何でもアル牢屋

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誠に勝手ながらフォロワー申請を御断りさせて頂きます。商売目的の方からの申請が多い事が理由の一つですが、フォロワー数で優劣を競い合う風潮が嫌いなので無い方が良いのかなと。御理解頂きますようお願いします

動画が流行ってる時代だからこそ文章を大事にしたい。時には厳しく、時には楽しく。文章に拘るブログこそが我が志!宜しく御願い致します!

2026年7月23日、作家・東野圭吾・死去。突然の訃報に驚かれた人達も多かったのだろう。
東野圭吾と言う作家に全く興味が無い私は、彼の作品を一冊も読んだ事が無い。映像も興味が無い。手を出さなかった大きな理由は、彼が売れている人気作家だったからだろうと思う。これは嫌っているのではなく、私自身が人気者の輪の中に入る事を拒絶したからだろう。皆が読むなら私は読まないと言う捻くれ具合が意地の張り所だった。
ファンでもアンチでも無い私から見た東野圭吾と言う作家の印象は、大ヒット作連発のブランドネームにも拘らず、とにかく露出嫌いの捻くれ作家で、作品は商売がら御披露するが、本人は一切メディア出演しない。文豪業界の山下達郎の様なイメージを持っていた訳だ。
これほどのブランドネームにテレビやラジオからのオファーが無い筈はなく、あっても出演は一切お断りと言う初志貫徹は、私からすれば尊敬すべき姿勢であった。
一昔前、石田由良と言う作家がテレビでこんな事を言っていた。

「この御時勢、作品よりも作家が目立たないと売れない時代になってきた」

長らく作家稼業と言う商売は、作品より作家が目立つのはNGだと言う風潮があったのだが、日本の売れっ子作家たちは、こぞってテレビ出演を好んでワチャワチャと目立っていた。真逆の思考を持つ東野圭吾からすれば、同業者の馬鹿さ加減にウンザリしていたのかもしれない。より一層、自分自身はメディアから遠ざかろうと言う決意を固めたのかもしれない。

やがて活字離れがやってきた。日本人が読書を嫌う現象について東野圭吾は、どう見ていたのだろうか?
本人が亡くなった事で肖像権が緩んだのか知らないが、訃報に合わせて<動いて喋っている東野圭吾>の姿がVTRで解禁された。流石に勝手に放送した訳ではなく、遺族からの許可と言う形でVTR解禁となったのだろう。若いファンは、東野圭吾と言う作家の存在は知っていても、顔は知らないと言う人も居たのではないか?
それで思い出したのだが、村上春樹と言う作家にも不思議な現象が纏わりついていた。ハルキストと呼ばれる村上春樹ファンの中にも、村上春樹の姿を知らないと言う若者が意外に多かった。村上春樹が毎年の様にノーベル文学賞候補だと騒いでいた時期、あるテレビ番組が都内の本屋に張り込んで、どんな人が村上の本を買っていくのか検証する企画をやっていた。暫く張り込んでいると、一人の20代男性が村上の本を平台から取った。待ってましたとばかりにインタビュアーが若者に接近する。インタビュアーが若者に、こう聞いた。

「村上春樹のファンでしょうか?」

「そういう訳じゃないけど、流行ってるから買いに来ました」

「村上春樹って何歳くらいの方かご存じですか?」

「さあ知らないです。30代くらいじゃないですか」


驚くと言うか呆れると言うか、そんなVTRだった。村上春樹は、その当時で既に60歳を超えていた。流行だから買っていった若者の認識では、彼の年齢は30代だった。こんなズレ現象が起きるのも、全ては<流行>と言う魔法が成せる技としかいいようがないだろう。
書いてる作家などどうでもいい。要は作品が手に入れば万々歳と言う感覚は、木を見て森を見ずの例えとピッタリ合うと同時に、作家と読者の関係性についても考えさせられる。余計な無駄話のようだが、実の所、活字離れと密接な関係がある様な気がするのは私だけだろうか。

世の中には、売れっ子作家の本を読んではいけないと言う、ある種の縛りを自ら課している人達が一定数、存在する。
その理由としては、長い物に巻かれたくない、世間と融合したら負けみたいな直感的な危機感がある訳で、自然と輪の中から離脱をしたがる。窮屈そうな生き方なのかもしれないが、個人的には人間っぽくてイイなと思っている。何を隠そう私自身がそうだからである。
東野圭吾が書く本は必ず売れる。本を出すと同時に映画も公開される。メディアに出なくても引き籠って好きな事をしてるだけで印税がボコボコ入ってくる。作家の苦労を抜きに、そこだけを表面化すれば、売れっ子と言う人達は、嫉妬の的になっても何の不思議もない。売れっ子をチヤホヤする事の虚しさをファンは感じてないのだろうか?勇気や希望をくれるからと、よく聞くけれども、そもそも勇気や希望は自分の歩む人生で勝ち得ていくものなんじゃないのか?誰かがクレるもんじゃないよと説教染みた事を書いてしまった。

