいましたが、又再訪を期したいと思います。頑張れ!三鉄^
釜石駅は、三鉄/JR共用です。↑向かい側にJR車、盛岡行が待っています。
【☆第5走者 釜石駅17:44発 JR釜石線 盛岡行】
八戸線以来のJR車です。この便で途中の新花巻駅で降り、東北新幹線に乗り換えるという段取りです
朝上野を出てからここまで、雪の中全く遅れなしでここまで来ています。そして・
釜石駅を定時発車。
しかし、Woの旅には常に付きものの"番狂わせ"が、最後の最後でついに発生しました
釜石の隣駅、↑小佐野駅(※離合可能)に停まった列車、発車時間が来てもピタッと停止したまま動きません。
やがて、乗務員さんからアナウンスが
「当駅で行き違いする対向列車が、途中で鹿と衝突したため、発車を見合わせております」
新花巻駅で予定している乗継の新幹線、元々乗換時間が8分しかなく、しかも釜石線と新幹線の駅は200m程離れていて、難儀な事になってきました
幸い、シカと衝突した対向車は運転を再開、約10分遅れで離合していきました。当然、僕の列車も10分遅れで発車。
この後・
釜石線で一番の主要駅、↑遠野駅で元々あった停車時間4分をつぶして即出たので、遅れは6分に短縮。しかし前述の通り、新花巻駅は両線ホームが離れているため、乗換は絶望的な状況です。
あとは運命に任せるのみですw
↑新花巻駅に到着。暗闇の駅前広場に放り出される。
さてどうしようと思ったその時・
普段無人のはずの釜石線ホームに駅員さん。
そして、驚きの案内が!
「新幹線の接続待ち手配をしております。新幹線駅へお急ぎ下さい!」
これには驚きました。新幹線でそんな事可能なの?
僕を含め、キュンパス客とみられる10人余が慌てて新幹線駅へ
そして、エスカレーターでホームへ・
ホームへ上がると同時に、乗る予定の新幹線が滑り込んできました!
まさかの、乗継成功です
【第6走者 新花巻駅19:52発 やまびこ72号 東京行】
いやはや、ラストに思わぬイベントまで発生したwキュンパス行でした
このまま上野まで乗れば帰京も出来るんですが、せっかく東北まで来たので、仙台で泊まっていく事にします
20:53、仙台駅到着。
三陸鉄道を中心に据えた"キュンパス旅"がおわりました。
こんな時間なのに↑東京へ大人数の乗客がドドッと乗り込む姿に、新幹線の力強い需要を感じます
おなじみ、仙台駅の夜景です
この冬、キュンパスで多くの人がいろんな経路で旅を楽しんだと思います。僕は今作ご覧の通り、三陸鉄道を中心として、いわば『P型』にグルっと廻った形になりました。もし来年も発売されたら、別ルートに挑戦したいと思います。では、杜の都で一夜を過ごします^
☆今作の沿線 過去作リンク
vol.99 東北復興ツーリング① 岩手 宮沢賢治の里を訪ねる 花巻~遠野~釜石 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※遠野市、釜石市他)
vol.147 三陸縦断~青森大ツーリング② “極楽の浜”~リアス海岸を北上、そして謎の遺跡へ | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※浄土ヶ浜、田老他)
vol.176 東北”穴うめ”ツーリング ② 八幡平~八戸・種差海岸他~下北半島へ | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※種差海岸、蕪島他)
vol.261 東北にまだ”穴”があった! 岩手 岩泉・龍泉洞ツーリング (旧岩泉線跡探訪付) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※龍泉洞、旧岩泉駅他)