何でもアル牢屋 -17ページ目

何でもアル牢屋

誠に勝手ながらフォロワー申請を御断りさせて頂きます。商売目的の方からの申請が多い事が理由の一つですが、フォロワー数で優劣を競い合う風潮が嫌いなので無い方が良いのかなと。御理解頂きますようお願いします

先日、奥歯の古い詰め物が外れた事が切っ掛けで歯医者通いが始まった。数年ぶりの歯医者である。

私の歯は16歳を機にあっちこっちが悪くなった。歯磨きを怠っていたのも原因だが、私には歯に対するマメさが無い。なので定期健診もしない。定期健診のメリットは、歯を汚れの段階で手入れし、削りを最小限に留める所だろう。定期に歯の手入れをする訳だから虫歯が出来る暇がない。歯の健康が維持できるのは理に適っている。つまり歯が悪くないにも関わらず、歯医者に行くマメさを持つ優等生たちこそが、最後には勝ち組になる。
悪くなってから行くのが本来の当たり前なのだが、此処が歯科と内科の違う所で、内科の場合、定期的に言った所で内臓を強化補強してくれる訳ではない。何をしに行くのかと言えば、体内のデキモノを見つける為に行く。歯科の場合、劣化した部分を補強しに行く。歯医者は歯の大工と言われている所以はソコにある。よって内科医は大工ではない。
 

過去を遡った経験則で想い出すと、歯医者通いの切っ掛けは、些細な事から始まる。例えば、詰め物が取れてしまった。自分で処理するのは不可能なので、歯医者に行かねばと言う発想が浮かぶ。取れた詰め物は保存し、持って行って装着してもらう。そこで終わる筈だったが終わらなかった。何故かと言えば歯医者は、取れた部分の歯を見て「これは虫歯が原因ですね」と言って、どうやら持って行った詰め物を大人しく着ける気が無い。此処で患者には二つの選択肢が用意される。

1:いいから、とにかくソレを着けてくれ。治療をしに来た訳じゃないんだ。その時は予約を取るから。

2:これも何かの運命か。これを断ると後々ヤバい事になるかもしれない。今の内にやっておこう。


歯科は基本的にオーダー制である。こちらから頼まなければ歯に手を付けない。取れた詰め物を付け直せと我を張れば、最終的にはやってくれるだろう。だが、後々の事を考えれば、この歯医者とは余り良い関係では居られなくなると言う想いが巡る。つまり次回が頼み辛い。だが、その逆に、歯医者の診察と勧めを素直に受ければ、その時点で信頼関係が芽生える。
医師と言う仕事は聖職だが、一方で商売の面を持つ。病院にとっての収入は国民健康保険を含め、患者の持つ金であるし、つまり患者が居ないと成り立たない。病院からすれば患者との継続的な付き合いこそが重要となる。その重要さがあるから病院はホームページを作る。医師の紹介や、時にはインスタやブログまで発信する。今の時代、ホームページを持たない病院は敬遠されがちで、患者の獲得が難しい。患者が何を求めているのかと言えば、信用と安心感なのである。病院のホームページを見ないと行く気が起きない。だから信用がイマイチし辛い。安心感とは何かと言えば、医師がどんな人なのかを事前に知っておきたい事と、設備がどの程度揃っているのかに重点が置かれる。
産婦人科の先生が男なのか女なのかと言うのも非常に重要なのだろう。拘る女達にとっては、自分の性器を見せる相手が<この先生で良いのか?>と考えるのも判る気がする。以前、テレビで面白かったのは、泌尿器科の先生が女医で、そこそこの容姿と若さを兼ね揃えており、自分の所に診察に来る患者の質について語っていた。どう見ても病気では無さそうな男が来るのだと言う。

泌尿器科は問診ではない。医師の目の前で陰部をさらけ出しマジマジと見てもらう。性器に問題が無いかを触診しなければならない。すると男の患者のペニスはムクムクと大きくなり出し、緊張どころか性的興奮を起こす。精子が溜まっていれば我慢汁させ滲み出す。これはアダルトビデオの世界ではない。現実の診察で起きているのである。その際、女医がヤリマンかどうかは関係ない。テレビに出演した泌尿器科の若い女医は「そういう患者も居ます。もう見慣れてます」と素っ気なく答えた。

