vol.99 東北復興ツーリング① 岩手 宮沢賢治の里を訪ねる 花巻~遠野~釜石 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 東日本大震災から半年が過ぎました。東北からは、復興の便りも聞かれる反面、心の復興は全く進んでいないという声も聞こえます。

 

インフラの復旧はようやく緒についてきた感もあり、道路に関しては、東北全域でほぼ全て復旧しているとの事ですので、今後のツーリングは当分、東北を中心に走りたいと思います。僕が実際見て感じたままの東北をご覧頂こうと思っております虹

 

今作より、他作に挟みながら"跨ぎシリーズ"として、"東北復興ツーリング"シリーズを、長期に亘って企画していきます。

 

"跨ぎシリーズ"といえば、昨年11月から"日本海縦断ツーリング"を始め、第1回をup(※新潟→秋田県境 vol.81)しましたが、第2回がまだなので(汗)、こちらの促進も併せ、太平洋側/日本海側の両方から、東北を縦横に走っていけたらと思っています馬

 

第1回の今作は、岩手県・花巻から遠野→釜石へ走ってきました。ではスタートですにひひ

(※東北の現状を伝えるため、被災状況の写真が出てきます。ご了承下さるようお願いします)

 

 


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7~8月ご覧頂いた北海道大ツーリング、その時北上した東北道を再び走り、岩手県・花巻へ黄色い花

花巻JCTから釜石道へ分岐し、花巻空港ICで降りますリサイクル
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IC名の通り、降りるとすぐに花巻空港があります。

この空港、僕初めてなので少し寄り道^飛行機

 

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花巻といえばご存知、宮沢賢治の里という事で、これからゆかりの地を訪ねたいと思います。

↑当地の道路標識には、各名所への案内がかなり詳細に目
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まずは、宮沢賢治記念館を訪ねます。

郵便屋さん↑バイクの右側から、坂を登った丘の上に記念館がありますポスト
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坂を登ると、駐車場車

駐車場の片隅にあるレストランの名は、"注文の多い料理店"ナイフとフォーク

館内各所に、賢治にちなんだ名が付けられていますグッド!
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門の中へ男の子
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記念館周囲の森は、"童話の森"として、遊歩道もつくられています霧
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↑のモニュメント、"よだかの星"からでしょうか星
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案内板は、↑昔の鉄道で見られた腕木式信号機風です。

"銀河鉄道の夜"からです星空
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記念館玄関の前には、↑猫の事務所ネコ

入館前から既に、賢治童話の世界に引き込まれていきますお月様


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↑玄関を入ったところドア

玄関にはロビーとミュージアムショップがありますが、館内は残念ながら撮影禁止のためご覧頂けませんあせる

"宮沢賢治といえば童話作家"というイメージですが、同館では、それだけでない賢治のいろんな面を紹介していました。ここで、同館の内部と賢治の生涯を簡単に纏めておきますメモ

 

宮沢賢治(1896-1933)

少年期の頃から熱心な仏教信仰を持っていた賢治、経典を書き写して友人に贈るほどだったそうです。

20代の頃は農学校で教鞭をとる一方、創作活動も始めましたが、彼の作品はどちらかといえば没後に評価が高まったともいえます。

代表作『雨ニモマケズ』は、賢治没後に発見されたメモから出版されました本

晩年は地元の砕石会社の技師兼セールスマンとして東奔西走する日々もあったとの事ですが、1933年、37才の若さでこの世を去りました。

 

賢治は頭脳聡明だったためか、音楽やエスペラント語等、様々な分野に関心を示す一方、新しい農村文化の姿を求めて『羅須地人協会』を設立する等、実学、実業、地域振興に至るまで多岐にわたる才能を、短い生涯に花開かせた偉人だったという事を、僕は同館で知って感銘をうけましたキラキラ

 

記念館ではそんな賢治の生涯を詳細に紹介、勿論彼の著作についても詳細に解説していました。童話の世界だけでない"人間・宮沢賢治"の生きざまに、見学者は感動する事と思います虹


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記念館のベランダからは、↑賢治の愛した花巻の街が一望に見渡せます目

 

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記念館を出て、花巻市郊外を走りますDASH!

