★2019年5月12日に掲載したブログのアップデート版です★
(1981年西武ファンブックより)
ノンプロ時代から、左のスラッガーとして大いに注目を集めていた。
力強いバッティングを早くもキャンプで披露。
ノンプロ時代の通算打率3割1分5厘、本塁打30本の実績がダテでないことを証明した。
1軍で十分通用する力を持っている選手といえる。
【アマチュア時代】
川口工業高時代は、チームの中心打者として1977年夏に甲子園出場。
高校卒業後、日本通運に就職し1978年の都市対抗野球に出場。2回戦の本田技研鈴鹿戦で本塁打を放つなど活躍。
1979年第4回インターコンチネンタルカップの日本代表に選出され、4番打者として日本の準優勝に貢献。
1980年オフにドラフト外で西武に入団した。
【1981年の駒崎幸一】
西武在籍:1年目(22歳)、※新人=日本通運浦和からドラフト外入団、背番号29
一軍成績:6試合、7打数 0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁
開幕は二軍スタート。
5月に一軍昇格し5月9日対日本ハム前期8回戦(平和台球場)で、試合途中から大田卓司に替わってレフトの守備につきプロ入り初出場を果たす。
5月12日の対南海戦で8番・左翼手としてプロ初先発出場を果たすと、13日、14日の南海戦も先発起用され続けた。
しかし、3試合とも2打数無安打に終わり、与えられたチャンスでアピールすることはできなかった。
その後、一軍では5月20日対阪急戦で代打起用され三振、5月26日対ロッテ戦は途中から中堅の守備についただけの出場に終わり、シーズン終了まで二軍の試合で経験を積んだ。
ドラフト外入団ながら即戦力の期待をされていたが、入団1年目はわずか6試合の出場で初安打を放つことはできなかった。
【イースタンリーグ成績】
打撃成績:61試合、208打数63安打、打率.303、7本塁打、41打点、4盗塁
イースタンリーグでは、外野手のレギュラーとして61試合に出場。
4月26日対日本ハム戦の10回裏にサヨナラ安打を放っている。
打撃は、打率3割をキープし、7本塁打を放った。
41打点はチームトップだった。
【当時の記事写真とコメント】
右中間、左中間に豪快な当たりを飛ばす駒崎。パワーでは新人ナンバーワンの声。
駒崎もキャンプに入って、持ち前の長打力が認められた1人。
日本通運時代の通算打率3割1分5厘、通算本塁打30本の記録を持っているだけに、素質は十分。
思い切りのいいバッティングは、紅白戦でも右中間、左中間に長打を飛ばしていた。
ドラフト外の入団とあって、石毛、岡村に対してのライバル意識も強く、ひそかに心中期するものがあるとみた。
ノンプロ時代にもまれているだけあって、少々のことには動じない神経を持っていることも、プロとしての強味のひとつといえよう。