何でもアル牢屋 -4ページ目

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

スポーツと数字は切っても切れない仲だけど、世界中、何処を見渡しても日本だけしかしない言い回しがあって、それが<日米通算>と言う数え方。
これは世界基準からしても最高にカッコ悪いから辞めた方がいいと思う。現に、日本だけが使う<日米通算>と言う表現は馬鹿にされた過去がある。それはまだ、イチローがメジャーリーグで活躍していた頃、日本は彼の2000本安打の話題で盛り上がっていた。そこでも使われていたのは<日米通算>と言う表現だった。この言葉に反応したのがメジャーリーグの伝説の名選手、ピート・ローズと言う人で、彼はこう言った。

「日本は日米通算と言う言葉が好きなようだな。なんだったら、学生時代の記録も上乗せしてみたらどうだ?」

この言葉を日本側からすれば、どう受け止めるのかって所が問題。

日米通算を誇りと感じてるのは選手じゃなくて、関係の無い周りの人達。選手からすれば、有難迷惑なのかもしれない。増してや大谷翔平ともなれば、日米通算300号なんて数えられた所で「あー・・・そうなんですか」と返されて、素っ気なくされるのが関の山。彼にとってはメジャー通算の方が嬉しい訳であって、日米通算と言う数えられ方はこっぱずかしい事この上ないと言う事になる。そこで言えば、去年の50ー50と言う記録は、DHと言うポジションでホームラン数50本以上、盗塁数50以上、それをメジャーリーグと言う舞台でやってのけたから称賛された。これは文句無しの事実となる。

例えば、これが麻雀なんだとすれば、ピンフの上にタンヤオを乗っけた方が点数高いなとなるが、スポーツと言う競技においてはゴリ押し的な上乗せ記録としか認識されない。皮肉ったピート・ローズの言葉は悔しいかもしれないが、彼の言葉こそが世界基準としての認識で、申し訳ないけど褒める様なニュースじゃないよと言う事になってしまう。
日本が世界基準に拘るのであれば、そろそろ<日米通算>と言う言い回しは辞めた方がいい。受け取る世間も何となく「ふ~ん・・・そうなんだ」と素っ気なく感じるのは、日本しか使ってないよね?と言う認識が頭の中にあるからで、心の何処かで「その数え方、そろそろ辞めて貰っていいですか?」と思っちゃってるからなんだよなと。

大谷に話題を戻すと、2025年6月の成績で、彼は日米通算1000三振を達成した。ピッチャーの1000奪三振ともなれば凄い事だが、この場合、1000回三振をしたと言う記録だから、言ってみれば<ホームラン王>であると同時に<三振王>でもあると言う事。
 

日本のメディアは何故、大谷翔平の日米通算1000三振を報道しなかったのか?

 

これはもうメディア側の御都合主義としか言い様が無く、三振=ネガティブと認識してるからやらないと言う事。報道側のそういう姿勢は良い事なんだろうか?悪い事なんだろうか?事実を報道しなかったと言う点では、報道機関としては拙いだろうと思う。
日米通算の三振の数なんて、どうでもいいよと言う人が居るかもしれない。重要なのは大谷のホームランの数なんだよと言うのかもしれない。でもそれは間違いだと書いておこう。何故ならば、三振も記録であり成績だからである。

余談だが、数年前にラジオで巨人戦の中継を聴いてたら、ゲストが元・中日ドラゴンズの山崎武司だった。彼は現役時代、ドラゴンズの四番打者で、あのジャイアンツの松井秀喜とセ・リーグでホームラン争いをしていたほどの男である。
その試合で、たまたまジャイアンツの四番バッターが入れ替わった時に実況アナが「第〇〇代・四番打者」と言ったら山崎が、「巨人だけですよね?そう言う数えられ方するのは。そう言う表現は辞めましょ」と言った。これには拍手。よくぞ言ってくれたって感じだった。
この話題と日米通算をどう結び付けるのか?と言うと、個人的に、日米通算とジャイアンツ特有の<第〇〇代・四番」のニュアンスが似てるなと思ったからである。共通してるのは、この表現、やっぱりカッコ悪いなって所かなと。

