はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~ -18ページ目

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

★2020年2月26日(水)に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算239枚目】

 

カルビー1983年 No.605(表面)

 

 

カルビー1983年 No.605(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算240枚目】

カルビー1983年 No.605「祝優勝」あり版(表面)

※サインは、直接ご本人から書いて頂きました。

 

カルビー1983年 No.605「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

★2020年3月16日に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算237枚目】

カルビー1983年 No.601(表面)

 

カルビー1983年 No.601(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算238枚目】

カルビー1983年 No.601 「祝優勝」あり版(表面)

 

カルビー1983年 No.601 「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

(1981年西武ファンブックより)

気の強い性格からリズムに乗ると、グイグイ打者を追い込んでいくピッチングが見もの。
キャンプでも今年を勝負の年とする意気込みが十分うかがえた。
重い速球をビシビシ決めて抑えこんでもらいたい。

 

【1981年の根本隆】
西武在籍:3年目(27歳)、背番号26
一軍成績: 9試合、1勝 0敗 0セーブ、投球イニング16回2/3、自責点5、防御率2.65、奪三振8

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:12試合、1勝 1敗 0セーブ、投球イニング27回2/3、自責点11、防御率3.54、奪三振17
打撃成績:12試合、3打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁

 

【主な出来事】
6月25日対ロッテ戦で2番手として3回途中から登板。
3回2/3イニングを投げ、6奪三振を奪う力投。
レオンに本塁打を浴び2失点するも勝ち投手の権利を持ったまま6回で降板。
そのまま西武が10-6で勝利し、根本はシーズン初勝利。
大洋から移籍後3年目でようやくつかんだ西武初勝利でもあった。


【当時の記事写真とコメント】

ダイナミックなフォームで投げる根本投手

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第257回):1979年 根本隆

西武ライオンズタイムマシーン(第375回):1980年 根本隆

★2019年5月12日に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1981年西武ファンブックより)

ノンプロ時代から、左のスラッガーとして大いに注目を集めていた。
力強いバッティングを早くもキャンプで披露。
ノンプロ時代の通算打率3割1分5厘、本塁打30本の実績がダテでないことを証明した。
1軍で十分通用する力を持っている選手といえる。

 

【アマチュア時代】
川口工業高時代は、チームの中心打者として1977年夏に甲子園出場。
高校卒業後、日本通運に就職し1978年の都市対抗野球に出場。2回戦の本田技研鈴鹿戦で本塁打を放つなど活躍。
1979年第4回インターコンチネンタルカップの日本代表に選出され、4番打者として日本の準優勝に貢献。
1980年オフにドラフト外で西武に入団した。


【1981年の駒崎幸一】
西武在籍:1年目(22歳)、※新人=日本通運浦和からドラフト外入団、背番号29
一軍成績:6試合、7打数 0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁

 

開幕は二軍スタート。
5月に一軍昇格し5月9日対日本ハム前期8回戦(平和台球場)で、試合途中から大田卓司に替わってレフトの守備につきプロ入り初出場を果たす。

5月12日の対南海戦で8番・左翼手としてプロ初先発出場を果たすと、13日、14日の南海戦も先発起用され続けた。

しかし、3試合とも2打数無安打に終わり、与えられたチャンスでアピールすることはできなかった。

その後、一軍では5月20日対阪急戦で代打起用され三振、5月26日対ロッテ戦は途中から中堅の守備についただけの出場に終わり、シーズン終了まで二軍の試合で経験を積んだ。

ドラフト外入団ながら即戦力の期待をされていたが、入団1年目はわずか6試合の出場で初安打を放つことはできなかった。
 

【イースタンリーグ成績】

打撃成績:61試合、208打数63安打、打率.303、7本塁打、41打点、4盗塁


イースタンリーグでは、外野手のレギュラーとして61試合に出場。

4月26日対日本ハム戦の10回裏にサヨナラ安打を放っている。
打撃は、打率3割をキープし、7本塁打を放った。
41打点はチームトップだった。

 

【当時の記事写真とコメント】

右中間、左中間に豪快な当たりを飛ばす駒崎。パワーでは新人ナンバーワンの声。
駒崎もキャンプに入って、持ち前の長打力が認められた1人。
日本通運時代の通算打率3割1分5厘、通算本塁打30本の記録を持っているだけに、素質は十分。
思い切りのいいバッティングは、紅白戦でも右中間、左中間に長打を飛ばしていた。
ドラフト外の入団とあって、石毛、岡村に対してのライバル意識も強く、ひそかに心中期するものがあるとみた。
ノンプロ時代にもまれているだけあって、少々のことには動じない神経を持っていることも、プロとしての強味のひとつといえよう。