何でもアル牢屋 -2ページ目

何でもアル牢屋

誠に勝手ながらフォロワー申請を御断りさせて頂きます。商売目的の方からの申請が多い事が理由の一つですが、フォロワー数で優劣を競い合う風潮が嫌いなので無い方が良いのかなと。御理解頂きますようお願いします

同窓会と言えば初恋の人。その人が来ると判った時点で行く気が起きたのも事実。
初恋の彼女は小学生の時から仲良くしていた子だった。元気でハツラツで明るくて、暗さとは無縁の様な感じの子だった。小学校の席替えで、意図的に隣になる様に細工をする様な仲だった。その仲も中学までで、彼女は中2の頃に同級生の彼氏が出来た。学校の帰りに時々、彼女と彼氏を見掛けた。彼女は彼氏の自転車の後ろに乗って楽しそうだった。そう言う光景を奇妙な感覚で見ていた記憶がある。
そんな私も彼女も今年50歳になった。ロビーで幹事と話していると、彼女がホテルにやってきた。どんな容姿になってるんだろう?と言うのが一番の関心だったが、彼女は瑞々しかった。少し色黒で可愛い感じだった彼女の肌は白くなり、洗練された容姿になっていた。50の女には見えなかった。
テーブル席が違っていた為、接近する事が出来なかったのだが、終わり際に彼女の方から寄って来て話し掛けてくれた。

彼女:「〇〇ちゃん、久しぶり。元気」

私:「久しぶりだね」


こんな会話から始まった。
彼女は20代の前半で公務員と結婚し、女の子を産んだ。その女の子はもう20代後半になる。

私:「結婚、早かったよね」

彼女:「うん。結婚しなきゃよかったよ」


話のノリと勢いでそう言ったと私は解釈した。と言うのも、私の母も彼女と同じ様な事を言った事があるのを覚えていたからだ。女は結婚して時が経つと、そう言う事を言うのかもしれないなと私は思った。

私:「娘さん、可愛いでしょ」

彼女:「家に居るよ。あんなの可愛くないよ」


サバサバした彼女の言い方に私は笑った。我が子を可愛くない母親など居ないのである。彼女なりのユーモアだと思うし、サービス精神と社交性のある彼女らしいなと懐かしく思った。
50に見えないほど若く見えたし、もっと話せたらなと正直思った。きっと昔話で盛り上がれただろう。今だから聞きたい事もあった。もういつ会えるかも分からない。だけどもタイミングと時間が無いと言う煩わしさ。この同窓会で感じた唯一の不満だった。
 

話し込んだら好きになってしまうかもしれないと言う妙な感覚が私にはあった。彼女には無かったかもしれない。でも50になった彼女が、とても魅力的に見えた。でも彼女には旦那が居るし、娘も居ると言う現実がある。本当に実ってしまう50歳同士の恋だとすれば、それは非常に危険な恋になるだろう事は判っているのである。
同窓会の翌日、幹事からスマホのLINEの誘いが来て、参加した30人が全てLINEで繋がると言う現象が起きた。この中には当然、初恋の人のLINEも入っていた。だが、このLINEはあくまでも幹事が主催しているグループなので、個人的な書き込みは避けなければならない。なので、初恋の人にピンポイントで「お疲れ様、元気?」とかやってしまうと違和感があるし、他の連中にも見られるので、それは出来ない。
どういう考え方をすればよいのだろう。何か違う考え方が必要だと感じた。そこで辿り着いた考え方とは、プラスマイナスだった。つまり、良い事も悪い事も半々でイイじゃないかと言う考え方。そもそも、タイミング的には奇跡的な同窓会だった。2度あって2度参加せず、3度めがあった事自体が、もはや奇跡だったんじゃないかと。初恋の彼女目当てでなくても、当時、よく遊んだ友人達と再会できて話が出来た事だけでも上出来だったんじゃないかと。
その上で、これ以上は高望みだし、欲の搔き過ぎなんじゃないかと。何か行動を起こして波紋や波風を立てるよりも、静かな日常へ戻った方が良いのではないかと。そうやって自分の精神をコントロールする事が、今の私に出来る事だった。
 

