ヒマジンノ国 -53ページ目

 ヒマジンノ国

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日々寒くなるこの頃。この時期の空気の、透き通るような綺麗さは素晴らしいですが、外出すると、寒風にさらされるときもあり、自分は部屋にこもってしまいがちです。

 

そうなると音楽を聴くか、映画を観るぐらいしかやることが無かったりします。

 
読書もいいですけども。書籍は何冊か去年末から読んでます。今は石原莞爾の「戦争史大観」が途中です。「最終戦争論」は読み終わりました。第二次世界大戦に関する本を結構読んでます。
 
あるいはイアン・トールの「太平洋の試練」。映画は「ハクソー・リッジ」。これは戦争映画で、沖縄戦の激戦地、前田高地が舞台ですね。「地上より永久に」も観ました。以前苦手だと書いたデボラ・カーが美しかったです。
 
「日本会議の研究」(菅野完)、「戦後入門」(加藤典弘)とかも。
 
他にもアン・レッキ―のSF「反逆航路」3部作を読みました。映画は古い物なら「アフリカの女王」、「シェーン」、「ベン・ハー」、「アラビアのロレンス」。書き出すときりがないです。書籍も映画も一つ一つ感想を書きたいですが、時間がないので音楽のことだけにします。
 
大した意味もなく感じたままに書いていきます。
 

 

何故か数年前に発売された、リッキー・リーのアルバムを今頃聴いています。ダンスミュージックですが、歌唱力にパワーがあって、明るい曲調でテンションが上がります。

 

 
これも懐かしいですがレオナ・ルイスのデビュー・アルバムです。「BLEEDING LOVE」が聴きたくなったので、ちょっと手を出してみました。他にも古いアルバムを自分のレコード棚から出してきて聴いてます。マルーン5とか、アンビエントなハワイのシェラトンのアルバムとかも。
 
 
シャイ―の演奏でブラームスの交響曲2番。自分でいうのもなんですが好んでブラームスを聴くのが珍しいです。シャイーの全集で割と好みだったのがこの2番。第1楽章がロマンティックです。
 
スクロヴァチェフスキの録音集です。映像なんですが、写真も撮ったんですが、汚なかったのでネットの画像検索からです。
 
ブルックナー、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスの交響曲は全集なんですね。最近ブラームスを聴きだしたのはこの全集で4番を聴いてから。
 
実りの秋、という感じで響きを広げて演奏されることの多い4番ですが、スクロヴァチェフスキは違うんですね。無駄をはぎ取って、徹底した力感を出していきます。いつも聴く4番とは違う印象です。ブラームスの音楽というのは非常に筋肉質なものなんだと認識しました。
 
しかしこの録音集は名演ぞろいですごいです。ミーハー族には分かってもらえないですかね。
 
 
映画レ・ミゼラブル」のサントラ。改めて聴いても泣かせます。個人的にはファンチーヌが好きです。高校時代に小説で読んでから、フランス文学の「ジャン・クリストフ」に出てくるアントアネットと、この「レ・ミゼラブル」に出てくるファンチーヌだけは個人的にどうしても忘れられないキャラクターです。心をうちます。
 
ミュージカルなので、オペラなんかと比べるとどうしても歌の響きは汚いですが、切実な俳優たちの演技に満ちた歌は説得力があります。
 
映画を観るか小説を読むかしてから聴くべきアルバムですね。
 
 
レコードアカデミー賞に輝いたというので、久しぶりにチィコフスキーの「パセティック」を聴きます。まともに聴くなんて何年ぶりでしょうか。クルレンティスは初めて聴きます。レコードアカデミー賞に輝く前、タワレコのモーツアルト・コーナーでオペラが出ていて、買おうかどうか悩んだ覚えがあります。
 
透明感のある音で、鋭いまでの迫力がある演奏ですね。モーツアルトを聴いてみたいです。
 
 
イブラギモヴァのバッハ。透明感がありますが、味わいは濃いです。まあでも無伴奏ですから、曲はしぶいです。これも通好みでしょうか。
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クラシックのことを少し多めに書きましたが、実は最近クラシックはほとんど聴いてないです。ポップスのやや古めのアルバムを漁ってました。
 
全体としてはもう少しアンビエントな方向に流れていこうかどうか悩んでます。
 
これも久しぶりなんですが、昔から持っている、ジェニファー・ロペスのアルバムを何枚か聴きだしました。
 
しかし何というか・・・結局「On The 6」時の曲が一番好きなんですね。「If You Had My Love」とか「Waing For Tonight」とかです。聴くと昔に戻った気になりますね。自分はいい歳して未だにファンなのか、とか思います。人間には簡単に忘れられない記憶がありますね。
 
最初は女優でデビューしたんですかね。しかし歌手としてデビューしてから一気に垢抜けたんですね・・・といってももうかなり昔話になるのかな。彼女もアイドルやるにはもう歳ですかね。それでも彼女は女優をやるとちょっと個性強過ぎちゃうというか。歌手の方が似合ってます。
 
元来ルックスも不思議な美しさのある人です。
 
 
日本じゃせいぜいギャルのアイコンぐらいの印象しかないんでしょうけども。
子供のおもちゃにするには高価すぎます。
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星野仙一さんが亡くなりました。中日ファンにとっては忘れられない人です。当時は鉄拳制裁は当たり前、投手の起用法にも色々疑問がありました。
 
中日の監督を止めて阪神の監督になりリーグ優勝しましたが、日本一にはなれず。後のオリンピックの監督の失敗の時も含め、星野では駄目だという人もありました。WBCの時、あるいはホークスの王監督と比べて、世界一や日本一にはなれない人だと。それも野球関係者からの意見でした。
 
