当別荘ツーリング作では、2011年の大震災後、東北各地を走ってきました。
大型シリーズも数々上梓してきましたが、2014年に『東北穴うめツーリング』(vol.175~177 '14.8~9月)をupし、これを以って「東北の主な名所は、ほぼ穴が埋まってきたかな?」という事で、一応の仕上げとしていました。
しかしこの頃、"でも、アソコがまだだった"と、気になりだした名所も出てきました
今作は、そんな未訪問の"穴"へ行くため、岩手へWo号を走らせてきました。
ではスタートです
東北道から釜石道へ分岐し、東和IC手前の本線料金所からさらに新直轄区間へ入り、終点の遠野ICまで来ました
岩手県遠野市といえば、震災直後の作『宮沢賢治を訪ねる』(vol.99 11.10.22up)で一度来ているので、今回は通過しますが、せっかく久々に来たので、途中の道の駅へ1ヵ所寄ります
遠野ICからすぐの国道沿いに・
道の駅 遠野風の丘があります
前回の宮沢賢治ツーリングの時は寄ってない道の駅です
道の駅へ寄ると、ツーリングしている実感がわきます^
猿ヶ石川沿いに設けられた休憩所とベンチで、数々の民話と歴史を秘めた遠野の野原を眺めながら、しばし休憩
このデッキからは、JR釜石線も見えます
道の駅に掲示されていた、↑震災を記憶するコーナー。
遠野市自体は内陸のため大きな被害はなかったようですが、被害が大きかった三陸沿岸部への後方支援基地として、重要な役割を果たしました。
又、ここに↑"岩手県産飲料専用の自販機"もあったんですが、そこに並んでいる飲料を見てみると・
『龍泉洞コーヒー』、『龍泉洞の水』、『龍泉洞ウーロン茶』等々、ほとんどの商品がここから70km以上離れた、岩泉町の龍泉洞にちなんだものでした^
これから行く"穴"は、岩手を代表する名所、龍泉洞です。
今作のメイン目的地として、これから訪ねます
一路、約70km先の岩泉を目指して走ります。
(※遠野市については、前述の通り2011年upの宮沢賢治ツーリングの作で訪ねていますので、参照下さい)
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東北道から岩泉へ入るには大まかに2つのルートがあり、1つは釜石道で遠野で降りて国道340号で北上するルート(※今作で往路選んだ)と、もう一つは盛岡で東北道を降りて、盛岡市から国道455号を東進するルートです。
出発前に地図を見ながら、どっちにするか相当迷った末、『釜石道も遠野まで延びたので、遠野まで高速で行き、国道番号も若い340号のほうが走りやすいか?』と思い、この道にしたんですが・
しかし!
実際走ってみると、当時ほとんど全線で絶賛工事中で、道幅も所々大変狭く、超難関の道でした
前作の和歌山県北山村へ行く時走った、R169といい勝負している激狭国道でした
今作で訪ねる岩泉町(※岩手県下閉伊郡)ですが、これから訪ねる龍泉洞とともに、当別荘的には外せない要素が当地にあります。
『旧JR岩泉線』の存在です。
国道340号の茂市~岩泉間は、この旧岩泉線とほぼ並行しているんです。
旧駅の跡を保存しているのを見かけたので、寄ってみます
旧岩手和井内駅です。
駅舎のほか、ホームや駅付近の線路が保全されています。
↑線路上に見えてますが、レールに固定された自転車で線路上をこいで走る『レールバイク』が楽しめる施設になっています^
レールバイクといえば、2015年にupした飛騨ツーリングの(15.8.12up vol.202)で、旧神岡鉄道の駅にもありましたが、こういう形で廃線跡を活かす取り組みは大変goodだと思います^
(※岩泉線について詳細は、終点の岩泉駅の所で)
しかしこの国道340号、国道とは名ばかりで、
↑の通り中央線も引けない位の狭さでした。
昨今一部で流行りの"酷道"の一種でしょうか
しかし、森の中の大自然を満喫できる、緑爽やかな道でもありました
前作の北山村の時もR169は相当な"酷道"でしたが、それから1ケ月で、又々こんな道を走ることになるとは・(汗)
しかし、こんな"酷道"の脇に、旧岩泉線は並行していました。
↑秘境駅とも言われた、旧押角駅の看板が残っていました。
このあたり、民家はほぼ見当たりません
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さらに走ると、ようやく龍泉洞の案内板が初登場^
↑押角峠トンネルを越えると・
Wo号、岩泉町に入りました^
岩泉町に入ってから道幅は広くなり、岩泉線廃線跡と何度も交差します。
岩泉町といえば、昨年(2016)の台風による暴風雨で甚大な被害をうけました。
1年経った今でも爪痕があちこちに残っていて、↑のような不通になって流木が残ったままの橋もいくつか見受けました。
『R340は工事だらけ』と前述しましたが、その災害復旧と拡幅を兼ねた工事のようです。
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岩泉町中心部へ着きました。
