エリザベス・コルバート著、鍛原多恵子訳、「THE SIXTH EXTINCTION」。NHK出版。
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人類に大きな問題が降りかかってきているようです。これは数十年前からもあった問題ですし、現在もずっと引き継がれている問題でもあります。今回はこの著作を読んで、より一層この悲劇が進んでいることを実感しました。本当に下らない問題なのに、規模がこれほど大きくなってくると、つらさしか覚えませんでした。
以下に簡単な雑感を述べつつ、この著作を読んだ個人的な感想を書きます。
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この著作は2014年のものである。内容を端的にいってしまえば、現代進みつつある、第6の生物の大量絶滅の問題を取り扱っており、その原因が人類にあることを雄弁に語ったものである。
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この本によれば、地球に発生した生命は、過去の生命の歴史において、5回に及ぶ大絶滅を経験しているという。それは今我々が生きている時代から遡ること5億年の歴史の中において起こった出来事である。
・・・オルドビス紀、デボン紀、ペルム紀、三畳紀、そして最後に起こったのはユカタン半島に隕石が衝突した白亜紀のものだ。
生命はその大量絶滅の後、古い生物が新しい生物にとって代わり、新時代を築いてきた。6500万年前の最後の大量絶滅は恐竜たちを滅ぼし、哺乳類の時代を切り開いた。
そして我々は今、時代区分でいえば、中生代を離れ、哺乳類の時代である、新生代の第四期、完新世にいるはずだった。 ところが近年、地球上に広く生息範囲を広げた人類が生態系に与える影響があまりに大きなものであることから、時代区分の見直しが迫られることとなる。この時代区分を「人新世(アントロポセン)」という。
コルバートは述べている。
<この数年、人類がもたらしつつある新たな年代の名前がいくつか提案された。著名な保全生物学者マイケル・スーレは、現代人は新生代(セノゾイック)ではなく大変動時代(カタストロフォゾイック)にいると提唱した。南アフリカにあるステレンボス大学の昆虫学者マイケル・サムウェイズは均質世(ホモジェノセン)、カナダの海洋博物学者ダニエル・ポーリーは「泥砂」を意味するギリシャ語「muxa」に由来する泥砂世(ミクソセン)、アメリカのジャーナリスト、アンドリュー・レヴキンは人新世(アントロポセン)を提唱した。
「人新世」という語は、オゾン層破壊物質の発見によりノーベル賞の共同受賞者となったオランダの科学者パウル・クルッツェンの造語だ。
・・・(中略)・・・
クルッツェンは『ネイチャー』誌に寄せた小論「人類の地質学」で自分の考えを明らかにした。「多くの意味においてヒトに支配された現代の地質年代区分には『人新世』という名称が適切であるように思う。」人類が地質学的規模で引き起こした多くの変化として、クルッツェンは次のような数項目を指摘した。
・人間は地表の三分の一から半分に手を加えた。
・世界中の主要な河川の大半はダムが建設されたり、切り回されたりした。
・肥料工場が、すべての陸上生態系によって自然に固定される量を上回る量の窒素を生産している。
・海洋の沿岸水域における一次生産(独立栄養生物による有機物生産)の三分の一以上が漁業に消費される。
・人間が世界中の容易に入手可能な淡水の半分以上をつかう。 >
つまり、現存人類がこの地球に散々手を加えたため、自然では起こらないような環境の激変が起こっており、そのために科学者たちも新たな時代区分を設けなければならないと感じているということである(アントロポセンは正式に2016年に認められた)。
はたして、コルバートが訴えているように、この著作によらずとも、現代進んでいる人類による自然改造は、新たに第6の大量絶滅を引き起こしつつあるといえる。
このままいくと人類が引き起こす生物の大量絶滅は6500年前の隕石の衝突に匹敵する可能性があるといわれている。
例えば海は海水に大量の二酸化炭素を吸い込むが、これが人類の活動によって、年々増加の一途をたどっているという。
化石燃料を使えば大気中に大量に二酸化炭素が増えるし、他方、二酸化炭素を大量に吸収する森林は次々に伐採されている。つまり人類によって大気中に二酸化炭素が増える要素が構築されており、そのことによって大気中に二酸化炭素が増えれば増えるほど、海中に吸い込まれる二酸化炭素も増えるのである。
そして海中に二酸化炭素が増えると海洋酸性化が起こる。このことは、海水のphが酸性に振れるようになる、ということだ。
すると、海中に住むたくさんの「石灰化生物」と呼ばれる生物群に莫大な被害が及ぶようになるという。
