拘りでハマり込む生き辛さ! | 何でもアル牢屋

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「生き辛さ」って言葉の響きが妙に気に入ってて、私のテーマになっている。
実の所、今年の1月から体調が悪くて病院のはしごを繰り返した。身体検査、血液検査、どれも異常がない。なんだけど具合が悪い。落ち着かない。「そんな筈はない。何処か悪い筈だ」と思ってる内に不安症まで出てきた。

不安と恐怖はどちらが怖いのか?恐怖とは対象があるから、その恐怖から遠ざかれば良い。だが、不安は漠然として形が無いので具体的な正体が一向に掴めない。一つの不安が解決すると、次の不安が待っている。

強迫神経症と言う精神疾患がある。我々は日々の生活に、必ずと言っていいほどルーティンを持っている。飯を食べる時も箸はこの位置で、おかずの皿はこの位置でないと落ち着かないとか、歯を磨く時は必ず右下の奥歯から手前へ磨いていかなければならないとか、起きて顔を洗う回数は最低でも20回とか、うんこした時は必ず三回拭き、四回目を更に念入りに拭かなければ気が済まないとか。
性行為においてもルーティンは機能する。特徴的なのは男の方で、特に射精時における拘りは強い。その際、女性の体の、どの部位に発射させるかが重要らしく、腹の上や顔射は珍しい時代ではないが、脇に発射しないと気が済まないと言う男も居るらしい。その男によれば、代々、自分の彼女になった女性の脇に発射させてきたのだそうだ。もはや儀式と言うしかない。
 

不安症はどうか。不安神経症を患う人は、毎日の様に病院に行こうか行くまいか思案している。手持ちの抗・不安薬が残り一週間を切った所で、予約の電話をしようかするまいか悩み抜いている。これも一つの生き辛さだろう。不安症にとって最大の優先順位は常に病院と残りの薬の数なのである。

心療内科や精神科は予約制なので、行きたいタイミングに限って予約が一杯で、二週間、三週間待ちと言う状況もあり得る。いざ自律神経の発作に襲われ薬が無いなんて状況を想像するだけで恐ろしくなる。何処まで心の準備をしなければならないのか途方に暮れると言う日々の繰り返し。
コロナ化の生き辛さで発症する神経症もある。特に手洗い。消毒だけでは気が済まない。100回手を擦り合わせないと奇麗になった気がしない。その100回の途中、何らかの邪魔が入った時点で回数はリセットされ、1からやり直しになる。不思議な事に、人の脳は何らかの刺激とショックで同じ事を繰り返すように出来ているらしい。
 

不安とは、些細な出来事や偶然性を笑って済ませられない状態なのだそうだ。解決の手段は考え方で変わる。人から見たら風変りなルーティンも、味わいと捉えれば人生にワビサビが出来て生きてる実感を得られるのではないか?そう考える事で豊かさと余裕が生まれてくる。そうする事で、いつの間にか<生き辛さ>を感じなくなってきたと言うパターン。これが最高のハッピーエンドな気がする。