 

 

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子供の頃、東京タワーで初めて蝋人形を見た。クワっと見開いた目、剝き出された白い歯、血の気の無い白過ぎる顔。固まったまま動かない蝋人形は、恐るべき存在だった。
固まったまま動かない物体に対し、人は恐れを抱く。何故なんだろうか?人は動いて当り前と言う物体に対し恐れを抱かない。だが、本来動かない筈の物が動いた時に恐怖する。例えば、その辺にあるペンや消しゴムが風も無いのに動いたとしたら恐怖を感じる。何かの勘違いだろうと思いたくなる。或いは足の膝が机の下にぶつかって、その反動で動いてしまったのだろうと納得したがる。有り得ない事が起きた時、人は何かの間違いだろうと妥協点を見出したがるのである。

 

 

88年制作のアメリカ映画「ワックスワーク」と言う作品は、その蝋人形を扱ったホラー映画だった。
街の郊外に、いつの間にか出来ていた蝋人形館。興味津々な人達が入っていくと、入ったきり出て来ない。何処へ行ってしまったのか?目敏い男女五人の不良学生達は、好奇心に駆られて中に入っていった。
中は小綺麗なお化け屋敷の様だった。物音もしない、とても静かで、掃除も行き届いていて、それなりの清潔感がある。どんな蝋人形が展示されているのか。それはオカルトの世界だった。ドラキュラ伯爵、フランケンシュタインの怪物、狼男、ミイラ男、ゾンビ。大人気のモンスター達だけではない。サド侯爵、切り裂きジャックなどの伝説の怪人や殺人鬼までもが展示されている。
それぞれの展示物は囲いの中にあったが、奇妙だったのは人に襲い掛かる場面が演出されていた事だった。学生達は珍しがって食い入る様に蝋人形を見つめ続ける。蝋人形たちは、まるで生きてるかの様に学生達を見ている。
いつの間にか、学生達の後ろに初老の紳士風の男と、執事の様な小男が立っていた。蠟人形館の館長と案内人の二人だった。

蝋人形館は悪魔崇拝の産物だった。展示された蝋人形には呪いと魔法が掛けられ、魅入られた人間達が、その空間へと引きずり込まれ、生け贄の如く犠牲になっていく。
ゾンビの世界へ入ればゾンビの徘徊する墓場へとタイムスリップし、最終的に喰われて死ぬ。狼男の世界では狼男に襲われ、襲われた人間が狼男へと変身する。ドラキュラの世界ではドラキュラ城に閉じこめられ、吸血鬼たちに追い回され、最終的にドラキュラに魅入られ血を吸われ、犠牲者は吸血鬼と化す。
そうやって18人の犠牲者が揃った時、展示された蝋人形の怪物達は意志を持ち復活する。館長は蘇った悪を使って人間社会の制服を企んでいた。

 

 

何処かで見た個性的な出演者たちについて

 

