何でもアル牢屋 -3ページ目

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

テレビでユニクロのコマーシャルを観てて、ふと、昔の事を想い出した。
小学生の頃、夏休みと冬休みになると近所の幼馴染みの家に泊りに行った。幼馴染の母は、歌手の桑田佳祐がテレビに出て来るとボロクソに悪口を言っていた。何故嫌いなのか聞いた事は無かったが、いざ自分が大人になってみると、なんとなく理由が判ってきた様な気がした。
昭和50年生まれに限定すると、この世代が桑田佳祐と言う歌手を知ったのはサザンオールスターズではない筈で、サザンオールスターズは70年代にデビューしているが、80年代中期、桑田はサザンオールスターズでの活動をしていなかった。85年に妻でありキーボード担当の原由子が妊娠し、代わりのメンバー補充と言う選択は取らず、86年から87年に掛けて桑田は別ユニットを結成した。その名もKUWATA BAND(クワタバンド)。笑ってしまう位、判り易いバンド名だった。
 

子供の頃に見た桑田佳祐は、相当に頭のイカレタ大人だなと言う印象だった。
テレビの歌番組に出て来る彼は、普通に歌う事を一切しなかった。カメラの前まで来て変顔をしてみたり、普通に歌えばいい歌詞の部分を誇張してみたり、フラフラ体を揺らしながら歌ってみたり。そう言う彼の姿が不気味で、何やら空恐ろしく見えた。もっと判り易く例えると、ウッカリ近づいてはならない大人みたいな感じだった。
今となっては、そう言う彼の姿は視聴者に対するサービス精神から来るもので、意図的であり、ワザとであり、表現者として客を楽しませたいと言う純粋な一念であった事は言うまでもない。
有名な事だが、俳優の寺脇康文が音楽をやっていたのは丁度この時期で、桑田の後ろでバックコーラスの三人組が前傾姿勢で横に大きく腕を振ってアイススケートみたいなダンスをしていた。その三人の中の一人が後の俳優・寺脇康文であった。この三人はKUWATA BAND(クワタバンド)のメンバーではなく、特定の歌を歌う時にだけ出て来る三人だった。

 

チャプター1:メディアのヤリ過ぎで嫌われる人達

 

ユニクロのコマーシャルで女優の綾瀬はるかサザンオールスターズを起用し続けるのは、ユニクロのトップである柳井社長の方針なんだろうか。今時、専属と言う形のコマーシャルは珍しい。
令和の時代になって、いよいよコマーシャルは独占の時代になった。御存知の通り、テレビを観てると同じコマーシャルが繰り返し流される。昭和、平成の頃と違うと感じるのは、各企業に宣伝競争をする気概が感じられない事で、とにかく流行重視のコマーシャルを打ち出す。予算を決めた後は広告企業に御任せと言うパターンが殆どだろう。
宣伝する商品が減った事も関連してるだろう。例えば煙草。昭和、平成を振り返ってみると、煙草のコマーシャルは最高に格好良かったのではないか。マルボロやラーク、ラッキーストライクと言った銘柄の煙草のコマーシャルは洒落た感じでイカしてて、今でも印象に残っている。
それと今は、酒のコマーシャルが下手過ぎる。酒の似合わないタレントを無理やり起用してジュースのコマーシャルと変わらない様な演出をされても飲もうと言う気が起きない。私は日本酒を飲むので、日本酒のコマーシャルが乏しいのは残念。いっその事、大谷翔平に着流しでも着させて、夕日の縁側で日本酒をクイッと飲み干す様なコマーシャルを打てば、人気が出るんじゃないの?とさえ思う。