話題が反れてしまったので戻そう。自分の歯と、どう付き合っていくべきか?
確かに歯医者と患者では認識が異なる。コーヒーや紅茶、或いは炭酸などによる着色や汚れすら奇麗にした方が良いと論ずる歯医者。患者からすれば、何はともあれ今の所、痛い所も無いし沁みる所も無い。口内のバランスを崩したくないから今は弄りたくないとなる。どちらも正論であり筋は通る。やるべきなのか?やらない方がいいのか?この葛藤で人は悩む。
例えば私には今、黒く変色した部分の歯がある。正直、気になってはいる。だが平穏には暮らせている。歯医者はコレを見て「治した方がいいですよ」と言う。どこの歯医者も「その程度、放置してて大丈夫ですよ」とは言わない。だが不思議なもので、心の何処かで「その程度、大丈夫ですよ」と笑顔で言い放つ歯医者を求めている自分が居るのである。これこそが妄想である。しかし、この都合のイイ妄想が己のモチベーションを保ち、折れない心を形成しているのも事実なのだ。
歯医者通いを難しくさせるのは、奇麗ごとで<生きている歯>を弄った結果、事態が悪化するケースである。もしかして弄らない方が良かったかもしれない。そう思う時があるのである。これは、どういう事なのか?
歯医者が必要以上にゴリゴリ削り過ぎた結果もあるが、どうやら歯と言うのは、どれか一本を弄るだけで歯神経のバランスが乱れるらしい。神経は頭のてっぺんから爪先まで全身で繋がっている。当然、そういう事もあり得る訳だ。

精神科領域に<歯科心身症>と言うのがある。歯医者通いが祟ってストレスが溜まり、不安症やパニック障害を引き起こす。口内の自律神経も乱れ、異常もない歯がシクシクしたり、知覚過敏を感じる様になったり、過去の治療歯(主に被せてある歯)の奥に違和感を感じたりする。
こうなると患者はまず、「こうなった原因は全て、自分を引き込んだ歯医者のせいだ」と歯医者に恨みを抱く。これはもう最悪の悪循環で、今辞めようにも既に手を付けてしまった以上逃げられない。完走するまで終わらないのだから、精神的に辛い。それを歯医者に訴えても歯医者には、どうする術もない。「何とか頑張って下さい」とか「治療の最中、辛かったら手を挙げて下さい」と言う慰みしか出来ない。

歯医者を擁護する訳ではないが、近年の歯医者事情は随分変わったと思う。ザックリ書くと、優しくなった。
椅子に座って不安そうにしていると声を掛けてくれる。「大丈夫ですか?」と若い歯医者はマスク越しに笑顔で言う。すると私は「歯医者苦手なんです」と答える。そこで返ってきた言葉で大分、緊張が緩んだ。

「大丈夫。いいんですよ。中々、歯医者が好きな人は居ませんから」

こう言った返しは、昭和や平成には見られなかった現象だった。昭和の歯医者は、もっと怖かった。やる気のない素振りを見せる患者には容赦なく嫌味が飛んできた。

「やる気ないなら辞めた方がいいんじゃないの」

「この程度の事で・・・しっかりしろよ」

「お前、それでも男か!悔しくないのか!0の人間なのか!」


流石に三つ目の言葉はスクールウォーズの滝沢先生の言葉で創作だが、人によっては効果ありそうだ。
歯医者と患者の距離感や空間については、海外が先進国らしい。どこの国でも歯医者は嫌われ者で、行きたがらない傾向が強いようだ。しかし生きている限り、何処かで世話にならなければならない場所でもあり、避けてばかりも居られない現実がある。強要や強制ではなく、患者自らが「歯医者に行きたい」と思わせる取り組みが歯科医師会では積極的に行われている。日本も此処の意識が変わってきたのである。
クリニックによっては不安症の患者に対する笑気ガスと言う抗・不安作用のガスを吸入させて、より安全な治療をする所もある。患者が歯医者に求めるものは何か?と言う客観視を歯科業界は始めた。歯医者にとって悩みとは、患者が怖がってしまう事だった。
今、歯医者に行くべきか?まだイイのか?積もる所、死ぬまで葛藤は続くのである。

多くの人がそうだと思うが、就いた職の数より面接の数の方が多い。中々、ピンポイントで「これ!」と決めた職場にすんなり就けるケースが少ない為、必然的に面接の数の方が多くなる。私なんかは正にそのケースで、結構な数の面接を受けてきた。個性的な面接もあれば、悔しかった面接や嬉しかった面接もり、自分で書くのもなんだが、その辺の経験値は並よりはあると思っている。
経験則で書かせて貰うと、面接では<返答に困る様な質問>をされる事がある。面接もある程度こなしてくると自分なりのパターンを構築し、こう来たらこう答えるみたいな答え合わせをする様になってくる。つまり面接官に対する警戒度が熟練され、表面上に出さなくても「さあ、どっからでも来い!」みたいに心の中で構える様になる。無防備な状態では面接を受けたくないと言う人達が近年増え、一昔前みたいに「当たって砕けろ」みたいなタイプは居なくなった様な気がする。では、面接で困る状況について幾つか挙げてみよう。

1:何故、前の仕事を辞めたのか?