3・11の復興に喘ぐ楽天ホークスを監督して日本一になった時、当然誰も文句をいう人はいませんでした。時代のせいもあり、鉄拳制裁も当然なくなっていたと思います
 
彼がいつも色んな人に希望を与えていたのは間違いのない事実だと思います。
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ということで大した意味もなくだらだら書き続けましたが、ここで止めます。下らないことを書きました。次の更新もいつになるか分かりません
 
ではまた。

 

沢山書きたいことがあるんですが、ブログを書く時間が中々取れません。年々やることが増えてきてる気がします。

 
今年も時間あるときにはブログは書き続けたいとは思っています。よろしくお願いいたします。

 

スター・ウォーズの最新作「最後のジェダイ」。

 

今更なんですが劇場で観てきましたので感想を書きます。

 
個人的にはフォースの覚醒より面白く観れました。各場面で予想を裏切るような展開で描かれているので、飽きずに観ていられました。しぶい内容になっていると思いますね。制作陣はスカイウォーカーのサーガに一区切りをつけたいようで、それをどう展開させるかが問題なのでしょう。
 
元々用意されていたジョージ・ルーカスの原案であれば、ハン・ソロとレイアの双子を始めとする新しいジェダイが育つ予定だったと思いますが、それは新三部作を作るにあたり、反故にされています。ディズニーは原作者の案から離れ、新しいスター・ウォーズを作ろうということですから、先は中々読めません。
 
ジェダイとシスという善と悪による対立軸を離れようとしている気がしてます。ヒロインのレイと、堕ちたカイロ・レンに男女の関係を感じるような要素を残してますので、今後は善と悪が単純に戦うのでなく、お互いが理解し合うような状況で展開させていくのかな、という気もしました。
 
本作はルーク・スカイウォーカーが主人公といっても良いですが、描かれ方に不満が多い人もいるようです。従来のファンが「こうあってほしい」というジェダイの英雄像とは完全に重ならないように描かれてます。この辺りはこの映画が面白いと取られるか否かの、分かれ目でしょうか。
 
僕自身はルーカスの原案を離れた時点で色々諦めてましたので、これはこれでありかな、という感じですね。
 
しぶい物語になったなあ、とは思いましたけども。ルーカスならもっと観る側のニーズは汲むんでしょうが、今回はそれがありません。我々が物語に合わせないといけないので、従来のガチガチのファンには駄目でしょう。
 
ともかく、本作の出来具合には色々いわれているようです。評論家が褒めて、一般のファンが酷評なのはその辺に理由がありそうです。
 
映画としては、まあまあじゃないでしょうか。
 
 
クリストファー・ノーラン監督の「インター・ステラー」。
 
2014年の映画です。ブルーレイで鑑賞しました。正直最近観た映画の中では一番面白かったです。単純なSFかと思いきや、さにあらず、です。とにかく泣かせますね。
 
異論があるかもしれませんが、新海誠監督の「君の名は」と同じような感動があります。というよりも、これは予想ですが・・・「君に名は」はこの映画にインスパイアされて出来た映画のような気がします。
 
主人公は人類の新天地を求めて宇宙を旅しますが、それはまさに「時空を超えた旅」になります。絶滅に瀕した人類を救えると信じて、彼は自分を犠牲にしてブラック・ホールの特異点を超えていきます。そして彼がそこで見たものとは?
 
SFというジャンルを用いながら・・・極論すればこの映画は「人間の心の中」そのものを直接描こうとしたものといえる作品だと思います。「心」そのものです。鑑賞しながらその・・・「心」を透けて見ているような気になりました。
 
希望とは?生きることとは?そして・・・愛とは・・・?
 
この映画は強く、そういった普遍的な問いに答えるような作品だと思います。CGによる宇宙やブラック・ホールの映像もリアルで素晴らしいと思いました。劇場で観なかったことを激しく後悔した作品です。

 

 

デミ・ロヴァ―トの「TELL ME YOU LOVE ME」。

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ディズニーのヒット映画、アナ雪で主題歌を歌っていたデミ・ロヴァ―トの新譜です。

 

・・・とはいえ自分がデミ・ロヴァ―トを聴くのは、このアルバムが初めてですけどね。元々10代の頃はディズニー・チャンネルで女優としてデビューしたそうですが、当然自分はこれも知りません。

 

元来、芸能的な能力は高いのかもしれませんが、彼女、歌手が副業なんでしょうか?それにしては大変な歌唱力です。

 
最近、ポップスはなるべくレコード屋で試聴してから買うことにしてます。ここのところもケシャとかマイリー・サイラスみたいな大物も新譜を出してますが、どれも全くダメで、ファーギーの新譜は間違って買ってしまいました。ファーギーのCDはレコード屋で試聴できなったんですね。物凄く迷ったんですが、またレコード屋に来るのが億劫なので覚悟を決めましたが、撃沈です。・・・個人的には全然馴染めませんでした。
 
ファーギーの新譜は「ダブル・ダッチェス」ですか?このダブルの意味は何ですかね。全く調べてないので分かりませんが、大成功を収めた彼女は公私ともにダッチェスのように振舞うってことなんでしょうか?
 
