前作の『いまさらですが』とともに、昨年もう一つ発足させた新カテゴリー”滋賀県”、久々の新作です^
今作第2弾として、県の北部にある長浜市を取り上げます。
僕にとって大いに縁のある街(後述)で、あえてこれまで別荘ネタにはせず、温存していましたが・
滋賀県シリーズも始めたので、今回出す事にしました
本作と次作の前後編2作で、長浜の街を歩きます
今作は鉄道中心モノ、次作の後編で、長浜街ブラをご覧頂きます^
では長浜ブラ前編、スタートします
やって参りました、JR北陸線・長浜駅
東海道線米原駅から分岐して3駅目ですが、電車はほとんど大阪方面から直通しており、JR西が東海道線の滋賀県内に付けている愛称”琵琶湖線”の一部という実態です。
僕はその昔、この長浜に4年間住んでいました。その頃はフツ~のコンクリート駅舎だったんですが、近年、後程行く”旧駅舎”に合わせた、レトロ調デザインに改築されています。
せっかくの新駅舎ですが、駅周囲にいろんな建物が新しく出来てて、せっかくの駅舎がよく見えなくなってます
↑は伊吹山口のバスターミナルから撮影、辛うじて駅舎の全体が撮れるのはここからだけでした
駅舎は、南北に走る北陸線を跨ぐ造りで、その東西両方に出られます。東側が”伊吹山口”、西側が”琵琶湖口”です
駅東側に旧市街がありますが、次作(後編)で歩きます。
今作は、旧駅舎へ近い琵琶湖口から出ます
琵琶湖口側は、改築前の駅舎時代には改札はありませんでした。
市街地は、前述の通り主に駅の東側なので、”裏口”的な感じです
琵琶湖口から歩いてすぐ、保存されている長浜駅旧駅舎が見えてきます。後程見学しますが、その前に、春先のこの時期しかやってない長浜のイベント、”盆梅展”をチラッと見に行きます
(※撮影は3月上旬です)
盆梅展に行ったら、↑窓の外、国名勝の庭も必見です
慶雲館に隣接して、後年建てられたと思われる”新館”(?)へも順路はつづきます
新館の盆梅もまた立派。展示盆梅のほとんどは地元・長浜の愛好家が栽培しているものです
全部で数百鉢はあるでしょうか・
↑写真から香りが出てくれたらなぁ・
この”新館”には2階もあり、お茶席等があります。再び階段で1Fへ降りると土産コーナーがあって、そこが出口です
(※靴は慶雲館入口で脱ぎ、渡されるレジ袋に入れて自分で持って歩きます)
土産コーナーは出口を出ても続きw、屋外には本物の梅の苗も売られています
出口を出たところには、盆梅展のために一年間丹精こめて育てる過程が掲示されていました。↑看板によれば長浜市には約2000本の盆梅が育成されているとあり、日本最大規模だという事です
庭にはいくつかの碑があるんですが、↑だけ紹介しておきます。
これは芭蕉の句碑で、”蓬莱に きかはや伊勢の 初たより”
(※意:正月飾りを眺めていると、伊勢からめでたい初便りが聞こえてくるようだ)
この碑、高さ約5mあり、数ある芭蕉句碑の中でも日本最大との事
-*-*-
慶雲館の門を出ると、その真ん前には~
ドーンと構える、↑2階建ての洋館
↑が旧・長浜駅舎です。
1882(明治15)年完成、1903(明治36)年に駅舎が現在地へ移転するまで使われていました。
戦災も免れ、現存する駅舎で日本最古のものです(※鉄道記念物)
近年この駅舎の裏手に新しい展示棟2棟が新築され、『長浜鉄道スクエア』としてリニューアルオープンしました。見学します^
玄関を入った1Fは切符売場と改札があったスペース&各等級別の待合室があります
明治期の駅の待合室は、等級別に分かれていました。昔の鉄道は、現在の航空機のクラスのように、1等と3等では大変な違いがあったようです。今のように「今日はちょっと奮発してグリーン車にすっか!」の世界じゃなかったそうですw