残念なのは、大谷が酒を飲まないそうなので、ビールや梅酒の様な低アルコールの酒のコマーシャルすら難しいと言う事。
 

コマーシャルも含め、日本のメディア事情を見てると、一つのキーワードとして「ヤリ過ぎ」と言うのがある。そこで最近、面白い現象が起きてるのは、メジャーリーグの大谷翔平がテレビに出て来るとチャンネルを変える人が増えたのだと言う。こう言った現象を<大谷アレルギー>と言うらしい。表現的には中傷の類だろう。誰が考えたのか知らないが、色んな意味で面白い言葉を作ったなと思う。これも一つの表現のセンスと言える。思い切って流行語大賞にノミネートしてみたらどうか。
大谷の例で言えば、もしかしたら桑田佳祐も当て嵌まるかも知れない。テレビを観てれば何処かでユニクロのコマーシャルを見るし、強制的に桑田の歌を聴かせられる。好きな人はイイが、嫌いな人も必ずいる筈で、そう言う人達からすれば迷惑極まりないとなる。
私は、このブログで前にも書いたのだが、メディアと言うのは一方通行で、求める求めないに関わらず否応無しに発信されてくる。発信を受けた側には二つの選択肢が出来る。その発信を受け入れるか拒否するか。発信をする方も悪気があってやっているのではない事は、多くの人が十分承知している。メディアとしては、その辺のジレンマに常に悩まされる。難しい関係性と言えるだろう。

 

チャプター2:人気とは何か?を理解していた米津玄師

 

数年前、まだコロナの絶頂期だった時期、日本テレビの報道番組「ニュースZERO」で、キャスターの有働由美子歌手の米津玄師が対談をしていた。人気絶頂の米津に有働は「御自身の人気について、どう思われますか?」と聞いた。此処で米津は在り来たりではない返しをした。

「例えば、僕の音楽を嫌いな人が喫茶店に入って来て、席に着いた途端、僕の歌が有線から流れてきたら嫌じゃないですか」

この返しに有働は「?」って顔をしていたのが印象的だった。

歌手達は総じてプライドが高く、「人気についてどう感じてますか?」と聞かれると、大抵の人が「皆さんの御蔭です」とか「皆さんに支えられて私が居ます」みたいな事を言うのだが、米津の返した言葉には様々な含みがあって面白い。
米津玄師の言わんとした事は一体何だったのか?と考えてみる。簡単に解釈すれば、何にでも好きなモノと嫌いなモノがありますよと、僕の事を嫌いな人だって普通に居るんですよと、僕は王様って訳じゃないんです。そう言いたかったのではないか?と私は捉えた。
有働の「人気について、どう思われますか?」と言う質問の響きには、相手に対する媚びが感じられる。恐れ入ってますとか、貴方に参りましたみたいなニュアンスがある。米津は、それが気に喰わなかったのだろう。少し反抗的に返してみたと言った所か。
 

要はエンタメの世界と言うのは、好きと嫌いがあって当たり前なんですよと言う事で、芸能界だけでなく、メジャーリーグだって人気商売で、当然、大谷に対する好き嫌いだってある。この点について、日本は真面目過ぎて、人気者を敬い、敬ってる相手が貶されると制裁を加える傾向が強い。正直、それは良くない。

いわゆる<崇拝>。歴史を振り返れば、それこそが、オウム真理教やカルト宗教が誕生する切っ掛けになったからである。
私は思う。無宗教国家と言われてる日本だが、実の所、何かにすがりたがってるのは日本国民なのではないかと。そう考えると、何故、毎日毎日、大谷翔平を誉めてるのか?

どうして毎日、彼の打つホームランだけがニュースになるのか?
「ああ、そうか・・・そう言う事なんだな・・・」と腑に落ちるのである。

 

 

 

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中森明菜のファンでは無い私が彼女の活動を眺めてて感じる事は、本当の所、何をしたい人なのかな?って所で、行動に戦略性がまるで感じられない。
本格的な活動を再開させるのであれば、思い切って大手事務所に所属し、テレビ出演し、プロデュースを任せて活動するのが一番手っ取り早いんだと思うけど、何故かそれを避けている。何をしてるのかと言えばネットを使っての身軽で自由の利く活動となる訳なんだけど、敢えて書かせて貰うなら、ネットを甘く見ない方がイイと思う。
数十年と言う単位で時代に取り残されてきた中森明菜からすると、古代文明から新人類の時代へ一気にタイムスリップして来たような感覚があるんだろうと思う。デジタルからアナログを学ぶ事は簡単だが、その逆はかなり難しい。
例えば、山下達郎と言う歌手が居る。多くの人が勘違いしがちなのは、彼はアナログな人間だと思われている事で、実の所、山下達郎はデビューした70年代から一早くコンピュータに触れている歌手なのである。つまり70年代からデジタルの感性を持っていた事になる。音作りの名人と言う肩書きを持つ彼のルーツはコンピュータにあった。本来ならデジタル派である筈の彼が拘ったのはアナログだった。つまりは、デジタルを知っていてアナログの側に居るのが山下達郎と言う人なのだろう。
中森明菜は、どうなのであろう。歌唱力は間違いなくあると言う点で言えば、職人に近い。野球で言えば、ストレートとフォークの球種しか投げないが、恐ろしく防御率の高いピッチャーとも言える。しかしながら腕の良い職人も一人では仕事が出来ない。それを用いてくれる人が居なければモノの役に立たない。