まず物語の主役にザック・ギャリガン
一番判り易いメジャー作品は84年作のグレムリン。グレムリンを飼う主人公の青年。経歴を見ると、グレムリンから4年後の88年にワックスワークに出演。その4年後に「ワックスワーク2 失われた時空」と言う作品が制作され、そこでも同じ役で出演したらしい。らしいと書いたのは、2作目の存在自体、知らなかった訳で、そんなのあったんだと後年になって知った。
蝋人形館の館長役にデビッド・ワーナー。輝かしい経歴を持つ俳優なんだけど、何故か一番印象に残ってる作品と言えば76年作の「オーメン」。不吉な写真を撮って惨劇に巻き込まれ、最後はガラス板で首を素っ飛ばされたジェニングス役の人。本編とは違う意味で見所を作ってくれた人と言うイメージ。
蝋人形のモンスター役に目を向けると、まず狼男役のジョン・リス・デイビス。見るからにドワーフ体系と言うか、三国志の張飛が似合いそうな雰囲気を持った個性的な名脇役と言うイメージ。超メジャー映画と言えば、インディージョーンズロード・・オブ・ザ・リング。何気に一番見た記憶のある俳優かもしれない。
個人的に注目したのはドラキュラ伯爵役のマイルズ・オキーフと言う俳優。この御方で懐かしいのは、81年作の「類猿人ターザン」のターザン役のイケメン俳優。ジェーン役のボー・デレクとのエロい絡みは、当時、少年だった私の性欲を刺激した。言葉を持たないイケメン&マッチョな童貞ターザンの、初めて目にする人間の若い白人女性への演技が素晴らしかった。
改めて思うに、蝋人形を扱ったホラーで、ドラキュラと言う存在はキラリと光るモノがある。花形と言うか、そこに居て欲しいと言うか、待ってましたと言うか。紛れ込んだ不良の美女が、吸血鬼との戦いに奮戦するが、最後に現れたドラキュラには敵わず吸血されてしまうシーンは、この映画の見所の一つとも言える。

 

プレミアが付いてしまったワックスワークのDVDについて

 

通販サイトAmazonで検索して貰うと判るのだが、この作品、現在は再販もされておらず、DVD形式で2万円を超えるレア物になっている。この作品のDVDは2003年2月5日が初版で、私は発売前から出る事を知っていたので、直ぐに買った。初めて観たのが地元のレンタルビデオ店のVHS版で、中学生の頃だったと思う。
初めての地上波放送はテレビ東京の木曜洋画劇場だった記憶がある。私の記憶では、この局以外での放送はしてないのではないか?と思うのだが、どうだろう。当時の木曜洋画バージョンをビデオ録画して保存してる人が居たら、かなりのレアだと思う。ブルーレイの時代になっても再版されてないので、DVD版は当然、貴重だろう。ブルーレイになれば、吹き替え版も収録される可能性があるので、無駄な期待だけはしてみたい。

 

 

ドラキュラ伯爵の花嫁達

 

 

 

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昭和50年生まれは今年50歳を迎えた。自分の年齢を考えれば、長嶋の死は、それほど驚きではない。89歳で生涯を閉じた長嶋茂雄だが、100歳近く生きたのではないか?と言う不思議な感覚がある。
私の世代が初めてプロ野球を知った時の読売ジャイアンツの監督は王貞治だった。チームの構成はどうだったか。昭和の怪物と言われた江川卓は引退間近で、広島カープの小早川にホームランを叩き込まれ、ピッチャーマウンドで膝をガクッとさせてうなだれるシーンは語り草になった。この時期、桑田真澄が間もなくエースになる直前だった。
助っ人外人と言えばウォーレン・クロマティー。腰を後方に突き出して打つバッティングスタイルに子供達は大いに笑った。あの姿勢でよくホームランが打てるものだと不思議だったが、草野球に興じる野球少年は面白がって腰を突き出していた。当然だが、クロマティーの様にホームランは打てなかった。

90年代に入ると日本のプロ野球に様々な動きがあった。南海ホークスが身売りしてダイエー・ホークスに変わった。このダイエー・ホークスが今現在のソフトバンク・ホークスである。
私の世代が知っている南海ホークスと言うチームは超が付くほどの弱いチームだった。知ってる選手と言えばデブのキャッチャー・ドカベンの香川だとか、ホームランバッターの門田博光くらいだった。その弱っちいホークスがダイエーホークスになり、監督に就任したのが王貞治だった。当時、中々のビックリなニュースだった。ジャイアンツの顔だった英雄が他の球団の監督になる事自体が、受け入れ難い現実の様な雰囲気だったのを覚えている。

