僕は市町村合併や境界線設定に関する歴史がすきで、当別荘にも度々取り上げていますが、そんな僕を超ド級の魅力にいざなうような"村"が、紀伊半島の山中深くにあります
和歌山県 北山村(きたやまむら)といいます
"いつか行ってみたいなぁ~"とかねがね思ってたんですが、Wo号も買い替えて大型になったし、満を持してバイクで訪ねる事になり、先日行って参りました。
ではスタートです^
当別荘ツーリング作で時々登場する↑東名阪・亀山PAですが、今作ではここからさらに南へ、紀伊半島の南端へ向かいたいと思います
亀山市を早朝出発、亀山から南は、2013年の伊勢ツーリング(vol.144~145 13.6up)でも走った伊勢道となります。
今回は伊勢道の勢和多気JCTから紀勢自動車道に初乗入、さらに紀伊半島を南下、三重県奥深くへ入っていきます
↑奥伊勢PAで休憩、爽やかな森の香りが鼻孔を突き、奥伊勢へ入った事を実感します
奥伊勢PAからしばらく走ると↑大紀本線料金所があり、そこから先は、新直轄方式で建設された無料区間です。
↑料金所のむこうには、まるで壁のように山々が聳えます
紀勢道は3~4km級のトンネルが連続し、バイクで走るとひときわ大迫力の道です(※2017当時、大半の区間対面通行)
紀勢道を尾鷲北ICで下車、↑平日朝ですが通学の小学生がポツポツ歩いているだけの静かな街中へ。
ここは・
JR尾鷲駅前です。
1つ↑の写真は尾鷲駅前通りでした^
紀伊半島南端近くに位置する、この地域の主要都市・尾鷲市の玄関です
ここ尾鷲市、三重県庁所在地の津市まででも70km近く離れており、単線非電化の紀勢線は本数も少なく、四日市や名古屋へ通勤するのはまず不可能、都市近郊の駅前なら通勤客で溢れている平日朝7時ですが、↑のような無人状態です
尾鷲駅へは、名古屋駅から”特急南紀”で約2時間40分です
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せっかく尾鷲まで来たので、港をチラッと見にいくことにします
駅から港までバイクですぐです^
お~
素晴らしい青空と青い海が広がる、↑尾鷲港です
尾鷲市は全国有数の『降雨量の多い街』として有名で、天気予報でもその名をよく聞くので、ネームバリューはわりと有る街です。
しかしこの日は、↑ご覧の通り見事な晴天でした^
紀伊半島の海岸部は入り組んだ地形が特徴ですが、この尾鷲港も入江の地形を生かした天然の良港です。
遠洋漁業の基地として栄えている他、写真ありませんが海上保安庁の巡視船も停泊していました。本州最南端に近い尾鷲は、我が国の国土保全に重要な拠点でもあります
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尾鷲市を出て、尾鷲熊野道路(※紀勢道と接続)で熊野市へ、熊野新鹿ICで下車
これら、この日利用した紀伊半島南部を走る紀勢道や尾鷲熊野道は2006~2012年頃に開通した新しい道で、これらの高速が無ければ1泊2日でここまで辿り着くのは不可能でした
・この熊野新鹿ICで下車したのは、目的の北山村へ入る前に、せっかくここまで来たなら紹介しておきたい場所があるからです
ICから海へむかってすぐ、↑新鹿(あたしか)海水浴場の標識がみえてきます
浜辺の小さな駐車場にWo号を停めます。
その目の前には・
お~
なんとも言えない程の、きれいな砂浜です
入江に抱かれた美しい砂浜、新鹿海岸です(※三重県熊野市)
写真では伝えきれませんが、白い砂が海の青に映えて、ホント美しい海岸です^
水質も全国トップクラスとの事で、環境省の海水浴場100選にも選ばれています。すぐ横にはJR紀勢線も走っていて、車窓からも見えます。学生の頃、和歌山出身の友人が「新鹿海岸は全国一美しい海岸だ」とよく言ってたのを思い出しましたが、まさにその通りだと思います・^
勿論夏のシーズンには大変な人出になり、先程バイクを置いた駐車場も夏だけ有料になります。特急南紀も夏休みには新鹿駅に臨時停車する便も設定され、当地では大人気のビーチです^
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・紀伊半島の美しい海岸をあとに、いよいよ本ツーリングの目的地である”和歌山県北山村”にむけ、山の中へ入ってゆきたいと思います
今作スタートしてからここまで見てきたのは、全て”三重県”です。
一方、今作の目的地は『和歌山県北山村』なのは冒頭から前述の通りです。
さらに↑の標識には『奈良』の文字も・
この紀伊半島、地理オタクにとって、非常に興味をそそられる地域なんです
”日本一大きな半島”といわれる紀伊半島、地図で見てもらえばわかりますが、この半島の東側は三重県、西側は和歌山県/大阪府、さらに真ん中には奈良県が丸々スポッと入っている、大きな地域です。
それら諸県の境が紀伊半島の山中深くに複雑に引かれており、その中でも特筆に値するのが、奈良県と三重県に挟まれた所に、和歌山県の飛び地が存在します。
そこがこれから行く、北山村です
はたしてどんな村なのか、近づいてきました
北山村は、紀伊半島の海沿いを走る国道42号から、15km程山中へ入った所にあるんですが、この"15km"がホント大変でした
途中国道309号~169号と何度か曲りながら近づいてゆくんですが、次第に激セマになってくる道・
だんだん離合困難な幅になってきました。
車だとかなりコワいと思います
近頃"酷道"という言葉がありますが、まさにここです
ついに”北山村”の標識が登場!
