日本人は何故、長嶋茂雄を語りたがるのかのメカニズム! | 何でもアル牢屋

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昭和50年生まれは今年50歳を迎えた。自分の年齢を考えれば、長嶋の死は、それほど驚きではない。89歳で生涯を閉じた長嶋茂雄だが、100歳近く生きたのではないか?と言う不思議な感覚がある。
私の世代が初めてプロ野球を知った時の読売ジャイアンツの監督は王貞治だった。チームの構成はどうだったか。昭和の怪物と言われた江川卓は引退間近で、広島カープの小早川にホームランを叩き込まれ、ピッチャーマウンドで膝をガクッとさせてうなだれるシーンは語り草になった。この時期、桑田真澄が間もなくエースになる直前だった。
助っ人外人と言えばウォーレン・クロマティー。腰を後方に突き出して打つバッティングスタイルに子供達は大いに笑った。あの姿勢でよくホームランが打てるものだと不思議だったが、草野球に興じる野球少年は面白がって腰を突き出していた。当然だが、クロマティーの様にホームランは打てなかった。

90年代に入ると日本のプロ野球に様々な動きがあった。南海ホークスが身売りしてダイエー・ホークスに変わった。このダイエー・ホークスが今現在のソフトバンク・ホークスである。
私の世代が知っている南海ホークスと言うチームは超が付くほどの弱いチームだった。知ってる選手と言えばデブのキャッチャー・ドカベンの香川だとか、ホームランバッターの門田博光くらいだった。その弱っちいホークスがダイエーホークスになり、監督に就任したのが王貞治だった。当時、中々のビックリなニュースだった。ジャイアンツの顔だった英雄が他の球団の監督になる事自体が、受け入れ難い現実の様な雰囲気だったのを覚えている。

90年代、王がジャイアンツから居なくなって長嶋茂雄が帰ってきた。長嶋は無茶ぶりな補強を繰り返す今のジャイアンツの原型を作った人だと私は思っている。不思議な現象だったのは、長嶋がジャイアンツの監督として戻って来て、繰り返される嫌がらせの様な補強に対して大きな批判が聞こえてこなかった事だった。
例えれば長嶋茂雄は現代の豊臣秀吉だった。派手と祭りを好む快男児。そこには英雄豪傑が集まり、中国の伝記・梁山泊の模様を呈してくる。長嶋は戦上手ではなかった。戦上手では無かったが人柄を慕って英雄が集まると言うパターンは三国志の劉備玄徳に近かった。何処かロールプレイング・ゲームの様な感じが長嶋ジャイアンツにはあった。戦った相手がいつの間にかジャイアンツに入っている。
ジャイアンツが恥も外聞もなく繰り返す補強戦略は、良い事なのか?悪い事なのか?世間は煙に巻かれた様に長嶋ジャイアンツを喜んで見ていたが、長嶋が監督を辞めた辺りから、世間の目が覚めだした。魔法が解けたとも言える。堰を切った様に批判が溢れ出した。人間の魅力と言うのは恐ろしいモノだと感じた。長嶋以外の人がジャイアンツの監督をやって補強をすると批判される。原辰徳は、その代表的な監督だったのではないか。

いつだったか、行きつけの美容室でマスターと野球の話をした事があった。マスターはジャイアンツ嫌いだった。何で嫌いなのか私は聞いてみた。

「皆、長嶋の事なんて知らないのに得意気に語ってるでしょ」

マスターはそう言った。単純な答えだが実に的を射ている。確かにそうかもしれない。長嶋の現役時代なんて知らない人達が知ってる風に語っている。
人と言う生き物は案外適当な生き物で、見たり触れたりしなくても何となくのエキスで知った様な気になってしまう。同じ現象が<なんちゃって長嶋ファン>にも出たのではないか?何となく語りたくなる。でも深い話をされるのは真っ平御免と言う訳だ。

今の野球界を見ていれば、第二の長嶋茂雄と言うのは現れないだろうなとは思う。仮に出てきたとすれば、その人物はマスコミが苛めるだろう。今のメジャーリーグの大谷がされているみたいに、毎日、キャラ弄りされてネットに晒されるだろう。長嶋のラッキーは、ネットが無かった時代の風雲児だった事だった。それなりに快適で有意義な人生だったに違いない。

2025年6月3日、日本は梅雨の時期。全国的に涙雨であった

 

 

 

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