活字離れは風潮ではない。理由は簡単で作家レベルの低下と、出版社の新人作家・量産の二つが大きな原因だと前にも書いたのだが、今でもそれは変わらない。
まず作家のレベル低下と言うのは<時代の背景>が関係していて、これは流行とは関係が無い。日本を題材にして何かを書こうと思った時、意外な程、ネタが無い。せいぜい出て来るのは、人間の精神に関わる事ばかりで、誰かが好きだ、嫌いだ程度の話しか出て来ない。混沌や破壊、カオスを売りにする作家が日本に多いのはそのせいだろうと私は思っている。

戦争や内乱も起きない。野球選手のホームランが出たか出ないかばかりを気にしている今の日本は平和過ぎて引き出しが無い。本を売り物として出せる程の土台が無い。確固たる頑丈な土台が無いから丈夫な家を作れない。出来上がるのは泥の上に建てたフラフラの家と言うのが、今の出版業界の惨状だろう。
もう一つは出版社のイイ加減さにある。出版社は定期的に出版賞を設けて、その受賞者をプロデビューさせると言う手法を取っている。そこまではいいとしても、その後の彼等のケアはどうしているのか?デビューさせたんだから売れるモノをサッサと書けでは作家は成長しないだろう。
これを裏付ける証拠として、プロ作家の書いた自伝本を読むと、やはりと言うか編集者への苦言が必ず書いてある。その多くの理由が二つで、一つは情熱が感じられない。二つ目が勝負をする気が無い。無難を優先して守りに入り過ぎと言う、殆どのプロが指摘をしている。出版社や編集者は、この辺をどう思ってるのか?
興味深いのは、年間にどのくらいの新人作家がデビューをするのかと言う点で、何処を調べればそう言う事が判るのか知らないが、この量産型のデビューも無理が来ていると言う事だろう。デビューはしたけど誰も本を手に取ってくれないのは悲劇としか言い様が無い。こうなってしまうと、その作家は受賞者ではあるけどプロ作家ではない事になる。何故なら書いた本が売れないんだから。

そこで電子書籍の出番となる訳だが、紙の本と違って量産が利くのがメリットで、要らないならボタン一発で削除もでき、わざわざゴミとして捨てに行く手間も無くなる。所が、ユーザーに便利でも作家にとっては有難迷惑で、紙の本よりも安く買い叩かれると言う現状がある。
この辺をテレビを通じて喚いているのが今村省吾と言う作家で、具体的に言わないが、言わんとしてる所は、ちゃんと紙の本を売って印税をくれと主張している風に聞こえてくる。今村も大人だから、ハッキリと愚痴は言わず、ボヤかす程度に抑えてるのが伝わってくる。彼がメディアを使って、しきりに街の本屋を保護する取り組みをするのも、無駄だと分かってもジッとしてられない、ささやかな抵抗なんだろうなと思う。

2026年現在、小説家と言う稼業が、それほど魅力的な職業ではなくなってきた。それもその筈、活字離れと言う痛い現実の真っただ中で、作家達が命を削って作品に注ぎ込まなければならない理由が曖昧になったからだ。
1985年の27歳にプロデビューした東野圭吾。まず27歳と言う年齢は作家として若年なのかについて考えてみると、やはり早熟であると言えるだろう。どれほどの文才でも所詮は27年しか生きていない人生の引き出しから物語を紡ぎ出す事は大変な苦労であったと思う。私が思うに、物を書く苦労よりも資料集めと知識不足を補う為の勉強の方に比重が置かれた人だったのではないかと思う。
その苦労とストレスは次第に体を蝕んでいく。胃が痛い、頭が痛いを通り過ぎ、精神不安定にも襲われる。プロとアマの大きな違いは、自分の書く作品がビジネスになる事で、多くの人と金が動いていく。そこには責任が付きまとう。この責任は一種の悪魔の様な存在で、アマからプロとして一線を踏み越えた者に自動的に纏わりつく。何の世界でもプロは悪魔と共存しなければならない宿命にある。
責任と言う名の悪魔が求めるのは数字である。数字を出せないプロに対し、悪魔は荒れ狂って大暴れし、破滅に追い込んでいく。
日本の大スター作家・東野圭吾は41年と言う月日を悪魔と過ごし、68歳で息絶えるまで命を削り続けた。本音では、タイミングを見て作家を引退したいと思っていたかもしれない。そんな事は無いだろうと言うファンの反撃が来そうだが、そんな事は無いと言う根拠もない。実際の所は判らない。
思うに、何を書いてもチヤホヤされ、持ち上げられ、売れてしまう事が、やる気を無くす切っ掛けにも為り兼ねない。東野圭吾は、売れなかった頃の時の方が書く楽しさを感じていたのではないか。プロになって誰かの為に書く事が詰まらなくなってきた。何故書くのかと自問自答すれば、全ては金を稼いで生活をする為と言う不動の答えが言霊の様に響いてくる。