 

 

私が思うに、中森明菜は優しい人達に恵まれ過ぎている風に見える。それはおそらく、彼女が自殺未遂をした数十年前から始まっている。
自殺未遂と言う事は死ぬ事を失敗したから自殺未遂な訳だが、彼女は死ななかった。生きる希望を持って此処まで来れたのは、間違いなく優しい人達が居てくれたからだろう。その際、優しい人達の、ほぼ全員が中森明菜の歌を愛した。彼女は歌に命を救われたとも言い換える事が出来る。
中森明菜が長い期間出て来れなかったのは、体力的な衰えではなく精神の病からだった。私自身、精神的な病に掛かった事があるから判るのだが、体力と精神はイコールではない。全くの別物であった。体力が戻っても動く気力が湧かないと言うのがそれで、不安症や引き籠りに悩む人達の大半が、このジレンマに悩まされる。
中森明菜の場合、最近になって人前に出て来れるようになったと言うのは、体力の回復と、ある程度の気力と活力の回復が見られる。問題なのは此処からで、芸能活動と言う不自然かつ異次元に踏み込んで行かなければならない。そこはストレスの溜まる場所であり、苦痛と共存しなければならない世界で、強靭な精神力が要求される。中森明菜は何とか動ける体力がある事は自身で感じている。最大の不安の源は、自分の知らない人からの反応と言う事になる。

中森明菜が今悩んでいるのは、恐怖なのだろう。
例えば今年、久々に姿を現した彼女は外見を弄られた。その内容を見ると、外見が変わったとか、何か違うとか、観る側が感じた単純な違和感だった。還暦を迎えたんだから、それなりだろう事は判る筈なのだが、いわゆる<優しくない人達>は彼女の今をシレっと否定した。一方で<優しい人達>は、御帰り明菜の大合唱だった。
トークの際、恐ろしく声が小さい事も弄られるネタになった。一部のお笑い芸人が面白がって明菜の小声トークをネタにして披露する場面をテレビで何度か目にしてきたが、苛めに加担してる様な錯覚に陥って嫌だなと思った。恐怖に苛まれる明菜からすれば、テレビから遠ざかった要因の一部に違いない。
テレビでも話題になったが、どこぞの野外ライブで突如、飛び入り参加して歌を披露して驚かせた中森明菜だったが、VTRを見て率直に感じたのは、人様から金を取れるレベルに戻ってないなと言う感想だった。まず声が出ていない。演奏に負けてしまうんじゃないの?とさえ思える声量の無さ。どちらかと言うとパワー型の歌手のイメージだけに、衰えは隠せない感じであった。

要は精神のスタミナの問題と言う事になる。体力に関しては良く食べて、グッスリ寝て、能動的に好きな事だけをやって過ごしていれば体は回復していく。難しいのは精神力、メンタルをどう鍛えるか?の問題になる。
安全装置に満ちた室内プールなら幾らでも泳げるが、海に飛び出して泳ぐ気にはなれない。どうして泳げないのかと言えば、海には足元を喰い付いてくる凶暴なサメが居るかもしれないからである。
興味深いのは、中森明菜は何故、ネット活動を好むのか?と言う点。テレビに育てられた中森明菜からすれば、テレビに帰ってくるのが自然な成り行きだとは思うが、原点回帰するつもりは無いと言う意思表示とも取れる。
中森明菜はネットの世界に何を見出したのだろうか?

 

 

 

 

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皆藤愛子と言う人は、私の知っている記憶だと、小林麻央と同時期に売り出された。
二人の大まかなイメージは、皆藤愛子はフジテレビ、小林麻央は日本テレビと言う感じで、御存知の事だとは思うが、小林麻央は担当した報道番組の取材で市川團十郎(当時、市川海老蔵)に見初められ、まさかの梨園入りとなり、その後、二人の子を産み、病に掛かり、早世してしまった。一方の皆藤愛子は、嘘みたいに浮いた噂は一切出て来なかった。が、落ち目も憂き目も無く、テレビから消えた事は一度も無く、現在に至っている。

 

チャプター1:皆藤愛子の謎。何故、男の噂が無いのか?

