はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~ -26ページ目

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

★2020年2月11日(火)に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算173枚目】

カルビー1983年 No.2 BASEBALL CARD版(表面)

 

カルビー1983年 No.2 BASEBALL CARD版(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算174枚目】

カルビー1983年 No.2 '83期待されるプロ野球選手!版(表面)

※サインは、直接ご本人から書いて頂きました。

 

カルビー1983年 No.2 '83期待されるプロ野球選手!版(裏面)

 

「1983年 No.2 森繁和」カードは、表面の写真は同じですが、裏面上部に「BASEBALL CARD」と表記されているカードと「'83期待されるプロ野球選手!」と表記されている2種が存在します。

「BASEBALL CARD」版には過去の成績のみが記載されています。

「'83期待されるプロ野球選手!」版には選手評のコメントが記載されています。

「BASEBALL CARD」版が先に発行され「'83期待されるプロ野球選手!」版に差し替えになったと思われます。

(1981年西武ファンブックより)

今シーズンは競争相手が多くなっただけに、うかうかしていられない。
シュアーなバッティングに磨きをかけ、レギュラーポジションを獲得する意地を見せてもらいたい。
それだけの素質と力は持っている選手

 

【1981年の山本隆造】
西武在籍:3年目(25歳)、背番号54
一軍成績:公式戦出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:52試合、95打数25安打、打率.263、1本塁打、13打点、4盗塁

 

【1981年当時の記事写真とコメント】

シャープな当たりを飛ばす山本選手。

 

三塁を守らせても無難にこなす山本選手。

 

西武ライオンズタイムマシーン(第294回):1979年 山本隆造

西武ライオンズタイムマシーン(第387回):1980年 山本隆造

(1981年西武ファンブックより)

ノンプロ球界でもまれただけあって、プレートさばきは見るものがある。
長身から投げおろすフォームはまとまっている。
変化球のキレ味も鋭く、貴重な左投手として即戦力の期待がかけられている。
1軍での登板が待ち遠しい投手だ。


【アマチュ時代】
東北高を卒業後、社会人野球の電電東北に入社。

その後、クラブチームの東北クラブを経て、1980年オフにドラフト外で西武入団。

 

【1981年の鈴木孝行】
西武在籍:1年目(24歳)、※新人=東北クラブ(クラブチーム)からドラフト外入団、背番号19
一軍成績:公式戦出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:6試合、0勝 1敗 0セーブ、投球イニング8回1/3、自責点5、防御率5.63、奪三振4
打撃成績:6試合、3打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁

 

【1981年当時の記事写真とコメント】

貴重な左腕投手。紅白戦では鈴木の変化球はさえていた。

(1981年西武ファンブックより)

ライオンズ1の俊足。
しかし、足が速い割には盗塁が少ない。
これからの課題は投手のクセをのみこみ、走るタイミングをつかむこと。
リードオフマンに適役。

 

【1981年の小沢誠】
西武在籍:2年目(20歳)、背番号46
一軍成績:公式戦出場なし

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:59試合、156打数49安打、打率.314、0本塁打、8打点、23盗塁


イースタンリーグでは23盗塁を記録し、盗塁王を獲得。

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第338回):1980年 小沢誠

今回のブログでは、門田博光氏の訃報を報じた1月25日付スポーツニッポンの追悼特集で興味深い記事がありましたので取り上げておきます。
 

門田氏が、現役時代に最も対戦したライバル投手は、西武・東尾修でした。
両者の対戦は実に336打席もありました。

東尾が門田と対戦した現役時代のエピソードを新聞紙上で語っておりましたので、一部抜粋しました。

『門田との対戦は物凄く神経を使った。まともにいったら打たれる。わざとカウントを3ボール0ストライク(3-0)にしたことがよくある。カウントを3-0にしたら次の1球はさすがに打ってこない。そこで1ストライクを取り、3-1にしてからが勝負だった。門田は狙い球を絞って打ちに来るタイプで、こちら(東尾)は何とかして狙い球を外す。その繰り返しだった。まさに駆け引きだった。』

 

まさに当事者ならではの逸話ですね。

 

新聞スクラップより:2023年(令和5年)1月25日付スポーツニッポン

 

おまけで、主な西武投手陣 vs 門田選手との対戦成績も記載しておきます。

 

【東尾修】

299打数91安打、15本塁打、59打点、打率.304

 