90年代、王がジャイアンツから居なくなって長嶋茂雄が帰ってきた。長嶋は無茶ぶりな補強を繰り返す今のジャイアンツの原型を作った人だと私は思っている。不思議な現象だったのは、長嶋がジャイアンツの監督として戻って来て、繰り返される嫌がらせの様な補強に対して大きな批判が聞こえてこなかった事だった。
例えれば長嶋茂雄は現代の豊臣秀吉だった。派手と祭りを好む快男児。そこには英雄豪傑が集まり、中国の伝記・梁山泊の模様を呈してくる。長嶋は戦上手ではなかった。戦上手では無かったが人柄を慕って英雄が集まると言うパターンは三国志の劉備玄徳に近かった。何処かロールプレイング・ゲームの様な感じが長嶋ジャイアンツにはあった。戦った相手がいつの間にかジャイアンツに入っている。
ジャイアンツが恥も外聞もなく繰り返す補強戦略は、良い事なのか?悪い事なのか?世間は煙に巻かれた様に長嶋ジャイアンツを喜んで見ていたが、長嶋が監督を辞めた辺りから、世間の目が覚めだした。魔法が解けたとも言える。堰を切った様に批判が溢れ出した。人間の魅力と言うのは恐ろしいモノだと感じた。長嶋以外の人がジャイアンツの監督をやって補強をすると批判される。原辰徳は、その代表的な監督だったのではないか。

いつだったか、行きつけの美容室でマスターと野球の話をした事があった。マスターはジャイアンツ嫌いだった。何で嫌いなのか私は聞いてみた。

「皆、長嶋の事なんて知らないのに得意気に語ってるでしょ」

マスターはそう言った。単純な答えだが実に的を射ている。確かにそうかもしれない。長嶋の現役時代なんて知らない人達が知ってる風に語っている。
人と言う生き物は案外適当な生き物で、見たり触れたりしなくても何となくのエキスで知った様な気になってしまう。同じ現象が<なんちゃって長嶋ファン>にも出たのではないか?何となく語りたくなる。でも深い話をされるのは真っ平御免と言う訳だ。

今の野球界を見ていれば、第二の長嶋茂雄と言うのは現れないだろうなとは思う。仮に出てきたとすれば、その人物はマスコミが苛めるだろう。今のメジャーリーグの大谷がされているみたいに、毎日、キャラ弄りされてネットに晒されるだろう。長嶋のラッキーは、ネットが無かった時代の風雲児だった事だった。それなりに快適で有意義な人生だったに違いない。

2025年6月3日、日本は梅雨の時期。全国的に涙雨であった

 

 

 

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毎月送られてくるイッツコムの番組雑誌を読む時、真っ先にチェックするのが映画番組の欄。今月は何を放送するのかなと見てると、「またかよ!」と思うほど、よく目にするタイトルがある。1994年制作の「マスク」と言う映画。
ジム・キャリーと言う俳優のコメディ映画なんだけど、この映画の見所はギャーギャーうるさいジム・キャリーよりも、デビューして間もない可愛いキャメロン・ディアスを観る為の作品でしかない。昔のキャメロン・ディアスの雰囲気は、日本の長澤まさみと似てるなと思うのは私だけか。
所で、94年のマスクよりも前に、同名タイトルのヒューマン・ドラマ映画が85年にアメリカと日本で公開された。この映画は、どの程度取り上げられているのか?と検索を掛けてみると、意外な程少ない。数えるほどしかレビューされていない。40年も前の作品だし、近年、再放送もされていないので、埋もれてしまった感が拭えない。
この映画についてのウィキペディアはあった。ストーリーや概要はコッチを読んだ方が早いと思うので、此処ではウィキで書いてない事を書こうと思う。

 

80年代はヒューマン・ドラマの宝庫だった時代

 