これから、賢治がこよなく愛した郷里の風景の一つ、"イギリス海岸"を訪ねてみます。内陸の花巻で"海岸"とは?宇宙人


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その"海岸"があるのは・
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イギリス海岸は、↑北上川の川沿いにありますヒツジ
花巻市内を流れる北上川、この辺りに泥岩層が露出し、それが乾いて白くなった様子が『イギリスのドーバー海峡と似ている』と思った賢治が命名したそうです波
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しかしこの日、北上川は・
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先日来の長雨で水量が増し・カエル
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残念ながら、"乾いた泥岩層"どころか、↑河原が全て水没してしまっていて全く見られませんでしたあせる

 

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次にWo号、賢治記念館のところで名が出た『羅須地人協会』へ向かいますDASH!

"羅須地人協会って今もあるの?"という話ですが、協会の集会にも使われた宮沢家別宅が保存されています。
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↑花巻空港の滑走路近くに、かつて賢治も教壇に立った、花巻農業高校があります。

同高校の敷地内に、羅須地人協会ゆかりの家屋が残されています家
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花巻農高内の一角に、↑羅須地人協会の門柱がカメ

日中は一般見学できます。
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緑がきれいな中庭の中に、↑一軒の木造家屋があります。
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↑が、宮沢家別宅ですキラキラ

それにしてもなぜ、かつて賢治が教鞭をとっていた学校内に、民家が保存されているのか?ですが・

 

賢治没後、この家屋は人手に渡ったとの事なんですが、譲渡をうけた人が現在地に移築。さらにその場所に後年、母校が移転する事になり、そこに賢治の家があったという、奇跡にも近い経過となったんですひらめき電球

構内にあった由来の案内板にも、"なんという不思議なめぐり合わせでしょう"と書かれていましたが、ホント奇跡だと思いますグッド!
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内部を見学します^目
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入口にある↑は『下ノ畑二居リマス 賢治』

これ、実際にチョークで書いてあり、賢治の弟さんが書いたものを、上から時々なぞって保全しているそうですメモ
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元々この旧宅、賢治の祖父の隠居所として建てられ、後に妹さんが病に伏した際の療養所にも用いられたとの事。別宅なのでややコンパクトなサイズです。
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↑母校の片隅に佇む賢治の像。

わずか37才の生涯で、これだけ人々の記憶に生き続ける賢治、まさに"偉人"と呼んで過言でないと思います星

 

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賢治の花巻をあとにします。

次は・DASH!
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釜石自動車道の終点(※2011現在)、東和ICで降ります右下矢印

ここから、一般道でさらに東へかたつむり
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国道283号を走り、遠野市へ入りますてんとうむし

花巻市から東へ約40km、岩手県中部の街です。
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↑"人工竜巻発電所"なる、謎の看板ひらめき電球

そこからしばらく走ると・
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↑、古いアーチ橋が見えてきました。

この橋は~


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JR釜石線の宮守川橋梁です。

その形の通り、通称"めがね橋"と呼ばれていますメガネ

1915(大正4)年、釜石線開通とともに竣工し、戦前建設の美しい5連アーチ橋は貴重だとされ、2002年に土木遺産、2009年に近代化産業遺産に指定されています星

 

ロマンも感じるアーチ橋の曲線、当時宮沢賢治も注目し、『銀河鉄道の夜』のモチーフにも使われたとの事。

実際に見ても、緑の中に溶け込む橋の姿は、童話の挿絵に出てきそうな雰囲気でしたクローバー

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ここは↑"恋人の聖地"にも指定されているとの事。近年地方へ行くとこういうの多いですがw恋の矢
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めがね橋の近くに、↑『道の駅みやもり』があります。

休憩しますコーヒー

 

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道の駅からさらにしばらく走ると、古い街並にかたつむり

遠野市街へ入りましたチューリップ黄
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JR遠野駅

立派な煉瓦造りです電車
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駅近くにも↑古街が残る一角もあり、落ち着いた静かな街ですあじさい
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遠野は旧市街地もいいんですが、郊外にも名所が沢山あります。