【工藤公康】

111打数29安打、8本塁打、21打点、打率.261

 

【渡辺久信】

91打数24安打、11本塁打、19打点、打率.264

 

【郭泰源】

72打数20安打、3本塁打、10打点、打率.278

 

【森繁和】

30打数12安打、3本塁打、9打点、打率.400

 

【江夏豊】※日本ハム時代含む

22打数6安打、4本塁打、10打点、打率.273

 

名前を見ればわかる通り、当時の西武はエース級投手が揃っていました。

対戦成績の数字を見ると、西武強力投手陣を相手に門田選手は結構打っていた印象です。

まさにライオンズにとって難敵であり、良きライバルでした。

 

おわり

前回に続いて、門田博光氏の追悼記事になります。
門田氏は、現役時代にはライバルとして、度々ライオンズを苦しめました。
『西武ライオンズ vs 門田博光』というテーマで取り上げると、いくつかの出来事がありました。

 

【通算200号本塁打達成】
1980年6月27日、前期11回戦(西武球場)
4回表に代打で出場し松沼博久からソロ本塁打を放ち達成。

【月間最多本塁打新記録樹立】
1981年7月31日、後期4回戦(大阪球場)
3回裏に杉本正から満塁本塁打を放ち、月間本塁打16本のプロ野球新記録(当時)を樹立。

【通算250号本塁打達成】
1981年8月1日、後期5回戦(大阪球場)
6回裏に柴田保光から右中間へ2ラン本塁打を放ち達成。

【通算2000本安打達成】
1987年8月26日、18回戦(大阪球場)
3回裏に工藤公康から左中間二塁打を放ち達成。

【通算2000試合出場達成】
1987年9月8日、20回戦(西武球場)
4番・指名打者として先発出場し達成。

【通算1500三振】
1992年5月28日、8回戦(平和台球場)

4回裏に渡辺智男から三振を喫し記録。

【1988年パ・リーグMVP】
1988年は40歳にして打率.311、44本塁打、125打点で本塁打王、打点王の二冠を獲得。
MVPはリーグ優勝したチームから選出される事が多いですが、1988年は門田が西武勢を抑えてMVPに選出されました。

 

本当は、村田兆治氏が亡くなった際と同様にブログでライオンズと門田氏の激闘譜を特集したかったのですが…。
残念ながら私が所有している資料の中に紹介できそうな記事がほとんどなく、断念しました。
何とか見つけた名場面シーンをひとつだけアップすることにします。


門田博光、2試合連続のサヨナラホームラン

【1990年9月10日 オリックス対西武25回戦:●西武4-5Xオリックス○】

前日9日の24回戦は、9回裏に門田の逆転サヨナラ満塁本塁打でオリックスが13-11の大乱打戦を制していた。
そして、この日の25回戦も、両チームとも譲らない展開となり、7回終了時は2-2の同点。
8回裏にオリックスが2点を勝ち越したが、西武も土壇場の9回に4-4の同点に追いつく粘りを見せました。
そして9回裏一死後、門田が西武先発・渡辺智男から左翼スタンドへ飛び込む2試合連続サヨナラホームランを放ち、連夜のヒーローとなった。

(西宮球場:観衆1万5千人)

 

新聞スクラップより:1990年(平成2年)9月11日付中日新聞

『勝者と敗者』両者の明暗シーンを1枚の写真に収めるとは…。

私はこの写真にとてもセンスを感じましたね。

少し前の訃報ですが、また一人のレジェンド・門田博光氏がこの世を去りました。
門田選手は1970年代から1990年代前半にかけて、南海・オリックス・ダイエーで活躍し、パ・リーグを支えた個性派でした。
門田選手の魅力は、どっしりとした体格、風格ある打席の構え、豪快なスイング、ホームランアーチストらしい放物線を描く本塁打などでした。

特に逆方向のレフトスタンドまで放り込んでしまう本塁打シーンが印象的でした。

↓イメージとしてはこんな感じでした↓


カルビー1989年 No.188

 

また、私にとって門田選手は、ライバル球団の中で好きなバッターの1人として思い入れがありました。

その為、昨秋に直筆サイン入りカードを購入していました。

BBM2022年ホークスヒストリー1938-2022

 

まさか、その3か月後に訃報が届くとは…。

ご冥福をお祈りします。

 

つづく