最近感じる事だが、男と女では初恋に対する拘りが違うのではないか?と言う事。男はいつまで経っても初恋の相手を忘れず、どれだけの月日が経っても記憶の片隅に残り続ける。50歳になった今でも、寝ている夢の中に初恋の人が登場する事もある。そんな夢を見た後の寝覚めは妙に体が重い。
一方で、女は初恋の男がどんな存在であったのか?と言う事に関しては謎めいている。引きずる事も無く、曲がり角を振り返らないと言う話を過去に聞いた事はあった。初恋の男など過去の産物で、ただ今現在こそが現実の全てなのよ!なんてカラッと笑われるかもしれない。
色んな意味で初恋は特種だと思わざるを得ない。

 

次回に続く!

 

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恐縮ながら個人的な今年の総決算と言う事で書き綴りたい。長くなりそうなので、数回に分けようと思う。年内には終わる予定。
35年ぶりの中学の同窓会に行って来た。場所はホテルの宴会場で、集まった人数は30人。35年ぶりと言うのは昭和50年生まれの世代が今年50歳と言うキリ番と言う事で、クラス会を更に拡げ、4クラスで集めてみようと言う趣向だったらしい。
一つのクラスが男22人、女22人。偶数の44人だから、4クラスで全員集まった場合、160人を超える訳だが、集まれたのは1クラス以下の30人。幹事に聞いたら、連絡が取れないのが一番の来れない理由らしい。これはもう仕方が無い。私達の時代は携帯電話やスマホなんか無かったし、連絡の手段が卒業アルバムの自宅番号しかない。仕事の都合で地元を出た人、女子なら嫁いで他所の土地へ行ってしまったとか、まあ色々。
連絡は取れたけど自分の意思で来なかった人もチラホラ。こう言う人達も気持ちは判る。私達くらいの歳になると純粋さよりも合理主義や損得勘定が強くなってくる。今更会ってどうなる?とか、会った所で何を話すんだとか。恋の出会いを求めてと言うのも現実味が無くなってくる。特に女子は、50と言う年齢で仮に独身だったとしても、妊娠&出産と言う流れも実質無理。付き合っても展開が望めない以上、テンションが上がらない。
会費は一人8千円だったが、この値段を払うなら国産の新米を買った方がどれほどの得なのか?と考える人も居ただろうと思う。かと言ってこう言う同級生を責める気は全くしない。同窓会とは全く突然のイベントであり、唐突であり、急であり、時には日常のバランスさえ乱しかねない大仕事な訳だから。
 

それで、いざ35年ぶりに再会してみた訳だが、皆、若い。若く見える。私の想像では禿やデブなど、極端に容姿が変わった姿だったのだが、冗談じゃなく本当に一人もそう言うのが居なかった。
私がホテルのロビーに到着し、幹事は何処かなとキョロキョロしてると、幹事はすぐにサングラスを掛けた私を見つけてくれた。

幹事:「〇〇さん?御無沙汰してます。〇〇です」

私:「おお、久しぶり」


35年ぶりにも関わらず、御互い自然体の笑顔の再会で全く違和感が無い。これは不思議であった。
中学の同窓会は過去2回あったが、私は2回とも参加しなかった。参加しなかった理由は忙しいとかじゃなく、不安が強かったからだった。具体的には話し相手が居るんだろうか?とか、近づいてきてくれる人が居るだろうか?とか、要は孤立に対する不安が強く、それだけ悩んで苦しい位なら行かない方がイイかもしれないと言う考え方に支配されていった。
私にとっては3度目の正直であった。心の何処かで「もう一回くらい同窓会無いかな?・・・」と思う事もあった。それが5月下旬に同窓会の連絡があった。連絡は幹事からで、彼とは一時期、遊んだ仲だった。電話越しの彼の声と喋り方は、当時と変わってなかった。その電話で懐かしさの余り、1時間ほども話し込んでしまった。喉の渇きや喋り疲れも忘れ、過去や今、同窓会の大体の雰囲気など、彼は丁寧に話してくれた。そんな彼に応えたい想いが芽生えてきた。3度目の正直、これも何かの導きかもしれない。よし、会おうと!

