(1980年西武ファンブックより)
守備のうまさを買われて、ショートとして鍛えられている。
プロのスピードにも慣れ、十分こなしていける力がついた。
バッティングはちょっと伸び悩んでいる。
自分でもいってるように、中距離打者に徹することが開眼への近道だろう。
【1980年の山本隆造】
西武在籍:2年目(24歳)、背番号54
打撃成績:13試合、8打数3安打、打率.375、0本塁打、3打点、1盗塁
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:43試合、92打数23安打、打率.250、4本塁打、12打点、0盗塁
前年一軍昇格を果たせず、一軍出場を目指した1980年だったが、開幕から二軍暮らしが続いた。
イースタンリーグの試合では、ドラフト1位ルーキーの鴻野淳基と併用されながらも三塁手として34試合に出場していた。
それでも8月下旬に念願の一軍昇格を果たすと、8月24日対南海戦の途中で大原徹也に替わり遊撃の守備についた。
山本自身クラウンライター時代の1978年以来2年ぶりとなる一軍出場で、球団が西武へ変わってからは初めての一軍出場だった。
その後は、代走中心に出場機会は限られていたが、9月29日対近鉄戦で途中出場ながら2年ぶりの安打と打点を記録。
翌9月30日対南海戦でも途中出場で二塁打を放ち2打点を記録し、10月4日対ロッテ戦でも代打で安打を放ち盗塁も記録した。
一気のアピールに成功し10月10日対阪急戦では、ついに9番・遊撃手として先発起用された。
しかし、この試合では4打数無安打に終わり、そのままシーズンを終えた。
山本は、その後も西武で1982年まで現役を続けたが、一軍での出場機会は無いまま引退した為、結果的にこの年の10月10日の試合がプロ生活において一軍での最終出場試合になった。
【1980年当時の記事写真とコメント】
伸び悩みをふっ切るチャンスがやってきた
昨シーズンは一軍の試合に登場する機会がやってこなかったが、今年はショートの定位置を争うグループに入って、猛ダッシュ。
先輩を押しのける意気込みが感じられるまで成長した。
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