ざっと、80年代に作られたヒューマン・ドラマ映画を時代系列で並べると以下の様になる。

80年:エレファントマン

85年:マスク

87年:ケニー

88年:レインマン


探せばもっと有るかも知れないが、比較的、日本でも知られた作品としては、この位ではなかろうか。
今回取り上げる作品は85年公開の「マスク」で、どう言った作品なのか?を説明すると、頭蓋骨幹異形成症と言う頭骨に障害を負った15歳の少年の生涯を描いた作品。病気の別名はライオン病と言う。
この作品は小学生か中学生の頃にテレビ映画で初めて観たが、ライオン病と言う響きが凄く印象に残った。ライオンと言うのは百獣の王と言われる動物のライオンの事なのだが、何故、ライオンなのか?つまり、頭蓋骨の異常な発達と変形によって人間の顔がライオンの顔の様な目鼻立ちになる。獣人と言う意味合いではなく、顔にある部品の配置がライオンの顔を彷彿させると言う意味で付けられた。
実話であり、ロッキー・デニスと言う実在した少年をモデルに制作された。此処では乗せるのを控えるが、ネットで検索すると実在のロッキー少年の画像が出て来る。映画で実話のどの部分が描かれたかは知る由も無いが、作品では詩人の様に知的で勉学も優秀な愛されるキャラとして描かれている。
上に並べた障害者を扱った映画は全て、実在の人物がモデルになっているのも特徴的だろう。それだけに作る側からすれば茶化しは許されない。そこに笑いの要素を持ち込むのは言語道断で、だからと言ってシリアス過ぎても作品として成立しない。御涙頂戴を目的にしたドキュメントであってはならないと言う事。

 

 

歌手なのに演技が抜群に上手いシェール

 

マスクでロッキー少年の母親を演じるのがシェールと言う人で、作品の中でオーラのある存在感を出している。
私は、この作品を観たのが少年の頃だったので、作品の中のシェールは女優さんなのかと思っていた。有名な歌手だと知ったのは大人になってからで、余程の洋楽通でもない限り知らない人の方が多かったのではないか?
この映画の吹き替え版は一つしか無くて、淀川長治が解説していた日曜洋画劇場で放送したバージョンだけ。このシェールの声を当てたのが日本の女優・秋野暢子で、非常に良かった。決して上手い吹き替えではないのだが、何とも味がある。この吹き替え版を観てると、この作品のシェールの声は秋野暢子しか居ないだろうと言う唯一無二の感はある。
終盤、息子のロッキーが朝になっても二階から降りてこない事に何か不吉を感じ、何かを察する様に二階のロッキーの部屋に入っていくシェール。ベッドに横たわっているロッキー。寝息も聞こえない。ピクリとも動かない。部屋に入ったシェールはジッとロッキーの姿を見つめ続ける。無言と静寂の空間でロッキーの身に何が起きているのかをシェールは感じているのである。そこからのシェールの演技力は観る者の涙を誘う。吹き替えの秋野暢子もシェールと一体になったかの様な声の演技を見せてくれる。

 

ロッキー少年を演じたエリック・ストルツと言う俳優について

 

エリック・ストルツは日本では馴染みの無い俳優だろうと思う。一番判り易い作品の一つが「ザ・フライ2 二世誕生」で主役を演じた青年と言えば判るだろか。私は海外ドラマをよく観ていたので、医療ドラマのシカゴホープなんかも比較的メジャーだと思う。
生年月日は1961年生まれ。マスクは85年作なので、当時エリックは24歳。その24歳の青年が15歳の少年を演じた。劇中のエリックはライオン病の特殊メイクで顔のバランスが崩れているのは仕方ないとして、気になったのは24歳とは思えないほど華奢な体格をしているのが驚き。どう見ても中学生、高校生くらいの体型にしか見えない。この作品の為に華奢な体型を作ったんだろうか?真相の程は不明。或いは体系が華奢な俳優と言う理由で選ばれたのかもしれない。

 

障害者映画の火付け役になったのは80年公開のエレファントマンだったと言っても過言では無いだろう。世界で最も知られた作品だと思うし、何よりも人生を考えさせられる。

「貴方にとって、生きるとはどう言う事だと思いますか?」

実の所、そこが一番のメッセージとも言える。障害者には障害者にしか判らない世界があると、普通の人達は考える。だから普通の人は障害者に対し気を遣う優しさを持つ。障害者にとって優しい気遣いがダメージになる場合もある。
障害者は普通の人に何を求めているのか?彼等の大半が普通の人と同じ様に扱って欲しいと願う。多くの障害者は疎外感を感じている。エレファントマンにしろマスクにしろ、共通して描かれているのは、その核となる部分なのである。