 

バラエティー番組に出演した時、案の定、聞かれた<男関係>について皆藤が語った所によると、「過去に2~3回、結婚を迫られた事がある」との事だが、嘘だろうと思う。まず、皆藤愛子くらいの知名度と認知度だと隠し通すのは無理だと思う。写真週刊誌は勿論、素人パパラッチみたいにスマホの動画や写真機能で簡単に盗撮される今となっては、一歩外に出たら敵だらけと思って守りに入る時代である。その状況下で結婚を迫られるほど親密に関係を築くのは殆ど無理だろう。
皆藤愛子が彼氏を作らない理由は何か?一つは<男性恐怖症>が挙げられる。病気と言うよりは症候群みたいな精神的な疾患なんだけど、そのシステムは興味深い。まず、男性恐怖症と言う疾患は、個人と複数と言う状況下で反応が異なると言う事。1対1と言う状況下でパニックを起こすが、男女混合の複数と言う状況下の場合、パニックは起こさない。
過去、皆藤愛子は気になる発言をしていた。それは、男性と個人の付き合いはしないと言う話で、これは本人が何かのインタビューで口にしていたと言う記憶がある。1対1と言う状況下を嫌うのが彼女の謎の一つでもある。プライベートで男性と全く接しないと言うのではなく、複数の誰かと同席ならと言う条件で参加するらしい。
男からすれば1対1の状況を作りたいとなるのだが、その状況を皆藤は嫌がるので当然、関係が深まらない。この時点で男は、相手にされてないんだと察し、諦めて次に行こうとする。では、しつこいアタックが功を奏するのかと言えば、これも無理。当たって砕けろの精神で落ちる女なら、幾らでも噂が出て来ただろう。

 

チャプター2:世の中には、なびかないタイプの女が存在する。どう言った女達なのか?

 

異性からどれだけ求愛されても動かないタイプの人が居る。このタイプで特徴的なのは恋愛をしたくないとか興味が無いのではなく、誰と恋愛をするかの条件を感性と直感力に頼っている所。地位や名声、イケメンにもお金にも興味が無い。誰かに好きになって貰うのではなく、自分がどれだけ好きになれるかに徹底しているのである。
無理をして恋愛をしようとしないので、必然的にSEXからは遠ざかる。日常生活からSEXが遠ざかると、次第に「しなくてもいいや」と言う観念に囚われていく。人生に必ずしもSEXは必要ないと言う、ある種の達観した境地に自分を置く。自分の人生からSEXを排除すれば、後は飲食と趣味に興じるだけとなる。
勘違いしてはいけないのは、こう言う女達は寂しいとか孤独は感じておらず、毎日が自分の祭りごとに忙しいので退屈は感じていない。むしろ毎日が楽しい。一日の24時間と言う限られた時間を全て自分だけの為に費やせる事が幸せで、気分的には毎日が夏休みって感じの人が多い。
どう言う皮肉なのか、このタイプの女達に限って天然美人が多い。男に媚びる為の色気を一切使わない人が多いので、同性の敵も出来にくい傾向がある。例えば、自分が好きになった男が、たまたまこう言うタイプの女に好意を持っていた場合、その競争に参加して来る事は無い。むしろ「私に構わずどうぞ」と言う意思表示を示すので、敵対心もなくなる。こういう点においても同性の敵を作りずらいと言う特徴がある。

 

 

チャプター3:家族からの強い愛情による副作用。戦国武将、上杉謙信の例。

 

