東日本大震災から半年が過ぎました。東北からは、復興の便りも聞かれる反面、心の復興は全く進んでいないという声も聞こえます。
インフラの復旧はようやく緒についてきた感もあり、道路に関しては、東北全域でほぼ全て復旧しているとの事ですので、今後のツーリングは当分、東北を中心に走りたいと思います。僕が実際見て感じたままの東北をご覧頂こうと思っております
今作より、他作に挟みながら"跨ぎシリーズ"として、"東北復興ツーリング"シリーズを、長期に亘って企画していきます。
"跨ぎシリーズ"といえば、昨年11月から"日本海縦断ツーリング"を始め、第1回をup(※新潟→秋田県境 vol.81)しましたが、第2回がまだなので(汗)、こちらの促進も併せ、太平洋側/日本海側の両方から、東北を縦横に走っていけたらと思っています
第1回の今作は、岩手県・花巻から遠野→釜石へ走ってきました。ではスタートです
(※東北の現状を伝えるため、被災状況の写真が出てきます。ご了承下さるようお願いします)
7~8月ご覧頂いた北海道大ツーリング、その時北上した東北道を再び走り、岩手県・花巻へ
花巻JCTから釜石道へ分岐し、花巻空港ICで降ります
IC名の通り、降りるとすぐに花巻空港があります。
この空港、僕初めてなので少し寄り道^
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花巻といえばご存知、宮沢賢治の里という事で、これからゆかりの地を訪ねたいと思います。
↑当地の道路標識には、各名所への案内がかなり詳細に
まずは、宮沢賢治記念館を訪ねます。
郵便屋さん↑バイクの右側から、坂を登った丘の上に記念館があります
坂を登ると、駐車場
駐車場の片隅にあるレストランの名は、"注文の多い料理店"
館内各所に、賢治にちなんだ名が付けられています
門の中へ
記念館周囲の森は、"童話の森"として、遊歩道もつくられています
↑のモニュメント、"よだかの星"からでしょうか
案内板は、↑昔の鉄道で見られた腕木式信号機風です。
入館前から既に、賢治童話の世界に引き込まれていきます
玄関にはロビーとミュージアムショップがありますが、館内は残念ながら撮影禁止のためご覧頂けません
"宮沢賢治といえば童話作家"というイメージですが、同館では、それだけでない賢治のいろんな面を紹介していました。ここで、同館の内部と賢治の生涯を簡単に纏めておきます
宮沢賢治(1896-1933)
少年期の頃から熱心な仏教信仰を持っていた賢治、経典を書き写して友人に贈るほどだったそうです。
20代の頃は農学校で教鞭をとる一方、創作活動も始めましたが、彼の作品はどちらかといえば没後に評価が高まったともいえます。
代表作『雨ニモマケズ』は、賢治没後に発見されたメモから出版されました
晩年は地元の砕石会社の技師兼セールスマンとして東奔西走する日々もあったとの事ですが、1933年、37才の若さでこの世を去りました。
賢治は頭脳聡明だったためか、音楽やエスペラント語等、様々な分野に関心を示す一方、新しい農村文化の姿を求めて『羅須地人協会』を設立する等、実学、実業、地域振興に至るまで多岐にわたる才能を、短い生涯に花開かせた偉人だったという事を、僕は同館で知って感銘をうけました
記念館ではそんな賢治の生涯を詳細に紹介、勿論彼の著作についても詳細に解説していました。童話の世界だけでない"人間・宮沢賢治"の生きざまに、見学者は感動する事と思います
記念館のベランダからは、↑賢治の愛した花巻の街が一望に見渡せます
これから、賢治がこよなく愛した郷里の風景の一つ、"イギリス海岸"を訪ねてみます。内陸の花巻で"海岸"とは?