プロの作家なんて、そんなモンかもしれないね・・・なんて事を東野圭吾は言うのかもしれない。

両者は何故、仲が悪いのだろうか。八つ墓村の議論をすると、すぐ喧嘩になる。他の金田一作品では仲良くしている両者だが、八つ墓村になると持論を譲らない。これも又、八つ墓明神の祟りなんだろうか。
事の切っ掛けとなったのは間違いなく77年度版の松竹・八つ墓村。これを観て原作ファンの怒りは爆発した。

「なんだコレは(怒)」

原作ファンは何に腹を立てたのか。ダークヒーローとも言える多治見要蔵への感想は、両者とも大歓迎で、キング・オブ・要蔵とも言える山崎努には大喝采の拍手。要蔵に関しては両者とも求める要素は一緒だったらしく、原作よりも映像の方が活き活きとする不可思議なキャラだった。
原作ファンが最も腹を立てたのは、物語における落ち武者の立ち位置だった。原作と映像では何が違うのかを簡単に説明すると、原作における落ち武者の存在は村に伝わる怪談的な存在として機能し、殺人へのヒントとネタとして描かれている。つまり、あったのか無かったのか判らない伝承として数百年も恐れられ、祭られている祟り神として存在している。原作を読み終えた読者の大半はそう感じた筈である。
一方で77年度の松竹版・八つ墓村は、全面的に落ち武者の存在を浮き上がらせた。村で起きた一連の連続殺人と落ち武者伝説の奇妙な関連性に気付いたのは金田一耕助だった。この映像版での金田一は、落ち武者伝説を森美也子から聞いた後、何かを思い付いた様に執拗に系譜に拘る。殺人を犯した者と犠牲者になった者の系譜を遡ると言う不思議な捜査を展開する。この捜査は功を奏し、加害者と犠牲者の不思議な因縁があると言う事実に到達する。
この展開は原作には全く無い要素で、初見の原作ファンが観たら、こう思うだろう。

「なんで金田一は、系譜に拘ってるんだろう?」

脚本を担当した橋本忍は天才としか言い様が無い。400年前の戦国時代の山村で起きた局所的な事件を壮大に膨らませると言う芸当は橋本忍以外の脚本家に出来ただろうか?誰も思いつかなかっただろう。
私は、この77年版の八つ墓村の大ファンなので、時々、勝手な妄想を膨らませてしまう。この映画は、序章と言うか、エピソード0的な作品があってもいいのではなかろうかと。
それは具体的にどう言った話なのかと言うと、物語の舞台を400年前に戻し、多治見の先祖である庄左衛門を主人公に配置し、落ち武者殺しを計画し、実行に至るまでのプロットを組んでみたら面白いのではないか?と言う私個人の発想である。
そこでは、八人の落ち武者たちが落ち武者になる前の彼等の姿が描かれなければならない。どういう戦で、どう言う風に敗れ、どうやって落ち延びたのか?落ち延びた村で庄左衛門や他の村人と、どう言う風な交友があったのか。友情の先に裏切りがあり、そこから全ての因縁が始まり、何処にでもありそうな寒村に八つ墓村と言う禍々しい名が付くのである。

原作と映像を比べる以上、どうしても両方に目を通すのが筋と言うモノだろう。少なくとも、そうしないと比較が出来ない。私は両方、目を通した。
八つ墓村は2026年9月18日公開を含めると、四度目の映画化と言う事になる。ドラマ版も含めると、映像化は四回どころではない。金田一作品の映像化では最多を誇っている。何故、これほどまでに映像化をしたがるのか。この作品の持っている魔法とは何なのか?何回、映像化すれば気が済むのか。いっその事、NHK大河ドラマで50回に分けてやるのも面白いかもしれない。史上初のホラー大河ドラマと言う売込みは相当効くのではなかろうか。冗談抜きで、それほどのスケールを持っている作品だと私は思う。登場人物のキャラは立つし、プロットも立て易い。