県境近し
ダム湖が見えてきました。
県境にある、↑七色ダムです。
これから、この細~いダム堤の上を走ります
ダム堤のむこうには、↑照明無の真っ暗で激細なトンネルが、口を開けて待ち受けています
意を決してw入ります
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トンネルを無事抜けて、Wo号ついに、北山村へ入りました!^
村に入ったところに掲げられていた、↑Wo的に興味深い地図
奈良県南部から、先程見てきた三重県南部にかけての地域を『吉野熊野源流文化圏』と銘打っています。いわゆる、これら3県に跨る"熊野地域"です。
人を寄せ付けないような深い山中の地ですが、当地は世界遺産にも指定されたご存じ”熊野古道”の地であり、飛鳥時代の太古から人々の生活が息づいていた、まさに日本の故郷のような地です。
そのド真ん中にあるのがこの和歌山県北山村で、隣接する奈良県の上北山村・下北山村と共に『北山三村』とも呼ばれます。
北山村に入ってから道幅は少し広くなり、村に沿って流れる北山川(※先程の七色ダムの下流になる)を横目に走ります^
それにしても↑凄い岩肌の川です。対岸は三重県熊野市です。
この北山川のもう少し下流にあるのが、有名な瀞峡です
村内あちこちにある大字の案内板ですが、しっかり"全国唯一飛び地の村"とアピールしています^
北山村に入ってからも、道は広くなったり狭くなったりするので要注意です
Wo号を停めて、北山川を↑覗き込んでみると・
川底の石が透き通って見えています、凄い透明度です
村の東端近い七色ダムから入って約8km、↑道の駅もある集落に辿り着きました^
隣接する”おくとろ公園”と一体になっている、道の駅おくとろです
道の駅にも、↑"日本唯一の飛び地村"をPRする看板が
しかし人口わずか400人の北山村に、道の駅があるというのも驚きです。北山村は、離島自治体を除けば高知県大川村に次いで全国2番目に人口の少ない自治体だそうです(※2017現在)
昨年ツーリングで訪れた、福島県檜枝岐村(vol.227 16.5.27up)といい勝負をしている”秘境村”ですが、1889(明治22)年の町村制施行から2017現在まで、他自治体と一切合併していないのも檜枝岐村と共通しています^
道の駅には観光案内コーナーもあり、北山村一の名所・瀞峡の写真も展示されていました
↑写真の通り、昔は木材を切り出して海まで運ぶための筏が有名でしたが、今はレジャーとしての川下りに使われ、村おこしに一役買っています^
↑案内板、拡大して見て頂きたいですが、前述の通り、和歌山県の東端からはみ出して、奈良と三重に挟まれた"飛び地の格好"になっているのが北山村です。
では、肝心の『なぜ同村だけが飛び地として、和歌山県になったのか?』ですが、先程出てきた『瀞峡の筏』と深い関係があります。
切り出した木材を、川を経て海へ出荷していたのが現在の和歌山県新宮市で、周辺の東紀州地区の村々が三重県に編入されたのに対し、河川舟運での新宮との経済的繋がりを重視した北山村は、和歌山県への所属を希望したとの事
>さらに話は脱線しますが、三重県のうち、先程走ってきた尾鷲や熊野市等は元々江戸期まで『紀州』で、廃藩置県でこの東紀州地区は和歌山から切り離されて、三重県に編入された経過があります。
なので現在でも熊野地域には、大紀町や紀宝町など”紀”のつく町名や、紀伊長島駅等、JRにも『紀伊』を冠する駅名が三重県なのにある、という訳です
そんな北山村ですが、今や『日本唯一の飛び地村』として、他には無い村おこしの絶好の材料になったという訳です^
同一県内の市町村の中で、飛び地が存在する場所は全国各地にありますが、県際の飛び地が丸ごと独立自治体で、しかも完全に他県のみに境を接するのは、全国で北山村だけです
驚いたのは、この人口400人の村に↑路線バスが来ている事
JR熊野市駅まで1日2本出ています(※2017現在)
道の駅、村営バス、そして瀞峡&飛び地を活かした明確なコンセプトの村おこし
北山村、なかなかやり手です
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道の駅から、さらに北山川沿いを西へ走ります
道が、又狭くなってきた(汗笑)
Wo大喜びの↑標識を又々発見!
