本年元日早々、能登半島を中心に北陸地方が大きな被害をうけた地震、3ヵ月程経ちましたが、復興へまだ途半ばです。
当別荘では今月から本年いっぱい、北陸を中心に訪れていき、"跨ぎシリーズ"として『2024北陸応援』の作をupしていきます。各地の現状、北陸の隠れた魅力を少しでも伝えられたらと思っています
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一方、今春の北陸は、大いなる飛躍の時も迎えました。
去る3/16に北陸新幹線・金沢~敦賀間が延伸開業し、特に福井県では長年の悲願が実現、祝賀ムードです
これに伴い、JR北陸本線の並行区間は3セク化され、大阪/名古屋から金沢駅への特急乗入は廃止となりました。今作ではこれを主題とし、敦賀~金沢間で"3セク転換寸前の北陸線"に乗ってきました。併せて、金沢市周辺では最も大きな地震被害が発生した、内灘町を少し歩いてきました。では、"ラスト北陸線"の姿をご覧頂きます
2024北陸シリーズ第1回、スタートします
今作は北陸本線の起終点、今も昔も鉄道の要衝・米原駅から始めます(※滋賀県米原市)
新幹線と東海道線の乗換駅でもあり、↑北陸特急『しらさぎ』の発着駅、そしてJR西/東海の区界でもある、文字通り日本有数の主要駅、米原駅です
僕はこの日18切符だったので、これから各停で金沢まで行くんですが、ちょうどホームにしらさぎ号も入ってきました
↑丸っぽい流線形がかわいい681/683系。大阪~北陸のサンダーバード号でもおなじみの特急車です
しかし、しらさぎ/サンダーバード共、新幹線開業後は敦賀までに短縮されます。↑の"金沢行"方向幕も見納めです
かつて米原~直江津、さらに新潟まで結んでいた日本海側の動脈・北陸本線は、新幹線開業に伴う3セク化で次々と短縮を重ね、今年3月からJR直営としては米原~敦賀間、わずか50km間の"本線"になってしまいます
余談ですが、新幹線開業に伴う改正により、しらさぎ号に"始発の次は終着駅"という短距離特急が誕生しました。米原~敦賀間(約50km)運転の一部しらさぎが、途中ノンストップで爆走します^
僕は18切符なので、しらさぎ号の向い側に停っている↑近江塩津行に乗ります。大阪方面から12両の新快速で到着、米原で8両切り離し、前部4両だけが身軽に近江塩津まで走ります
米原駅を出ました
北陸線は東京方へ出た後、↑東海車と西の車が仲良く並ぶ留置線の横から~
↑東海道上り線の下をくぐり、北へ進路を向け、北陸路へ入っていきます^
北陸線に入ると、車窓を見えるのは↑雪を頂いた伊吹山(※標高1377m)
2020年upのツーリング作で、頂上まで登りました(※末尾にリンク)
滋賀/岐阜県境に聳えますが、滋賀県側と岐阜県側からで見え方が大きく異なるのが特徴でもある山です
北陸線1駅目は、坂田駅。
国鉄時代はホームが2両分位しかなく、普通列車も大半が通過(!)、日数本しか停車する便がないという状態でしたが、北陸線直流化の際に駅を移築してホームが8両対応になり、新快速含む普通列車全停車に大躍進したという駅です^
米原から約10分で、最初の途中主要駅・長浜駅到着。当別荘過去作でも訪れていますが、日本最古の鉄道駅舎が残っていたり、新快速の同駅延伸を機に、古い街並を活かした街おこしを大成功させて話題を呼んだ街でもあります(※末尾のリンクご覧下さい)
木ノ本駅を過ぎると、滋賀/福井県境の峠越えです。急勾配を登るため、近江塩津~敦賀間は上り線だけループ線になっている事でも知られます
米原からの終着、↑近江塩津駅に着きました
同駅で、京都方面からの湖西線と合流します。鉄路的には要衝ですが、同駅の周囲は人口希薄な山間部のため、ホームが非常に細いです
近江塩津駅の↑ホーム~改札間通路。プチ秘境駅っぽい雰囲気もあります
少し時間あったので、↑駅前へ出ました。
線路の東側は山、西側すぐに道路がある構図、大糸線の南小谷駅に少し似ています。委託駅で、日中は切符窓口に人がいますが、改札業務はしません(※ICカード簡易機あり)
