安房鴨川ドライブ
静岡から帰った翌日、4日には、午後から千葉の鴨川に向かいました。
今は亡きお仲人さんのお墓参りと、以前お世話になった方に干物を送るのが目的でした。
わざわざ干物を送りに行くのは、毎度 ここのハラモが入れたいからです。
「ハラモ」は、カツオのハラ部分の干物で、B級的珍味とでも申しましょうか。
これを入れたくて、5月まで不義理を致しました。
そして、鴨川に行ったからには寄って帰らにゃー・・・
と言うのが、亀田総合病院裏手の路地を入ったところにある定食居酒屋さん「どんや」
現役サーファーのご主人、
明方4~5時頃海に行って、そのあと市場で仕入れ仕込み、11時には営業開始とか。
海鮮丼はもちろん、どれをいただいても美味しい
がっかりしたことがありません
できれば、地のものを肴に酒盛りと行きたいところですが、
今回は、お刺身定食と海老穴子丼で、おなかも心も満たして帰路に向かいました。
帰り道には海岸沿いを選択し、鴨川からぐるっとまわって国道127号線にて木更津経由で夕日を眺め、波打ち際のブロック上を散策しました。
砕け散る波しぶきに海の永続的な営み、強靭さを体感し、
久しぶりに潮の香りの中で海の広がりと船の行きかう景観に見とれ、
ゴールデンウィーク明けの活力となりました。
以上、過去にパドリングは極めた中野でした。
静岡ドライブ
連休のハザマ、5月2日は神田の店を5時で閉め、で一路静岡市へ。
嵐の夜で、高速道路の白線も見えなく、勘で運転しているような状況。
生きて帰れますように
と願いながら、宿泊予定のホテルにたどり着き、
緊張感が解けての飲酒に、自覚なく寝てしまったようで、
連れ合いから、「よくあんなカッコで寝れたねえ」
とのお言葉がありました
静岡へは親戚の伯母がお世話になっている施設を訪ねるために参りました。
午前中、施設に向かう時には、山間の木々の間から雲が湧き出すような雄大な景観がありました。
午後の東京への帰り道は渋滞情報もあったため、
慌てず一般道帰路の中でも山道を選んで森林浴ドライブ
うねうねと連なる生気あふれる茶畑、
道の左右から生き生きと伸びた枝葉に覆われた新緑のトンネル、
山々の深緑から浅緑の、多彩な緑のグラデーションに点在するつつじの鮮やかな暖色、
雲は切れることがありませんでしたが、むしろ直射日光の刺激なく、
窓も全開で
穏やかにその清涼とした木々の香りのただよう空気を満喫しました。
私たちは幸せです。
全身でこの空気を味わうことができます。
この豊かな自然環境を子孫が受け継ぐことができるよう、
私たちは何をしなくてはいけないのか、
自戒を含め、改めて人間のエゴと向き合わなくてはいけないと感じました。
中野
そうそう (*^o^)乂(^-^*)
石川さんの「旅の出会い」を読み、
その場面に居合わせているかのようにひとりイメージに浸ってワクワクする中野でした。
当方の旅の記憶では、
私が過ごしたインドのコルカタや大学を擁する小さな町 シャンティニケタンは、
牛が繋がれもせず悠々と気ままに道を往行している様や、
犬の群れかと思ったら、その中にちゃっかりヤギが混ざっていたり、
日本の日常との違いに心躍る世界でした。
シャンティニケタンでは、
たまたま町の玄関「ボルプール駅」到着時に英語の通じない駅員さん相手にシドロモドロしていた時に救っていただいたという出会いで、
タゴールの設立したビシュババーラティ大学の日本学部の学生、Mr.SOUMITが大学構内を案内してくださり、
チャティム樹の下が全寮制の小学校から中学までの子どもたちの授業の場となることや、
唯一神のもと、あらゆる宗教はともに平和を実現するのだというブラフマー・サマージの思想のことなど、
木漏れ日の道をそぞろ歩きながら
説明してくださいました。
また、シャンティニケタンの路地裏まで案内してくださり、
市民の日常生活を垣間見られ、
当地は再び訪ねたい場所の一つとなりました。
そうそう、彼の話によると、道を闊歩しているあのたちは、彼らのペットだそうで
あとは、動物との出来事は、
タイのパタヤビーチで夜ホテルを抜け出し、裏手の海岸に出た時、
けたたましく吠え掛かる犬の大群に追いかけられ、全力疾走で砂浜を駆け逃げたこともあったっけ
あーーー、何で石川さんと私の邂逅はこんなに違うんだろー
予想もしなかったことが起きたには違いないのだが
中野