この質問は、ほぼ当然の如く来る。どうやら面接官は、前職をどうやって辞めたのかが気になる様である。上司と喧嘩して辞めたのか、何らかの社内トラブルに巻き込まれたのか、給料に不満なのか、異性との恋愛関係がこじれて居ずらくなったのか。数え上げたらキリがない。そして、この質問が面接で無駄なのは、応募者は本当の事を言わないと言う点。

無難な所では「現在、務めている会社では収入が足りない。もう少し増やしたいと思ったのでアルバイトを志望しました」。面接官からすれば、この答こそが至極真っ当な答えと受け取る。
この質問で一番アウトな答えが「やりたい事が見つからないからアルバイトを選びました」とか、或いは逆に「やりたい事があるので、正社員ではなくアルバイトを選びました」とか、いわゆる曖昧さを漂わせる返答。この二つの答えは、ある程度年齢が経過してしまうほど辛くなってくる。逆に10代、20代くらいだと、面接官もそれほど深追いしてこない。多感な時期であるし、進むべき道を決めるにも猶予があると、流石に思うのだろう。面接官もそこまで鬼ではない。

2:空白の期間について

前の仕事を何らかの理由で辞めて、すぐに就職と言うパターンは意外に少ない。心身の疲労もあるし、精神的な安定もしたいから、暫く身を潜めて居たいと思うのは正常だと思う。しかし、この身を潜めるパターンも自分なりに期限を設けた方が良い。うっかりするとノンビリし過ぎて数か月や半年が経過するパターンも多い。私の基準では無職の期間は三ヵ月が妥当だと思う。それ以上長いと面接で「この開いている期間、何をなさってたんですか?」と聞かれた時、応え辛くなる。
とにかく面接官は空白の期間について、くどい程突っ込んでくる時がある。私は過去に、このパターンに陥り、面接の筈が事情聴取みたいになった事がある。面接官が取り調べの刑事さんみたいで、私自身は応募者と言うよりは店で万引きでもした犯人みたいで、ヘトヘトになった経験がある。
このケースの場合、嘘もありだと思う。実際、嘘を盛り込まないと乗り切れる見込みがないとさえ思う。例えば前の仕事を辞めて三ヵ月どころか三年が経過したとしよう。だが履歴書には職歴の欄に三ヵ月くらいの空白を設定する。と言うのも、三年が経過しようと、前の職の仕事内容は頭に入っている事が多いので、何を聞かれてもせっせと答えられるパターンが多い。その嘘の精密さは自分でも呆れるくらい細かく語る事が出来て、真実味と言うベールで覆う事が出来る。
面接官は刑事ではないので、裏を取るなんて事まではしない訳で、応募者は、そこまで神経質になる事は無い。嘘も方便と割り切り、悪い嘘を突いている訳ではないのだから、長いブランクであっても無難に三ヵ月と書いておこう。

3:何故、アルバイトなのか?

1の質問と似ている所があるが、微妙に違う。怖いもの知らずで正直に答えるならば、「正社員になって責任を持ちたくないからです」となる。流石にコレを言うと面接が終わると言う直感が脳裏を巡るので、殆どの人が言わない。
実の所、この質問って単純明快ながらも、かなり返答が難しい。「やりたい事が見つからないからです」と言う答えも拙い気がするし、かと言って「自分は芸術の道を目指しているので会社務めをする気はありません」と言うのも世捨て人みたいで気が引ける。面接官が求めているのは自己主張や自己弁護ではなく、アルバイトの正当な動機なのである。
例えば、職人の道を目指してますと答え、その職人の内訳が大工、料理人、工芸職人と言った場合、面接官は関心を持ってくれるパターンが多い。だが、芸能方面や執筆活動、創作活動と言った類には冷ややかな態度を取る事が多い。面接官は一様の反応として「ほ~・・・なるほど」とか薄ら笑いを浮かべながら言ってくれるが、内心は明らかに馬鹿にしている事が判る。内心では「お前みたいな奴がなれる訳ねえだろう」と思ってるかもしれない。

しかもアルバイト人生が長ければ長い程、次のバイト探しは難易度を増す。それでも頑なに「私の夢なので諦めません」と言い張り、当の面接官は目も合わせず伏し目がちに心の籠ってない「頑張って下さい」と言う言葉を返す。この時点で面接官はコイツは落とそうと決心をしている訳であり、採用はおおむね絶望となる。
コレって、どんな答えなら正解なんだろう?と考え込む訳であり、未だに私も答えが見つからない。誰かに教えて欲しいほどである。面接官との相性も絡むだろうし、タイミングや運もあると思われる。ズバリ本音を言って、面接官が冗談の通じる相手であり、「面白い奴だな」と思わせれば勝ちはみえてくるのだが。

4:特技や自己PRを、どう答えるか

聞いた話では、最近の面接では<特技>を聞いてくるそうだ。自己PRについては、一昔前から場所によっては聞かれる程度であったと認識している。
履歴書には特技の欄が設けてあるが、大体の人が読書、旅行、ゲームと書き、少し気取ってくると、歴史研究とか海外旅行とかウォッチングとか、いかにも自然に溶け込んでます的な答えを用意する。海外旅行と旅行は似ている様でニュアンスが違う。旅行って書くと山とか海とか連想する訳で、海外と書くだけで随分とゴージャスな感じを連想させる。由緒ある建造物であったり、歴史ある名所であったり。正直、此処の所を面接官に突っ込まれた場合を想定してるのかどうかに興味がある。