↑1・2等待合室は暖炉やソファーもあり、やや豪華な雰囲気^
なお、ここ長浜駅は東海道線が全通する前、長浜~大津間の琵琶湖を運航していた連絡船との接続駅としても賑わい、主要駅としてしっかりした設備を持っていました
荷扱い室には荷物の模型も置かれ、なかなかリアルです^
駅長室も公開
ガラスケースに入って照らされている駅長の人形がちょっとコワいw
僕が住んでいた頃(※リニューアル前)は、この旧駅舎だけ単独で公開されていました。その頃は↑2Fに展示があったんですが、現在その展示は新館に移され、2階は閉鎖されています。
では、その新館へ行ってみます(※2003年オープン)
↑改札口から通路が繋がっています。ここから先は僕も初めてです^
前述の通り、新館は2棟あります。
『長浜鉄道文化館』&『北陸線電化記念館』です。
・で、『なぜ、滋賀県北部の小さな街・長浜市がこんな力を入れた鉄道展示館を持っているのか?』という事ですが、同館の展示をご覧頂くとわかります。順にみていきます^
まずは、長浜鉄道文化館から
木の骨組みが見える、↑ドーム型の屋根が独特^
展示の内容は、当地・滋賀県の鉄道を中心としつつも、日本全体の鉄道網発展の歩みを重ねつつ紐解いていく格調高いものでした^
ではその次、”日本で3番目の鉄道”ってどこだったんでしょうか?
これについては『計画の順番』と『実際に開業した順番』が異なるため一概には言えないんですが、計画ベースで言えば、明治政府は前述の新橋~横浜や大阪~神戸の計画時に、『京都~敦賀を結ぶ鉄道』も同時に決めていました。
太平洋側から日本海側へ抜けるルートとして江戸時代から重要視されていた、琵琶湖岸を通って近畿&東海から北陸へ続く要衝、ここ滋賀県北部に、日本最初の鉄道計画・3ルートのうち一つが定められました
そして、その始発ターミナルとして建設されたのが、この旧長浜駅だったんです。
1882(明治15)年に長浜~敦賀間が一部のトンネル部を除いて開業しました
(※但し、実際に開業が早かったのは1880・明治13年に開通した北海道の手宮線が先でした)
東海道本線は、この当時の時点で名古屋~京都間は中山道ルートで建設される事が決まっており、長浜駅は東海道と北陸を結ぶ結節点として重要な位置にありました。
又、↑パネルの通り、長浜~大津間は鉄道開通までの間、琵琶湖を連絡船で結んでいました。日本最初の鉄道連絡船は、海の無い滋賀県で始まったんです
ここで『じゃあ米原駅は?』という話ですが、東海道線は開通当初米原は通らず、関ヶ原から長浜までを通る線が先に敷設されました。
今では痕跡も残ってませんが、明治期には長浜からまっすぐ東へ鉄道が延びていたそうです
その後、現在の関ヶ原~米原ルート開通に伴い長浜ルートは廃止され、連絡船だった大津~米原~長浜間も鉄道が開通、それにより米原駅が東海道と北陸のジャンクションとなりました
長浜駅は、我が国鉄道草創期の歴史をまさに地でいくような履歴を短期間で重ねた後、米原駅にその地位を譲って中間駅となっていったんです。
以上が、"なぜ長浜に、日本最古の駅舎や本格的な鉄道博物館があるのか?"の理由です^
-*-*-
展示後半は、北陸本線全体の話になってきます。
日本初の本州横断路線たらんと開業した北陸線、戦後もこの線では『日本初』の偉業が2つありました。
1つ目は、北陸トンネルの建設
北陸線の敦賀~今庄(※福井県南部)は、海岸ギリギリまで山また山の急峻な地形(※当別荘で14年7月にupした"福井ツーリング"を参照下さい)で、開通時はその山中を縫いながらグニャグニャと走っていました
急勾配が連続していた上、途中4ヵ所でスイッチバックもあったとの事で、非常に輸送上のネックになっていたとの事