次は郊外へDASH!
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遠野の道路も、花巻同様↑案内標識が充実していて、地図なしでも目的地へ行けますグッド!
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郊外には、当地の代表的な古民家、↑"南部曲り家"を保存している『伝承園』等もあるんですが、時間の関係で割愛あせる

次は、遠野物語でも有名な、"河童"にちなんだ場所を訪ねてみます走る人
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伝承園の向かい側に↑『カッパ淵・常堅寺』の案内板。

どんな所なのか、行ってみますヒツジ
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寺に向かう道にあった↑ホップ畑ハチ

遠野市は、ビールの原料であるホップの生産地ですビール
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Wo号を停め、コスモス揺れるあぜ道を歩くと~コスモス
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"カッパ寺"とも呼ばれる、↑常堅寺があります(※曹洞宗)

ひなびているものの、重厚な山門ですキラキラ
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境内の片隅に、↑カッパ淵への小さな看板ひらめき電球

そこへむかって歩くと~
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本堂に隣接、↑木が生い茂る向こう側に、小川が流れています宇宙人
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↑林の中に流れるのは、蓮池川とかげ
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↑が、"カッパ淵"と呼ばれる所です男の子
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遠野といえば、遠野物語のカッパを連想しますが、↑がまさにその"本場"ですw

この川淵で、カッパが出没していたとかいないとか・
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↑地元のNGOが発行する"捕獲許可証"があれば、『カッパ捕獲にチャレンジ』(!)できるそうですが、どうやって捕るんだろう(謎)
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カッパ淵見学を終え、Wo号に戻りますリサイクル

↑サイクリングロードの看板にもカッパ自転車

 

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遠野見学を終え、さらに東、三陸海岸の釜石市へ走ります馬

国道バイパスに戻ると、↑釜石41kmの文字。

夕方近くになってきましたが、なんとか日没までに釜石を目指しますウサギ

 

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遠野市からWo号で約1時間、↑JR釜石駅に着きました黄色い花

 

同駅は、釜石線/山田線/三陸鉄道の3線が接続する三陸の要衝です。現状(※2011秋)では、盛岡からの釜石線は開通していますが、宮古方面の山田線と三陸鉄道は、未だ不通のままです。

 

(※この後、市街地へ入りますが、震災被害の写真を掲載しています。ご了承の上ご覧下さい)
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市街地に入ると、未だ信号が消えたままになっている一角がありました。港に近い繁華街だったところです。

道路標識も損壊したので、↑仮の『横断歩道あり』ポールが設置されていました。
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半年経っても廃墟のままの、旧市街の目抜き通りです。
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↑釜石港に出てみました。

港は地震で地盤沈下しているようで、海水が埠頭の上にまで上がってきていました。

この近くには、港めぐりの観光船乗り場があったはずですが、乗り場の位置も確認できませんでした。


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釜石駅に戻りました。

起源は有史以前にまで遡るともいわれる、製鉄の街・釜石、↑駅の向かい側に見えるのは新日鉄の工場で、平常通り操業していました。

駅前の道路は、前述の通り三陸海岸沿いの鉄道が全て不通のため、↑通勤の車で渋滞しています。

 

釜石は、僕が現地で見た限り普段の生活を取り戻しつつあるようでしたが、被害が甚大だった所(※特に海岸部や鉄道)は、手の付けようがなく取り残されている、という印象でした。

 

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帰り道、すっかり日が暮れた国道238号、先程往路に通った『めがね橋』、↑見事にライトアップされ、幻想的な美しさでしたキラキラ

元々夜は真っ暗になる山間部なので、ライトアップ効果は抜群ですひらめき電球

 

以上、東北復興ツーリングシリーズ、第1回はここまでとします。

 

今後、来年以降も継続して、報道では映さない東北の姿をWo流にご覧頂こうと思っていますグッド!
 

 

 

 

 

 

(※2022.5 2024.2 文一部修正)