この北山川に、和/三/奈3県が接する県境があるとの事。現在走っているR169のすぐ脇です^
小松トンネルを越えると、↑一旦奈良県十津川村に入ります。
この近くから瀞峡へ行く分岐路があります。
もう少し日程がとれたら瀞峡や十津川村もゆっくり滞在したかったんですが、最近ホント休みがとれないため、今夜帰京しなきゃいけない超弾丸ツアーです
それにしても、日本にはまだまだ、知られざる手つかずの大自然が残っています
熊野古道が世界遺産に選ばれた理由が、現地をみてわかった気がします。
再び和歌山県に入りますが、もう↑ここは北山村ではなく、新宮市です
北山村を横断してきたR169は、↑の三叉路までです。
つき当たりからR168になりますが、せっかくここまで来たからには”熊野古道”にゆかりの名所を一つ訪ねて、ラスト立寄りにしたいと思います^
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新宮川沿いにR168を少し走ると、↑整備された街並が突如現れます。
アノ熊野三山の一つ、熊野本宮大社がここにあります。
(※国史跡/世界遺産構成物件)
着きました。参拝したいと思います。
お~
入口の鳥居の横には、同社のシンボル、”八咫烏”の幟が。
杉に囲まれた、↑爽やかな参道をすすみます
途中からは、お約束(?)の石段です
↑本殿がみえてきました。
お参りのしかたを、↑かなり丁寧に解説してくれている看板
4つの本殿がある事を案内しています。
↑の中門のさらに奥、その四つの本殿があるんですが、残念ながら本殿は撮影禁止です
熊野本宮大社、ご存じ、熊野三山のひとつで、他の二社(※那智大社・速玉大社)はJR紀勢線から比較的近くに位置しますが、この本宮大社は三山中で一番山中にあって、新宮駅からバスだと1時間以上かかります
熊野三山全体が国史跡に指定されているほか、近年熊野古道がユネスコの世界遺産に登録された際、その構成物件にも指定されています
創建2000年以上という古社、こんな山奥にもかかわらず昨今の熊野古道ブームで、平日だったのに凄い人でした^
神社内あちこちで見られる”八咫烏”の印ですが、↑解説板によると当地で神武天皇の道案内をしたという神話もあり、熊野では烏は、神の使者ともいわれて崇められています
そして八咫烏といえば、ご存じ・日本サッカー協会のマークにもなっています。神社内には↑"サッカーグッズ売り場"も
都内ではゴミ集積所にいるイメージしかないカラスですが、実は鳥類の中でも頭の良さはピカ一で、神の使者でもあります。
神話の世界にひと時、心を遊ばせました^
神社を出ると、↑"日本一大鳥居"の看板が。
行ってみます
少し歩くと、田んぼの中に・
ドデカイ鳥居が、ポツンと立っています^
高さ33m、鳥居としては日本一の高さだそうです。
元々ここに本宮大社がありましたが、明治期の洪水で流され、先程の現在地へ移転したとの事です
本宮大社の横に、近年出来たと思われる、↑和歌山県世界遺産センターがありました。熊野古道の魅力をPRするヘリテージセンターです
大阪・四天王寺から紀伊半島を縦横につないでいる修験の道、熊野古道、その奥深さを同館で感じ、学ぶ事が出来ます
「懺悔、懺悔・・」と唱え、路傍の仏に祈りながら山肌を縫う、巡礼者たちの孤独の行路が想像できる一角も。
僕も定年になったらゆっくり歩いてみたいなぁと思ってます。
熊野古道の事を書き出したらそれだけで1作出来てしまうのでw、既に容量限界というのもあり、又の機会に譲りたいと思います
時すでに昼過ぎ、ここから都内まで約12時間(休憩込み)と見込んでいるので、そろそろ帰途につかないといけません
R168を新宮市へ、海へ出て、再び紀勢道で帰京します
ちなみに、北山村(瀞峡)へ車で行こうという場合は、本作ご覧の通り七色ダムルートは大変狭隘で、初心者には困難だと思うので、往復とも新宮~本宮経由で行かれるようおすすめします
弾丸ツアーでパパッと廻るにはあまりにも勿体ない、奥深く広大な紀伊半島、ホントは数作のシリーズにしてもっと掘り下げたい地ですが、休暇情勢が好転した時(あるいは定年後かも?w)の楽しみにとっておきます。
今作はとりあえずの紀伊半島初回として”飛び地村”北山村に絞ってみました。いつの日にかの再訪を期して、歴史と祈りの地、熊野/東紀州をあとにしたいと思います^
(※2023.7 文一部修正)