朝市
長野県飯田市の友人がこの4月に開園予定の総合子ども園舎新築工事に心血を注いでいるので、
その陣中見舞いに行きたかったと言うことも兼ねて
長野県下伊那郡阿智村にある、「昼神温泉」に宿泊してまいりました。
園舎は、子どもが安全な中で活気ある日々を過ごせるように
部屋や廊下、トイレ、デッキ、家具等すべてがデザインされ、
落ち着いた中にも品のよいポップな色調と工夫がなされ、
死角を排除しつつも子どものイマジネーションが広がるような空間が用意されています。
子どもも保護者もここに通う毎日が楽しくなるだろうなーとの印象を受けました。
これまでも友人から話はずいぶん聴いていましたが、
スケールは想像の範囲ではありませんでした。
いよいよ最後の詰めの段階。
建築物の完成、運営面など、課題は満載と拝察しますが、
これからの健闘を祈り、心からのハグを交わし、日曜日でも工事を進める園舎を後にしました。
昼神温泉はその友人もご推薦で、とてもやさしい皮膚感覚でした。
また、が美しくみえる地域のようで、宿泊の晩もそれを実感しましたが、
なにぶんマイナス13度というような冷えの中、露天の湯船から身を出すこともできず、
湯煙に阻まれて星空の堪能がかなわなかったのが如何ともしがたい
また、朝市が名物のようで、宿からも数分の場所でしたので、
朝食後に散策に出かけました。
月曜日の朝でしたが20ほどの出店で、
豆料理の好きな中野は
「北海道産のように磨きはかけてないけど、私が作った豆!!」
と、年配女性が自信を持ってお薦めくださった黒豆やサトイモを先ずは購入。
そして、一番奥のほうのお店の年配男性のお話が印象的でした。
一年ほど前、朝市の運営について議論になったそうです。
彼としては、
「朝市というのは自分がつくったものを安心と一緒にお客様に購入していただく」
のが本来の朝市のあり方であろうとの信念があり、
増えつつあった仕入れ物の販売はいかがなものかとの考えです。
朝市人気の高まりとともに売れるだけ売りたい数合わせの商品を用意し、
売り物のゆえんを知ることの無い仕入れ物販売に走った飛騨高山の朝市と同様に、
昼神温泉の朝市も廃れてしまう
との懸念をされてお出ででした。
しかし、民主主義の多数決によって、
僅差で仕入れ物販売出店を認める採決となったそうです。
彼は、誇り高く、責任ある生産物について熱意をもって私に語ってくださり、
その瞳は力強く、
通教の経済学部卒論では農業論で行くぞ!!と思っていたくらい第一次産業は国の安定の根幹と考える中野としては、
頼もしい農業従事者であるなぁと嬉しかったのですが、
実はこの方けっこうなご年配と後から気付きました。
よく考えてみると若い方々のお店は、総じて「仕入れ物」販売だったのです。
私には、かねてより神田自慢のお菓子があり、
同じ町会の「庄之助」さんの神田まつり(本当は庄之助最中、萬祝い(お赤飯)、大福が有名!)
お隣町会の「近江屋」さんのロールケーキ、ミルフェ、タルトなどのホールや素朴な素材を味わえるクッキー(本当はアップルパイが有名!!)
などをお土産に利用することが多いです。
これらのお店も責任もってお客様に提供できる範囲での菓子製造をしていて、
どこに行っても手に入るものではないことが
お土産物として選ぶ信頼&自慢だったりします。
もちろん、飯田の友人にも今回は近江屋のブルーベリータルトのホールに
「おつかれさま」
のメッセージを大きく描いていただいてお届けしました。
石川さんのおっしゃるように、選択は大変重要な意思決定です。
そして、決定事項を再度検証をし、改めて選択をすることは更に重要な意思決定です。
よく、マネジメントシステム用語でPDCA(Plan、Do、Check、Achion)サイクルなどと言われる工程があり、
チェック機構が機能してようやくよりよい状況を築くということが
行政でも、企業でも一般的な手法として認められているようですが、
いったん答えを出した案件をまた検証のテーブルに載せて改めて審査検討をしなおすと言う作業は実はとても難しく、PDCAが実際に行われて改善されているのがどれほどあるか、怪しいと感じられます。
再度、昼神温泉の朝市を訪ね、あの出店者の生産物を買えることを
次なる夢の一つにしたいと思います。
中野
未熟なのにはわけがある
バイオ・ハザードから復調気味の石川です
子どもがはしゃいでいる姿を見ると
目を細めてしまう私はもう年でしょうか
ほんとに中野さんのおっしゃる通りだと思います。
子どもたちには生きる力を備えて、
逞しく育ってもらいたいです
できれば親世代を凌ぐ才能を開花させて、
未来世代におけるより適応力に優れた種への
進化へと繋げてもらいたいっ
などと妄想を膨らませ過ぎるのはこれぐらいにして、、
ジャーン、こんな研究待ってましたー
『ナショナル ジオグラフィック 日本版 2011年 10月号』
*特集*ティーンズの脳の脅威
を読んでいただけると、世界中の子どもたちのことを