龍泉洞までは、街の中心部から車/バイクですぐです。
龍泉洞駐車場に到着
"日本3大鍾乳洞"といわれる龍泉洞、初見学します^
↑"龍泉新洞"もあるようなので、後程行きます
龍泉洞の前を流れる清水川を渡ると、管理事務所と洞入口があります。
洞入口前にある、↑湧水の水飲み場
常時9℃の冷水が味わえます。
飲んでみると、まさにクリアな味(※良い意味で無味)でした^
龍泉洞に限らず、岩泉町全域は"名水の里"として知られ、町内全域で清らかな湧水がみられるとの事。日本名水百選にも選ばれています。
冒頭、遠野道の駅にも岩泉の名を冠した飲料が自販機にありましたが、何より"岩泉町"という町名自体が名水のブランドになっているようです
チケットを購入し、いよいよ洞内へ・
やってきました、龍泉洞です^
(※国天然記念物/名水百選/日本地質百選)
お~
入って早速、別世界のようになりました
足元のライトだけを頼りに、奥へすすみます^
龍泉洞は、コウモリの棲む洞窟としても有名で、現在5種類のコウモリが生息しているとの事。
見上げると暗闇の中に、数匹とまっているみたいでした^
(※コウモリ自体も国天然記念物)
あちこちに、形がいろんなものに似て見える鍾乳石があり、↑名前が付けてあるものもあります
そして龍泉洞といえば、『地底湖』
調査済みの総延長だけでも3600mあるという龍泉洞、その中に現在確認済のものだけで地底湖が8つあるそうです。
その中で観光客が見学のため歩けるのは700m程、3つの地底湖を見ることが出来ます^
龍泉洞は今もなお学術調査が続いており、総延長は5km以上に及ぶのではないかとも推測されています
さらに奥へ・
↑ブルーの照明は雰囲気を出すため灯されていると思いますが、こんな色をつけなくても神秘性は充分感じます^
続いて、↑まさに地底へ下っていくような階段が現れる
一般見学コースの一番奥、第3地底湖までやってきました。
覗き込んでみると・^
お~
漆黒の地底を覗き込むと、↑紺碧の水をたたえた地底湖が見えました。まさに神秘の光景
大自然が生んだ奇跡、龍泉洞第3地底湖です。
(※深さ98m)
第3地底湖まで来ると、再び鍾乳石の形状を楽しみながら坑口へと戻る道なんですが、これより先はアップダウンが凄いとの事で、足元が不安な人は、比較的緩やかな往路をもう一度戻ってほしいとの事
僕は頑張ってキツいほうの道をすすみましたが・
ホント階段が急でした
登ったかと思えば、いきなり下りに変わる事数回、洞内の高低差が、なんと180mあるそうです。
でもこの見学路を歩けば、龍泉洞の険しさと奥行を体感できます。
この鍾乳石が成長するには、種類や環境にもよるそうですが、
1cm伸びるのに100~300年以上かかると言われています。
悠久の時間の中で、大自然が作り出す神秘の芸術品です
岩手を、というより、日本の鍾乳洞を代表する名勝です。
山口の秋芳洞と双璧をなすと言って過言でないと思います
ちなみにこの日気温、25℃程あったんですが、洞内は10℃程、行くなら夏が特におすすめかもです^
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実はこの龍泉洞、昨年(2016)の台風で洞内が浸水、大きな被害を受け、半年以上公開中止していました。
復旧作業を終え、今春から再開したばかりとの事で、先程走ってきた国道もですが、岩泉の台風被害がいかに甚大だったか改めて思い知らされます。
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次は・
来た時看板にあった『龍泉新洞』へ行ってみたいと思います。
龍泉洞の前の道を隔て、向かい側にあります
↑が、新洞への入口です。
"龍泉新洞科学館"と書かれています
龍泉洞の入場券は、新洞の入場料もセットになっています
この新洞は1967(昭和42)年に発見されたそうで、道を隔てた龍泉洞とも地下で繋がっているとの事。残念ながら新洞は撮影禁止でした
内部の様子を少し書きますと、内部は洞窟そのものが"科学館"というコンセプトで、洞内には様々な展示や解説版が多く設置されています。
龍泉洞本洞は、"その神秘的な雰囲気を味わう"事が主眼なのに対し、新洞は鍾乳洞について"学ぶ"事がテーマで、目的をハッキリ分けているのはgoodだと思います。
実際、新洞のほうが鍾乳石の形状がバラエティに富むとの事で、現在でも鍾乳石学術研究の拠点になっているそうです
新洞から出ると、↑いきなり道路でした
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龍泉洞をあとに、岩泉町内へ戻ってきました
次に、旧JR岩泉駅を見に行きたいと思います。
↑の標識、左折に文字を覆って消してありますが、おそらくあそこには"岩泉駅"と書いてあったはずです。
先程の標識を左折するとすぐ見えるのが、