アンダー・グラウンドな曲調で、自身の成功をラップなんかを交えながら陶酔的に歌っていますが、ワーシップ風で鉛色の音楽に自分は悪酔いします。「A LITTLE WORK」とかは好きですけども。
 
 
 
まあ、当然こういうのは個人的なものですし、今の自分の好みが反映している感想ではあります。
 
そして、そんなファーギーの新譜とは違い、デミ・ロヴァ―トはちゃんと試聴しました。個人的な嗜好でいえば、新譜は明るい曲調やひねくれてないものが良いです。それで試聴コーナーで、2・3曲デミ・ロヴァ―トの新譜を聴いてこれは良いと思った次第です。
 
このアルバムのタイトルになってもいる「TELL ME YOU LOVE ME」が素晴らしいと思います。恋愛に関する彼女の不安定な心理を歌いながらも、完璧にパワフルに歌い上げて、振り切っています。それぐらい彼女の気持ちは本物なのでしょう。ファーギーのようにアンダー・グラウンドな世界にいることもなく、ちゃんと陽光が当たる世界にいるような気がするのも良いです。
 
他の曲もアップ・テンポになることはなく、自信に満ちた素晴らしく力強い歌声で、安定した彼女の心の世界を歌っていきます。悩みがあるような内容でも、彼女の様な力強さがあればどれも克服できそうな気がします。
 
まだ若いのに恰幅の良い歌唱力に魅力を感じました。
 

 

ダ二―ル・トリフォノフによる「CHOPIN EVOCATIONS」(2016,2017)。

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何がこんな気持ちにさせるのだろうと思います。元々ミーハー族ではないつもりでしたよ。それこそ、昔は「真面目」であればクラシック音楽は・・・「より」素晴らしいと思っていたんですけど。
 
そんな自分が、ここのところドイツ・グラモフォンの新譜ばかり聴いてます。
 
あら?これではまるで自分がグラモフォンの新譜を買う人を自分が「ミーハー」だと呼んでいるようなものですか・・・。正直にいえば、かつては幾分はそういった気持ちを自分は持ち合わせていたと思います。詳しい解説はしませんよ。・・・いうなれば・・・レコード産業におけるポピュリズム。
 
しかし、自分は・・・どうも・・・最近少し宗旨替えを「したよう」です。
 
このトリフォノフの演奏するこのアルバムの一枚目にはショパンのピアノコンチェルト2番が入ってます。しかし初めて聴いた時・・・何という「凡演」!と思いました。
 
出だしのオーケストラのテーマからして弱く、そんな印象が曲の終わりまでずっと続きます。ショパンのコンチェルトといえば濃厚で・・・それこそ紛れもないロマンの味わいでしょう?そんなオーケストラの弱さは絶対に禁忌のはず。ピアノも神経質、聴く側のことよりも弾く側のことばかり考えてるように聴こえたものです。
 
ですがこれは実はミハイル・プレトニョフによる編曲の為と判明、イエロー・レーベルがショパンの編曲バージョンを新譜として発売したことに驚くと共に、せっかくですから、自分は聴き方をがらっを変えることにしました。より室内楽的で内面的な聴き方に。
 
実際プレトニョフはピアノ・パートをそのままに、オーケストラを軽量化し、音の透明感を増したのでした。そしてもう、その編曲については「改竄」の言葉が投げかけられているように、曲のイメージを全く変えてしまいました。
 
ピアノの弾きぶりを聴いて、トリフォノフは神経質な人ではないかと感じましたが、どうでしょうか?ピアノの響きは小粒ですが、硬質のクリスタルを思わせる響きが美しく、テクニックがあります。こういう人はテンポを落とすと、ぎこちなく聴こえる側面がありますから、それが神経質に聴こえたのかもしれないですが。
 
まあ、編曲された曲という意味では「初物」ではあります。しかし、曲と演奏は美しいと思いました。これは滔々と大衆に向かって訴えかける音楽でなく、内面的に聴き取るショパンのコンチェルトでしょう。確かに聴いてみるとショパンのコンチェルトなんですが、今まで聴こえてこなかった内声や、聴き慣れたメロディーも爽やかに新鮮に聴こえます。そしてオーケストラの重量を抑えたせいでピアノ・パートが浮かび上がり、トリフォノフの、冷たい光を輝かせるような、水晶のごとき、ピアノ・パートに透明なオーケストラが絡みます。
 
一言でいえば「現代的」です。現代的なショパン。研ぎ澄まされた簡略化が生む、ガラス張りの美しさ。
 
ピアノコンチェルト1番も同様で、他に付属されるショパンに関するピアノ曲を聴いていると、トリフォノフがこのアルバムでやりたかったことがよく分かります。
 
フェデリコ・モンポウの「ショパンの主題による変奏曲」など聴いていると、やはり現代の聴衆を意識した美しさがあります。ショパンの現代的なプログラムがこの2枚組のアルバムの狙いだと思います。
 
名演かそうでないか、なんて個人的にはどうでも良くて、アルバムとして面白いと思います。最近のグラモフォンはこういう変わったことをしてきます。
 
 
マレイ・ペライアによる「フランス組曲」(2013)。
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最近のドイツ・グラモフォンはリリースしてくる新譜の印象を相当に変えてきました。重厚さとプチブル的な欲求を満足させてくれる、かつての御大の時代とは時代を画しつつ、新鮮でかつ創造性のある内容に力を入れるようになってきたと思います。現代の聴衆を意識していると思います。個人的には歓迎したいです。
 
マレイ・ペライアともなれば現代の巨匠の一人なのでしょうが、ここに聴くバッハの音楽は全く手垢にまみれた様子がなく、重厚さとはまた違った美しさがあります。
 
ゼネ・セガンのメンデルゾーンを聴いた時、演奏そのものは万全ではないと思ったかもしれませんが、その爽やかな美しさは感性を刺激するものだったと思います。その後に買ったこのペライアのアルバムも透明感に満ちた爽やかさは特筆もので、それが今自分がグラモフォンに興味を持った理由でもあります。
 
