★2020年2月26日(水)に掲載したブログのアップデート版です★
西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算230枚目】
カルビー1983年 No.556(表面)
※サインは、直接ご本人から書いて頂きました。
カルビー1983年 No.556(裏面)
裏面コメントは、No.391のカードと全く同じになっています。
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西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算230枚目】
カルビー1983年 No.556(表面)
※サインは、直接ご本人から書いて頂きました。
カルビー1983年 No.556(裏面)
裏面コメントは、No.391のカードと全く同じになっています。
(1981年西武ファンブックより)
ノビのある速球をビシビシ決めるピッチングは小気味がいい。
移籍1年目で本人もやる気十分。
持ち前の素質をライオンズで開花させようと張り切っている。
明るい性格から早くもチームの一員としてとけこんだ。
1975年:広島工高3年時に地元の広島東洋カープからドラフト4位指名を受け入団。
プロ入り後に肩を痛めてサイドスローに転向。
広島時代は1980年までの5年間で2勝3敗、1979年、1980年の2年間は一軍での登板は無かった。
1981年から西武へ移籍。
林義一コーチにより、投球フォームをサイドスローに戻した。
【1981年の小林誠二】
西武在籍:1年目(23歳)、※広島から移籍、背番号23
一軍成績: 7試合、0勝 0敗 0セーブ、投球イニング9回、自責点4、防御率4.00、奪三振3
【イースタンリーグ成績】
投手成績:16試合、7勝 0敗 2セーブ、投球イニング75回2/3、自責点11、防御率1.30、奪三振40
打撃成績:18試合、23打数2安打、打率.087、0本塁打、1打点、1盗塁
開幕は、一軍スタート。
4月4日対ロッテとの開幕戦で、8回裏、先発・東尾降板後の2番手として西武移籍後初登板。
小林自身3年振りとなる一軍登板を果たした。
2安打を許すも無失点で切り抜けた。
翌日のロッテ戦も登板。
4-3と1点リードで迎えた9回裏、7回途中から投げていた永射が無死満塁のピンチを招いた場面で3番手として小林が登板。
直後に弘田に同点となる安打、つづく江島にも安打を打たれサヨナラ負けを喫した。(小林には勝敗つかず)
開幕から2戦続けて登板したが、その後、登板機会は一気に激減。
4月12日登板後、二軍へ降格。
一軍再昇格した8月に2試合、9月にも2試合登板機会があったが、いずれも敗戦処理での場面であった。
球威のなさを突かれ安打を許してはピンチを招くシーンが見られ信頼を得られなかった。
それでも登板した6試合では計7イニングを自責点0で切り抜ける粘りも見せた。
しかし、7試合目の登板となった9月21日対近鉄戦で2イニング被5安打、自責点4と打ち込まれ、この試合がシーズン最後の登板になった。
【当時の記事写真とコメント】
移籍の小林投手は初めからとばしている
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西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算229枚目】
カルビー1983年 No.534(表面)
カルビー1983年 No.534(裏面)
このカードは、当時広島を中心とした中国地方で流通した為、入手困難なシリーズとされています。
また、表面の写真、裏面のコメントとも、No.434のカードと全く同じになっています。
カード番号のみが唯一の違いです。
私は2002年広島へ出張の際に福山にあったカードショップに立ち寄ったところ運良く入手することができました。
★2020年4月15日に掲載したブログのアップデート版です★
西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算228枚目】
カルビー1983年 No.530(表面)
カルビー1983年 No.530(裏面)
このカードは、当時広島を中心とした中国地方で流通した為、入手困難なシリーズとされています。
また、表面の写真、裏面のコメントとも、No.430のカードと全く同じになっています。
カード番号のみが唯一の違いです。
★2020年5月6日に掲載したブログのアップデート版です★
西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算227枚目】
カルビー1983年 No.514(表面)
カルビー1983年 No.514(裏面)
このカードは、当時広島を中心とした中国地方で流通した為、入手困難なシリーズとされています。
また、表面の写真、裏面のコメントとも、No.414のカードと全く同じになっています。
カード番号のみが唯一の違いです。
(1981年西武ファンブックより)
すっかりライオンズの一員になった。
鋭いライナー性の当たりを左右へ打ち分ける技術は、さすが大リーガー。
3年目を迎え、すっかり日本の投手のボールに慣れた。
優勝を目指すバッティングをぜひとも披露してほしい。
【1981年のタイロン】
西武在籍:3年目(32歳)、背番号1
一軍成績:開幕前に南海へトレード移籍の為、西武での出場成績無し
開幕直前に名取和彦との交換トレードで南海ホークスに移籍。
南海では125試合に出場。
打撃では、打率.311、18本塁打の好成績を残すも、一方でリーグワーストの17併殺打を記録。
守備では、20補殺という強肩ぶりを見せるも、12失策を記録するなど投打ともに一長一短の成績であった。
翌1982年も南海でプレーするも同年限りで退団、帰国した。
【当時の記事写真とコメント】
ボスを胴上げするために球場狭しと暴れまくるよ
チビッ子ファンに聞くと、ライオンズで一番かっこいい選手はタイロンだという。
ピタッとしたユニフォームでダイヤモンドをかけ抜けての三塁打。
全速力で外野フライを追って地上すれすれでナイスキャッチ。
こんなシーンを何度も見せてくれるタイロンは、足が長いことも長いが、ユニフォームにはライオンズで1番気を使っている選手。
日本の選手と根本的に違うのは、体にピタッとくっつくようにつくらせること。
いわば大リーグのスタイル。
チビッ子ファンの心をとらえるかっこ良さにも秘密があるわけだ。
3年目を迎えたタイロンは「パ・リーグの投手のクセもわかったし、今年は開幕からガンガンいきたい」と威勢のいいアドバルーンを上げてくれた。
眼鏡をかけ普段会うと、学者かなと思えるようなタイロンだが、いざユニフォームを着るとがらりと変わる。
今年もライオンズ球場狭しとかけまくる『黒い稲妻』は大いに期待できそうだ。
ホームランを打ちレオ人形をもらってニッコリ
足には自信を持っているタイロン
果敢にホームに突っ込むプレーは野球の醍醐味でもある
判定は間一髪セーフ
ホーム寸前のランナーをアウトにする強肩
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西武ライオンズタイムマシーン(第311回):1979年 ジム・タイロン
★2020年3月16日に掲載したブログのアップデート版です★
西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算226枚目】
カルビー1983年 No.510(表面)
カルビー1983年 No.510(裏面)
このカードは、当時広島を中心とした中国地方で流通した為、入手困難なシリーズとされています。
また、表面の写真、裏面のコメントとも、No.410のカードと全く同じになっています。
カード番号のみが唯一の違いです。
★2020年3月10日(火)に掲載したブログのアップデート版です★
西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算225枚目】
カルビー1983年 No.500(表面)
カルビー1983年 No.500(裏面)
裏面コメントは、以前ご紹介したNo.315のカードと全く同じになっています。