冬至の波動取り番外・キトラ | まーりんのまりんエッセンス

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魂・心・体に響き渡る、これから先の時代のエッセンス
「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語

 

 

 

 

 

 

 

つづきです。

 

 

2020年12月22日

冬至明け

 

天河禊殿でエッセンス達を回収し、

そのまま神社朝拝に参加させていただく。

 

山間にようやく陽が射し

重く立ち込めた靄が立ち昇っていく。

 

 

 

 

 

 

 

宿を片付け自宅に戻るオーナーさんの車で

下まで送っていただいた。

 

山や木々まわりに観応していたいわたしと、

話すことがなくモヤモヤしてラジオをつけたオーナーの、道中。

 

東京では嗅ぐこと叶わない雪や杉の匂いが充満している場を通り抜けながら、

ラジオは下界のどうでもいいことを大音量で伝えていた。

 

こんなタイミングで、安倍元首相不起訴を知るとは思わなかった。

安倍氏のチャートで冬至が過ぎるまで落ち着かない(ひと段落するのは冬至後)と読んだが、それはこれのことだったか・・・

 

 

 

下市口駅に着く。

昨夜わたしは怒ったけど誰が悪いとかいうことではないから。感謝すべきことには感謝したいと思って、お礼を言う。 「氣が合わない」のが痛いほどわかるので(互いに)一刻も早く離れたいという思いがあったとしても。

 

 

駅に向かうと、中学生くらいの男の子が3人ふざけながら傍をかすめて改札に走っていく。

改札を通ると、目の前にいま出ようとする電車があった。 どこ行きか確認もせず、男の子たちの後ろについて乗り込んだ。

 

というわけで、急行あべの橋行に乗ったので

なんかわからんけど天川を立って1時間後にはもう飛鳥に着いたのだった。

 

そういえば・・・以前の天河行きでも、中学生くらいの男の子たちが、山から下りた後の奈良での道案内になった。 完全に地元の人間の姿なので、なんか変だなーと思いつつも(ミスタードーナツで5人のイケメンに囲まれた)、やっぱりおかしかったと思うのはいつも後になってから(あれはカラスの子だよ)。

 

 

 

飛鳥に着いた。

いちおう、目標はキトラ古墳である。 前日宿のオーナーがパンフレットまで見せてお勧めしてくれたときは、行きたい!というほどのことはなかったが、自分にそれ以上のアイデアがなかった。

 

駅前の案内所で、キトラ古墳を含んで午後いっぱいをかけて回れるルートをリコメンドしてもらい、すぐに自転車をレンタルする。

 

まあ、目標は目標であって、目的ではないから、ゆっくり自転車こいでればいい。

途中で気に入ったところがあればそこにいてもいいし、違うところに行ってもいい。

なんて贅沢な、時間の使い方だろう。

 

いっさいの束縛がない。

山頂に行くために登るのではなく、登っていくその道を楽しむという道教の仙人を想った。

 

 

 

 

飛鳥からのゆるい上り坂は、少々きつかった。

葛城古道を思い出す。

 

天川での重装備を一枚づつほどいて自転車のカゴに入れる。

最後に残ったヒートテック2枚重ねが暑くて、汗が出る。

 

どういうわけか、飛鳥についてからというもの頭の中で

「とぶとりのあすか」

というコードがリフレインしていた。

 

 

 

キトラ。

 

 

カタカナで表示される名称は

漢字を当てられることもなかったかもしれない。

 

 

 

古墳自体は

非常にきれいな●ぽっち。

 

 

坂の上の見晴らしの良い場所ではある・・・って、ここが阿部山というのは、この後知ることになる。

 

人がいたのにつられて

四神の館というのに入ってみる。

 

 

一番圧巻だったのは、

館中央に四面を囲むように立つ壁面。

モニターをつないで作られた4枚の襖のようなそれは、それぞれが古墳内部の東西南北の壁画を、同時に映し出す。

中央部に立つと、まるで石室にいるかのようなビューが得られるという趣向。

 

これが無料!?

 

 

 
 
 
 

 

映像は

四神を拡大していく。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

驚くのは、50倍、100倍という倍率で拡大されても

筆致に全くぶれがみえない、粗がない点だ。

 

どれだけの技量をもって描かれたかを

映像が教える。

 

 

 

 

そして・・・・・天文図。

 

 

 

 
 
 
 
 

内規、外規

黄道、天の赤道

 

28宿

 

北斗

紫微垣

 

74座あるという 

 

 

おどろいた。

これだけ揃っているとは!

 

 

 

「本格的な中国式星図としては世界最古」

と学芸員さんから伺う。

キトラ古墳壁画は昨年国宝に指定され、その取扱いがさらに厳重になったとも。

 

 

うちにある(もちろんお土産品だが)、

ハトホル神殿の世界最古のホロスコープを想った。

似たものを引き寄せているような・・・

 

 

似たものと言えば、この学芸員さんとは波長があってしまい、他に人が来ないことをよいことに話が盛り上がった。 天文から古代の叡智や科学、陰陽道、四柱推命などについて・・・・

わたしは時間が有り余っているので、お話ししていて全く構わなかった・・・というか、たのしかった。

このきっかけは、あのオーナーさんがくれたわけで、人生何がどう転ぶかわからない。

 

 

正確な星図を持つ意味。

それは航海や、祭祀、政治に必須の技術であり、そのためにできるだけ精緻である必要があった。

阿曇、海人族しかり

 