近江塩津で、↑湖西線経由で来た敦賀行の新快速に乗換えます。
元々は日本初の本格的交流電化を施した北陸線ですが、京阪神からの電車を直通させるため、1991年に長浜駅まで、2006年に敦賀駅まで直流化され、日本海側にまで新快速が顔を見せるようになっています
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そして・
県境を越え、福井県に入り、今話題の敦賀駅に到着
今作がupされる頃には、もう同駅まで新幹線が来ています
駅名標の右上に↑シールで何か隠してありますが、3セク転換後の福井県会社・『ハピラインふくい』のマークを準備していると思われます
元々昔から福井県嶺南を代表し、交直セクションもある要衝の敦賀駅ですが、新幹線開業後はJR/3セクの区界として、そして新/在乗継駅として、ますます重要性が高まります
新快速を降りた乗客の多くが、同じホームから出る特急に乗り継いで金沢方面へ向かいます。
新幹線開通後、大阪/米原方面へのJRホームは新幹線駅の下に新設されるホームへ移動し、現ホームは3セク"ハビラインふくい"用になるので、この光景は見納めです
大阪とのサンダーバード号、名古屋/米原とのしらさぎ号が、30~60分ヘッドで頻繁に発着します。↑懐かしい吊り下げ札式の乗車位置案内がホームにぶら下がっています
駅一番西側には、敦賀~東舞鶴間の小浜線ホームがあり、↑2両編成のワンマン列車が見られます。小浜線は引続きJR西が運営の予定です
次に、同駅の"新幹線準備具合"を見にいきます。
↑のエスカレーターや跨線橋自体も、新幹線駅整備絡みで近年新設されたものです
構内の表示類は、この日僕が見た限りではJRそのもので、ハピラインふくい関係の準備は、先程の駅名標のシール以外見かけませんでした。転換前夜に一気にやるのかなぁ・
(※この日、新幹線開業13日前)
一方、新幹線開業を知らせるポスターはあちこちに張られていましたが、ハピラインふくいに関する掲示は、改札内には意外な程なかったです(※改札外の駅舎等にはあったのかも)
↑の通り、金沢~敦賀間には6つの新駅が設けられ、うち4駅が福井県内。これまで"新幹線空白県"だった福井は一転、全国最多クラスの新幹線駅を持つ県になりました
通路の東側突当りは、↑工事用の仮囲いで止められています。
この向こう側が、新幹線への通路です
仮枠の↑隙間から、ちょっと覗かせてもらうと・w
お~
ほぼ完成しています。↑動く歩道も
この"新・敦賀駅"で今後問題になりそうなのが、新/在乗換の動線の長さ。
前述の通り、サンダーバード/しらさぎ号が発着するホームは新幹線の真下に新設されますが、JRが想定の"乗換時分8分"に対し、先日行われたシュミレーションでは平均13分かかったとの事。
真下ホームでそれなら、ハピラインや小浜線との乗換はさらに時間を要する事が予想されます。状況に応じて乗継手配をとる等、JR/ハピライン間で柔軟な対応が求められると思います
なお、JR大阪方面からの新快速⇔ハピライン普通列車との接続は考慮されていないダイヤになるとの事で、これも転換後は問題になりそうです
敦賀駅の新幹線高架、↑他駅よりも"高さ"が際立ちます。
既存の高架道路を跨がせるため、さらに高々架にしたので高くなりました
既存駅の東側に、↑巨大な壁のように聳える新幹線駅。
一般的なビルの10~15階建に相当するとの事です
この姿に誰より驚いたのは、昔からの敦賀駅を知っている地元の方々でしょう
時間がきました、在来線ホームから、福井行に乗換
福井名物・↑恐竜のキャラクターが「早く乗れ、時間ないぞ」と言ってますw
乗り込むと、駅構内では無かった↑ハピラインのポスターが中吊りに
ハピラインふくいは、北陸線のうち敦賀~大聖寺間約85キロをJRから引継ぎ発足します。大聖寺駅以北は、同じく3セクのIRいしかわ鉄道と相互乗入を行い金沢駅まで直通するほか、コア区間の福井~武生間ではJR時代より増便されます。又、特急廃止に伴う空スジを利用して快速列車を新設するとの事
発車しました!