↑"いわいずみ"の文字が大書してある建物。
これが・
2014年に廃止手続きがとられた、旧JR岩泉駅です。
"手続きがとられた"というのはどういう事か?というと・
これからみていきます。
駅舎前にあった↑岩泉線開業記念の碑、当時の運輸大臣の筆です。
ここで、岩泉線の歴史を簡単に纏めます
盛岡⇔三陸・宮古を結ぶ山田線、その茂市駅から分岐していた、約40kmの盲腸線でした。
先の大戦中、1942年に、先程立寄った岩手和井内駅までが開通。
終戦後、熱心な地元の誘致運動により、この岩泉駅まで1972(昭和47)に延伸されました。
この昭和40年代は、国鉄が全国各地に地方ローカル線を開業させた最後の年代であり、言葉わるいですがいわゆる"政治線"とも言われる路線も全国で開業しました。
この岩手でも、現在三陸鉄道に譲渡されている旧宮古線(※宮古~田老間)も1972年でしたし、又、当別荘で今春訪ねた可部線で、ラストに延伸した加計~三段峡間も1969年に出来ています。四国最後の新線といわれた予土線の全通もこの時期です。
当時はまだ高度成長時代、また地方も過疎化は始まっていたとはいえ現在よりは人口も全然多く、採算よりまずは、国土津々浦々まで鉄路を伸ばそうという機運があった時代です
翻ってこの岩泉線、戦後長らくの誘致運動が実り、1972年に全線開通を見ましたが、盲腸線である事もあって乗客数は低迷、国鉄時代から廃止候補線に挙げられる等、営業面では苦戦しました。
ただ、先程走ってきた国道340号が狭隘なため、"代替バス道路として不充分"との判定で、廃止は免れてきました。
しかし、2010年に発生した土砂崩れにより不通。以降はバスによる代替輸送状態が続いていましたが、JRが国道改良に拠出する事を引換えに、同線廃止&正式なバス転換を提案。
休止状態が続いたままだった2014年、廃止の手続きがとられたものです
昨年の北海道ツーリングの日高線もそうでしたが、災害で不通になり、それが決め手となって廃止の危機を迎えるローカル線が全国で増えています
駅舎内におじゃましてみます。
2017現在、一部を町の商工会が使っています。
駅玄関に、↑"かけこみは危険です"の文字が残っています。
1Fは待合室&改札でした。現在も長椅子等が置かれ、フリースペースとなっています。
懐しい黒板の↑伝言板が残され、来訪者が岩泉線への思いを書き込んでいました
在りし日の岩泉線の写真も展示されていました
二度と帰り来ぬ、鉄路が刻んできた思い出のシーンが写っています。
↑開業時の様子を収めた1枚
日の丸がはためく記念列車に雪の中集まる人々、岩泉の悲願が実った歴史的瞬間です。
↑1972年3月、岩泉駅開業を祝す町の広報紙。
↑昭和40年代に、カラー印刷です。当時は全国紙でも、新聞をカラー印刷するのは大ニュースでもない限り滅多にしてなかったと思います。
紙面見出しの通り、まさに『喜びと感激』が岩泉に溢れた時でした
そんな岩泉線も、今は夢の跡になってしまいました。
↑駅名板が無くなった、枠だけの駅名標が寂しく残っています。
ホーム部分に、↑線路が残っていました。
かつては、龍泉洞への玄関口もここでした。
国民の貴重な財産である地方の鉄道は、全国各地でこういう姿になっていきつつあります。
かつては、岩泉からさらに三陸沿岸の小本まで延伸する計画があったそうです。小本には現在三陸鉄道の駅があり、同線の廃止をうけ『岩泉小本駅』に改称されています。
2017現在岩泉へは、茂市駅からの転換バスのほか、JRバスの盛岡~龍泉洞便もあり、ギリギリ公共交通は確保されているという状態です
美しく神秘的な龍泉洞の見学を終え、鉄路の歴史も秘めた岩泉をあとにします
帰路は、来る時の激狭R340は懲りたので(汗)、盛岡までの455号線経由にしてみます
その結果・
↑R455のほうが全然広かったですw
岩泉~盛岡ほぼ全線、↑の通り余裕の広さでした。
岩泉まで車で行こうという場合は、R455経由がお奨めです
さいごに、このR455沿いにあった"道の駅"に寄って締めます。
『道の駅 三田貝分校』です。
この道の駅、ズバリ名前の通り、↑分校だった建物を利用しています。
スピーカーから流れるBGMは、文部省唱歌や童謡でした
当別荘ツーリングではこれまで沢山の道の駅に寄ってきましたが、こういうコンセプトの道の駅は初めてで、面白いと思いました^
外観は学校のままですが、内部はショップに改装されています
旧・岩泉町立門小学校三田貝分校の跡です。
1999(平成11)年、閉校になったとの事です。
中でも、一番goodだと思ったのが↑の"給食室"
残念ながら、着いたのが夕方で営業終了してましたが、ここを食堂にして学校風の食事をメニューに出しています
窓から覗き込ませてもらうと、学校の机が並んでいます。
まさに給食の雰囲気が楽しめそうです
岩泉から盛岡まで約65km、夕暮れせまる陸中の森を、Wo号は帰京の途へ
爽やかな、初夏の岩手ツーリングでした
(※2024.3 文一部修正)