30人は少ないかな?と思ったが、いざ行ってみると少数精鋭で大盛り上がり。嬉しかったのは、今の私に当時の愛称で呼んでくれた事だった。寄って来てくれる同級生が皆、当時の愛称で話し掛けてくれる。本当に懐かしく至高の一時だった。行くと言う選択は正解で、来てよかったと心から思った。
当時の私は女子と話すのが苦手だった。男友達ばかりの毎日であった。歳は取ってみるモノで、自分でも驚くほど女子達と会話が出来た。話した事も無い女子も、私を愛称で呼んでくれた。そう呼ばれていたのを何となく覚えてくれていたのだろう。この事も私のテンションを上げてくれた。
午後6時に乾杯し、2時間と言う会場の時間制限の中で大いに盛り上がり、会話は弾み、ビールを次々に注がれ、心地よい酔いがやってきた。幹事が卒業アルバムを持参し、それを各テーブルに回しながら見る。写真の同級生は皆15歳。目の前の同級生たちは50歳になった。皆、面影があるし崩れていない。変わった事と言えば、当時、小柄だった同級生の身長が伸びていた事だった。顔立ちも若い頃より今の方がイイんじゃないか?と正直に思った。

 

次回に続く!

 

 

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仲代達矢は、戦国大名の様な雰囲気を持った俳優であった。
享年92歳。生年月日を見ると、12月で93歳の予定だった。100歳時代と言う言葉が日本で蔓延する中、90代と言う響きが若く聞こえてしまうのも恐ろしい錯覚と言える。90歳と言う年齢は、本来なら生きているのが不思議な年齢なのである。「まだ90代と言う若さなのにね~・・・」と言う呆れた言葉を言う人も何処かに居るのだろう。

出て来るだけで画面が凍り付くタイプの俳優が居る。仲代達矢は間違いなく、その一人だろう。

只ならぬ眼光の鋭さ、独特な声のトーン、遠くを見てるかの様な表情と喋り方。無名塾の俳優達は、この偉大なる師から演技の何たるかを盗みたいと常々思っている。だが誰一人、真似が出来ない。何故、真似すらも出来ないのかと俳優達は考え込む。
どんな芸事も真似から入るのは良い。だけども真似に取り付かれるなと言う教えをしたかどうかは判らないが、真似から抜けきれない俳優は成功しない。客に誤魔化しは通用しないのである。

数年前に仲代達矢のインタビュー本を読んだ。貧しい生い立ちから俳優になり、今現在に至るまでの膨大な作品の数々や撮影秘話、共演して凄いと感じた俳優達の話。取り分け、時代劇の衰退を深刻に語っていたのが印象的であった。
時代劇を作れるスタッフが居なくなっている事を仲代達矢は嘆いていた。時代劇には囲炉裏(いろり)と言うセットが登場する。時代劇をよく知らない若手のスタッフは、囲炉裏は寒い冬に温まる為にあると思っているらしい。そんなスタッフに仲代は呆れてしまう。囲炉裏は春夏秋冬あるもので、暖を取るのも間違いではないが、毎日の飯を食う為の役割も持っている。よって常日頃、当たり前の様にソコに存在する物なんだよと説く。この辺の道具に関する認識や知識が継承されていないのだと言う。だから当然、若いスタッフが知りようもない。
仲代は、遅かれ早かれ時代劇は日本の映像から消滅すると語っている。仲代の予言通り、実の所、その兆しは既に現れている。最近、大河ドラマでもそうだが、俳優達が標準語で喋る映像作品が増えている。これは指導出来る人材が居なくなっているか、カツラと着物さえ着せてればソレっぽく見えるだろうと言う浅はかな創作意欲を持つ制作サイドが居るかのどちらかだろう。
要するに時代劇ほど面倒臭い映像作品は無いと言う事で手抜きになる。この際、時代劇など辞めてしまえばいいとなりそうだが、中途半端な文化意識を持つ日本のクリエイター達に潔さが無い。だから何となく奇をてらって誤魔化そうとする。だから標準語でもいいやとなる。