そこで同区間を一気にトンネルで越えてしまおうと、1962(昭和37)年に開通したのが北陸トンネルです。
長さ約13km、現在でも在来線の単独トンネルとしては日本最長のはずです。僕も何度かここを列車で通過しましたが、ホント「いつになったら出るのか」と思う位、時間の流れを遅く感じるトンネルです
↑は北陸トンネル開業に伴う時刻変更を告知する当時の敦賀駅看板ですが、敦賀から”上野行”や”青森行”があったというのが隔世の感です
そしてもう1つの”北陸線が(実質)日本初”は、『交流電化』
日本の鉄道電化は元々、モーターが回しやすかった直流で始められ、現在も首都圏や京阪神等の通勤電車はほとんど直流です。
しかし、電力会社から買う電気は交流で配電されてくる為、変電所で直流へ整流しなければならず、その整流や架線への送電時に生じる電力のロスが早くから指摘されていました
そのため国鉄では、『交流のまま電化してモーターを回す研究』に取り組み、まず東北の仙台~山形を結ぶ仙山線で実験を開始。
仙山線もそのまま交流で営業運転を始めましたが、営業線として初めて本格的に交流で電化開業したのがこの北陸線です。
1957(昭和32)年、田村(※長浜の隣駅)~敦賀間が交流電化。
仙山線&北陸線の交流電化が順調に運用されたのを機に、北海道・東北・九州の各路線も交流で電化される事となり、その成果としてアノ東海道新幹線も交流電化で造られました。↑にある新幹線のオモチャも理由あって置かれてる(?)^
(※交流電化は、上記の”送電ロス”や”変電所の数を減らせる”事が直流に比べて大きなメリットという事で導入が進められましたが、近年は技術進歩により直流でも送電/整流ロスが少なくなってきたため、在来線では再び直流で新規電化される線区も多いです)
そんな、先進の歴史を歩んできた北陸線ですが、平成になりJRへ転換されても進歩は続きます^
京阪神からの快速電車を直通させるため、交流だった区間の一部を直流化するという、これまた全国初の試みを実行。これにより長浜への観光客がドッと激増しました。(※この直流化については、次作の長浜街ブラで詳述します)
文化館さいごに、↓の写真をご覧頂きます
1957(昭和32)年10月1日、木ノ本駅で行われた電化開業式の様子。
戦後復興を成し遂げ、オリンピックや新幹線建設も決まって元気があふれていた当時の日本、真新しい機関車に人々が喜びの声を上げています。当時の熱気が伝わってきそうな感動の一枚です
そして、↑の写真に写っている当時の最新鋭機、ED70 1号機が、なんと隣の建物、北陸線電化記念館に保存されています
文化館を出て、隣の建物のドアを開けると・
お~
先程の開業式の写真に写っていた、↑ED70 1号機です
半世紀前、人々の期待と熱気の中デビューした、交流電化1号機が目の前に・
このED70、1975(昭和50)年まで活躍した後引退、敦賀の機関区で保管されていましたが、ここがリニューアルされた際に修復され、長浜へやってきたとの事です。
隣のSL・D51と2両で展示されてますが、なんか老夫婦が仲良く並んでいるみたいで、いい感じです^
運転台も見学できます
当別荘ではこれまでにも数々の鉄道博物館で運転台へ登ってますがw、やはり"車両って運転してナンボ(?)"、運転台に座らせてもらうと、往時を想像して楽しめます^
↑は金沢のJR工場で修復され、長浜へ運ばれる経過を紹介するパネル。この長浜保存実現には、大井川鉄道の車両保存等も手掛けている公益財団法人が尽力したそうです。
ED70は計19両製造されましたが、保存されているのはこの1号機だけで、大宮や京都の鉄博にも無い貴重なものです