詳しくは→フラッシュバックと思わぬサプライズ。
子どもたちと話せると、
私はたちまち元気になれます。
こんなにも単純なのかと笑えちゃうくらい、
子どもたちと話せるだけで元気になれるのです。
ふと、思いました。
私は理想の母親像に振り回されすぎていたなぁ、
って。
私は精神障害者で
仕事もまともにできなくて
家事も手抜きばっかりで
そんな自分が許せなくて
ヒステリックに子どもたちに当たったり
自傷行為したり
離婚する前は、
子どもたちといることが、
苦痛でした。
そりゃ、
子どもたちの笑顔を見れると嬉しくなるから
頑張って子どもたちをどこかへ連れて行ったり
遊び相手になってあげたり
そういうことはしていました。
でも、
病気に理解のない元夫に対する不満やイライラや
休日寝てばかりいる元夫に
ほぼワンオペ育児だった私は限界を感じていました。
それが、
二度の児童相談所による一時保護に繋がったのだと思います。
一度目は、
2014年12月19日。
私は娘に暴力を振るい、その罪悪感から妊娠中にも関わらず大量服薬し、
誰かに助けて欲しくて児童相談所に電話しました。
詳しくはこちらの記事→娘が児童相談所に連れ去られた日。
に書いています。
二度目は、
今年の1月25日。
私は解離を起こし息子の首を絞めかけたかもしれない状況で
気が動転してしまった私は市の家庭相談員の方に電話し、
警察と児童相談所を巻き込んで子どもたちは一時保護、
私達夫婦は一日も早く子どもたちが自宅に帰って来れるように離婚しました。
詳しくはこちらの記事→「母親失格」? まだ過去のことにはできない。
に書いています。
私にとっての理想の母親は
【子どもたちの前では笑顔でいる母親】
でした。
つらい日々でも、
病状が悪化しても、
子どもたちの前では笑顔でいたい。
そう思って、
保育園の延長保育は目一杯使っていたし
元夫に訴えたりして
何とか頑張っていました。
でも、限界でした。
離婚して親権を失うことは
本意ではないしとても悲しいことでした。
でも、
今は「これでよかったんだ」
って思えます。
私は限界だったし、
病気も悪化していました。
離婚して親権を失って一人地元へ戻ってきて、
子どもたちは平穏な日々を取り戻すことができました。
私は治療に専念することができました。
児童相談所と警察は、
私と子どもたちを引き離すことで両者を守ってくれたのだと、
今となってはそう思えます。
離婚して11ヶ月。
そのうち6ヶ月入院し、
退院し2ヶ月でまた今も入院しています。
私は理想を追い求めすぎたのだと思います。
自分のキャパシティを把握できてなかったのだと思います。
もし私がまた子どもたちの母親に戻ることが出来たら。
【人間らしいお母さん】
でいたいと思います。
常に笑顔でいることなんて、
無理なんだから。
精神を患っている私のような人は尚更。
喜怒哀楽があって当たり前。
子どもに弱いところを見せたっていい。
子どもの前で泣いたっていい。
今はそう思えます。
いつかまた子どもたちと会える日が来るのかは分からないけれど。
【母親だから】
【子どもだから】
ではなく、
一人の人間として向き合えたらいいな、
と思います。
その日のために、
頑張ろう。
私は良くなりたい。
自閉症スペクトラム、
双極性障害、
解離性障害、
PTSD。
向き合わなきゃいけない病気はたくさんあるけれど、
それが私なんだから。
元気になって、
子どもたちにまた会いに行きたい。
だから、
頑張ります。
頑張ろうね、私。
今日は穏やかに過ごせました。
編み物もだいぶ進められました。
6玉中、5玉目に突入しました。
頑張れば今年中に完成させられそうです。
妹、喜んでくれるといいな。
明日も何も予定はありません。
怒濤の一年だった2018年も、
もうすぐ終わりです。
明日はどんな一日になるかな。
明日も穏やかに過ごせますように。