面接官も無知なくせに、意地悪く聞いてくる可能性もある。例えば特技に下ネタを混ぜ込んだ場合、どうなるのか。男の場合、SEXにおける前戯が並外れて得意と書き、女の場合は、フェラチオで速攻で起たせる事にかけては誰にも負けませんと書く。面接官は、どんな顔をするのか。これって全然悪い事でもないし犯罪でも何でもない。正真正銘の特技なのである。はしたないだの、下品だの、言われる筋合いはなく、それどころか日本は多様性と言うキーワードが浸透しつつある。クンニだろうがフェラチオだろうが特技は特技なのである。
選んだ職場が違うのではないか?と来たら、それこそ偏見と差別だと言ってやればいい。貴方は差別主義者なんですか?と。こういったやり取りの果てに面接の終了が潜んでいるが、それこそ思うツボ。今時の応募者は手ぶらでは来ない。何か傷付く事を言われた時に備え、スマホの録音機能を駆使したり、録音装置を忍ばせているかもしれないのである。

5:容姿に突っ込みを入れてくる面接官

これは思い出話をしてみたい。二回ほど印象深い面接が過去にあった。
20代の頃、地元の食品スーパーに品出しの募集があったので応募した。電話をすると店長らしき人が出た。店長は「面接をするから、今直ぐ来れる?」と私に聞いた。私は「え?今すぐですか?」と返した。すると店長は「履歴書に簡単にサラッと書いて持ってきて」と言う。「わかりました」と私は言って電話を切った。
御要望の通り、履歴書にサラッと書き、私服を着て自転車で店に行き、店長らしき人に声を掛けた。

「電話した〇〇です」
「あー、じゃあこっちに来て」


店の奥にある事務室で面接が始まった。

「前は何をやってたの?」
「プラスチック工場で働いてました」
「ふーん・・・」


すると店長は私の顔をマジマジと見て突然、「あ、髭伸びてるよ」と言った。
そりゃ~ないだろうと私は思う訳で、今すぐ来いと言ったのはそっちだろう?と。その<今すぐ>には髭剃りなんて余裕は無い訳で、そのくらい察していいと思うし、その程度見逃すのが人の情だろうと思うのである。しかも髭なんて言ったってボーボーに伸びてる訳じゃないし、薄っすらとあるくらいだったが、それすら許さない店長は、どうかと思ったのである。

その時点で雲行きは怪しかったし面接は終わったと思ったが、御丁寧に結果は郵送で送るからと来た。出すまでもなく結果は不合格なんだから、随分と勿体付けるモンだと当時思った。このやり取りは20数年前だが、この配慮って今時は結構普通になった。何故、その場で結果を言い渡さないのか?と言うと、トラブル防止の為である。

不合格を突き付けられ、落ち込んで帰る人が殆どだが、中にはキレる人も居ると言う事だろう。不合格に対し「何でですか!」と食って掛かり、場合によっては精神不安定で殴り掛かって来るかもしれない。そこを想定しての郵送なのである。間接的に断ると言うやり方を会社は学習した訳で、もっと用心深いのは書類選考と言うやり方。写真付きの履歴書を見て、予め応募者の雰囲気を知っておく。会社は無難だと思ってるのだろうけど、これって募集以前に偏見と差別を漂わせてる事に気付いてるんだろうか?まず外見と履歴だけで判断させて頂きますと言うやり方に応募者は嫌悪感を覚えるのである。何を見て判断してるんですか?と聞いてみたい。

もう一つ。30代前半の頃、これも隣町の食品スーパーでの思い出。又しても品出しのバイトである。
その頃、私は引き籠っていた。陽を浴びる事も少なかったし、運動不足もあってか血色と言うか顔色が悪い。このままじゃヤバいと言う危機感からなのか、バイトをしようと思った訳だ。

それで、いざ面接。

他人と接していない時間が多かったせいか、言葉が滑らかに出てこない。なので言い間違えたり、焦ったりする。すると店長は不思議そうな顔をして私に言った。

「〇〇さん、薬やってるでしょう?」

これには嘗てない程、仰天した。薬って要するに麻薬や覚醒剤の類の事を指しているのだろう事は察しが付く。

「え?薬?やってないですよ」
「いや、やってるよ。やってるでしょ?」
「いえ、やってないです」
「・・・あ~、そう」


このやり取りの後、この店長は店内の忙しさを大袈裟に語り、重い米をしょったり大変だよとか、大学生あたりが向いてる云々と語り、体よく終わらせようとしている雰囲気を満々に出していた。
この二つの経験談から伺える事が二つある。一つは、2店とも大手チェーン・スーパーだった事と、もう一つは店長の選り好みである。私は個人経営のスーパーに勤めた事があるが、大手と個人では随分と面接の具合が違う。個人の場合、気負いや、しがらみがないせいなのか、非常に気さくな面接をするのが特徴である。世間話で終始し、すぐに職場を紹介して「明日からお願いしますね」ってな感じで、あっさり決まるケースが多い。これに比べると大手は、かなり神経質である。
歳を取った今となっては判らなくもない。チェーンの店長は例えれば大名から選ばれた<城主>であり、城主には、任された以上、絶対に落城は許されないと言う責任を背負わされる。当然、自分に合った優秀な家来を配置しなければならない。侍大将、組頭、こう言った人材配置に常日頃、奔走しているのである。