応援したくなりますよ
人間の脳は長い時間をかけて徐々に成長するので
未熟だけど柔軟性に富んだ期間が長い代わりに、
その間たくさん学習していることがわかってきました
大人から見れば、子どもたちが問題行動をとっているように見えても
子どもたちには、自らの経験から学習する機会となっているわけです。
私は、選択することが人類が生きることの本質だと考えています。
選択する能力を高めていくことが、
子どもの教育にとっての最重要ポイントではないでしょうか。
そして、週末の度に家でゴロゴロすることを選択する私の教育は
どこか間違っていたのでしょうか
幼保一元化
2月7日の読売新聞朝刊において、幼児教育に関する記事が11面・17面に載っていました。
幼稚園、保育所は、それぞれかつての文部省・厚生省、現在文科相・厚労省の管轄として制度が分かれていました。
そして昨今、女性はその能力活用や収入を得る必要などによって出産機会が著しく減少したり、子どもとの時間を過ごすことが難しくなりました。これは育児に対する社会の無理解も手伝って、少子化を招く原因の一つになっていると考えられます。
そのような仕事を持つ母親が増えた今、幼稚園はこれまでのようなスタイルでは敬遠され、園児獲得のために経営手段として長時間の預かり保育の態勢を余儀なくされているのが現実です。
また、待機児童を生じている保育所はその預かり保育時間内のすごし方について親からの不満が生じています。
もともと、幼稚園は文部省管轄であることから、教育機関としての自負が強かったようで、単なる預かりを旨とする保育所に対しての優越と言うか、蔑視の感がありました。
しかし、子どもが育つことに、文部省も厚生省もあるでしょうか?
事実、子どもの興味を引き出し、その能力を培うことを理念として実践している保育所がありましたし、
自由闊達を掲げて一日の子どもの言動に無頓着な幼稚園が存在しました。
子どもに対する教育とは、如何に小さいうちにたくさんの文字が判別でき、大人が望む反応を実現する小さな大人にすることではありません。
幼い時期に、五感を刺激され、漠然とであれ生命や科学の神秘に触れることが、子どもの生きる力を育て、自分を取り巻く現象に対する興味を培うのではないでしょうか。
このことは、200年以上も前にかかれたルソーの『エミール』(岩波文庫版)からの理解でもあります。
それが、未だに新聞記事、玉川大学教育学部の大豆生田啓友(おおまめうだひろとも)准教授の
「本来の幼児教育は、外遊びや友達との交流を通し、子どもの好奇心や発想を引き出すこと。一部の園で行っているような英会話や読み書きではない」
「幼保一元化にともない、目指す幼児教育のあり方をよく議論し、質の向上につなげるべき」
との主張にあるように、現在もなおも幼児教育に対する根本的な成長の基盤が何であるかの議論は成熟しておらず、幼子の成長に対する共通認識は存在していないのみならず
商業目的の幼児をターゲットとする教材やお受験など、子のために良かれという親の心理は、確固たる信念を築くまでもなくさまよい続けている方が多いようです。
このことは、幼稚園を経営している知人より伺った、お子さんを通わせる保護者の要望からも伺えます。
幼稚園にプレ小学校を期待しているのです。
知人いわく、
「子どもの適応力をもってすれば、字を判別する、楽器の演奏をするなど、サルマネはいとも簡単である」
とのこと。
そんなことが教育なのでしょうか。
教育とは、良質な模倣もその一端であろうかと思いますが、それにも増してその子どもが生きる力を備えることだと考えます。
生きる力とは、目の前の問題に対してどのように解決するかを考え出す力です。これは、自己の利便だけでは成り立ちません。
時には残酷なことも、時には逃げることも、時には衝突することも、織り込み済みで、
そのお子さんが力を蓄えていつかリベンジしてこれで自分も相手も納得できるという解決を導くために、周囲がサポートすることが教育の原点だと思うのです。
親や教育者が代行できるものではないんです。
そして、子どもの成長、教育に、省庁の別が存在したこと自体、国の政策の失敗だと思います。
子どもが自分自身の存在自体が奇跡であることを感じ、
この世の科学の神秘に心を向け、
尽きせぬ興味を抱かせたなら、
その解明のためにこの子は自分の人生を大切に生きることの基盤を得たことになるのではないでしょうか。
抽象的な物言いですが、その実現は極めて簡単。
田んぼでカマキリとアマガエルとの決闘を見守ったり、
親子で近所の公園に出かけ、一緒におにぎりを食べて座っている時に
風向きや植物の種類の多さや草の香りに気付いたり、
特別な場所に行かなくても、日常の中に科学の現象はいっぱい詰まっています
科学に目を向けた幼児の体験については、石川さんがよく取り組んでいらっしゃいましたね。
私自身も、まだまだこれから子どもたちが生きる楽しさを感じられるような接し方を考えてまいりたいと思います。
中野