これは録音技術が発達したせいなのだと思いますが、音に全くアクがなく、純水のような感触。こういった音質は実際の音質とは違うかもしれません。しかし、個人的には商品として歓迎したいし、魅力的だと思いました。
 
ここでのペライアは腰がしっかりと据わり、全く気をてらうことなく、安定した技術でもって、完璧に澄み切ったピアノの音色を紡ぎ出します。バッハに対する解釈も中庸を守り、滑らかで歌い過ぎない「歌唱」が心地よく、最高の透明感に溢れています。
 
 
アンドリス・ネルソンスによるショスタコービッチ「交響曲5・8・9番」(2015、2016)。
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以前自分のブログで書いた、同一指揮者による「ショスタコービッチ10番」と変わらぬ印象です。そういう意味ではずっと7・6番の発売を心持にしていますが、中々発売されません。
 
濃厚な表現でショスタコービッチの演奏に新たな地平を切り開いたといえると思います。
 
 
ヒラリー・ハーンによるシベリウス「ヴァイオリン協奏曲」(2007)。
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これは新譜ではないですが、美しいと思って聴きました。無調のシェーンベルグは何度も聴きたいとは思いませんので省きます。
 
ヒラリー・ハーンはモーツアルトも聴きましたが、思いの他軽妙さというものがなく、一本調子ですね。少し重い感じがします。その分作為的なところがなく、豊かに広がるヴァイオリンの音色が美しいと思いました。
 
特にこのシベリウスのコンチェルトの冒頭、ハーンによるヴァイオリン・ソロは全くのなんの仕掛けもないのに、たっぷりと弾いて、優美な美しさを湛えています。楽曲の広がり方は少し大きすぎるような気こそすれ、無性に引き込まれる思いです。
 
艶やかな倍音、瀰漫する美感、滑らかにスロープを描く運弓はビロードのようです。これが「美しい」ということでしょう。確かな技術があると思いますが、それ以上にここでは心がこもっています。この曲には深々とヴァイオリン奏者の心を映し出すような瞬間が何度もあります。その度に心を締め付けられる思いです。
 
久しぶりに聴くと本当に良い曲だな、と思います。
 
 
クリスチャン・ツィメルマンによるシューベルト「ピアノ・ソナタ20・21番」(2016)。
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まだ21番だけしか聴いてません。
 
ベートーヴェンの最後の3曲のソナタが簡潔さと抜けきった境地を示しているのなら、このシューベルトの最後のソナタは、その内容の複雑さ、奥行き、盛り込まれた心情の深い悲しみにおいて、究極の対極をなすものなのかもしれません。
 
そんなソナタを彼ほど堂々と、しかも豊かな感情を持って弾ける人は今日どれぐらいるでしょうか。確かな筆致、肉厚の音響、媚びることのない姿勢。しかしこうした雄々しい姿勢が、晩年のシューベルトの感傷を受け止めるのにどれぐらい必要なのか納得できる演奏でしょう。
 
音楽の構造としても申し分なく立派に仕上げながら、時が経つほどにシューベルトの孤独に分け入っていきます。
 
フィナーレの明るさの中に時折みせる絶望の色に、シューベルトの心の痛みを強く感じる自分がいます。

 

リドリー・スコット監督による「エイリアン・コヴェナント」。

 

エイリアン・シリーズの最新作で今回は前作「プロメテウス」の続編となります。内容が初代エイリアン(1979年公開)に直接繋がるといわれており、エイリアンの原点らしきものが描かれます。どうやらシリーズ物のようで、今回も続編があるような終わり方でした。
 
前作「プロメテウス」においてエイリアンが異星人の生物兵器であることが暴かれますが、長い割には薄い内容で個人的には不満でした。しかし、どうも今回の終わり方をみる限り、初めからシリーズ化するつもりだったようです。「コヴェナント」は前回分の内容的な厚みを受けていますから、長編シリーズとしてみると悪くないと思いました。
 
リドリー・スコット特有の美感の滲み出るような重厚な映像はさすがだと思います。その映像に支えられて、SF、ホラー、サスペンスなどが一体化したストーリーは確かに観ている人を飽きさせません。
 
ぞっとするような映像の連続なのは相変わらずで、リドリー・スコットがいつも何を考えているのか不思議でなりません。何かしらの執着がないとああいった残酷なシーンは描けないでしょう。
 
滅び去った、異質な文明世界で繰り広げられる物語は監督の確かな手腕があってこそでしょう。
 
 
クリストファー・ノーラン監督による「ダンケルク」。
 
1940年ドイツ軍はフランスに侵攻。ドイツ軍はイギリス、フランス、ベルギーによる連合軍の予想に反し、アルデンヌの森を抜け、パンツアーと呼ばれる機甲師団の電撃作戦によって、連合国軍をドーバー海峡のダンケルクまで追い詰めます。
 
この映画で描かれるのは、その追いつめられたイギリス兵を救い出すための「ダイナモ作戦」です。 
 
この映画は冒頭から説明らしい説明もなく、第二次世界大戦の西部戦線に対する知識がないと中々理解しにくい内容でしょう。実際、この映画が始まってドイツのフランス侵攻の時の話だと分かる日本人は一体どれぐらいいるでしょうか。
 