結果、ふさわしい人材を求めざるを得ない。当然、見極めも厳しくなる。だが、そんな職場に限って募集欄を見ると決まって<未経験歓迎>とか<ブランクOK>とか書いてあったりする。厳しい見定めをするのであれば、いっその事、募集要項を厳しくした方が良いと思う。つまり、経験者優遇ではなく、経験者募集で良いと言う事。ブランクOKなんてしないで、ブランクお断りの方が応募者は安心するのではないか?

募集を厳しくする事は悪い事ではないと私は思う。そうする事で募集側が期待外れに合わなくても良い訳だし、応募側も絞ってくれた方が行きやすい。ハッキリさせた方が、お互いにメリットが多いのではなかろうか?

6:余計な念を押してくる人

アルバイトは歳を取れば取るほど応募し辛くなり、上手く入社出来たとしても嫌な事を経験しやすい。望む望まぬに限らず、それは向こうから勝手にやってくる。
これは地元の100円ショップでの経験談。この100円ショップ、現在は大手企業のイオングループに吸収され、ライバルのダイソーと競争してたのは一昔前の時代だろう。要は少々、落ち目の中小企業。この100円ショップについて、ちょっとした知識を披露しておこう。

物価高の日本で大活躍の安売り商売だが、売られている商品は何処から来るのか御存じだろうか?この大安売りの商品は、各地で倒産した企業から安く買い取られ、リサイクルされて100円ショップに並ぶ。倒産した企業からすれば、捨てるよりは1円でも10円でも金に換えて終わりにしたい。100円ショップは、そこに付け込んだ商売とも言える。
実際に働いてみて感じた事が幾つかある。一番目についたのは客の態度である。まともな客が大半ではあるが、極少数で嫌な客がやってくる。仕方ねえから買ってやるんだ的な態度をしてくる客が居る。明らかに安売り商売を馬鹿にしているのである。100円の物を買うのに態々1万円札を出してきたり、カードを使えるか?とか聞いてきたり、店員の態度がああだこうだと訴えてきたり、家電製品はあるか?とか無茶な事を聞いてきたり、挙句の果ては、クレーム対応した客が表に出て罵詈雑言を吐き散らし、通りかかる赤の他人に「あの店ね、〇〇なのよ。酷いでしょ~」とか同情を求めたり。こう言った面倒臭さは安売り店ならではの出来事であり、他の普通の店では起きた事が無かった。
そこで、こんな事が脳裏を過った。

「もしかして、この店は標的にされているのではないか?」

どうして、こんな厄介事ばかり起きるのかと不思議で仕方がなかった。そんな最中、とうとう私にも災難が襲ってきた。のんびりと寝転がっていた休日、店長から電話が掛かってきた。緊急の用だからすぐに来てくれと言う。私は急いで着替えて店に向かった。事務所には店長が待っていた。店長は言った。

「あのさ、ちょっと拙い事になったんだ。客から、あんたにクレームがきたらしいんだ。駄目だな、あんたは。こういう事は前にもあったんだけど、クレームって言うのは直接、店に来ないんだよ。本社に行っちゃうんだよ。これを放置しちゃうと俺が此処で仕事出来なくなっちゃうんだ」

此処まで聞いて店長が私に何を期待してるのか判ったので、こう言った。

「あ、そう言う事なら辞めます。今この場で辞めます。だって、私にクレームが来たんなら、店内に居ちゃ拙いですよね。1か月契約で契約満期まで5日残ってますが、月末だし、キリが良いから此処で終わりにします」