 

 

 

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いつか聞いたタレントの小泉今日子のインタビュートークが印象に残っている。

「ある日、街を歩いていた時、手を繋いだ若い母親と小さな子供の姿が目に映った。私には、もうこんな光景が望めないんだなと思った時、複雑な心境になった」

このインタビュー記事を読んだ時に驚いたのは、小泉今日子に、これほどの作家的な感性があるとは思わなかった事だった。上の言葉は、彼女が40代か50代に入った頃の想い出らしい。短い言葉ながら、この言葉の中に込められた、老いていく一人の女の切実な想いを感じる。
80年代、私が小学生の頃、キョンキョンと言う愛称で呼ばれた小泉今日子は、元気の塊の様なキャピキャピの可愛いアイドルだった。悩みなんか無さそうで、毎日が夏休みみたいな笑顔の絶えない躍動感と、男子にモテそうなオーラを持った魅力的な人だった。
そんな昔の彼女と、今の彼女のギャップが凄過ぎて、同一人物だろうか?と錯覚を起こす事もあるのだが、もう還暦に近い歳を取った彼女も十分個性的で素敵な魅力を維持してるなとは思う。一般的な女の幸せは得られなかったが、昔、若い頃には無かった作家性を得る事が出来た。何かを失って何かを得る。これは一種の代償なんだろうか。

人間社会はどうにも窮屈だと感じるのは、結婚をしてるのか、してないのか。子供が居るのか、居ないのか。家庭を作れた者と、作れなかった者の両者に、マウントの関係が出来てしまう。どう持って行っても家庭を作れた者が上から目線になる。
独身貴族と言う言葉も何処か皮肉的で、要は金を稼げる独身者って事なんだろうけど、金は稼げても旦那も女房も子供も金で買えないからね!今日もお疲れ様!みたいな響きを感じる。口に出すか出さないかは別にして、どうやら人と言う動物は、家庭を作れない者や、子供を産めない者に対して敬意を表さないらしい。世間と言う巨大な箱から見れば、独り者は何処まで行ってもアウトローな存在なのだろう。

メジャーリーグの御殿様に女の子が生まれたそうで、メディアが騒いでいる。出産の数日前からカウントダウンの馬鹿騒ぎが始まり、出産当日は、どんだけ騒ぐのかと構え、その話題がテレビで始まったら速攻でチャンネルを変えようとリモコンを持っていたが、予想に反し、思いの外、大人しめの報道だったので、幾らか気が緩んだ。
有名人の結婚報道に関しては世間的な混乱を避ける意味で報告はあってもいいと思うのだが、出産報道は全面的に辞めるべきだと私は思う。理由は、妊娠、出産と言う過程が必ずしも自然ではなく、女性にとっては命懸けの大事業で、不妊症や無精子症で苦しんでる人達も居る訳だし、そう言った人達にとっては有名人の出産報道なんか面白い訳もなく不愉快で、かえってプレッシャーを植え付けさせる事になってしまう事を察し、報道側も十分に気を使うべきだろう。
総体的に、そういう妊活や難産が少数だから別にイイだろうみたいな考え方も如何なものかと思う。報道は大多数主義、少数は切り捨て。こういうやり方が日本の報道の意識とレベルの低さを露呈してしまう訳で、実際、国際レベルで日本の報道は韓国よりも下らしい事がデータで判っている。

日本は報道の自由と言う言葉を履き違えてる所があって、テレビメディアを観てると気付くと思うが、報道と言うよりは情報とエンタメが主流になっている。どう考えても、出産報道は必要ないと思う。その日に生まれた子供は有名人だけじゃないし、世界中の各地で生まれた子供も居る。それだったら有名人の子にだけ「おめでとう」じゃなくて、生まれた子、全員に平等に「おめでとう」と笑顔で報道して欲しいね。

 

 

 

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