共演した俳優の話も非常に興味深かった。何人かを挙げると、山崎努、原田芳雄、田中邦衛、渡辺謙、三船敏郎、石原裕次郎、勝新太郎、萬屋錦之介、意外な所では作家の三島由紀夫の話も出てきた。女優では岩下志麻、夏目雅子、山田五十鈴の話が面白かった。
この中で個人的に興味深いのは山崎努だろう。私の世代は黒澤明の映画よりも、伊丹十三の作品の方が馴染み深い。お葬式、たんぽぽ、マルサの女。松竹・八つ墓村が大好きな私は多治見要蔵の狂演も欠かせない。後は必殺仕置人の念仏の鉄も鉄板だろう。
仲代は山崎の事を「あいつ」と呼ぶ。レジェンドの映画俳優である山崎努を「あいつ」と呼べる芸能人は、仲代だけではなかろうか。

「あいつはね、偏屈な奴でね。殆どの俳優達は監督に言われた通りに動くんだけど、あいつは、とにかく逆らう。此処はこうじゃなきゃいけないとか、とにかく拘る。そう言う事もあって、ある筋の人達からは煙たがられる訳なんだけど、私なんかからすると、そう言う所がかえって尊敬出来るんです」

私の感覚からすると、二人は横並びの関係性なのかなと思っていたのだが、二人は名門の俳優座の出身で四期の差があるそうだ。仲代が先輩で後輩が山崎努。
本の中に<山崎努>と言う単独の御題がある所から察するに、二人の関係性と仲代の想いが込められている様な気がした。俳優座の先輩後輩と言う垣根を超えた互いの存在感と敬意。役者として、これこそが望むべき最高の関係性だろう。

仲代は、生涯忘れられない最高峰の共演者の一人として夏目雅子を挙げている。
82年に制作された「鬼龍院花子の生涯」のヒロイン・夏目雅子は、撮影時、既に死の病を患っていた。夏目雅子が患った白血病と言う病気は血液の癌で、82年当時、骨髄移植と言う治療が確立されていなかった為、どうにも仕様が無い病だった。
気丈だった夏目雅子は撮影に入る前、仲代にこう言った。

「仲代さん、私は今、病気でして、此処に大きな治療後があるんです。仲代さんとはラブシーンがあるから先に見せておきます」

そう言って肌をさらけ出した。
死を覚悟した一人の女優に仲代は惚れたと言う。この撮影以降、メディアから「共演した女優で一番だったのは誰ですか?」と聞かれると、仲代は「夏目雅子です」と答える。人として演技者として、夏目雅子は出会った俳優の中でも最高峰の人材だったと語っている。
名台詞となった夏目雅子の「舐めたらいかんぜよ」は勿論、脚本の一部だが、あの発声と発音と調子を教えたのは仲代だった。面白いのは、この映画の見所は自分ではなく女優達だと仲代は語っている。岩下志麻、夏目雅子、夏木マリ。この三人こそが、この映画の主役だと語っている。

私が読んだ本の著者の春日太一は、仲代達矢を<映画史の証言者>と表現している。
春日は77年生まれで、75年生まれの私とは二つ違いだが、私達、団塊ジュニアの世代にとって、仲代達矢と言えばどの作品か?と問われると、案外、返答に困ってしまう。春日は日本映画の専門家であると言う差はあるが、好みは私と似ていて、印象に残るあの映画のあのシーンみたいな話題で怖過ぎるほど被る。それを知ると「ああ・・・やっぱりあのシーンだ」と共鳴してしまう。
私の世代は余程の映画通でない限り、黒澤作品を語るなんて事をしない。白黒に馴染まない世代と言うか、独特な作品の重さと暗さは黒澤監督ならではである。私の親父は黒澤作品に詳しく得意気に語るのだが、イマイチ凄さが判らない。そんな団塊ジュニアが多いのではないだろうか。
個人的な仲代作品と言えば、市川崑監督の金田一映画、78年作の「女王蜂」大道寺銀造だろう。当時、子供目線から観た仲代達矢と言う俳優は、とにかく暗くて重くて怖い。表情や喋りがそう思わせる訳だが、大人目線で見ると凄い演技力となる。
私自身、50歳と言う年齢になって感じる事だが、凄い俳優の特徴は総じて<怖い>。良い意味での圧を感じさせてくれる。岩下志麻を初めて見たのは角川の金田一映画<悪霊島>で、巴御寮人の二重人格がとにかく怖かった。「この子の七つのお祝いに」と言う作品では岸田今日子が夢に出るほど怖かった。松竹・八つ墓村で落ち武者の大将・尼子義孝を演じた夏八木勲を大好きになったのは、正に、この作品が切っ掛けだった。