きのうまでいた吉野天河は大海人皇子ゆかりの地、彼もまたその知識を持っていた。

その兄は、国家事業として日本で初めて水時計を作製した中大兄皇子、天智天皇である。 その水時計も飛鳥にあるんだなーこれが。 でもこれよりはやく・・・中大兄は母親の斉明天皇が崩御した際、筑紫朝倉にいたが、そこですでに漏刻を作っていた。 この朝倉橘広庭宮といわれるところが、わたしの母方の一族の故郷にちかい。 墓所がある山は麻底良(まてら)という。 これは2万6000年を一周期とする北極星の遷座を2つの山マテラ(右枢=竜座ツバーン)とアテラ(左枢=こぐま座ポラリス)に模して示したうちの一方と言われる。 

 

斉明天皇も、天智・天武に負けず、星とつながりがある。

この女帝の諡号は天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしひめ)という。 

「重日足」は「いかしひたらし」と読み、これはシリウスを指すという。 「斉明」も、最明(さいめい)と同じ音で、夜空で最も明るい星=最明の星と呼ばれるシリウスのこと。 斉明天皇の殯宮だった朝倉の恵蘇八幡宮の「恵蘇」もまたシリウスを指す。

 

当時の天皇家が星に寄せる関心とは、われわれとはちがう。

天文暦法が、世界を統べる必須のツールだったからである。

 

 

 

 

・・・・・

 

大寶の制において
 
陰陽 暦 天門 の

三道は

 

国家の須要の

学問として

重んじられ

 

深く秘して

むやみに人に 伝え

学ばせることは

許されなかった

 

秘書 遁甲

太一式の 類や

 

渾天儀等の器物

天文図書などは

 

勝手に 所持しては

ならなかった

 

 

そして

その知識と

術ゆえに

 

陰陽師たちは

常に

 
政治的 権力の

抗争に

巻き込まれうる


危険なところに

いた・・・

 

 

『陰陽師』 11巻 (岡野玲子)より

 

 

 

 

 

 

 

さらにいえば、星図とは本来、

いつどこにいるのか、この世界における時空座標を得るためのツールである。

 

 

 

 

 

 

しばらくここで遊んでいたら、

キトラの被葬者に関連するかたちで

檜隈寺(ひのくまでら)跡にいくことになった。

 

ひのくま、とくれば

日隈を思い浮かべないわけがないのだ。

 

日隈、月隈、星隈

九州のへそといわれる、日田の聖地。

 

福岡には

干(ほし)隈と七隈、金隈

 

 

 

ここは東漢氏の氏寺という。

阿知使主を祀ったとされる於美阿志神社にごあいさつをする。

神社というには古い様式。

あちのおみ・・・阿曇の阿知女と同じ響き。

 

手を合わせると、急に強く風が吹きはじめた。

はっきりと、めっちゃ歓待されてる。 

けど理由がわからん。

 

東漢・・・これまで何もご縁を感じなかった一族が、なぜこんなによくしてくれる?

 

 

 

わたしの血のなかに、

つながりがある。

ということだった。

 

 

そしていま

「星を読むもの」としてここに来て

四神相応を感得していることを、よろこんでくれている。

 

 

 

きょうは天川とはべつの

 

見えない何かが

 

道案内しているのを感じる。

 

 

 

過去と未来が

 

この現在のポイントに共鳴し

 

鳴り響いている。

 

 

 

飛鳥に来る前から

思い出していた。

 

きょうこの瞬間を、

何度も何度も過ごしたことがあることを。

 

何にもない場所に、

深い意味が埋め込まれている。

 

 

 

 

於美阿志神社のまわりに、小さな神さまの祠がいくつかあった。

 

ひとつひとつに、ごあいさつする。

(時間があると、こんな余裕をかますことができる)

 

子どもの声がしているので、神社から奥に行ってみると、そちらはなだらかに開けた丘で、向こうに遊具もあるのが見えた。 犬を連れて散歩するひと、歩くひと。

 

そちらに続く細い道の端に、お地蔵さんのような神さまがおられたので、「・・・この子どもの声がいつまでも途切れないよう、この地の人たちがずっと子どもの笑い声をききながら幸せに暮らせますように」と祈りを捧げた。 すると、陽の光のように暖かいものが、ビョっと体に向けて放たれた。 自分の身のしあわせを願うのではなく、ただひとのしあわせを願うと、逆にこれほど力を与えられるのか。

 

 

不思議な、現実離れした体験だった。

 

 

 

 

そこから

高松塚にもいった。

 

誰もいない。

芝生に座って、沈む夕日を眺めた。

 

 

 

「とぶとりのあすか」

 

頭に響いてくる、

飛鳥を愛する何ものかの声のように・・・

 

 

 

 

 

夜行バスは阿倍野から出るが、

できるだけ遅く着くように途中で時間をつぶしたが

 

「阿倍野」ときて、なぜ

安倍晴明神社を思いつかなかっただろうか。

この日ずっと

安倍と星がまとわりついていたのに。

 

安倍元首相

キトラ天文図、陰陽道

阿倍山

阿倍野 安倍晴明

 

 

 

天の川で天の水を汲んだ帰りに、

阿倍山で四神相応を想起しつつ天文図を観

晴明の阿倍野に。

 

 

というね

気づいてなかったけどスペシャルなコースでした。

 

 

 

(つづく)

 

 

まだ続くよ

 

 

七色の魔術師まーりん

 

 

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