西武ライオンズタイムマシーン(第257回):1979年 根本隆 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
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(1979年西武ファンブックより)

気の強い性格がピッチングにも現れて頼もしい。
スタミナをつけて完投能力をつければ10勝はねらえる力を持っている。

 

【1979年の根本隆】
西武在籍:1年目(25歳)、※大洋から移籍、背番号26
投手成績:8試合 0勝 1敗 0セーブ 防御率7.62

 

(イースタンリーグ成績)
投手成績:14試合 5勝 2敗 1セーブ、防御率3.05
打撃成績:14試合 2安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.111

 

1974年のドラフト1位で大洋に入団。
1978年オフに基満男との交換トレードで、鵜沢達雄と共に新球団・西武に移籍した。

西武移籍1年目の1979年は、心機一転、環境が変わったことでの活躍が期待された。
7月13日ロッテ戦でようやく西武移籍後初登板を果たしたが、2イニングで自責点4。
8月4日対南海後期5回戦で移籍後初先発を任されたが、試合開始から南海打線につかまり被4安打4失点で一死しか取れずにKO。
チームもそのまま4-9で敗れ負け投手となった。
8月22日近鉄戦で1/3イニングで自責点3し、そのまま2軍へ降格しわずか8試合の登板でシーズンを終えた。

 

一軍では結果を残せなかったが、二軍では14試合の登板で5勝、1セーブをあげる活躍を見せていた。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

心機一転、二ケタの勝星ちを
銚子商時代から、木樽二世とさわがれた素質が生かされなかった。
ライオンズに移った今年は野球生命をかけての勝負。
スタミナをつけ、完投能力を身につければ、先発組に入るのも夢ではない。
気の強い性格だけに、背番号26がクローズアップされよう。