皆藤愛子は一人っ子なのだと言う。一人っ子家庭に育った人は両親から溺愛される事が多い。
親からすれば、我が子がスクスクと成長し、器量が良くなればなるほど他人様に触れさせたくなくなると言う感情が芽生えてもおかしくない。皆藤愛子は千葉県出身で、テレビの仕事をする為に東京で一人暮らしをしてるが、体は離れていても心は実家にあると言うタイプ。親子関係は順調といった所だろう。
面白い現象なのは、娘は父親に影響され、息子は母親に影響されると言う点。これに関しては生物学的な根拠がある。つまり、子にとって最初に接する異性が親だからである。当然、異性選びの基準は親になる。結婚相手が親と似ていると言うケースは意外に多い。身近な例えだと、私の妹の旦那は、私の父親と何処か似ている。正月に顔を合わせる度にそう思う。「こいつ、親父と似てやがるな・・・」と思う時があるのである。
メジャーリーグの大谷と結婚した真美子と言う女性は、大谷の母親の若い頃にソックリだと話題にされた事もあった。少年の頃の大谷と一緒に映っている母親の写真を見ると確かに似ている。笑いが出るほど似ている。これこそが血の宿命だろう。
もう一つ面白い例を出すと、戦国武将の上杉謙信。この人は正室も側室も置かず、生涯を独身で過ごした事で知られる。数年前、海音寺潮五郎の著作「天と地と」と言う上杉謙信の小説を読んだら、作者の海音寺が面白い見解を立てていた。謙信が独身を貫いたのは、謙信にとって女が必要なかったからだと書いている。その理由は、彼は母親と姉から惜しみない愛情を貰っていたから、女の愛に飢える事が無かった。更には、謙信はおそらく<童貞>であった可能性が高い。しかし、それは珍しい事ではなく、恋愛の文化が進んでいなかった戦国時代ならではの世相と言うものがあったと書いている。

私は、この海音寺の考察と分析に感心し、大いに納得する。

 

チャプター4:今がモテキの皆藤愛子

 

2025年、皆藤愛子は41歳になった。
毎週月曜日、TBS午後2時放送のワイドショーにアシスタントとしてレギュラー出演している皆藤愛子だが、色っぽくなったなと感じた。若い頃より今の方がいいんじゃないの?と本気で思う。童顔の顔に少し肉が付き、髪をアップにした時の首筋から肩、肩甲骨のラインが素晴らしく色っぽい。41歳と言う小娘ではない哀愁が身に付いてきた。
最近はスポーツ紙と組んで、ネットで色気づいた見せ方をする様になった。若い頃にはしなかった見せ方である。一言で言えば焦りだろうと思う。それなりに年齢的な焦りを感じる様になった。芸能界は、どうしても若い世代に代替わりしていく。皆藤愛子の最大の武器は、40代に見えないルックスな訳で、此処を全面的に協調していく戦略。
一方で、当然だが同性の敵は増えた。増えた理由は色気を売ったからだろう。本人の中では、こう言う売り方は自分に向いてないし、何よりも今までの自分に対し<掟破り>と言う嫌悪感はあるのかもしれない。
スポーツ紙に上手く乗せられたと言う自覚はある。人気を取る為に、ちょっぴり色っぽく行きませんか?なんて交渉をされたかもしれない。少し悩んだが、今の自分には悪くない提案かなとは思った。テレビから離れたくないし、仕事も失いたくない。スポーツ紙からは「歳相応に見えない事で、人気を取れる時代なんですよ。皆藤さんなら人気取れますよ」と説得された。
只、脱ぐ事はしませんよと念を押す。脱いだ途端、今度は目敏いアダルトビデオ業界から目を付けられる可能性が高い。見せられるのは脇の下だけですよと、スポーツ紙には念を押しておく。実際、41歳童顔女性のツルンツルンの白い脇は魅力的であろう。
「どうして結婚しないの?」と堂々と聞いてはならない時代になってしまった。男に依存せず、結婚を望まない自由な女達にとっては過ごし易い世の中になったかもしれない。しかしながら、類稀な器量良しが全ての男の精子を拒絶し、子を産まない人生を自ら好んで歩む生き方は、男と言う単細胞の生き物にとっては永遠に判らない謎なのだろう。

 

 

 

 

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「プロスポーツ選手ほど最低な奴等は居ない。何故ならば彼等は社会での試練を受けてないからだ!」
この言葉は私の言葉ではなく、性暴力犯罪を犯したアメフトのスター選手がメディアに吐いた捨て台詞だった。
この御時勢、スポーツの起源は戦争である事を知っている人がどの位いるだろうか。スポーツは無から生まれたのではなく、戦争があったから生まれたのである。繰り返された戦争で人々は気付く。