この映画では人のセリフは最小限に絞られており、このダンケルクにおける戦闘が何を表しているかの説明もありません。そこには一定の知識が求められます。またシナリオ自体も薄く、日本人がこの映画をどのぐらい理解できるかは疑問です。
 
映画自体はこの事件に参加する数人の人々に焦点を当てながら、新鮮な映像で当時の悲劇を現代的な感性に置き換えていきます。
 
注目すべきは映像のリアリティーと現場の臨場感に細心の注意を払っていることでしょう。
 
スピットファイアのパイロット視点からは戦闘機のエンジン音や機体のきしむ音などが現場にいるような臨場感で伝わってきます。ハンス・ジマーの音楽も素晴らしく、まるでホラー映画のような緊張感をずっと維持しながら、作品全体を覆って、観る者の感情のよりどころとしています。
 
この作品の監督はシナリオを犠牲にしてでも、観ている我々が現場にいるような印象を出すことに最大限の注意を払っているようです。それは現場の空気を伝えてくるような感性の世界であり、映画が始まってから自分はその新鮮さに引き込まれる思いでした。
 
この映画に「プライベートライアン」のような重厚なシナリオはありません。そういう物を期待して観に行くと肩透かしを受けるでしょう。しかし、内容は薄くともクリストファー・ノーラン監督の感性に共感できるなら、かなり新鮮な思いができることでしょう。その映像の構図と鮮度からは知性が感じられました。
 
 
マーベルの「ワンダーウーマン」。
 
コミックの映画化です。まあまあでした。マーベルは観るんですが個人的にはそんなに好きではありません。そのほとんどが、日本でいえばキン肉マンとドラゴンボールを足したような内容ですが、特に個人的には彼らのコスチュームが苦手です。
 
スーパーマンはマーベルではないでしょうが、青いタイツと赤いマント一枚で世界を飛び回る姿は空飛ぶ変態といえなくもありません。スパイダーマンもそう変わらない気がします。バットマンはコスチュームは比較的マシですが、残念ながらこのワンダーウーマンも相当にダサいコスチュームだと思います。
 
しかしながらハリウッドは映像をリアルに仕上げることについては超一流というべきでしょう。第一次世界大戦の塹壕戦に飛び出していくナディア(ワンダーウーマン)の姿は・・・何だか本当にその現場にいた人物のように見えてきて、これが映像の力かな、と唸らされました。
 
愛の問題が哲学的にも語られ、そこそこ物語に芯があります。この映画の評価がある程度高いのはその辺りに原因がある気もします。
 
ただラストの戦いはドラゴンボールみたいなものでしたが・・・それはご愛嬌というところでしょうか。
 
主演女優のガル・ガドットが気品と上品さを兼ね備えた美しさで熱演していることが光ります。

 

ガールズポップスを良く聴きますが、新譜を買って楽しいのは初めの1月ぐらいで、後は飽きていきます。クラシック音楽と比べて回転が速いので、楽しめる新譜を探すのは中々大変です。

 
本人の名前を冠したアルバムの「DUA LIPA」は、そんな中でも中々飽きが来ないので楽しめます。
 
デュアは自分の恋心を、あの手この手で歌い上げますが、モデルもやっているような容姿、ロリコン顔かと思いきや、少し低音の効いた大人っぽい声で、程よいコブシを効かせながら、ホットなメロディーにのせて、「恋に狂う女心」を、冷静に歌い上げていきます。セクシーです。
 
 
自分が良い女だと思ってないとこんな風に歌えないと思いますね。見た目の通り、可愛い感じと綺麗な感じが入り混じった印象を、振り撒くような曲が多いと思います。得な人生ですね。
 
17曲はいっていますが、どれも悪くないので充実した感じがあります。良いアルバムだと思いました。
 
 
もう1枚です。Kirstinの「LOVE」です。6曲だけです。
 
こちらも恋の歌ばかりですが、楽曲はどれもスケールが大きく、透明感があり、運命を感じさせます。涼やかな雰囲気は月の夜を思わせ、熱い歌声は高音をきらめかせながらのびやかに広がります。
 
彼女自身が自分の態度目いっぱいに歌う感じは好きです。強いし、仮に言葉が分からずとも、気持ちが伝わってきます。「ALL NIGHT」からは彼女の運命を、「NAKED」からは彼女の意志を感じました。
 
 
台風一過の今晩は涼しくて、爽やかです。空気も綺麗です。このアルバムを聴くのにはちょうど良い雰囲気ですね。20分足らずですが、幸せかもしれません。

 

 

エリザベス・コルバート著、鍛原多恵子訳、「THE SIXTH  EXTINCTION」。NHK出版。

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人類に大きな問題が降りかかってきているようです。これは数十年前からもあった問題ですし、現在もずっと引き継がれている問題でもあります。今回はこの著作を読んで、より一層この悲劇が進んでいることを実感しました。本当に下らない問題なのに、規模がこれほど大きくなってくると、つらさしか覚えませんでした。
 
以下に簡単な雑感を述べつつ、この著作を読んだ個人的な感想を書きます。
 
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この著作は2014年のものである。内容を端的にいってしまえば、現代進みつつある、第6の生物の大量絶滅の問題を取り扱っており、その原因が人類にあることを雄弁に語ったものである。
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この本によれば、地球に発生した生命は、過去の生命の歴史において、5回に及ぶ大絶滅を経験しているという。それは今我々が生きている時代から遡ること5億年の歴史の中において起こった出来事である。
 