で、2026年版・八つ墓村。これは、どれほど期待して良いモノかどうか。
金田一耕助に尾上松也を抜擢と言うのは、いかにも松竹っぽい。松竹と言えば歌舞伎。話題が少しずれるが、大ヒットして話題になった映画「国宝」。歌舞伎を題材にした作品なのだが、松竹が一切関わっていない。関わっていないから横浜流星と吉沢亮の二人を主役に出来たと言う背景がある。この映画がもし、松竹の制作だった場合、歌舞伎俳優が主演に抜擢されただろう事は予測出来る。だからよくある話なのだが、制作会社が推す俳優を起用する事が最低条件と言うケースは多い。今回の八つ墓村も、条件付きの制作だった可能性は高い。出なければ、いくらなんでも尾上松也が金田一と言う配役は無かっただろうと思われる。
実の所、77年版の八つ墓村の金田一が渥美清だったのも、松竹の意向が強かったからである。渥美清がやりたかったと言うより、松竹が無理やり配置したと言った方が判り易い。こちらの場合も、いくらなんでも寅さんのイメージが強すぎる渥美清が金田一と言う発想は誰も出来ないだろう。そんな感じで、配役にまつわる大人の事情は当時としては斬新だが、後になって色々判ってくる真実がある。

色々な想いはあるが、配役について、とやかく書くつもりは無い。決まったモノは仕方が無いし、既に撮影は終わり、後はキャンペーン活動をするのみと言う段階に入った。
只、一言書かせて頂くと、この八つ墓村と言う物語は、原作に近づければ近づけるほど詰まらなくなると言う事。この一つの結論は当然、原作を読んでいる事が大前提である。その上で原作寄りの映像は面白くないと私は断言してしまう。ズバリ、この作品はミステリーに近づけるよりホラー寄りに近づけた方が面白いし、多くのファンが観たがってる八つ墓村も、どうやら77年版に近い雰囲気を求めている。里村兄弟が出るのか出ないのかと言うよりも、里村が出た所で映像としては面白くはならないのである。何故ならば、里村兄弟が、それほど魅力的な登場人物ではないからである。現に彼等の魅力や存在感は、残虐非道な多治見要蔵にすら劣っている。その程度なのである。
監督はJホラーの得意な清水崇と言う事で、ホラーと言うよりは心霊的な見せ方が多い様な気がしてくる。心霊的な場面となれば落ち武者の出番。私的には、その落ち武者のメンバーが誰になるのか?の方に興味がある。77年版に寄せるのであれば、夏八木勲が演じた尼子義孝は誰がやるのか?義孝を支えた田中邦衛と稲葉義男の役を誰がやるのか?ネットを開いて眺めてると、不思議とこの辺の話題が盛り上がっていない。ファンにとって落ち武者達の存在は、どうでもいいんだろうか?気にならないんだろうか?映像のファンだったら、そこに拘らなきゃ駄目だろうと思う訳。
77年版を好きなファンなら、誰しもが怖かった尼子義孝を愛して止まないのである。偉大な夏八木先生に匹敵する怖さを見せて貰いたいと願っているのである。現在では、当時には無かったCG(コンピュータグラフィック)と言う手法がある。これは大変な武器になる。よって凄い場面を作れる。映像ファンが期待して止まないのは、落ち武者殺しの回想シーンであり、繰り広げられる惨劇の無残さと残虐さに他ならない。どうやって殺すのか、どんな風に死んでいくのか、生首が並べられ、目と口が開く。その表現を超えるモノを作らないとハードルは越えられない。ハードルは越えるべきだ。今の技術なら、越えられる可能性があるのである。そこに挑戦をしたのかしてないのか、今作の見所の一つである事は間違いない。

 

 

 