「もう武器を持って人を傷付ける戦いは辞めにしよう。これからは武器を捨て、ルールを設け、人を傷付け殺し合わない競技で競い合おう」

こうやってスポーツは生まれた。
此処で面白いのは、武器は捨てるけど戦いは辞めないと言う点だろう。戦いは続けたいと言うのが人間の意思なのだろう。

私の場合、軽い運動やストレッチはするけど、スポーツをやるのは好きではない。プロ野球のシーズンになればテレビやラジオでプロ野球の中継くらいは嗜む。だが、振り返ってみれば誰か一人のスポーツ選手に入れ込んで応援した事が無い。なので、特定のスポーツ選手に拘りを持つ人の気持ちがよく判らない。
例えば、野球と言う競技がバットで殴り合い、ボールをぶつけ合う格闘的なスポーツであった場合、人々は盛り上がって応援するんだろうか。大谷が笑顔でバットを振り回して打撃を加える事で得点が入ったとしたら、拍手喝采が起きるんだろうかと考えてみる。尋常ではない大谷フィーバーを外から眺めてると、案外、面白がってファンは狂喜するのかもしれない。何故ならば、スポーツも戦争も、根本にあるのは<戦い>な訳だから。

スポーツ選手って一言で表すと<数字の記録者>と言う事になる。そう割り切って捉えると大した存在には見えなくなる。
野球の場合、木の棒で硬い球をゴツンっと打って遠くへ飛ばす。サッカーの場合、球を蹴りながら走って網の中に放り込む。バスケットはサッカーの逆で、手で網の中へ球を放り込む。繰り返しの単純作業を見せられて歓喜する人達の脳の状態に凄く興味がある。何かを感じるのは脳が感じてる訳だから、どう言う現象が起きているのか。この件に関して脳科学は結論を出しているんだろうか。
見て興奮すると言えばアダルトビデオやポルノ映画なんかにも当て嵌まる。他人のSEXを画面で観る。すると男は勃起する。自分がSEXの当事者では無いにも関わらず、疑似的な興奮を起こす。大抵の場合、男はオナニーをする。これも又、スポーツの一種と言えるかもしれない。

世界地図を見てると、日本と言う国は驚くほど小さい。海の上にポカンと浮いてる島国。アメリカの大統領・ドナルド・トランプが以前、面白い事を言った。

「日本は小さい国だが、国民達のプライドは大きい」

自然とこんな言葉が浮かぶんだろうか。トランプと言う人は、言葉遊びの名人だろうと思う。
小国のコンプレックス。それがあるから日本は何かで威張りたくなる。その小さな島国の更に田舎から一人の英雄が誕生した。大谷翔平である。大谷は昔風に言えば、田舎侍だろう。だが、この田舎侍は古今無双の二刀流の使い手で、向かうところ敵なしと言う評判。名声が上がり、その名声は中央へと鳴り響く。更に名声は高まり、外国へと鳴り響き、サーカスの見世物の様に買われて現在に至る。
今の大谷を見てると、野球を楽しむと言う観念は失せて、課せられた責任と義務感でやってる風に私には見える。ドジャースと言う成金主義の悪徳球団で<贅沢な暮らし>を手に入れた大谷ではあるが、興味深いのは<何を得て何を失ったか?>と言う点。コインには表と裏がある。同じ様に人生には対価がある。大谷は暮らしを得て、自由を失った。
 

10年1000億円と言う契約は絶対ではないのだと言う。私の読みでは、ドジャースは、まともに払う気が無いのではないかと思っている。まず二刀流で10年間、体が持つ筈がない。何処かで壊れる。復活した二刀流で故障すれば、投げるだけでなくバットも振れなくなる。だからと言って契約は容赦はしない。そもそも二刀流を売り込んだのは大谷だからだ。二刀流で10年間、結果を出し続けて貰う。それがドジャースの課した条件。故障するのは大谷の勝手。自己管理がなってない。だからお前が悪いんだ。ドジャースの責任は一切ない。壊れるまで働け。出来なきゃお前に1000億は払わない。これがドジャースの狙いだろうと私は思っている。
二刀流の行き着く先が、どう考えても地獄だと言う事を大谷は何処かで感じてる筈で、家族を得た今となっては攻めよりも守りに入りたくなる。いつ壊れるか判らない状況下で彼がやってきた事は、手当たり次第の高額スポンサー契約だった。いわゆる<副収入>で蓄えておく必要に迫られた。その契約数は50~60社にも上る。その全部を守り切れるのか?と、世間とマスコミは首を傾げた。
こう言う彼の置かれてる事情と状況を知ると、毎日の大谷報道が痛々しく感じて仕方が無い。無責任極まりないのはメディアで、視聴率と活躍しか興味が無い。