・・・オルドビス紀、デボン紀、ペルム紀、三畳紀、そして最後に起こったのはユカタン半島に隕石が衝突した白亜紀のものだ。
 
生命はその大量絶滅の後、古い生物が新しい生物にとって代わり、新時代を築いてきた。6500万年前の最後の大量絶滅は恐竜たちを滅ぼし、哺乳類の時代を切り開いた。
 
そして我々は今、時代区分でいえば、中生代を離れ、哺乳類の時代である、新生代の第四期、完新世にいるはずだった。ところが近年、地球上に広く生息範囲を広げた人類が生態系に与える影響があまりに大きなものであることから、時代区分の見直しが迫られることとなる。この時代区分を「人新世(アントロポセン)」という。
 
コルバートは述べている。
 
<この数年、人類がもたらしつつある新たな年代の名前がいくつか提案された。著名な保全生物学者マイケル・スーレは、現代人は新生代(セノゾイック)ではなく大変動時代(カタストロフォゾイック)にいると提唱した。南アフリカにあるステレンボス大学の昆虫学者マイケル・サムウェイズは均質世(ホモジェノセン)、カナダの海洋博物学者ダニエル・ポーリーは「泥砂」を意味するギリシャ語「muxa」に由来する泥砂世(ミクソセン)、アメリカのジャーナリスト、アンドリュー・レヴキンは人新世(アントロポセン)を提唱した。
 
「人新世」という語は、オゾン層破壊物質の発見によりノーベル賞の共同受賞者となったオランダの科学者パウル・クルッツェンの造語だ。
 
・・・(中略)・・・
 
クルッツェンは『ネイチャー』誌に寄せた小論「人類の地質学」で自分の考えを明らかにした。「多くの意味においてヒトに支配された現代の地質年代区分には『人新世』という名称が適切であるように思う。」人類が地質学的規模で引き起こした多くの変化として、クルッツェンは次のような数項目を指摘した。
 
・人間は地表の三分の一から半分に手を加えた。
・世界中の主要な河川の大半はダムが建設されたり、切り回されたりした。
・肥料工場が、すべての陸上生態系によって自然に固定される量を上回る量の窒素を生産している。
・海洋の沿岸水域における一次生産(独立栄養生物による有機物生産)の三分の一以上が漁業に消費される。
・人間が世界中の容易に入手可能な淡水の半分以上をつかう。    >
 
つまり、現存人類がこの地球に散々手を加えたため、自然では起こらないような環境の激変が起こっており、そのために科学者たちも新たな時代区分を設けなければならないと感じているということである(アントロポセンは正式に2016年に認められた)。
 
はたして、コルバートが訴えているように、この著作によらずとも、現代進んでいる人類による自然改造は、新たに第6の大量絶滅を引き起こしつつあるといえる。
 
このままいくと人類が引き起こす生物の大量絶滅は6500年前の隕石の衝突に匹敵する可能性があるといわれている。
 
例えば海は海水に大量の二酸化炭素を吸い込むが、これが人類の活動によって、年々増加の一途をたどっているという。
 
化石燃料を使えば大気中に大量に二酸化炭素が増えるし、他方、二酸化炭素を大量に吸収する森林は次々に伐採されている。つまり人類によって大気中に二酸化炭素が増える要素が構築されており、そのことによって大気中に二酸化炭素が増えれば増えるほど、海中に吸い込まれる二酸化炭素も増えるのである。
 
そして海中に二酸化炭素が増えると海洋酸性化が起こる。このことは、海水のphが酸性に振れるようになる、ということだ。
 
すると、海中に住むたくさんの「石灰化生物」と呼ばれる生物群に莫大な被害が及ぶようになるという。
 
<たくさん考えられる影響のうち、もっとも重要なのは石灰化生物として知られる生物群にかかわる(石灰化生物という言葉は殻や骨格を形成する生きもの全般を指し、植物の場合には、炭酸カルシウムを主成分とする鉱物、すなわち方解石から成る一種の結晶塊を内部に形成する)。海にはきわめて多彩な石灰化生物がいる。ヒトデやウニなどの棘皮動物、食用の二枚貝やカキなどの貝類もこの部類に入る。甲殻類のフジツボもそうだ。サンゴの多くは石灰化生物で、石灰化によってサンゴ礁という巨大な構造を形成する。
 
・・・(中略)・・・
 
また海が酸性化すると、炭酸イオンの数が減少し、石灰化がさらに難しくなる。ふたたび建設工事のたとえを用いるなら、あなたが家を建てようとしているあいだに、だれかがレンガを盗んでいるようなものなのだ。海水がどんどん酸性化するにしたがい、化学反応に必要なエネルギーが増える。ある時点で海水は溶食性をもつようになり、個体の炭酸カルシウムが溶けはじめる。アラゴン城の小島に近づきすぎたカサガイの殻が薄くなっていたのはこのためだ。>
 
海の酸性化は石灰化生物の石灰を溶かし始める、ということである。
 
学者によっては今世紀半ばまでにサンゴ礁の多くが滅びてしまうかもしれないといっている。サンゴ礁は多くの生物を育むので、これが無くなれば海の生態系は大きく損なわれる。また貝類は海水の浄化を促しており、貝類は死滅すれば海は汚れるだろう。当然人類の食料も大幅に減っていく。
 
こうした生物の死滅は何も海の中に限ったことではない。このために、我々の「孫たち」といえる世代にこの地球上の自然がどれほど残っているか疑問が残るほどだ。これは本来なら人類が全体を上げて取り組まなければいけないような大変な問題のはずである。しかし、現実は違っている。
 
コルバートは次のように書いている。
 
<人類は進化の拘束から自由になったとはいえ、地球の生物学系と地球科学系には依存したままだ。したがって、これらの系を破壊すること(熱帯多雨林を伐採し、大気組成を変え、海を酸性化すること)によって、私たち自身の存続をも危険にさらす。>
 