私の地元、神奈川県川崎市にある元住吉と言う街は、有名人がよく遊びに来る。この元住吉に、TBSに勤めていた当時の久米宏が住んでいた。当時、久米宏は独身で、通勤は東急東横線を使っていた。
元住吉の最大の自慢は、圧倒的な飲食店の数である。元住吉にはブレーメン通りオズ通りと言う二つの商店街が在り、和食、洋食、中華、焼き肉、ラーメン、カレーなど、何件あるんだろう?と探すのが大変なくらいアッチコッチにある。この商店街に、有名人たちが御忍びで来てたりする。
大御所で言えばタモリ。彼の自宅は田園調布と言う高級住宅地である事は有名だが、タモリは昔から美食家で田園調布の駅から東急東横線を使って元住吉の駅で下車し、一人でコッソリ食べに通っていた。元住吉の隣町である武蔵小杉と言う街の方が世間的にはメジャーなのだが、タモリはソッチには行かず、敢えてマイナーな元住吉にやってくる。いかにもサブカルなタモリらしい。
今では無くなってしまったが、私の住んでる近所に<焼肉交差点>と呼ばれた少し広めな交差点があった。その焼き肉屋に俳優の反町隆史と松嶋菜々子の夫妻がやってきた。この店は私も通った常連なのだが、店に行くとレジの近くに反町&松嶋夫妻と店長の記念写真が自慢気に飾ってあったのを覚えている。
他にも、まだまだ居る。俳優の要潤も元住吉に住んでいた。彼は焼き鳥が好きで、駅から少し離れたオズ通りにある総菜屋さんの焼き鳥を買いに来ていた。ついでに総菜屋の近くにあったゲームセンターに居たりもした。要潤は背が高いので、それなりに目立っていた。
ブレーメン通りには女優の吉岡里帆が御忍びでカレー屋さんに来ていた。このカレー屋は漫画喫茶みたいな内装なのだが、いつ行っても客が入って繁盛している。吉岡が好んで注文していたのはハンバーグカレーとナポリタンのセットで、テレビで観る様な華やかな感じではなく、眼鏡を掛け、普通で地味な格好でやってくる。居ても気がつかれないのかもしれない。流石に店長さんは知っていたと思うが。
仕事の撮影と言う所では、芸人のサマーズが来た。番組はテレビ東京のモヤさまでは無いかと思う。片岡鶴太郎もドラマ撮影でやってきた。テレビで観たまんまの人で、テレビで観る以上に小柄な感じだった。

その元住吉と縁があった久米宏が亡くなった。享年81歳。肺ガンだったらしい。若い頃から煙草が大好きな人だった。煙草が原因かどうかまでは判らないが、ストレスの溜まり易いテレビマンともなれば、煙草と言う嗜好品は欠かせなかったのかもしれない。
亡くなったのは2026年の1月1日。年明けの元旦だった。公式な発表は13日だったが、報道を観てみると司会者や出演者も妙に落ち着いている。世間一般からすれば、テレビメディア側は前持って知っていたと取るのが常識だろう。少なくとも正月三日が明けた頃には情報が入ってきて知っていた筈である。全然慌てて驚いてる様子も見られない。
年明けと言えば女優の長澤まさみの結婚が発表されたが、こちらの方は不自然な程、ラジオでもテレビでもネタにされない。事務所側と長澤まさみが完全に情報のシャットアウトに徹したので、メディアも騒ぎ様が無かった。しかしながら、この対応が良かったのかどうかと言えば、少々拙いのではないかとも思う。プライベートに踏み込んでくれるなと言う言い分は判る。発表だけはするから、それだけで終わらせてくれと言うのも判る。しかしながら、お目出度事だし、人気者の長澤まさみともなれば多少の祝福くらい良いではないか?くらいの事はメディア側も思う事だろう。それすらも拒絶された。心配なのは長澤まさみとメディアの<これからの関係>である。溝が出来たりはしないのだろうか?或いは宣伝の時だけはメディアを利用するのか?とか言われそうではある。
久米宏の死去報道も長澤まさみの結婚報道も、事後報告、もしくは情報のシャットアウトともなれば、世間一般と芸能とメディアの三角関係の在り方が大きく変化するのではないか?とも思えてくる。その究極系は、もうプライベートは一切発信しないと言う所に尽きる。完全なる隔絶こそが目指すべき終点なんだろうか。

久米宏・死去の報道当日、沢山の久米宏の昔の映像が流された。その殆どがテレビ朝日のニュース・ステーションの映像だった。破天荒、今となっては有り得ない演出、刺激的な口調など、若い世代が観たら大変魅力に感じた人も多かったろうと思う。
私が一つ懸念するのは、テレビ大不況の真っただ中で、テレビ側が受けを狙って久米宏の真似事を活性化させる事で、私はこれを<久米宏・症候群>と名付ける。私に言わせれば、古舘伊知郎、宮根誠司に代表される奇をてらった司会者は皆、久米宏の猿真似をしている。そして共通してるのは、久米宏、古舘伊知郎、宮根誠司の三人は、いずれも報道出身ではなくエンタメ出身のアナウンサーである。
テレビ業界がやってきた事は、経験値を必要とするポジジョンに、敢えて未経験者を放り込んでやらせる事で、一種の化学反応を狙っていた。例えれば、ラーメン屋にカレーを作らせたら美味かったとか、寿司職人に中華を作らせたら意外な料理が出てきたとか、SEX経験の無い童貞を面白がってAV男優として出演させたら意外なテクニックを御披露したとか、そういう類であったと私は思っている。

これから予想される事は、何人かの知ったかぶりの作家が得意げに<久米宏とは何者だったのか?>と言う類の本を出版する事。その多くが革命だとか、新しい時代だとかのワードを使う事だろう。
各局の報道を観てて気づいた事は、殆どの人達が「ニュースを判り易くして、難しいイメージを取っ払った功労者」と表現していた。

本当にそうなんだろうか?