敦賀から北を18切符で乗るのは、これが最後です。ハピライン移管まで約2週間となった北陸線を走っていきます
敦賀を出て2分程で、北陸トンネルに突入
全長約14km、現在でも在来線単独トンネルでは日本最長です。抜けるまで10分以上かかり、車内は朝から長い闇に包まれます
↑車内は、京阪神の新快速と同じシートが並ぶ521系、2両編成のワンマン運転です。ハピラインふくい開業後もこの車両がJRから譲渡されます
北陸トンネルを抜けると、↑雪が残っています。3月の北陸はまだまだ寒いです
福井県は、この北陸トンネルのある山脈より北が"嶺北"(※旧越前国)、南側が"嶺南"(※旧若狭国)に分れ、いろんな違いがみられます。地理的に、嶺南は言葉や慣習で関西に近いものがあり、電気も嶺南は関西電力、嶺北は北陸電力です。天気予報等で福井県に限っては"北部/南部"と言わず、”嶺北/嶺南"です
今庄駅以北、下り坂がおわると越前に入っていきます
北陸新幹線の↑高架と時々交差したり、並行したり
ラッセル車の回送とも時折スライドします
鯖江駅の待合室は、↑当地の地場産業・メガネが
新幹線の高架が何度も近づいてきます。↑非常階段にも屋根をしっかり覆ってあるのが北陸っぽい
福井駅の1つ手前、越前花堂駅北側で↑越美北線が合流してきます
そして~
敦賀を出て約1時間弱、福井駅に到着
↑越美北線のDCと仲良く並ぶ521系
越美北線(※愛称:九頭竜線)は、ハピライン移管後もJRが運営、越前花堂~福井駅間の乗入は継続されます
ここで金沢行に乗換えますが、待っている間にも次々と、しらさぎ/サンダーバード号が入ってきます。最後となったこの光景を心に留めます
トイレに行こうと、一旦コンコースへ下りると・
まもなく新幹線との連絡口になる↑通路前には、自動販売機が仮置きされて通せんぼ
↑一番右側の赤い自販機は、福井名物・かにめしの販売機(!)なんですが、新幹線開通後どこへ移設されるのか気になりますw
敦賀駅と同じ↑恐竜のキャラクター、福井駅にもいました。有名な恐竜博物館は福井市にあるので、こちらが"本元"です
時間がきました。再びホームへ上がると・
又々ラッセル車と遭遇^
↑金沢行が入線してきました。同じく521系です
2両編成のワンマン車は超満員
福井駅を金沢方へ出るとすぐ渡る大河は、↑九頭竜川です
この川が日本海に注ぐ河口近くに東尋坊があります
途中、福井県最北の主要駅が芦原温泉、石川県最南端の主要駅は加賀温泉駅と、名湯が多い北陸を体現しているような駅の並びです(※両駅には新幹線駅併設)
福井駅を出て約30分で県境を越え、石川県に入ります。県境石川県側の大聖寺駅でハピライン/IRいしかわ鉄道の会社境界になりますが、福井~金沢間の列車は両社とも直通運転します
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大きめな街が現れ、再び新幹線がくっついてきました。
小松駅です。福井市と金沢駅の中間あたりにある、石川県南部一の主要駅です。新幹線駅も併設されます
(※小松については少し私見あるので、金沢に着いてから書きます)
野々市駅あたりまで来れば、もう金沢市街圏です
この列車、福井で乗ってから終着金沢まで、けっこう入れ替わりはあったもののほぼ全区間満員状態で、北陸中心部にはかなりの需要がある事が窺えます。2両じゃ少し厳しめかも
福井駅から約1時間半、3/15までJR北陸線の終点である金沢駅へ進入します
米原駅を出て約4時間弱(※乗継待ち時間含)、金沢駅に到着しました
先程来、敦賀駅や福井駅で見てきた、特急が頻繁に発着する光景が金沢駅にも。しかし今作upの頃には、ほぼ見られません
"ほぼ"というのは・
金沢駅に於いては、同駅から七尾線へ入る特急『能登かがり火』が存続する事になりました