私自身、このパターンは初めてであった。私の方から辞める事を告げるパターンがあっても、職場の方から辞めてくれと半ば御願いされたのは今の所、最初で最後である。
この展開はいささか急で不自然だ。クレームが来た場合、まず、どう言った類のクレームだったのか、そういう場合、どう対応するのか、こう言った事を教えて次に活かす事をする筈で、「クレームが来たから、お前辞めろ」では余りにも救いが無い。この店長は、そう言った段取りを取らなかった。店員よりも自分の身を案じた訳だ。
この店長の面接は、そもそも気に入らなかった。雇用契約書の項目をクドクドと私に聞かせ、その殆どが金に対する注意ばかりで、コッソリ取ったらどうなるかをネチネチと念を押した。それだけでなく、当時、新人のアルバイトとして入った私はバイト連中の中で一番の年長者だった。店長が言うには、「あんた一番年長だけど、此処では一番下だからね。年下の人から命令されても聞くんだからね」と言う事だそうだ。子供じゃあるまいし、大の大人を捕まえて「金を盗むな」だとか「年下の先輩の命令を聞け」だとか、そんな事を言わなくたって判る訳で、要は常識ある勤務態度を心掛けるって事が全てだろう。
こんな感じで、押さなくてもイイ、余計な念を最初に押し付けてくる無礼な面接も現実に在るのである。この話には後日談がある。2023年夏、この店は潰れた。これを知った時、思わずガッツポーズをした。思うに、この店の店長は、私にだけでなく多くの従業員に<似た事>をしてきたのではないか?多くの従業員を傷付け泣かしてきたのではないか?
その後、この店長がどうなったのかは知らない。何処かで転職を果たしたのか、それとも無職でしょぼついてるのか、或いは人知れず死んだのか。もっと深く勘ぐれば、過去の罪を告発され、吸収したイオングループから何らかの仕置きを受けたのか。展開が展開だけに、随分と呪わしい閉店があるモンだなと思わざるを得ないのである。

と言う事で以上である。凄く長い長文になってしまった。前編、後編に分けた方が良いかなと考えたが、思い切って長文にさせて頂いた。此処まで飽きずに読んでくれた方に感謝。
面接は一種の砦である。希望する職場に立ち塞がる最初の難関と言うか、どうしても越えなければならない山なのである。それだけに憂鬱になる。気構えとして、どんな面接の展開が待っているのかを楽しむのも手だろう。良い面接を敢えて期待しない事。聞かれて嫌な事は前もって「答えたくない事はスルーしていいですか?」と面接官に先手を打つのも手だろう。雇手だから何でも聞いてイイ事にはならないし、言いたくない事は嫌だと言う権利を応募者は持ってイイ筈である。
そんな私はどうか?と言えば、嫌な経験も今は笑い話として此処で披露できるほど、懐かしい思い出になっているのである。

結論から書くと全国各地の熊被害は人災だと思う。
私の様に熊被害とは無縁の神奈川県民からすると、全国各地で起きる熊被害の報道は、毎年の恒例行事の様に聞き流すだけだったのだが、此処まで酷い事態になるとは思わなかった訳。
被害を直接与えているのは熊だとしても、一番の諸悪の根源は政治だと思う。つまり、マタギと呼ばれる熊撃ちのプロを何故、真面目に育成してこなかったのかと言う問題で、これは自治体が取り組むだけでは間に合わないし、国のど真ん中が取り組まなければならないのではないか?と思うのである。
熊騒動とは何なのかと言えば、自然のバランスが崩れたって事であり、このバランスを維持するのに必要なのがマタギと呼ばれる熊撃ちで、この人達が居るから人と熊と自然のバランスが取れる。人間社会は自然動物が増え過ぎる事をゆるさない。増え過ぎれば色んな被害が起きる。畑を荒らす、農作物も食われ商売に影響も出る、家畜も食い殺され、当然ながら人も襲われる。誤解してはならないのは、熊に限らず動物達は本能で生きてるって事。生きる為に食い、子孫を残す為に子を作る。人間は明確に殺意を持って生命を絶つが、動物達は生きる為以外に他の生物を殺めない。

ある実験で、一つの箱庭に虎と鹿を放った。誰もが虎が鹿に襲い掛かると思ったが結果は違った。実験した人間が何に驚いたかと言うと、虎は鹿に全く興味を示さず、空気の様に知らんぷりした事だった。
何故、虎は鹿を襲わなかったのか?
虎は、ついさっき食ったばかりで腹一杯だった。人間が畏怖する虎と言う猛獣も、腹が減ってなければ殺生に興味が無いのである。それを考えれば人間と言う動物は腹が一杯でも平気で人に襲い掛かる。地球規模と言う壮大さで考えれば、この地球上で一番ゴミの様に最低な動物は人間って事になる。何せ人間は必要以上にモノを食って無駄に自然を壊す。

人間の勘違いは、地球の覇者だと思ってしまっている事だろう。人間と動物の決定的な差は脳の仕組みと大きさだと言われているが、具体的に言えば動物に対抗出来る武器を発明したから人間は有利になれた。では、もしも熊が鉄砲を持って人間を狙い撃ちにする術を持っていたらどうなるのか?この時点で人間と熊の戦いは平行線になる。その熊の大群が鉄砲を持って徒党を組んで山を下りてきたら、もうそこはジブリアニメの宮崎駿の世界である。
そんな事が現実に起きる訳ねえだろ!と人はタカを括る。起きないと思っている。だが、そう思う人は、今起きている全国の熊騒動を予想出来たのかどうか。こんな風になるとは思わなかった。皆がそう思う。この理屈は東北の津波騒動でも当て嵌まる。あんな凄い波がまさか来るとは思わなかった。皆、そう思った。恐ろしいなと思った。