先日、大谷報道を観てたら、あるコメンテーターが「日本の誇りだ」と言ってた。それは違うだろうと私は思った。真の日本の誇りは普遍の中にこそ存在する。人を助け、人様の役に立ってこその誇りだろうと。
私は思う。

 

「あんたにとって誇りある人間とは、数字の記録者でしかないのか?」と。

 

 

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スポーツと数字は切っても切れない仲だけど、世界中、何処を見渡しても日本だけしかしない言い回しがあって、それが<日米通算>と言う数え方。
これは世界基準からしても最高にカッコ悪いから辞めた方がいいと思う。現に、日本だけが使う<日米通算>と言う表現は馬鹿にされた過去がある。それはまだ、イチローがメジャーリーグで活躍していた頃、日本は彼の2000本安打の話題で盛り上がっていた。そこでも使われていたのは<日米通算>と言う表現だった。この言葉に反応したのがメジャーリーグの伝説の名選手、ピート・ローズと言う人で、彼はこう言った。

「日本は日米通算と言う言葉が好きなようだな。なんだったら、学生時代の記録も上乗せしてみたらどうだ?」

この言葉を日本側からすれば、どう受け止めるのかって所が問題。

日米通算を誇りと感じてるのは選手じゃなくて、関係の無い周りの人達。選手からすれば、有難迷惑なのかもしれない。増してや大谷翔平ともなれば、日米通算300号なんて数えられた所で「あー・・・そうなんですか」と返されて、素っ気なくされるのが関の山。彼にとってはメジャー通算の方が嬉しい訳であって、日米通算と言う数えられ方はこっぱずかしい事この上ないと言う事になる。そこで言えば、去年の50ー50と言う記録は、DHと言うポジションでホームラン数50本以上、盗塁数50以上、それをメジャーリーグと言う舞台でやってのけたから称賛された。これは文句無しの事実となる。

例えば、これが麻雀なんだとすれば、ピンフの上にタンヤオを乗っけた方が点数高いなとなるが、スポーツと言う競技においてはゴリ押し的な上乗せ記録としか認識されない。皮肉ったピート・ローズの言葉は悔しいかもしれないが、彼の言葉こそが世界基準としての認識で、申し訳ないけど褒める様なニュースじゃないよと言う事になってしまう。
日本が世界基準に拘るのであれば、そろそろ<日米通算>と言う言い回しは辞めた方がいい。受け取る世間も何となく「ふ~ん・・・そうなんだ」と素っ気なく感じるのは、日本しか使ってないよね?と言う認識が頭の中にあるからで、心の何処かで「その数え方、そろそろ辞めて貰っていいですか?」と思っちゃってるからなんだよなと。

大谷に話題を戻すと、2025年6月の成績で、彼は日米通算1000三振を達成した。ピッチャーの1000奪三振ともなれば凄い事だが、この場合、1000回三振をしたと言う記録だから、言ってみれば<ホームラン王>であると同時に<三振王>でもあると言う事。
 

日本のメディアは何故、大谷翔平の日米通算1000三振を報道しなかったのか?

 

これはもうメディア側の御都合主義としか言い様が無く、三振=ネガティブと認識してるからやらないと言う事。報道側のそういう姿勢は良い事なんだろうか?悪い事なんだろうか?事実を報道しなかったと言う点では、報道機関としては拙いだろうと思う。
日米通算の三振の数なんて、どうでもいいよと言う人が居るかもしれない。重要なのは大谷のホームランの数なんだよと言うのかもしれない。でもそれは間違いだと書いておこう。何故ならば、三振も記録であり成績だからである。

余談だが、数年前にラジオで巨人戦の中継を聴いてたら、ゲストが元・中日ドラゴンズの山崎武司だった。彼は現役時代、ドラゴンズの四番打者で、あのジャイアンツの松井秀喜とセ・リーグでホームラン争いをしていたほどの男である。
その試合で、たまたまジャイアンツの四番バッターが入れ替わった時に実況アナが「第〇〇代・四番打者」と言ったら山崎が、「巨人だけですよね?そう言う数えられ方するのは。そう言う表現は辞めましょ」と言った。これには拍手。よくぞ言ってくれたって感じだった。
この話題と日米通算をどう結び付けるのか?と言うと、個人的に、日米通算とジャイアンツ特有の<第〇〇代・四番」のニュアンスが似てるなと思ったからである。共通してるのは、この表現、やっぱりカッコ悪いなって所かなと。

 

 

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