最後になるが、映画の話題から離れると、仲代達矢は野球好きで大の巨人ファンだそうだ。中でも長嶋茂雄が大好きだった。どう言う縁なのか、2025年の今年に両者とも世を去った。
役者になる前、一年ほどボクシングをかじったそうなのだが、その事について仲代が言うには「貧しい出身の者が稼ぐ選択肢にボクシングと言うスポーツがあった」と言う事らしい。そう言われてみれば、ボクシングと言うキーワードで何人かの有名人が頭に浮かんでくる。
今年亡くなった大御所・橋幸夫もボクシング経験がある。随分前に亡くなった喧嘩の帝王・ジェリー藤尾もやっていた。芸能以外では、冤罪で死刑囚だった袴田巌さんもボクサーだった。俳優の安岡力也はキックボクシングの選手だった。
思うに、戦後の日本において格闘技と言うのは、今みたいな洒落て格好つける為の手段ではなく、生きる為の手段としての格闘技だった事が判ってくる。ボクサーとして仲代達矢が何処まで行けたかは想像もつかない。

 

 

 

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本題に入る前に、ちょっとだけ寄り道を書かせて貰うと、三国志がプチ的なマイブームになっている。
テレビドラマなんか観なくなった私が珍しく時間通りに構えて観てるのが、TVK(テレビ神奈川)で土曜日の深夜12時から放送している「三国志 趙雲伝」。三国志のアイドル的存在と言っても過言ではない趙雲子龍を主役にした物語なんだけど、ハチャメチャぶりが妙に嵌まって面白い。
趙雲と言えば常山(じょうざん)と言う地域の出身で、物語に登場する際も「我こそは常山の趙子龍なり」と言って槍を振り回して活躍するんだけど、このドラマは2015年作の中国ドラマで全59話。日本の大河ドラマよりも9話多い。特徴的なのは、趙雲子龍が三国志の本編に入る以前の物語として構成されていると言う点。つまり、架空の創作によって趙雲の人生が描かれていく。
趙雲が三国志の舞台に上る以前、どんな事があったのか、何をしていたのか。本編以前の趙雲が何をしていたのかなんて誰も知らない訳だから、作り手に寄って自由に創作されていく。趙雲が何故強いのか?と言う点も、70年代のクンフー映画の様な展開で武術の師匠が現れ、修行をし、達人へと成長していく。それと同時に趙雲の恋愛も描かれていく。

 

 

恋愛の相手となるのが、韓国の人気グループ・少女時代のメンバーの一人であるユナが演じている。

最近、ネットを開くとユナの宣伝記事を頻繁に見掛ける様になった。気になって調べてみると、どうやらユナの新作ドラマのキャンペーンらしい。現在ユナは35歳と言う脂の乗った女になっており、この趙雲伝に出ていた頃は10年前なので当時25歳。まだ幼さが残っていた時期で可愛い感じだったが、今現在は、とんでもない美女になった。元々、背も高く、顔も小さく、手足も長く、整った容姿で、そこに加え、彼女はアクションも出来ると言うのが大きな売りの一つとも言える。ワイヤーやCGを使った場面もあるが、基本的に動けるユナと言う人は、韓国の貴重なアクション美女俳優としても機能する。
ハリウッド進出してもおかしくなさそうな貫禄と雰囲気、スター性も十分備えてる逸材だろう。日本にも来て貰いたいけど、日本でのキャンペーンはないのだろうか。
 