だから久米宏の様な人がもっと出てきた方が良いと言えるんだろうか?

落ち込んだテレビ業界の今、この辺を議論する価値は大いにあるだろうと思う。

久米宏は、限りなくアメリカンなタイプの司会者であった。此処で例えたアメリカンと言うのは、とにかく聞きたい事をストレートに聞く、遠慮をしない、相手と喧嘩してでも本音を引き出すと言う類いの事を言う。
日本のメディアは、相手を下から見て遠慮しながら話をする。アメリカでは、司会者と相手が同じ目線で対等に話をする。だから緊張感が違ってくる。久米の聞き方は、これを聞いたら怒るんじゃないか?と思わせる様なネタを振ってくる。不思議なモノで、本当に聞きたい事は、相手が聞いてほしくない事と上手い具合にリンクするのである。久米の話術は、この辺を心得ていた。だから彼の聞き方に、いつもドキドキハラハラさせられた。
久米には名台詞がある。

「私はキャスターじゃないんです。司会者なんです」

報道番組を担当する司会者を日本ではキャスターと言ってしまう。だが、日本の殆どの報道番組の司会者はキャスターの意味を履き違えている。まず、キャスターは意見をコメンテーターから拝聴などしない。自分で説明が出来るからキャスターなのである。この点で、殆どの情報・報道番組の司会者は失格である。
苦言だが、日本は履き違えるのが得意な国で、例えばクリスマスやバレンタインデーを恋人の集いみたいにしてしまったり、お盆にしても本来なら故郷に帰省するのが目的なのに、連休を使って旅行をしてしまったり、ハロウィンに仮装して飲めや歌えやの大騒ぎにして迷惑を掛けたり、外国からすると浮世離れした不思議な国に見えているのだろう。だからよく「おお~ファンタジー!」と外人に言われる。

私は思うのだが、久米宏は居なくなったけども、久米宏の様な人は意外にアッチコッチに居るのではないか?
久米宏の様な人が出て来れないのは、テレビ側が発言の封じ込めをしているからだろう。久米宏はテレビと言う業界で一種の教祖になったと言える。その信者達は各方面にうごめいていて、飛び出す機会を今か今かと待ち構えている。

 

同窓会に行って感じた事は、懐かしさと同時に自分の存在の確認行為と言う意味合いもあったのかな?と言う事。
これまでの人生の総決算とも言い換える事も出来る。此処まで何をして、どう生きて来たのか?と言う、自分なりの成績表を恐る恐る開いて見ると言うイベントだったのかもしれない。そこを踏まえて、来たいけど来れなかった人、来れない事情があった人、行くか行くまいか散々悩み、最終決断として行かないと言う選択をした人、高校デビューで中学時代は詰まらなかった人、精神的に病んで動けない人、積もる話になるとヤバいと言う不安に駆られた人、療養中で行くに行かれなかった人・・・様々である。

下世話な事だが、同級生のSEX事情が凄く気になってしまった。
35年前、15歳の同級生の殆どが童貞、処女であった。その童貞と処女が、この35年の何処かで私の知らない誰かと出会い、SEXをしたのである。そう考えた時、彼等のSEXが、どう言うSEXであったのか想像をしてしまった。
SEXは身近にあるようで身近になく、遠い果ての様で意外に近くにあったりする。風任せに普通に生きているとSEXに遭遇する事は無いだろうと私は思う。SEXをしたければ、SEXと言うゴール地点を設定し、そこに向かって走らなければならない。その先に誰が待っているのか、どんな人が自分のSEXの相手になるのか予測は全く不可能である。
少なくとも、同窓会に集まった既婚の同級生は、その道筋を辿った。例えば当時、どう見ても異性に人気の無さそうな同級生が驚くほど速く結婚し、子供を3人も作った。その同級生が裸になってパートナーと抱き合っている姿を想像すると、どうにもシックリ来ない。こんな想像自体が大変失礼な事だと言う事は重々承知なのだが、そんな時に限って想像が膨らんでしまう。
50歳と言えば、結婚適齢期の20代半ばで結婚し、子作りが上手い事いけば、20代前後の子供が居てもおかしくない。その子供の結婚が早ければ、孫だっているかも知れないのである。そう考えると随分と歳を取ったもんだと感慨深くなる。
そう言えば、同じクラスの同級生にAV男優になりたいと言う夢を持った奴が居た。彼は登校拒否で滅多に学校に来なかった。卒業式にも参加せず、卒業式が終わった頃、式場の体育館の入り口の近くでポケットに手を突っ込んで立っていた。卒業式の日は寒く、小雪がパラついていたのを今でも覚えている。