それにしても、増え続ける熊をどうするつもりなんだろう。自治体は申し訳程度に、現れた熊を小刻みに殺してるが、それで事態が休息する筈もない。この小刻みって言うのが厄介で、ジワジワ感が妙にリアルで人間の感情を揺さぶるのか、土地と関係の無い連中がわざわざ自治体に嫌がらせの電話をしてくるそうだ。
殺すのが嫌だったら、後は捕まえて熊牧場を作ってサーカスをするしかない。現実的には駆除と言う名目で熊には死んで貰う以外無いのではないか?日本では古来から熊撃ちが撃ち殺した熊は、食用になって人間が食う。マタギ達は誇りを持って熊を葬り、その肉を感謝を持って頂き霊を鎮める。素晴らしい信念を持つマタギと言うハンターをキワモノみたいに扱ってきたのは政治だろう。
考え方を変えるべきであり、マタギはなりたい人がなるのではなく、国が価値を持って職業としてのマタギを育成し、各地に派遣し、バランスの維持を目的に努める。日本の政治の危うさは、人間にしか行き届いていない事で、人間以外の事に対して無頓着なのである。そういう意味で、熊被害は灯台下暗しの人災と言えるのではないだろうか?

日本では不思議な事が起こっていて、此処30年、給料が上がらず、時給100円~200円の小銭を巡ってギャーギャーやっている所に、メジャーリーグの大谷翔平が6億円のポケットマネーをはたいて、日本全国2万件の小学校に野球用グローブを三つずつ寄付したのだそうな。
これから書く事は私個人の一つの見方として捉えて欲しいのだが、いささか大谷翔平と言う人物に空恐ろしさを感じてしまった。彼の中に芽生えた天下人への野心である。6億円を<はした金>としてばら撒くと言う行為は天下人だけが許される行為だ。何が書きたいかと言えば、パフォーマンスとしてはヤリ過ぎなのではないか?と言う事。
疑問が残るのは、このパフォーマンスが本当に大谷翔平の発案なのかどうか?と言う事で、目立つ事を避けていた彼のイメージからは随分とかけ離れた行為であり、人変わりでも起こしたのか?と思うほどのビックリなのである。英雄に取り巻きと言うのは定番で、やっている行為は民への施しであり、人気取りだ。しかも子供に目を付けた辺りに<したたかさ>と<あざとさ>を感じる訳で、何故かと言えば、子供を釣れば大人も釣れるからだ。大人の篭絡は面倒臭い。だったら子供を釣ってしまえ!と言うのは常套手段で戦略として間違っていない。今回のグローブ寄付報道は世界配信され、何やら大谷翔平と言うブランドを使った大々的な大売り出しが始まった気がしてならない。
 

称賛は最初だけで、この一件は時間経過と共に、おそらく誹謗中傷へと変わっていくだろうと私は予想する。何様のつもりだ、王にでもなったつもりなのかと。

物事には限度があって、寄付も一定額なら見過ごすが、個人が出す金額として多過ぎると人は警戒心を持つ。

では、どうすれば良かったのか?

正解は無い。只、大谷翔平が桁を間違えたのは確かで、この場合、6億ではなく6千万の方が穏やかな様な気がする。寄付と言う善意に浮世離れは必要なく、気持ちが伝わればそれで良いのである。
例えば、貴方がホームレスだったとして、善意ある人間が「貴方の為に家を差し上げましょう」と言う展開になった時、どんな家を貰えば貴方は喜ぶのか?庭付きの豪邸をドーンっと貰って心の底から感謝となるのかどうか。きっとそうはならないと思う。自分が望んだ欲しい家は、食卓でゆっくり飯が食えて、安心して寝られる布団があれば十分満足なのではなかろうか?
大谷は6億円で人の心を買おうとしてるんだろうか?だとすれば、世間が想像して止まない大谷像は随分と違うキャラだったと愕然とするしかない。そうでないとするならば、一体、6億円のグローブの意味とは何だったのか?いずれにしても善意には違いは無いんだけど、子供に夢をって奇麗ごとだけでは到底納得がいかないだろう。

 

 

プロレスって世間では、どう思われてるんだろう?