趙雲を演じるのはケニー・リンと言う中国の俳優で、これが中々のイイ男。三国志の映像作品は、それなりに一杯観て来たんだけど、見てきた中では一番いい趙雲じゃないかなと思う。見栄えもいいし、アクションの技術も持っている。ケニー・リンの趙雲を見てしまうと、この趙雲じゃないと嫌だとなってしまうほどのハマり役の様な気がする。
ちなみに、この物語は趙雲が死ぬまでの生涯までは描かれず、やがて主君になる劉備玄徳が蜀の地を取って、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠の五虎将軍が勢揃いする辺りで幕を閉じる。創作場面も多く、本編では描かれない意外な戦いもあったりする。呂布と趙雲が戦ったり、馬超と趙雲が戦うと言う意外過ぎる場面もある。本編への拘りを捨てれば、中々楽しめる作品には仕上がっているなと言うのが私の総体的な感想である。

 

 

チャプター2:諸葛孔明に会った事がある老人の話

 

此処からが本編。
今更ながら吉川英治の三国志を読んだ。新潮文庫から出版された全10巻。三国志関連の読み物は、かなり読んできた筈だが、不思議と大御所・吉川英治の三国志だけは読んでなかった。最近では北方謙三の新しい三国志が受けてるようだが、正直、北方を好きではないので私は読まない事にしている。
吉川・三国志を読んで感じた事は、いわゆる<昔の作家>に有りがちな難しさと言うのが無く、読み易い。こんなに読み易いのかと言う安心感、それでいて容赦の無いグロ描写もあり、柔軟な感性を持った作家だったんだなと感心した。
三国志の吉川英治、関ケ原の司馬遼太郎、武田信玄の新田次郎、ミステリーでは横溝正史、松本清張。彼等レジェンドに共通しているのは、判り易さと、読んで良かったと言う安心感だろうと思う。

最終巻の本編後に篇外余録(へんがいよろく)と言う特別編があり、そこで面白い事が書かれている。
それは三国時代が司馬一族によって統一され、晋(しん)の時代になった時の話。桓温(かんおん)と言う人物が嘗て蜀の首都であった四川省の成都(せいと)を訪れた際、100歳を少し超えた老人と出会った。その老人は若い頃、蜀に文官として仕えていた人物だった。桓温は思いついたように老人に尋ねる。

「お前は100を超える歳だそうだが、それならば諸葛孔明が生きていた頃を知っている訳だ。孔明を見た事があるのか?」

老人は誇るが如く答える

「勿論、御座います。当時私は若造の文官でしたが、よく憶えております」

この桓温と老人のやり取りこそが、正に現代人のニーズと言うやつだろう。伝説となった偉人が、どんな人物だったのかを間近で見て知っているのだと言う。これに勝る質問は無いのではないかとさえ思う。で、桓温は更に畳みかける。

「では聞くが、孔明と言う奴はどんな奴だった?例えれば、どんな人物に似ているか」

老人は少し困った顔で答える

「私の憶えている諸葛丞相は、別に風変りとか変わっていると言う感じの方では御座いませんでした。貴方様の様な立派な御恰好はしておらず、そんなに偉くは見えませんでした。只、あの御方が亡くなった時、何となくですが、あの御方の様な人物は二度と出て来ないのではないか?と言う様な気は致しました」

どうだろう、このリアルさ。このやり取りに関して吉川英治は、こう書いている。

「私は何となく、この老人の言葉の中に在りのままの孔明の姿がある様な気がするのである」

諸葛孔明の死後、神の如く褒め称える学者や詩は沢山あるが、所詮は教祖を崇拝する信者的な過剰表現でしかない。しかし、嘗て蜀に仕えていた100歳の老人の気取りの無い見たまんまの発言に勝るリアルさには、どのヨイショ学者も敵わず霞んで見える。
言葉や文章は便利だが、奇麗過ぎると疑われる。例えれば、伝説の地に実際に行ってきて、どんな匂いがしたとか、地面や木に触れてどんな感触だったかとか、体験に勝るものは無いと言う事なのだろう。

 

 

チャプター3:偉大なる平凡人・諸葛孔明

 