七尾線も引続きJRで運営され、終点の和倉温泉駅ではのと鉄道に接続します。今後の能登復興に非常に重要な役割を託されている七尾線、特急存続を決めたJR西の判断は素晴らしいと思います
特急の番線案内も、今作upの頃にはもう無いでしょう。↑サンダーバードとしらさぎ号の下に"ダイナスター"とありますが、朝晩に数本、新幹線連絡を目的とする北陸内特急として運転されていました。格好いい名前でしたが、新幹線敦賀延伸により廃止されます
又、↑"Kyoto"と大書された表示もあり、外国人観光客も多く訪れる金沢ならではです。"金沢→京都"なんて外国人には王道コースですね^
金沢駅/市は、新幹線がここで終点だった時に大きく力を伸ばしました。今後はその効果を福井県に譲り、途中駅となります
改札横には、↑能登支援に感謝するポスター。
当別荘でも、もう少し落ち着いたら能登訪問を計画します。
米原以来久々に、改札外に出ます
ついに敦賀延伸なった北陸新幹線。福井県は勿論、石川県南部にも多大な便益をもたらします。ここで、先程保留した小松市の事を少しふれます
先程通ってきた小松駅/市、人口約10万人、加賀南部の要衝です。ご存じ、世界的な重機メーカーの本拠であり、新幹線で東京と小松が直結する事による経済効果は大きなものがあると思います。
又、小松には元々空港がありますが、開通後は一定数新幹線へ旅客が移る事も予想され、今後小松駅を軸に、人の流れがどう変化するか注目です
IRいしかわ鉄道も、これまで金沢~俱利伽羅の5駅間だけだった路線が、一気に大聖寺までの県内全域を受け継ぐ事になり、路線長が一挙約3倍に。同社は金沢~小松間を30分毎のパターンダイヤにします。IRも小松の重要性をわかっているものと思われます
広々とした改札外コンコースは首都圏並の雑踏。この繁栄ぶりを隣から見ていた福井県は、延伸を強力に運動し、ついに実現させました
そんな金沢駅の片隅に、↑"北陸本線の思い出を書き込もう"のコーナーが
かつて同線名物だった"カマボコ電車"型の紙に、石川から去ってゆく北陸線への思いを、多くの人が書いていました。
駅ナカの土産店は↑敦賀延伸一色
久々、金沢へやってきました^
金沢駅といえばやっぱり、駅前の↑ですね^
(※金沢の街ブラは、次作でたっぷりおおくりします)
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今作さいごに、この機会に見ておきたい街があります。
金沢市の西、日本海沿いに位置する、内灘町です(※石川県河北郡)
なぜ行っておきたかったのかは現地でご覧頂くとして、この時点で時刻15時過ぎ、日没前に急ぎ向かいます
観光客にはあまり知られませんが、金沢駅の地下からは私鉄が出ています。北陸鉄道浅野川線です(※以下、北鉄と略)
金沢駅東口のアノモニュメントの下は広い地下道になっていて、
その一角に↑北鉄の駅があります。内灘町へは同線が足になっています。
なぜか↑コルゲンのカエルさんが出迎える地下ホームは1面2線。2001年、金沢駅前整備に伴い地下化されました
浅野川線の電車は、↑東京メトロ日比谷線で活躍していた車です。改造の上、2両編成で運用されています
しかし"改造"といっても、車内で目立つのは運転室廻りのワンマン機くらいで、車内は営団時代の面影が色濃く残ります^
車番も"03系"で、メトロの形式名のままです
優先席表示等もそのまま使われています
観光客で溢れ返る金沢駅ですが、観光名所が少ない同線にその姿は無く、乗客はほぼ地元の方々です。
発車しました。北鉄金沢駅を出ると、すぐ地上へ。終点・内灘駅まで全長約7km、途中に10駅あります
↑は終点近くで空いてから撮りましたが、途中に学校が近い駅があり、沿線は住宅地が続くので、けっこう乗りがありました
ドアには、北鉄入りの際に半自動機能を付加
金沢駅から約20分、終点・内灘駅に着きました