同窓会の連絡を受けてアメリカから帰国し、参加してくれた女子の同級生がいた。
途中参加で、偶然同じテーブル席だったので話す事が出来た。この同級生は中々複雑で、小学校は3年生まで一緒で、進級と同時に転校していった。その事を聞いて見た所、親の仕事の都合で通学が困難になると言う事情で、やむなく学校を変えざるを得なかったと言う事らしかった。
中学へ進学した頃、私とは別のクラスで彼女を見掛けたので「あれ?」っと思った。その時は、また地元に戻ってきたんだなと思ったのだが、事実はそうではなく、要するに同じ地元で学校だけ変えたと言う事だった。正に35年目の真実。
中学の頃から垢抜けた存在感ではあった。中学生にしてエレガントな雰囲気を持った生徒に見えた。実際、育ちが良いのだろう。同窓会にやってきた彼女はアメリカンな感じだった。挨拶は御辞儀や握手ではなくハグだった。私も含めた数人の同級生とハグをした。昔と違って肌を触れ合わせる事が難しくなった今の時代で、突然のハグと言う行動に戸惑ったが、自分でも意外な程、自然に出来た。彼女の肌は適度に日焼けし、柔らかく暖かかった。
成人を過ぎた同窓会の定番だが、どうしても結婚や家庭の話になる。左手薬指を見ると指輪をしていたので結婚はしてるなと思ったので、子供の事を聞いてみた。残念ながら、このエレガントな彼女は子供には恵まれなかったらしい。その事を話している時、彼女は子宮のある下腹部をさすっていた。
彼女に感心したのは、自分の弱みを今日だけしか接しない同級生に堂々と打ち明けた事だった。アメリカンなノリだからと言う理由だけではない。人によっては避けたがる話題だし、弱い部分を見せる事は容易な事ではない筈。それを出来た彼女がカッコ良く見えた。そんな彼女がアメリカに帰国したのは、同窓会から二日後だった。

長くなってしまった同窓会の記事だが、今回で最後。最後に同級生ってどういう存在なんだろう?と考えてみた。
個人的な結論だが、同級生とは、同時代を同じ時間軸で生きている人達。これでどうだろうか。一般人も芸能人もスポーツ選手も文化人も芸術家も、もっと視野を拡げれば1975年に生まれた世界中の人々が同級生であると言う事。

年々感じる事だが、同世代に対する想いに関して、若い頃とは違う感情がある事を実感している。同じ時間軸で同級生たちは、各々が自分とは違う行動をしている。あの日、あの時、あの同級生は何をしていたんだろう?と言う好奇心が湧くのである。
例えば、ニュースで犯罪を犯して連行されていく同い年の容疑者を見ると複雑な心境になる。人の道を踏み外していった同級生がいる。一方で称賛される同級生も居る。波風を立てず、慎ましく生きる同級生もいる。
 

経験則として伝えたい事は、もし同窓会に参加しようか迷っている人が居たら、思い切って参加してみる事をお勧めする。私の場合、同窓会の話が来たのが5月で、開催は7月の中旬だった。その期間、随分と迷い悩んだ。いっそ、これだけ参加に苦しむなら辞めようと何度も思った。だが、最後の一週間で私は腹を括り覚悟を決めた。

頭の中は不安で一杯なのである。孤立したらどうしようとか、話し相手が居なくて飲み物だけグビグビ飲んで終ったらどうしようとか、中傷されたら嫌だなとか、そんな嫌な想像ばかりに襲われたが、実際に行ってみると、嫌な想像も、所詮は想像だなと思い知らされた。想像って想像に過ぎない。そして想像は当たらない。良い意味で想像とは違う全くの別な展開が待っていた。
私もそうなのだが、同窓会に行く際、当時仲良くしてた人が来ないとテンション上がらないなと思っていたのだが、行ってみると、当時、話した事も無い様な同級生と不思議と会話が弾む。これは未だに不思議に思う。と言うのは、自分が相手を知らなくても意外に他の同級生が自分の事を知っていたりする。そこに対する嬉しさを反動に会話が弾んでくる。そんな展開もあるのである。

 

 