平凡には二種類あると吉川英治は説く。その平凡が大きいか小さいかの違いなのだと言う。諸葛孔明は、どちらかと言えば大きな平凡であり、その平凡さの企画が異常過ぎるから偉大なのだと説く。
孔明は陣を敷く場所で必ず畑を作らせ、カブの種を撒いて次の陣地へと移動した。この行為が食料自給だと言う所までは判りそうなものだが、何故、カブなのか?そこには理由があった。カブと言う食料が野菜であり、日本でも食されている事は判っている。日本では味噌汁や漬物に使うのが一般的だろうか。
孔明はカブと言う野菜が万能である事を知っていた。カブは春夏秋冬いつでも育ち、土の質を択ばずに育つ。根、葉っぱ、茎、全て食べる事が出来て、生でも煮ても食べられる。忙しい軍事用の食料として最高の物だった。
こういう発想は天才には出来ない。平凡な感覚がある人にしか浮かばない発想だと吉川は語る。畑と言えば孔明にはキーワードがある。晴耕雨読(せいこううどく)である。有名な劉備玄徳の三顧の礼を受ける以前、孔明は仕官をせず何処にも勤めたがらない。今で言うニートだった。晴れた日は畑を耕し、雨の日は本を読んで過ごした。この時点で孔明は普通のニートとは違っていた。普通だったら、就職しない奴はバイトをして、暇な日はゲームで遊んで過ごそうと言う発想になるが、孔明には自分の食い物は自分で何とかしようと言う当たり前過ぎる合理的な発想があった。これこそが偉大なる平凡の一旦だろう。
 

蜀に仕えていた100歳の老人が見た<偉い人>には見えなかった孔明の姿が、垣間見える様な気がしてくる。それは、どれだけ金持ちになっても偉くなっても土いじりを辞めない気質である。

例えば、子供の頃に買ってもらった色褪せた豚の貯金箱を億万長者になっても大事にして500円玉を入れて貯め込むとか、どんな豪邸に住んでも清掃員には頼まず、一日かけて片っ端から雑巾掛けするとか、無くなる寸前の歯磨き粉を絞り込むだけでは飽き足らず、わざわざハサミを持ってきて真ん中の辺りを切って歯ブラシを突っ込むとか。
思うに偉大なる平凡とは、買えば済むのにそうしないとか、わざわざギリギリのラインに自分を立たせて苦労を好んで選ぶとか、敢えて遠回りをする所に極意があるのかもしれない。

 

 

 

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90年代の伝説、かとうれいこ。御年56歳になった彼女の写真集が今月発売された。
私の知ってる限り、グラビア・クイーン・かとうれいこは、芸能界史上、最もセクハラを受けた人である。彼女が全盛期だった90年代、民放の深夜番組で共演したチェッカーズの藤井フミヤが、今では信じられない様なセクハラ発言を、かとうれいこにしていた。隣で司会をしていたかとうれいこにフミヤはこう言った。

「そんな大きいの持ってるんだから、一杯出るでしょ」

隣に居たかとうれいこは無言のまま微妙な笑みで場を繕っていた。
説明すると、フミヤが言った<大きいの>と言うのは当然ながら<おっぱい>の事で、<一杯出るでしょ>と言うのは、丁度、ミルクか何かの乳製品の宣伝企画のコーナーだったと思うのだが、母乳が出た時の量の事。これ、今だったら大変な騒ぎで物議を醸す大事になっていた可能性は十分にある。

 

 

卑猥な表現で申し訳ないが、かとうれいこが全盛期だった当時、日本全国でどれほどの精液が飛び散ったのだろうか。初めて彼女を見たのは15歳の中学三年生だった。彼女の話題は同級生の男達の間でも流行っていた位、人気絶頂のセックス・シンボルだった。
当時、かとうれいこが所属していたイエローキャブの野田義治社長いわく「初めて外国人に勝ったボディー」と評されるほど、かとうれいこのボディーは魅力的だった。クラリオンガールと言う、ちょっぴりカッコいい響きの称号を知ったのも、かとれいこが最初だった。クラリオンは民間企業の社名で、その民間企業が主催していたのがクラリオンガールと言うコンテストで、かとうれいこは90年の第16代目・クラリオンガールだった。
 