駅前にはバスロータリーもあり、北鉄バスが同町内各地へ出ています
内灘駅には、小さな車庫が併設
車庫には、↑元京王井の頭線のステンプラカーが。2022年にメトロ車が入るまで主力でしたが、引退の時を迎えたようです
駅近くの↑歩道橋から1枚
住宅が立ち並ぶ、金沢市のベッドタウンという光景ですが、この内灘町は、元日の能登地震で大きな被害をうけた街の一つです。
この日訪れたのは、奥能登の被害が甚大なためどうしても報道が少なくなりがちな内灘町の近況を伝えられたらと思ったからです。
河北郡内灘町は、金沢市の西方、海岸沿いに細長い街です。
駅から歩ける範囲で少し廻ってみます。
(※ここから後、地震被害の写真があります。実態をお伝えするために掲載しますが、不適と思われた場合は閲覧をおやめ下さい)
北鉄に乗っている間少し時雨ていましたが、止んできました
高台になっている所からは、↑河北潟が望めます。向こう岸は金沢市/津幡町、北側はかほく市です。
駅近くの市街地は、特に被害はないようでしたが・
沿道の大手お弁当チェーンは、"復興支援のため休業中"の店も。
↑町役場です。
内灘町は、能登から約100km離れているにも拘らず、液状化で建物や道路に被害が出ました。特に役場から北が被害甚大だったとの事ですが、駅までの距離/時間的に、ここで折り返す事にします。
駅への戻りは、さらに河北潟に近い道路を通ります。
石川県最大の湖である河北潟ですが、周囲は干拓され、農地となっています。
そして、湖岸近い道をしばらく行くと・
電柱が傾いたままの街並となりました。
沿道の駐車場では土砂が吹き出した所も散見され、液状化の跡がみられました。
幹線道路から少し入ると、ブロック塀が倒壊したり、損壊している住居が集中する一角も。
能登から約100km離れた内灘で、なぜこんな重大な液状化が現れたか?ですが、同町は海岸にむけ緩やかに傾斜した地形で、しかも地盤に砂分が多い事も相俟って、液状化のリスクが高くなったと思われます。
ラーメン店の駐車場は地面が大きく隆起して使用不能に。お店も休業を余儀なくされていました。
奥能登の甚大な被害の一方、金沢市から近い内灘でも大きな被害がある事を忘れてはならないと思います。
駅に戻ってきました。
↑河北潟から金沢港へ流れる大野川、金沢市と内灘町の境でもあります。金沢の街の賑いが、電車でわずか20分の内灘なのに届いていないような気がしました。
暮れてゆく空、この日は金沢市で一泊します。
今作はここまでにして、次作は"いまさらですが"シリーズとして、金沢の街ブラを石川応援作としておおくりします
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【☆沿線過去作リンク】
vol.172 福井・若狭ツーリング① 丸岡城・三国港・東尋坊・越前海岸他 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※丸岡城/東尋坊/敦賀気比松原/芦原温泉等)
vol.349 2020滋賀① 湖北ツーリング 伊吹山~賤ケ岳~木之本他 初夏の奥琵琶湖を走る | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※伊吹山他)
vol.280 湖北・長浜ブラ(前) 日本3番目の鉄道はどこ!?盆栽の梅&日本最古駅舎の博物館 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※旧長浜駅舎、北陸線全般について)
vol.115 能登半島ツーリング(前編) 日本唯一、砂浜を車がそのまま走れる 千里浜DW他 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※2012年upの、能登半島ツーリング)