イギリス海岸は、↑北上川の川沿いにあります
花巻市内を流れる北上川、この辺りに泥岩層が露出し、それが乾いて白くなった様子が『イギリスのドーバー海峡と似ている』と思った賢治が命名したそうです
しかしこの日、北上川は・
先日来の長雨で水量が増し・
残念ながら、"乾いた泥岩層"どころか、↑河原が全て水没してしまっていて全く見られませんでした
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次にWo号、賢治記念館のところで名が出た『羅須地人協会』へ向かいます
"羅須地人協会って今もあるの?"という話ですが、協会の集会にも使われた宮沢家別宅が保存されています。
↑花巻空港の滑走路近くに、かつて賢治も教壇に立った、花巻農業高校があります。
同高校の敷地内に、羅須地人協会ゆかりの家屋が残されています
花巻農高内の一角に、↑羅須地人協会の門柱が
日中は一般見学できます。
緑がきれいな中庭の中に、↑一軒の木造家屋があります。
↑が、宮沢家別宅です
それにしてもなぜ、かつて賢治が教鞭をとっていた学校内に、民家が保存されているのか?ですが・
賢治没後、この家屋は人手に渡ったとの事なんですが、譲渡をうけた人が現在地に移築。さらにその場所に後年、母校が移転する事になり、そこに賢治の家があったという、奇跡にも近い経過となったんです
構内にあった由来の案内板にも、"なんという不思議なめぐり合わせでしょう"と書かれていましたが、ホント奇跡だと思います
内部を見学します^
入口にある↑は『下ノ畑二居リマス 賢治』
これ、実際にチョークで書いてあり、賢治の弟さんが書いたものを、上から時々なぞって保全しているそうです
元々この旧宅、賢治の祖父の隠居所として建てられ、後に妹さんが病に伏した際の療養所にも用いられたとの事。別宅なのでややコンパクトなサイズです。
↑母校の片隅に佇む賢治の像。
わずか37才の生涯で、これだけ人々の記憶に生き続ける賢治、まさに"偉人"と呼んで過言でないと思います
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賢治の花巻をあとにします。
次は・
釜石自動車道の終点(※2011現在)、東和ICで降ります
ここから、一般道でさらに東へ
国道283号を走り、遠野市へ入ります
花巻市から東へ約40km、岩手県中部の街です。
↑"人工竜巻発電所"なる、謎の看板
そこからしばらく走ると・
↑、古いアーチ橋が見えてきました。
この橋は~
↑JR釜石線の宮守川橋梁です。
その形の通り、通称"めがね橋"と呼ばれています
1915(大正4)年、釜石線開通とともに竣工し、戦前建設の美しい5連アーチ橋は貴重だとされ、2002年に土木遺産、2009年に近代化産業遺産に指定されています
ロマンも感じるアーチ橋の曲線、当時宮沢賢治も注目し、『銀河鉄道の夜』のモチーフにも使われたとの事。
実際に見ても、緑の中に溶け込む橋の姿は、童話の挿絵に出てきそうな雰囲気でした
ここは↑"恋人の聖地"にも指定されているとの事。近年地方へ行くとこういうの多いですがw
めがね橋の近くに、↑『道の駅みやもり』があります。
休憩します
立派な煉瓦造りです
駅近くにも↑古街が残る一角もあり、落ち着いた静かな街です
遠野は旧市街地もいいんですが、郊外にも名所が沢山あります。
遠野の道路も、花巻同様↑案内標識が充実していて、地図なしでも目的地へ行けます
郊外には、当地の代表的な古民家、↑"南部曲り家"を保存している『伝承園』等もあるんですが、時間の関係で割愛
次は、遠野物語でも有名な、"河童"にちなんだ場所を訪ねてみます
伝承園の向かい側に↑『カッパ淵・常堅寺』の案内板。
どんな所なのか、行ってみます
寺に向かう道にあった↑ホップ畑
Wo号を停め、コスモス揺れるあぜ道を歩くと~
"カッパ寺"とも呼ばれる、↑常堅寺があります(※曹洞宗)
ひなびているものの、重厚な山門です
境内の片隅に、↑カッパ淵への小さな看板
そこへむかって歩くと~
本堂に隣接、↑木が生い茂る向こう側に、小川が流れています
↑林の中に流れるのは、蓮池川
↑が、"カッパ淵"と呼ばれる所です
遠野といえば、遠野物語のカッパを連想しますが、↑がまさにその"本場"ですw
この川淵で、カッパが出没していたとかいないとか・
↑地元のNGOが発行する"捕獲許可証"があれば、『カッパ捕獲にチャレンジ』(!)できるそうですが、どうやって捕るんだろう(謎)
カッパ淵見学を終え、Wo号に戻ります
↑サイクリングロードの看板にもカッパ
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遠野見学を終え、さらに東、三陸海岸の釜石市へ走ります
国道バイパスに戻ると、↑釜石41kmの文字。
夕方近くになってきましたが、なんとか日没までに釜石を目指します
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遠野市からWo号で約1時間、↑JR釜石駅に着きました
同駅は、釜石線/山田線/三陸鉄道の3線が接続する三陸の要衝です。現状(※2011秋)では、盛岡からの釜石線は開通していますが、宮古方面の山田線と三陸鉄道は、未だ不通のままです。
(※この後、市街地へ入りますが、震災被害の写真を掲載しています。ご了承の上ご覧下さい)
市街地に入ると、未だ信号が消えたままになっている一角がありました。港に近い繁華街だったところです。
道路標識も損壊したので、↑仮の『横断歩道あり』ポールが設置されていました。
半年経っても廃墟のままの、旧市街の目抜き通りです。
↑釜石港に出てみました。
港は地震で地盤沈下しているようで、海水が埠頭の上にまで上がってきていました。
この近くには、港めぐりの観光船乗り場があったはずですが、乗り場の位置も確認できませんでした。
起源は有史以前にまで遡るともいわれる、製鉄の街・釜石、↑駅の向かい側に見えるのは新日鉄の工場で、平常通り操業していました。
駅前の道路は、前述の通り三陸海岸沿いの鉄道が全て不通のため、↑通勤の車で渋滞しています。
釜石は、僕が現地で見た限り普段の生活を取り戻しつつあるようでしたが、被害が甚大だった所(※特に海岸部や鉄道)は、手の付けようがなく取り残されている、という印象でした。
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帰り道、すっかり日が暮れた国道238号、先程往路に通った『めがね橋』、↑見事にライトアップされ、幻想的な美しさでした
元々夜は真っ暗になる山間部なので、ライトアップ効果は抜群です
以上、東北復興ツーリングシリーズ、第1回はここまでとします。
今後、来年以降も継続して、報道では映さない東北の姿をWo流にご覧頂こうと思っています
(※2022.5 2024.2 文一部修正)