かとうれいこの魅力は、おっぱいだけでなく顔立ちにもあった。巨乳にありがちな女性のタイプはポッチャリしてズングリムックリな感じの人が多いのだが、かとうれいこの顔は、いわゆる巨乳にありがちなタイプの顔ではなかった。やや面長の端正な顔立ちで、髪はロングで、身長も163センチで、当時としては大柄なタイプのグラドルだった。そんな彼女は、長い黒髪をポニーテールにして、水着を着て、その上に薄めの上着を着て、ニッコリ微笑むだけで、魅力的なオーラを放っていた。
エロさよりもキリっとしたカッコ良さを私は感じた。男に媚びていない色気と言うか、気の強さが滲み出る様な、それで居て圧を感じさせない。今時のグラドルとは明らかに性質が違う。若くて綺麗でエロいボディーの子は沢山出て来るのだが、総じて今時のグラドルは男を心から圧倒する魅力が感じられない。理由は媚びが前面に出てしまっているからだろう。だからポーズや衣装も際どくなってくる。際どくなればなるほど男は白けていく。
積もる所、グラビア業界は人材が全てだと思う。特に90年代初期は人材の宝庫だった。かとうれいこ、細川ふみえ、井上晴美、青木裕子、松田千奈。私が厳選する魅力的なグラドルのレジェンドは、この五人である。

 

 

巨乳が魅力なのに巨乳に悩み続けたグラビア女王・かとうれいこ!

 

不思議と言えば不思議だが、かとうれいこは巨乳をネタにされるのを嫌がっていた。巨乳が話題になった事で確実に売れた筈なのだが、いつしか、その伝家の宝刀である巨乳を否定しだした。
かとうれいこは元々、歌手志望だった。CDも出したが、歌手としての活動が始まったのはグラドルの後だったし、グラドルで売れたと言う経緯が無ければ音楽活動も無かっただろうと思う。芸能界からすれば、かとうれいこは何はともあれ、まずおっぱい。歌だの芝居だのは二の次三の次と言った所だった。使う側も卑猥な目線で、かとうれいこを見ていたのが判る。

イエローキャブと言う巨乳グラドルの聖域出身で大出世を遂げた人物が二人いる。小池栄子MEGUMIである。二人ともグラビア出身で、グラビアとしては、かとうれいこの魅力まで行かなかったが、それ以外の部分でかとうれいこに勝った。逆に言えば、かとうれいこは、小池とMEGUMIの居る領域には行けなかった。
今になって考えてみると、かとうれいこは何処に行きたかったのだろう?本気で歌手の道でやっていきたかったのか、それとも芝居の道でやっていきたかったのか?ひな壇のタレントとしてテレビに出続けたかったのか?結果的に彼女は、そのどれも選ばなかった。

2001年12月15日に、プロゴルファーの横尾要と結婚した。かとうれいこをテレビで見掛けなかった頃の唐突な結婚発表だった。写真週刊誌に乗っていた彼女を暫くぶりに見たら驚いた。あの豊満なおっぱいが見る影もなく小さくなっていた。オッパイが縮んだ彼女の姿を見て、本当にかとうれいこなの?とさえ思った。ファンは、さぞかしビックリしただろう。
嘘か本当か知る由も無いが、かとうれいこは貧乳手術を受けたなんて噂も流れた。その噂もあながち嘘っぽく聞こえなかったのは、彼女が暫くテレビから遠ざかっていた事も要因の一つだろう。時期的に、そう思われても無理はなかった。

 

 

2003年2月20日に女の子を出産し、かとうれいこはママになった。
成人した娘が、たまにネットに登場した際、記事には<ママそっくり>なんて書いてあるが、全然似ていない。れいこママの魅力には到底追いついてないし追いつく事も不可能だろう。親子と言えども別人である。
そして2025年。26年ぶりの撮り下ろしグラビアと言う事で、大手出版社の講談社から発売された。写真活動は24年から週刊誌・FRIDAYで始めたらしい。今時と言うか、この前書いた皆藤愛子の例に漏れず、歳相応に見えない女性にスポットライトを当てるのが流行なのだろう。
写真週刊誌がどう言う狙いにしろ、かとうれいこも流石にオッパイを武器にしようなんて事は思っていないだろう。ボディーよりも、56歳と言う年齢になってクールビューティーになった自分を見てくれと言う意識の方が高いのかもしれない。還暦を過ぎたかもしれない往年のファンは満足なデキなんだろうか。どんな思いで彼女の写真集を見るのだろうか。

 

 

 

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