<たくさん考えられる影響のうち、もっとも重要なのは石灰化生物として知られる生物群にかかわる(石灰化生物という言葉は殻や骨格を形成する生きもの全般を指し、植物の場合には、炭酸カルシウムを主成分とする鉱物、すなわち方解石から成る一種の結晶塊を内部に形成する)。海にはきわめて多彩な石灰化生物がいる。ヒトデやウニなどの棘皮動物、食用の二枚貝やカキなどの貝類もこの部類に入る。甲殻類のフジツボもそうだ。サンゴの多くは石灰化生物で、石灰化によってサンゴ礁という巨大な構造を形成する。
・・・(中略)・・・
また海が酸性化すると、炭酸イオンの数が減少し、石灰化がさらに難しくなる。ふたたび建設工事のたとえを用いるなら、あなたが家を建てようとしているあいだに、だれかがレンガを盗んでいるようなものなのだ。海水がどんどん酸性化するにしたがい、化学反応に必要なエネルギーが増える。ある時点で海水は溶食性をもつようになり、個体の炭酸カルシウムが溶けはじめる。アラゴン城の小島に近づきすぎたカサガイの殻が薄くなっていたのはこのためだ。>
海の酸性化は石灰化生物の石灰を溶かし始める、ということである。
学者によっては今世紀半ばまでにサンゴ礁の多くが滅びてしまうかもしれないといっている。サンゴ礁は多くの生物を育むので、これが無くなれば海の生態系は大きく損なわれる。また貝類は海水の浄化を促しており、貝類は死滅すれば海は汚れるだろう。当然人類の食料も大幅に減っていく。
こうした生物の死滅は何も海の中に限ったことではない。このために、我々の「孫たち」といえる世代にこの地球上の自然がどれほど残っているか疑問が残るほどだ。これは本来なら人類が全体を上げて取り組まなければいけないような大変な問題のはずである。しかし、現実は違っている。
コルバートは次のように書いている。
<人類は進化の拘束から自由になったとはいえ、地球の生物学系と地球科学系には依存したままだ。したがって、これらの系を破壊すること(熱帯多雨林を伐採し、大気組成を変え、海を酸性化すること)によって、私たち自身の存続をも危険にさらす。>
以前も書いたが地球環境問題はもう何十年も前からずっと語られてきたのにも関わらず人類はほとんど手立てらしい手を打ってこなかった。
多くの人々は自分達を「万物の霊長」だという。しかし現状のままで本当にそうだといえるのだろうか?およそ現代では、ダーウィニズムもかなりの批判を受けており、彼の理論がす全て正しいのではないことはこの著作にも語られている。本当に人類が・・・いわば、「進化論」が求めてきた、現存での、「究極の進化形」かどうかは、我々の今後にかかっているといっても過言ではない。下手をすると「進化論」が正しいとしても、人類がこのまま滅びてしまうのなら、「人類」そのものはかなり異常な「種」であるし、「失敗した種」と位置付けられてもおかしくはないだろう。
この本のいうところははっきりしている。人類がかならずしも優れた生物でないこと、また、世界の在りようがこのままでは駄目であるということだ。
コルバートの言葉はこうだ。
<しかし、非人間的との誹りを覚悟のうえで(私の友人の何人かは人間だ)私は言っておこう。いちばん大切なのは人類の存続ではない、と。>
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個人的な意見を最後に書いておきます。
一応、「自分のことを棚に上げて、そんなことがよくいえる」、というようなことも書いてしまえば次のようなことになります。
貧しい国では、食べるものに困る者もいるなか、結局、現在は資本主義のシステムに飼いならされてしまった一般大衆はほとんどが、大量に消費される食物、また物質に何の疑いもなく従っており、必要以上に際限なく食べ、消費を続けています。
例えばですが、もし人類以外の高等な知性の生物が私達をを見たらどう思うでしょうか?見ようによってはこれはかなり異様な生物に見えるはずではないでしょうか。いくら他の種よりも賢いからといって、多種との共存の方法を模索せず、知恵を、「食い」、「消費」することにしか使わないとしたら、ひどく低俗な「獣の一種」に見えるに違いないのではないでしょうか?
かつてロシアの作家、ドストエフスキーがインテリゲンチャの出現を見て、「知恵のある獣」といいましたが、まさに中途半端な知性と、欲望を優先する姿はこれに等しいように見えるのではないのかと思えてきます。つまり資本主義にどっぷりつかった我々「一般大衆」が、「知恵のある獣の群」といえると思えるのです。
先日も友人に「海の酸性化」の話をしてみたら、自分が生きているうちは大丈夫だから、関係ないといいました。特におかしいという風でもなく。それは本音なのでしょう。しかし、 結局のところ、そういう発想の積み重ねが現在の状況を作っているように思えますし、それを「本音」といってしまう現代社会は実は異常であると自分には思えます。
現状のまま行けばおそらく人類は万物の霊長などではない、という結論が「科学的」に出てきてもおかしくないような状況にいます。
欲望はコントロールできないのに「知性」だけは発達した哀れな生き物ということになるかもしれません。
人類に全く希望がないという気はありませんが、もっと「本気」で取り組まないと、この問題は解決することはありえないと思います。
この本を読んで、本当に悔しくてなりませんでした。