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これはどうしても避けられない現実だった。死は年寄りの特権では無い。若くても死ぬのだと言う事を人生で学んできた。
50歳ってどんな時期なんだろう?と考えてみた。爺さんや婆さんとは思えない。だが結婚や出産が早ければ、孫が居てもおかしくはない年齢ではある。その場合、随分と外見の若い爺さん婆さんとなる。時の流れを痛感せざるを得ない。
知っただけでも4人の死亡者が居た。二人が病死、一人は事故死、一人は自殺であった。自殺した同級生は男子で、事業に失敗し、多額の借金を抱え、嫁さんと子供を残して風呂場で首を吊ったと言う事だった。この自殺した同級生は多少縁があった男だった。陸上部の100メートル走で11秒台を叩き出した俊足だった。私の通った中学校では、1年生は必ず何かの部活に強制的に入部しなければならないシステムだった。最初から帰宅部と言う選択は許されなかった。遊びたい連中は、部活に籍を置きながら活動はせず、幽霊部員としてサボってバックレるしか手段は無かった。
私は陸上部に入り、嫌々練習をし、朝練をサボり、放課後、どうやって逃げようかと思案を巡らす不良だった。自殺した同級生は真面目な部員で、400メートルリレーの一人であり、100メートル走の選手だった。とにかく速いので花形の存在だった。実家は床屋だった。
中学を出てからの彼を知る事は無かったが、総体的に学校時代のスターは結構な頻度で不幸になる様な気がする。いわゆるエリート人生。他人から褒められ続ける人生。そう言うスターが会社勤めから実業家に転身し、最後には悲劇的な死を迎えるパターンは、この同級生だけではないだろう。
自殺した彼は、もう歳を取る事は無くなった。肉体そのものが無くなってしまった。50歳を迎える事が出来なかった。そこで考える。この同級生は生きていたら、今回の同窓会に来たんだろうかと。自殺をしなければ彼は生きて50歳になっていた。そう考えると複雑な心境になる。

二人の病死の内、一人は、小学生時代の大親友であった。どうやって仲良くなったんだろうと想い出すと、共通の趣味がクンフー映画だった。昭和50年代、テレビ映画が全盛で、今みたいにジブリ作品や御馴染みのメジャー作品だけでなく、多くの人が知らないB級映画がテレビで沢山流されていた時代だった。
そこで登場したのがジャッキーチェンだった。彼の持つ個性は少年の心を惹き付けた。映画を観た翌日、学校へ行くと話のネタになった。そういう流れで仲良くなれた友人が何人か居た。死んだ友人は小学生の頃、私の家によく来た。少し薄暗い部屋で一緒にテレビを観てたのを想い出す。
不思議なモノで、小学校時代の6年間は、2年おきに友人が変わっていった。死んだ友人とは2年生まで仲良くしていたが、3年生からは御互いに遊び相手が変わり、一緒に遊ぶ事が無くなった。喧嘩とかではなく、自然と離れていった感じだった。
中学に入ると完全に遊ぶ事は無くなった。先日、卒業アルバムを見て驚いたのは、3年生の時、一緒のクラスだった事だった。クラスが一緒だった事すら忘れているのである。と言う事は、御互いに完全に関心を失っているのである。
風の便りと言う言葉がある。実際に会わなくても、誰かからの話で、その人の情報が入ってくる時に使う言葉だ。その風の便りで、彼の今の情報を知った。彼は中学を卒業した後、高校へ進学したが長続きせず学校を辞めてしまった。辞めた後、彼は料理人の道を歩んだ。ジャンルは中華である。地元の街中華屋で修業し、独立はせず、勤め人として過ごした。
30歳を過ぎた頃、思わぬ所で彼と再会した。地元の大病院で検査をした帰りに、近くにある年季の入った街中華屋に入ったら彼が厨房に居たのである。台所でエビの皮むきをしていた彼は客として入ってきた私に気付いた。照れ臭そうに笑っていたのを覚えている。
「いらっしゃい」と言って彼は注文を聞きに来た。「久しぶり」と私は答えた。台所の親方の視線を感じたので、長々と話はできないと察したので早々と注文をした。頼んだのはチャーハンと餃子だった。チャーハンと言うより焼き飯と言う言い方の方がシックリくるのではないかと言う感じのチャーハンだった。
この再会が生きている彼を見た最後だった。その後、この街中華屋は立ち退きで潰れ、友人は、この時点では職を失った事になる。その後、彼は地元の商店街の近くでアパートを借りて住んでいたと言う所までが、私が知ってる彼の情報だった。
その続きを同窓会で同席した昔の友人から聞いた。

「あ、そう言えば○○、死んだよ」

それを聞いた時、鳥肌が立った。
苦労人だと言う事は知っている。しかし、それであっても何とか生きて頑張ってくれていると思っていただけにショックだった。死因は癌だったらしい。中華屋の後、配達で生計を立て、その傍らで母親の介護をし、疲れに疲れ切って病に倒れた。私はそれを聞いた時、涙が出そうになった。どうして彼は、そんな苦労を背負わなければならなかったんだろう。同窓会は皆、笑顔で盛り上がり、酒を飲んで楽しそうにしている。どうして彼は、この席に来る事を許されなかったんだろうと。

 

 

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