以前も書いたが地球環境問題はもう何十年も前からずっと語られてきたのにも関わらず人類はほとんど手立てらしい手を打ってこなかった。
 
多くの人々は自分達を「万物の霊長」だという。しかし現状のままで本当にそうだといえるのだろうか?およそ現代では、ダーウィニズムもかなりの批判を受けており、彼の理論がす全て正しいのではないことはこの著作にも語られている。本当に人類が・・・いわば、「進化論」が求めてきた、現存での、「究極の進化形」かどうかは、我々の今後にかかっているといっても過言ではない。下手をすると「進化論」が正しいとしても、人類がこのまま滅びてしまうのなら、「人類」そのものはかなり異常な「種」であるし、「失敗した種」と位置付けられてもおかしくはないだろう。
 
この本のいうところははっきりしている。人類がかならずしも優れた生物でないこと、また、世界の在りようがこのままでは駄目であるということだ。
 
コルバートの言葉はこうだ。
 
<しかし、非人間的との誹りを覚悟のうえで(私の友人の何人かは人間だ)私は言っておこう。いちばん大切なのは人類の存続ではない、と。>
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個人的な意見を最後に書いておきます。
 
一応、「自分のことを棚に上げて、そんなことがよくいえる」、というようなことも書いてしまえば次のようなことになります。
 
貧しい国では、食べるものに困る者もいるなか、結局、現在は資本主義のシステムに飼いならされてしまった一般大衆はほとんどが、大量に消費される食物、また物質に何の疑いもなく従っており、必要以上に際限なく食べ、消費を続けています。
 
例えばですが、もし人類以外の高等な知性の生物が私達をを見たらどう思うでしょうか?見ようによってはこれはかなり異様な生物に見えるはずではないでしょうか。いくら他の種よりも賢いからといって、多種との共存の方法を模索せず、知恵を、「食い」、「消費」することにしか使わないとしたら、ひどく低俗な「獣の一種」に見えるに違いないのではないでしょうか?
 
かつてロシアの作家、ドストエフスキーがインテリゲンチャの出現を見て、「知恵のある獣」といいましたが、まさに中途半端な知性と、欲望を優先する姿はこれに等しいように見えるのではないのかと思えてきます。つまり資本主義にどっぷりつかった我々「一般大衆」が、「知恵のある獣の群」といえると思えるのです。
 
先日も友人に「海の酸性化」の話をしてみたら、自分が生きているうちは大丈夫だから、関係ないといいました。特におかしいという風でもなく。それは本音なのでしょう。しかし、結局のところ、そういう発想の積み重ねが現在の状況を作っているように思えますし、それを「本音」といってしまう現代社会は実は異常であると自分には思えます。
 
現状のまま行けばおそらく人類は万物の霊長などではない、という結論が「科学的」に出てきてもおかしくないような状況にいます。
 
欲望はコントロールできないのに「知性」だけは発達した哀れな生き物ということになるかもしれません。
 
人類に全く希望がないという気はありませんが、もっと「本気」で取り組まないと、この問題は解決することはありえないと思います。
 
この本を読んで、本当に悔しくてなりませんでした。

 

アンドリス・ネルソンス指揮、ボストン交響楽団「ショスタコービッチ交響曲10番」(2015)。

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極めて洗練された表現、素晴らしく透明感のある音質。とても美しいショスタコービッチの演奏です。
 
これを聴いてしまうと先日発売されたブルックナーは全くダメだったと思ってしまう自分がいます。ネルソンスによるブルックナーは、レコード芸術でも「特選」扱いでしたが、個人的にあの月評氏2人は信用できないと感じてしまいました。参考にはしますけども・・・。
 
音の透明度が高く、分離も最高で、どの楽器の音色もカラフルに良く聴こえてきます。ネルソンスによってどの楽器も抑制を利かされ、決してうるさく鳴ることがありません。しかし各楽器の音色はメリハリが効き、芯はあるが柔らかい絶妙な音色を響かせます。テンポは遅く、演奏は丁寧すぎるぐらいです。若干かつてのチェリビダッケを思い起こさせるものがあります。
 
やはりネルソンスは資質としてもブルックナーより断然ショスタコービッチに向いているといえるでしょう。感動は深いが、暗い、陰鬱な交響曲であるはずのショスタコービッチですが、ここでは都会的ともいえる知性の洗礼を受けているようにも思われます。当然昔ムラヴィンスキーの演奏で聴いたような激烈すぎるほどの感動はもうありませんし、表現の激しさではそこには到達してはいません。
 
しかしネルソンスはどのメロディーの過程でもおろそかにすることはなく、丁寧に美しく弾かせます。その分表現の激烈さは身をひそめるようですが、これぐらいであれば十分かと思いました。久しぶりにショスタコービッチの「心の声」ともいうべきものを聴いた気がします。感動しました。
 
しかし改めて聴くと、この曲の第1楽章は本当に素晴らしい音楽だと思います。
 
1953年、スターリンが死に、表向きスターリンを賛美していたショスタコービッチの書いた音楽とは?、というところでしょうか。
 
それは極めて沈鬱、恐ろしいほどの皮肉と、作曲者自身の本心が表現された音楽です。
 
スターリンへの賛歌など全くなく、曲が始まるとすぐに民衆のうめきとも取れる、暗く冷たい鉛色の世界が広がります。音楽は静かに激しさを増すと、展開部後半から再現部にかけて、ヒトラーと比肩しうる人間怪物であったスターリンに対する、作曲家自身の怒りと正義の念とが混然一体と成った強烈なヒロイズムとなり、情念の爆発となります。その姿は、弦が支える空間に管楽器が各々の意見を述べる様が、いくらかブルックナーの交響曲9番を思わせ、内容もかの大交響曲に遜色なく、格別に素晴らしいものがあります。
 