偏見的な見方では「頭の悪そうな力馬鹿たちのイカサマ商売」と見る人も居るかもしれない。よくテレビで見かけるプロレスラー達の発する<野蛮で頭の悪そうなオーラ>は、酷い表現だと怒られるかもしれないが否定しずらい部分もある。そのオーラは真正ではなく演技なんだろうと言う事は見ている側も暗黙で察している訳だ。
過去形の書き方になるが、私自身、プロレスにハマった時期がある。14歳から20歳までがピークで、以降、プロレスに対する熱がグーンっと急降下し冷めていった。嫌な事があったとか、そう言うのではなく、興味がなくなった。同じ頃に漫画を読む機会も減り、活字を好む様になった。何かが切り替わる転換期だったのかもしれない。
活字を読む様になって常日頃、感じる事の一つに、記者と呼ばれる人達の書く文章に圧倒される事が多々ある。取材力、構成力、動きのある生きた文章、何もかもが在野の書き手とは明らかに違う。プロレスと言うジャンルに興味を無くしたにも拘らず、本屋で見掛けると手に取ってしまう自分が居る。しかも懐かしのプロレスラー、レジェンドともなれば、妙に興奮してしまう。消滅したかに見えたプロレスへの関心と執着が頭の片隅に残っているんだろうか。そうとしか思えない。
 

田崎健太と言う作家。68年生まれで大学卒業後、小学館に入社。経歴を見ると週刊ポストの編集者であったらしい。つまり記者である。99年に退社し、以降はフリー作家としてスポーツ、芸能、政治と幅広く現在も執筆活動をしている。彼の書いた「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」と「真説・長州力 1951~2018」の両作品は傑作である。この両作品は二つで一つと言っても良い。片方を読んだら、もう片方も読みたくなるタイプの本。前編&後編と捉えても良いかもしれない。
両作品ともに共通しているのは<プロレスの光と闇>であり、世間一般が見ている表のプロレスと、その表の裏にうごめく魔物と本人を取材して生々しく見事に書き綴っている。一言で書けば「世間一般はプロレスを知らなさ過ぎる」のである。メディアで見せる飄々としたレスラー達の姿からは想像できない闇が、裏舞台には存在していたと言う事実。
本を読む前、プロレス業界は札束が飛び交う派手な世界を勝手に想像していた。試合が終わるとレスラーは意気揚々と控室に引き上げ、人目を気にせず缶ビールを空けてグビグビと豪快に飲む。前もって沸かしてあった風呂に飛び込む輩もいる。その後は、お決まりの頭の悪そうな野蛮なトークを記者陣の前で展開させ、誌面のネタを提供する。そんな業界だと思っていた。
 

プロレス業界は、例外はあるが、基本的に団体のトップレスラーが経営者として君臨する。代表的な所では、ジャイアント馬場やアントニオ猪木がそうだろう。長州力も初代タイガーマスクの佐山サトルも新日本プロレス出身者で、共にアントニオ猪木の手ほどきを受けた愛弟子である。

昨年死去したアントニオ猪木は驚くほど経営が不得手で、多くの社員やレスラーに迷惑を掛けたらしい。あらゆる経営に手を出したが、その殆どが失敗で半端ないほど借金を作り、有名レスラーに払うギャラですら困窮していた。なるほどって感じなのは、確かに数あるプロレス団体の中でも新日本プロレスの分裂騒動は類を見ない。出たり入ったり離合集散を繰り返す新日本プロレス。全く真逆なのはジャイアント馬場が経営する全日本プロレスで、選手の裏切り、離脱はあったが、経営難と言うのは聞いた事が無い。そんな極端な二人を著者の田崎は、思い付きの猪木と深謀遠慮の馬場と評している。
 

長州力と佐山サトル。共に80年代のスーパースターの二人だった。長髪をなびかせ剛力でねじ伏せる長州をテレビで観て、怖さを感じた。現在、変なオジさんみたいなキャラになった長州からは想像できない変わり様だ。

佐山サトルはどうか?SNSが普及して巷でブレイクしたのが<佐山の暴力動画>だった。どこぞの学校でキックの練習中、竹刀を片手に生徒をバシバシぶん殴って怒鳴っている姿が話題になった。

思わず「うわっ・・・」と引く様な凄惨な映像にも関わらず、観た視聴者はゲラゲラ笑うと言う怪現象が起きた。田崎は、この映像について佐山に取材で切り込む。佐山によると話題作りの芝居であったと本の中で明かしている。暴力が笑いに変わると言う現象はプロレスだけが持っている要素であり、他の格闘技では余り見られない不思議なジャンルと言えるだろう。
この本でとにかく印象に残るのは、プロレスラーのずさんな経営能力で、猪木は勿論、長州、佐山の二人も認めている。例えるなら、喧嘩で勝ったガキ大将がトップに立ち、負けた奴は下っ端の役員として就くと言う感じで、まるで中国の水滸伝みたいだ。

経営に対する恐怖心が無く、社員に給料が行き渡らなくても平然としている。ヤクザの世界ですらソコまではいかないのに、プロレス業界はそんな非常識がまかり通っていた時代があった。当然、内乱が起きる。内乱を起こした首謀者は誰かを引き連れて旗上げをする。その首謀者も経営能力が欠けているから同じ悲劇が起きる。笑えるほど滑稽な業界に思えるが、その辺の内部事情を田崎健太が上手く描いており、不思議と嫌悪感は無い。何処か愛嬌があり、憎めないプロレスラーと言う人達の人生が、田崎の本には詰まっている。