ショスタコービッチ自身が「スターリンの肖像」といったとされる第2楽章のスケルツォも最高で、意義深い演奏です。攻撃的で、グロテスク、なおかつ焦燥感に満ちたスターリンの姿のリアルな描写は、作曲家の冷徹な観察眼と、理性とに裏打ちされています。そしてリアルさを増すほどに皮肉の印象は強まり、スターリンの愚かさと残酷さとが浮き彫りになっているといっても過言ではないでしょう。
 
数ある交響曲の中でもこの作品は傑作の1つとみて間違いなく、このCDはその名演であると思います。
 

 

ヤニック・ゼネ・セガン指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団、「メンデルスゾーン交響曲全集」(2016)。

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熱心に音楽の内容を表現しようとしていた時代において、指揮者達は音楽の美しさを台無しにしてでもその内容の表現に固執したといえました。
 
ところで、音楽とは何が表現されるジャンルの芸術でしょうか?
 
リズム、雰囲気・・・そして感情、といえるでしょうか・・・?まさに音楽は「感情」がそのまま「感情」として直接味わえる稀有な芸術です。
 
昔の指揮者は曲における、その「感情」のツボに当たるポイントからポイントへと意識を集中して表現をしました。その分ポイントとポイントの間の表現は荒く、汚いことが多かったといえますが、楽譜に表現された作曲家の感情をヴィヴィッドに伝え、強力な作曲家の使徒となりました。
 
そして長らくクラシック愛好家にとってみるとそうした指揮者の在り方が「指揮者」としてのスタンダードだったといえるでしょう。
 
ところがカラヤンやチェリビダッケ辺りが現れてきて、指揮者の「指揮する」という行為が、「作曲家の意志」から分離されるようになり、近年遂に、「指揮」そのものが「指揮芸術」という形態に変わってきたといえます。
 
当然以前からこれらのことは意識されてきた、といっていいかもしれませんが、現実に有無をいわさない形で結実したのは、カラヤン辺りからだといえます。カラヤンの演奏に批判的だった人と違う人の差はこの辺りにあるといえるでしょう。
 
例えば、今でも「カラヤンの演奏なら何でも良い」、という人がいますが、これは「カラヤンの指揮芸術」に対する評価であるといえます。従来の、「作曲家の使徒」という意味合いで行けばカラヤンの指揮したもので評価されるものはR・シュトラウスの作品や、オペラ演奏についてだといえるわけです。そしてこうした評価は、どちらの形で評価しようと思えばいくらでもできるものです。これらの差が分からない、ということは、もし長らくクラシック音楽を聴いてきている人ならば、一種の「無知」を晒しているようなものです。
 
前置きが長くなりました。
 
新進気鋭の指揮者、ネゼ・セガンのメンデルスゾーンです。
 
ここには荒れた、汚い表現はなく、どの曲もしなやかでカモシカの脚線美を思わせる流麗な表現を見せています。指揮者の資質としてもメンデルスゾーンの音楽にあっている部分は多いように思います。
 
洗練されたオーケストラと表現で極めて爽やかにメンデルスゾーンの音楽を聴かせてくれます。従来の「作曲家の使徒」という目線でみると、厳しさにかけ、表現も弱いと思いますが柔軟な美しさは素晴らしいと思いました。
 
交響曲2番「賛歌」の透明で麗美な表現、4番「イタリア」の柔らかい流線型の表現なども魅力的だと思います。5番「宗教改革」はやや暗めで退屈な第1楽章もソフトで聴きやすく、終楽章の「神は我がやぐら」のメロディーに入っていく印象も気持ち良いものがありました。

 

埼玉県の観光地、長瀞(ながとろ)に行ってきました。目的はハイキングを兼ねた登山です。西武鉄道で自分が住んでいる東村山から、1時間半ぐらいの距離にあります。

 

宝登山という山に登りました。前半は勾配の急な坂道で、相当汗だくになりました。

 
 
長瀞にはこうした山と、ライン下りで有名な荒川の渓流とがあります。
 
 
自然が豊かな土地でとても良かったです。
 
少し話は変わりますが、皆さんは瑠璃色に輝く甲羅を持つ「玉虫」という昆虫をご存知でしょうか。自分は今までの人生で4度しか見たことがない、中々レアな虫です。
 
 
一度目はそれこそ30年も前かな・・・大昔、子供の時でした。
 
そして何故か今年に入ってから3度。ほぼ立て続けに見ました。ちょっと不思議です。
 
つい先日、所沢の航空公園で発見。本当に何十年かぶりに見て、ちょっと驚いていたところでした。すると数日後、近所の公園で自分のジーパンに何やら大きな虫が飛びついて来たので、恐れおののいてはたいてみると、それは何と「玉虫」でした。
 
とってもびっくりしました。「玉虫」は結構珍しい虫なので、立て続けに出会う、という珍しいこともあるものだと思っていました。
 
しかし、その今年2度目の出会いから1月も経たないうちに今回も長瀞で出会いました。ちょっと偶然にしては珍しいです。
 
綺麗な虫なので出会うと嬉しいと思います。
 
 
今回は写真を撮りましたので、載せておきます。皆様に幸運がありますように。